2024/03/25 Mon.
昨日の県知事選の結果に、地味にショックを受けている。自民党・公明党が推すような人物には絶対に票を入れたくないと思って、まだマシじゃないかと思える方に投票したのに、その自公推薦の人が当選してしまった。あーあ。ポジティブに考えると、反ワク思想や途方もない案を掲げている人が知事にならずに済んだのはせめてもの救いなのかもしれない。確か地元の新聞だったと思うけど、最近の記事に「熊本県は政治的に保守的な人が多い地域で、自民党支持者が多い」といった旨のことが書かれていて、さもありなんと思った。どうりで、社会との間に障害がある人や海外にルーツを持つ人、性的マイノリティの人などに対して差別的な発言をする人が体感として多い。普段とても温厚で優しい人であっても、急にびっくりするようなことを言い出すからその度に悲しくなる。そして、それは差別だとその場ではっきり言えなかった自分に対して、猛烈な自己嫌悪に襲われる。市内に統一教会の新しい支部が近々できるらしいことといい、今回の県知事選の結果といい、家父長制・男尊女卑・レイシズム・セクシズム・排他主義等々てんこ盛りの県らしくていいんじゃないですか。自称左翼の自称フェミニストとしては本当に嫌になる。こんな社会で生きていくのはしんどすぎると思って死にたくもなるけど、高島鈴さんの「生存は抵抗」を思い出してなんとかやる。
夜、なぜか突然むしょうにイライラが募ってしまい、まだ夕食後の食器洗いが残っているにも関わらず、座ったきり動けなくなってしまった。こんな調子で夢の一人暮らしが実現できるんだろうかと思うと、ますます落ち込む。一時間ほど座り込んで、何ができる訳でもないのでTwitterを眺めていたら、ふくちがのそのそと足元にやってきた。心配でもしてくれたのかと一瞬ぬか喜びするも、ごろごろと喉を鳴らしながら私の足に爪を立てて噛みついてきた。こちらの思惑など一切気にせずマイペースにじゃれてくるふわふわの生命体が本当にかわいくて、猫って最高な生き物だと改めて思った。痛い痛いと言いながら笑ったら元気が出たような気がして、食器を洗い、お風呂と歯磨きを済ませて就寝までこぎつけることができた。
2024/03/26 Tue.
昨夜は私のベッドに久し振りにとらちが来てくれた。温かいふわふわの生き物が私の足元に寝ていて、とてもかわいかった。足に爪を立てられて起こされても、やっぱりかわいい。
先月挑戦しようとしてし損なった仕事の求人がまた出ていたので、駄目で元々とは思いながらも応募してみた。ハローワークで「この一年間、仕事は?何かされていたんですか?」と訊かれて、やっぱりこの社会は働くこと・働けることがデフォルトとして求められているんだなと痛感させられた。とても「働くことについての不安やネックが多く、働けそうになかった」と正直に言える雰囲気ではなく(私がビビりなだけかもしれないが)、それらしい理由っぽいものを答えてみたものの、どうだろう。こういうことを面接でも訊かれるんだろうな。
畑のアスパラガスを収穫した。たった2本だけの細いものだったけど、軽く茹でて、ベーコンで巻いてフライパンで焼いてから食べてみたらおいしかった。来年はもっとたくさん収穫できますように。
IKEAのリラックスチェアに座っていると、ふくちが膝に乗ってきた。すっかりくつろいだ様子で毛繕いをしたり、すやすやと眠ったりして、多分一時間以上は膝にいたんじゃないだろうか。7.2kgともなるとさすがにちょっと重いけど、草むらで拾ってきた当初の170gの体重を思うと、よくここまで育ってくれたと嬉しい重さに感じられる。ふくちお気に入りの膝掛けを身体にかけてやると、さらにぬくぬくと暖かく、こたつにでも入っているかのようだった。やっぱり、気を抜いて心地よさそうに過ごしている小動物が傍にいると、人間もすごくリラックスできる気がする。いいものを拾ったなあ。
2024/03/27 Wed.
学生時代の友人達が夢に出てきた。目が覚めた直後は、実際に自分が経験したできごとの記憶なのかと錯覚してしまったものの、中学の友人と大学の友人が幼馴染みという設定の夢だったので、ちょっと考えれば夢だと分かることだった。数年前の自殺を試みる以前だったら、こういう夢を見るといつも「走馬灯だ」「やっぱり自分は近いうちに死ぬんだ」と夢の内容と自殺とを結び付けていたけど、今なら「脳が記憶を整理しているな」「それにしても懐かしい人が出てきたな」くらいにしか思わない。健康的なことが必ずしも良いことだとは思いたくないけど、健康的な考え方ができるようになってきたのには喜びを覚えてしまう。
出かけた先で、柑橘類を買い込んできた。甘酸っぱくほのかな苦みがおいしい甘夏、濃い甘酸っぱさが特徴的な不知火、酸味が強くすっきりした味の紅八朔、酸味が控えめで甘く食べやすいはるかの4種類。全部おいしいけど、個人的な好みとしては紅八朔、甘夏、不知火、はるかの順に好きだ。紅八朔は先日初めて食べて、口内に小さな傷でもあれば必ず沁みるような強い酸味が本当においしく、傷に沁みても食べたいと思わせる味だった。実際にそうした。
育ち過ぎたのを放置していた畑のサニーレタスとチマサンチュ、パセリをようやく収穫した。猫に掘り返されたのを埋め直したじゃがいもも、いつの間にか芽が出ていた。
再放送のを録画していたテレビ「美の壺 日本のすし」を観たので、猛烈におすしが食べたい。
2024/03/28 Thu.
明け方、布団の足元にふくちが来ていて、ひたすらもぞもぞと毛繕いをしている。人間が身だしなみを整えていてもかわいくもなんともないのに(その結果多少かわいくなることはあったとしても)、毛繕いをする猫というのは本当にかわいい。まだ寝ぼけている頭でもそう思った。
STORESのショップ「stand up with you」さんで購入したステッカーが届いた。きらきらに加工された紙に、ポップなかわいいフォントで「家父長制ぶっつぶす」と書いてある。見ているだけで元気が出てくるようなステッカーなので、さっそくiPhoneケースに挟んだ。保守が多い県だろうが構うものかと強がりたい気持ちはありつつも、実際は自分の父親に「CDの音量を下げてほしい」と意見するのさえ勇気が要る。父がシベリウスやマーラーを家じゅうに響くような大音量で聴くのなら、私だって刀ミュやカリスマを堂々と聴いてもいいはずなのに…。村正やWSAのソロ曲を思うと到底それはできないものの、そうしたリスク(?)のない音楽まで隠れてこそこそと聴くのはもう嫌だ。父親のことはちゃんと父親として尊敬しているし好きではあるけど、それはそれとしていつかは父の扶養から抜け出したい。自分で稼いだお金や自分で申請した制度を利用して、誰に遠慮することなく好きな音楽を楽しめる生活をしたい。自分を取り巻く家父長制から脱出し、ゆくゆくは世の中の家父長制という家父長制をぶっ潰すために、iPhoneケースに挟んだきらきらの主張が自分の支えになりそうな気がする。
2024/03/29 Fri.
以前働いていた園芸店へメネデールを買いに行くと、私が書いたレモンの苗木の販促POPがまだ使われていた。よく見ると字の書き方や絵の細かい部分が私のものと違うので、私が書いたPOPの文面やイラストをそのまま真似して新しい紙になぞり書きしたのだと分かる。辞めてもう随分経つのに、こうして使い回してくれるのはちょっと嬉しい。
帰り道、神社の桜が満開できれいだった。桜はこの国のナショナリズムと密接に結び付けられてしまっているので、当の桜には何の罪もないのに、本当に気の毒な植物だと思う。
久し振りに燻製を作りたいと思い、その下準備をした。手羽先やサーモン、ゆで卵、チーズなどの食材に塩とスパイスをすり込み、まずは冷蔵庫で丸一日置く。おいしく作れるといいなあ。
2024/03/30 Sat.
年に一度の予防接種のために、とらちを動物病院に連れて行くことになった。ところが、元野良猫で抱っこに不慣れなうえ、とびきり警戒心の強い性格なので、不穏な気配を察したのかすぐにするりと逃げられてしまった。そこからはもうどたばた喜劇で、俊敏に逃げ回る猫を人間ごときが捕まえられるはずもなく、病院はまた後日ということになった。それが朝の話で、無事に逃げおおせたとらちはお昼前になってそろそろと一階に降りてきて、もう追いかけ回されないらしいと分かるとほっとしたように網戸越しの外の風を楽しんでいた。
庭に燻製器やガスコンロを置いて、昨日仕込んだ食材を燻製にした。燻製を作るのはこれで3,4回目くらいだけど、未だに正解がよく分かっていないので、素人の手探りで毎回やってみている。チップが炎上したり、なかなか煙が出なかったりとスムーズにはいかなかったものの、とりあえず自分で食べておいしいと思えるようなものには仕上がった。特に手羽先がおいしくできて、生焼けにならずきちんと火が通っただけでも嬉しいのに、スモークの風味がそれらしくついていて良い味だった。燻製、スパイスカレー、ミルで豆を挽いて淹れるコーヒーなど、こだわって手間をかけて作る食べ物は面倒だけどとびきりおいしくておもしろい。いつかはこれらを趣味だと言い張れるくらいには極めてみたいかもしれない。
2024/03/31 Sun.
庭に出たついでに、鉢植えに生えていた雑草を抜き取ってみたら、久し振りにする草むしりの感覚が楽しくてしばらく草取りをした。素手で土や草に触るのってやっぱりいいなあ。お隣に人が引っ越してきてからは、聞こえてくる不機嫌そうな声が怖くてめっきり庭仕事をしなくなったけど、やっぱり庭で何かするのは楽しい。昨日の燻製作りも、野鳥の声が聞こえるだけの前半はそうだった(後半は、帰宅してきた隣人の声に怯えて満足に楽しめなかった)。植物に対する私の情熱や執着は隣人の罵声なんぞに負けないもののはずなのに、臆病風に吹かれてしまって悔しい。