投稿者: naedokodayo

週間日記(2024/02/12-02/18)

2024/02/12 Mon.

 『くらしのアナキズム』(松村圭一郎、ミシマ社)を読み終わった。すごくおもしろい本だった。去年は本がめっきり読めなくなってしまって、月に一冊も読まない時があり、本好きというアイデンティティをなくしてしまったかとすごく焦ったし落ち込んだ(読書は冊数を稼げばいいというものではないけども)。ところが、今年に入ってから4冊も本を読み終えることができた。小難しい専門書ではなく、なるべく読みやすそうな本を選んでいるというのもあるけど、また活字を読んで楽しめるようになったことが本当に嬉しい。

2024/02/13 Tue.

 zoomで2回目のオンラインカウンセリングを受けた。まだあまりこれといって手応えがないけど、まずい感じはしないので続けてみたい。カウンセリングの最中にメモを取っていいものか訊き損ねていて、いつもカウンセリングが終わってから内容を思い出して書き起こしている。精神科で臨床心理士の先生にカウンセリングを受けていた時もそうしていたけど、その頃よりもメモの量が格段に少ない気がして、自分の記憶力が衰えているんじゃないかと不安になる。まあ、記憶力が上がってはいないだろうな。
 明日のバレンタインにかこつけて、チョコレートのシフォンケーキを作った。しっとりふわふわの焼き上がりで満足。

2024/02/14 Wed.

 日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル)の演奏会を聴きに行った。曲目は、モーツァルト作曲の歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、ベルリオーズの幻想交響曲だった。1曲めのモーツァルトと、ヴァイオリンソロのアンコールは知らない曲だった(ファジル・サイ作曲「クレオパトラ」という曲らしい)。メンデルスゾーンは、聴いてみるとすごく聞き覚えのある曲だった。幻想交響曲は大好きな曲なので、これを聴きたくて今日の演奏会に来たようなもので、生のオーケストラで聴くと一層おもしろかった。普段聴くCDでは分からない、「このパートはこういうことをやっていたのか」と分かる感覚もおもしろく、4楽章の後半と5楽章の最後でパーカッションが大暴れしている辺りは特に楽しかった。この曲についてベルリオーズ自身が書いた説明がパンフレットに紹介されていた。

 病的な感受性と激しい想像力をもった若い芸術家が、恋の悩みに絶望してアヘン自殺を図る。しかし服用量が少なくて死に至らず、奇怪な一連の夢を見る。恋する女性は1つのメロディーとなって何度も彼の前に現れるが、ついに彼は夢の中で彼女を殺し、悪魔の饗宴に身を置く。

 個人的に「神経質で内向的でプライドの高いインテリ青年が夢破れ恋に破れ悩み苦しみ憂鬱、苦悩、煩悶、葛藤など鬱屈とした感情をこじらせた挙句精神に異常を来たしやがてゆっくり破滅に向かっていくような文学作品」がとても好きなので、曲を聴いたのはもちろんのこと、作曲家による説明書きを知ることでますますこの曲が好きになった。アンコールも同じくベルリオーズ作曲の「ラコッツィ行進曲」で、曲名は知らなかったけど、曲自体は聞いたことのあるものだった。オーケストラを見たり、オーボエの音色を聞いたりするとやっぱりまだそわそわ、ざわざわするものがあるけど、それでも演奏会を楽しめたのは良かった。

2024/02/15 Thu.

 ゆうちょ銀行のアプリを起動すると、障害基礎年金の遡及請求した分(5年分)と、今月と来月の分を合わせた金額が振り込まれていた。自分の口座にこれだけの額があるのは久し振り、ともすると初めてかもしれない。これでオンラインカウンセリングを続けられるし、皮膚科にも行ける。医療ってお金がかかるな。穀潰しの自分が生きていくのにお金が発生することに申し訳なさを覚える。そう思わせてくる社会への憎しみで、なんとか生き延びてやりたい。「生きるのにはお金が要るけど、生きているとお金が入ってくることもある」と母がいつか言ってくれたのを思い出した。本当に、生きているとお金が入ってくることもあるなあ。
 歩いてスーパーまで買い物に行く。菜の花が満開だった。
 『死ぬまで生きる日記』(土門蘭、生きのびるブックス)を読み終えた。ずっと気になっていた本だけど、カウンセリングを受けて良い方へ変化していく人に嫉妬しそうで読めずにいて、最近自分もオンラインカウンセリングを始めたので気持ちに少し余裕が生まれてようやく読むことができた。すごくいい本だった。自分がカウンセリングを受けた時のことは四コマ漫画に描いていたけど、人のカウンセリングの様子を知るのもまた新鮮でおもしろい。なるほどと頷く箇所があったり、共感して涙が出るくだりがあったり、深い内容なのにすっと読める作品でとても良かった。人それぞれとはいえ、自分はこれからこういう充実したカウンセリングを受けられるんだろうか。著者のように変化できるだろうか。度々出てくる「宿題」をぜひ参考にしてみたい。

2024/02/16 Fri.

 昨日読んだ本に影響されて、「今日あった3つのいいこと」を書こうと思っていたのに、夕べは睡魔に負けて寝てしまった。夜になると眠くなって自然に寝つけることの喜びやありがたさはつい忘れがちだけど、「自分は自力で眠ることもできなくなってしまったんだろうか」と不安になりながら導眠剤を飲んでいた頃の自分からすれば、どんなに羨ましいことだろう。
 朝から洗濯機を3回回して、その間に家じゅう掃除機をかけ、猫の皿を洗ったりトイレの砂を替えたり、観葉植物と庭の鉢植えの水やりもして、せっせと動き回ることができた。働いていないことに罪悪感があるので、こうして家のことをちゃんとできる日は少し安心する。
 読んだ本のメモや引用を、パソコンで入力した。丁寧なアナログの読書ノートをつけることに強い憧れはあるものの、書き写したい内容が多すぎて手書きだとかなりの手間になるので、結局Wordのファイルにがたがたと打ち込むのが一番合っている気がする。
 残っていた生クリームを使って、チョコレートサラミを作った。くるみとマシュマロを入れて、見た目はともかく味はおいしくできた。

2024/02/17 Sat.

 午前中はせっせと家事をする。
 一昨日読んだ本に影響されて、なんとなく食指が動かなかった認知行動療法を見る目が変わったので、アプリを入れて取り組んでみようと思った。ところが、「認知行動療法」と検索して出てくる有名どころのアプリ2つはどちらもAIとのチャット相談を売りのひとつにしているらしく、AIごときに訳知り顔で意見されたくないなと反発心がもたげてしまう。しかも、片方のアプリには「公認心理士」という誤字があり、これがまた癪に障る。一応インストールしてちょこちょこ操作してはみたものの、なかなかお高い課金プランでないと大した機能は使えず、すぐにアンインストールした。
 『暮らしの図鑑 フィンランド時間』(吉田 Öberg みのり、⁠⁠翔泳社)を読み終えた。載っている写真がどれも美しくて、見ていて楽しかった。

2024/02/18 Sun.

 熊本市内へ遊びに行く。熊本駅前から通町筋まで市電に乗ろうと思ったら、熊本城マラソンの影響により今日だけ16時まで運休だった。そんな。代わりのバスは出ているらしいけど、バスって乗り場がややこしくて苦手だし、バス乗り場には大勢の人が次の便を待っている。これに自分がすんなり乗れる訳がない。Google Mapを見ると、絶対に行きたい上通の長崎書店までは徒歩40分とあった。昼過ぎまでアミュプラザだけで時間を潰すのはもったいないと思い、意を決して歩くことにする。市電の線路に沿って歩いていると、向かいから来た人に「熊本駅はこっちの方向で合ってますか」と訊かれた。合ってますよ、市電の線路に沿って行くと着きますよと精いっぱいにこやかに答える。基本的に人と話すことには苦手意識があるので、スムーズに回答できたかは怪しい。さらに少し歩くと、また別の人から同じ質問をされた。さっきと同じ内容を返して、今度は別れ際に「お気を付けて」と付け加えた。よく知らない土地で道が分からない時にどれだけ困ることか、その苦しさはそれなりに知っているつもりなので、どちらの人も無事に辿り着けているといいなと思う。「優しそう」だか「道を教えてくれそう」だか、「この人なら大丈夫だろう」と見做されて見ず知らずの人から道を訊かれるのは、結構嬉しいかもしれない。私は地図を読むのが苦手だし、口頭で説明するのも下手だけど、なんだかいいことをしたような気分になれてこちらのほうこそお礼を言いたくなる。それにしても、都会の花壇は花が丁寧に植えてあっていいな。色とりどりのビオラ、ムスカリ、ヒヤシンス、水仙、雪柳の花が咲いていた。私が住む田舎でよく見る、伸び放題のツツジの隙間からイネ科の雑草が生い茂っているような草むらとはあまりにも違いすぎる。
 無事に私も目的地の長崎書店に辿り着く。本棚のあちこちにおもしろそうな本が並んでいるうえ、私の大好きな『庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭』や『意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』などの本もあって、センスがいいなあと思う。こんな本屋さんが地元にあったらどんなにいいだろうと思う。散財が止まらなくなるのでそれはそれで困るけども。気になっていた『差別はたいてい悪意のない人がする』(キム・ジヘ、大月書店)と『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』(葉山莉子、タバブックス)、我が家の猫達に似た猫が描かれたポストカード2枚を買い、ほくほくしながら店を出る。
 早めにお昼ごはんを食べようと思い、近くのドトールに入る。カフェや飲食店の中でも、ドトールは良い意味で敷居が低くて助かる。大学時代に就活の合間によく食べていた、ツナチェダーチーズのホットサンドを注文。本当はコーヒーが飲みたかったけど、出先でお腹を壊すとまずいので飲み物はアイスティーにした。コーヒー、大好きなのになあ。腸だけがカフェインを受け付けてくれない。店内の隅っこにある奥まった席を見つけて、とてもありがたく思いながら座る。社交不安障害の症状は昔と比べて随分ましにはなったけど、やっぱり人目につかないほうが格段に落ち着く。
 Newsの3COINS+、HAB@のスタンダードプロダクツを覗いて、猫用のトンネルを探した。見つからなかった。家にある物はふくちゃんが遊び倒してぼろぼろになっているので、いい加減買い替えてやりたい。
 COCOSAでやっていた「スイーツと珈琲とうつわ」で、バーチ・ディ・ダーマらしきチョコクッキーと、狼のイラストがパッケージにプリントされたドリップコーヒーを買った。ゲーム「魔法使いの約束」が大好きなオーエン推しの人間としては、これは買わずにはいられなかった。化粧品のお店の傍を通り過ぎて、そろそろ詰め替え用を買わないといけないフェイスパウダーを買おうか迷って買わなかった。容姿に並々ならぬコンプレックスを抱いているので、きらきら眩しい街中の化粧品売り場に足を踏み入れるのが難しすぎる。
 カリーノ下通の蔦屋書店を物色する。欲しい本を店内の検索機器で探そうと思ったら、機械は撤去されており、TSUTAYAのアプリに置き換わったとの貼り紙がしてあった。滅多に来ない店舗のためにわざわざアプリをその場でインストールするのが面倒くさすぎる。何でもデジタル化すればいいってもんじゃないんだぞ、デジタル大臣にもそれ言ってやりたいな。内心腐りながらアプリを入れて、検索する。欲しい本の在庫はなかった。KALDIを眺め、@cosmeストアに行くも、またしても化粧品を買い渋り退散。1,000円代の本はお手頃価格だと感じるのに、顔にはたく粉に1,000円も2,000円も出すのがためらわれる。お金をかければ劇的に改善されるような面じゃないし、本は読んで楽しめるけど、フェイスパウダーは別に楽しくもなんともない。私は外見よりも中身に出資するのだと哀れにも強がってみている。本屋さんに入ると水を得た魚になれるのに、きらびやかなデパコスのフロアやレディース服売り場を通るとなると、地上に出てきてしまったモグラの気分になる。
 そろそろ熊本駅に向けて歩き始めないとな、でもさすがに足が疲れたな…と思っていた所、並んで停められたシェアサイクルサービスの真っ赤な自転車が目に留まった。検索してみると、熊本駅前にもポートがある。自転車は多分乗れる。歩くのはもう疲れた。思いきってこの自転車を利用してみた。慣れない電動アシスト自転車は重くて漕ぎにくかったけど、なんとか駅前まで辿り着いた。90円の利用料金と引き換えに、時間と体力を節約できた。こういうものがあるから、やっぱり都会っていいなあ。
 電車に乗るまでまだ時間があるので、ステラおばさんのクッキーでクッキーを10枚、キタノエースでミルクジャムを買った。座って休憩したくなり、シアトルズベストコーヒーでレモンのイタリアンソーダを飲んだ。疲れた時の炭酸っておいしい。
 帰りの電車に乗り込み、運良く席に座れたと思ったらたちまち満員になった。他人との距離が近くて、人間が密集している光景に息が詰まりそうになる。前言撤回、都会なんか羨ましくない。こんなものに毎日乗っていたら心が荒んでしまう。薄くて持ち歩きやすいからと選んで持ってきたオルダス・ハクスリーの『知覚の扉』を読み始めると、隣に座っている人も何かの本を取り出して読み出した。見ず知らずの他人と並んで読書をしているのがなんだかユーモラスというのか、おかしく思えておもしろかった。何の本を読んでいるのかとても気になったけど、もちろん尋ねる勇気などないので、大人しくハクスリーの述べるカーネーションや服の皺についての評を目で追った。
 夜、さっそく『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を読む。本の帯にある「恋をした」という文字を店頭で見落としていて、しまった、男女の恋愛ものは苦手なんだよな、ととっさに思う。それでも、この本は読みやすくておもしろい。男女の恋愛ものが苦手な理由について、今の日本社会がシスヘテロ同士の恋愛こそ至上のものだとみなしていて、そうでないマイノリティの恋愛あるいは恋愛をしないあり方を尊重できていないことが、私のこの苦手意識の由来する所だと思う。シスヘテロの男女は結婚できるし、婚姻制度を利用できない/しない人々が晒される差別や偏見を向けられることもない。特権階級への個人的なやっかみと言えばそれまでだけど、もっときちんと考えて言語化したら、自分でも納得のいく理由を形作ることができるような気がする。
 本を半分近く読んで、今日の日記を書く。さっそく影響されて、こういう長い日記になった。

週間日記(2024/02/05-02/11)

2024/02/05 Mon.

 人と話すことがあまりに苦手なので練習しようと思い立ち、見ず知らずの人とランダムに通話できるアプリをインストールして話してみたものの、これが大失敗だった。相手は自分の年齢より親の年齢に近いおじさんで、ひたすら持論を展開するおじさんのマンスプレイニングに相槌を打ち続ける羽目になってしまった。しかも、出会い系ではないので露骨に性的な話題は禁止だというアプリのルールを素直に信じた私が愚かだった。色っぽい会話を楽しみたいおじさんと、他人と話す経験値を積みたい私とではまるで需要が噛み合わない。そのうえ、まだ話したがっているだろうと思われる相手との会話を切り上げる会話のスキルを私が習得できていないことが災いして、おじさんが話し飽きるまで延々と気のない返事を繰り返した。通話が終わるとぐったり疲れて、この世で最も不毛な30分を過ごしてしまったと激しく後悔した。こんな不愉快な思いをしてまで練習するくらいなら、話すのが一生苦手なままでいいやと思えるほどだった。その点では、現状の自分を受け入れられるようになるきっかけのひとつくらいにはなったかもしれないけど、あまりに嫌な体験だったので、なんだか心の内側に汚い物がべったり貼り付いたような気持ち悪さを覚えている。馬鹿なことをしたなあ。

2024/02/06 Tue.

 スーパーへ買い物に行ったら、顔見知りの店員さんに話しかけられた。こちらはやはり話すことに苦手意識があるので、やや挙動不審気味になってしまった感は拭えないけど、「久し振り」「元気?」と親しげに気遣ってくれるのがくすぐったくて嬉しかった。数年前まで知り合いに遭遇することをあれだけ不安がっていた私が、知り合いに話しかけられて嬉しさを覚えたというのもまた嬉しい。人に優しく接してもらえたのが本当に嬉しくて、昨日のぐちゃぐちゃになった気持ちが癒えたような感じがした。

2024/02/07 Wed.

 美容室に髪を切ってもらいに行った。私のメンタル系の病気について「元気そうに見える」「病気に見えない」、「今は相手の受け取り方次第で何でもパワハラ、セクハラになる」「男性ばっかりだとそうでもないけど、女性ばかりの職場は雰囲気が悪くなる」等々、もやもやする発言がいくつもあってげんなりした。もし他にもっと良い美容室があればそっちに通いたいけど、地方で車を持たないとなると選択肢はごく限られる。これはもう選挙と同じだと考えて割り切ることにした。ベストな候補はいなくても、ベターな候補、まだましだと思える候補を選ぶ。カットやシャンプーの技術、値段、美容師さんの人柄、家からの距離など諸々の条件を総合して比較すると、やっぱりここの美容室が一番通いやすい。気持ちはもやもやしているけど、襟足を少し刈り上げてもらって髪はすっきりした。
 夜に散歩。5,000歩ほど歩いて達成感。

2024/02/08 Thu.

 朝、自分で髪をブローすると、昨日はいい感じだった頭が古代ローマの皇帝みたいな髪型になってしまった。前髪を分けた状態をなんとしてもキープしなければ。
 『くらしのアナキズム』の続きを読んだ。今まで社会から刷り込まれてきた価値観がひっくり返されて、なるほどと頷く内容ばかりでとてもおもしろい。
 今日も夜に少し散歩。

2024/02/09 Fri.

 障害基礎年金の年金支払通知書が届いた。支払われる具体的な年金の額が書いてあって、遡及請求した分と合わせて初回は約410万円もらえるらしい。びっくりした。その後は、偶数月に13万円ずつもらえるようだ。家計を圧迫する罪悪感からいくらか解放されて、自分で自由に使える一定の額が確保できるのは本当にありがたい。これでオンラインカウンセリングを継続できる。何よりも、「働けないから生きていけない、じゃあ死ぬしかない」という強迫観念が和らぎ、「この先も生きていけるかもしれない」と前向きに感じられるのが嬉しい。ただ、毎月6,7万円という額では自立した生活など営めるはずもなく、やはり家族に扶養されることなしに生きる選択肢は用意されていないのだなと感じた。私はたまたま親との関係が良好だったけど、もし親を頼れない場合はこの額でどうやって生きていけというんだろう。
 いつまいたのか忘れたレモンの種が芽を出していた。アゲハチョウの餌食になるのが嫌だから屋外での栽培はしないつもりだけど、もし家の中でレモンが収穫できたら最高だな。庭のすみれやシクラメンも次々に花を咲かせている。
 夜、指揮者の小澤征爾さんが亡くなったことを父から聞いた。父は演奏会の本番などではステージに楽譜を持ち込まず、暗譜して指揮をする。祖母(父の母)いわく、小澤征爾さんのやり方に倣っているらしい。楽譜を2ページめくってしまって焦った経験があるからだと父自身は言っていたけど、父が高校時代まで過ごした部屋には小澤さんの写真が額に入れて飾ってあったので、祖母が言うことも合っているのかもしれない。

2024/02/10 Sat.

 洗濯をしたり掃除機をかけたりと家事をやっつけた。お昼にありあわせの材料でトマトソースのオムライスを作った。
 少し遠いスーパーに行ったら、地元産の白菜やキャベツ、蓮根などの野菜がたくさん売られていた。ここのスーパーの野菜売り場はいつも季節感があっていい。いちごはまだ高かった。
 夜、両親がそれぞれ飲み会へ行ったので、湯船にお湯を張ってたっぷり長風呂を楽しむことにした。ノンアルコールの檸檬堂、クナイプの入浴剤(レモングラス&レモンバームの香り)、キャンドル、チャック付きポリ袋に入れたスマホを持ち込んで、1時間ほど湯に浸かっていた。静かなBGMを流して、薄暗い浴室でゆらゆら揺れる炎を眺めていると、かなりリラックス効果があるように感じた。キャンドルの火は割とすぐに消えてしまったし、檸檬堂も量が多くて飲みきれなかったうえ、結局スマホでTwitterを眺め出したので台無しではあったけども。夜はキューピーコーワヒーリングを飲んで寝た。

2024/02/11 Sun.

 用事で遠出する。日頃出かけるのは地元のスーパーや病院くらいなので、おでかけ用の服を着て山を越えた先に出かけられるのがとても嬉しい。今年はよくスカートを着ている気がする。山の民だから、普段見ることのない海を眺めてはしゃいだ。ハマボウフウらしき植物が生えていて、これも私にとっては珍しかった。時間があれば砂浜に下りて貝殻でも拾ってみたかったけど、あまりに風が冷たかったのもあって断念した。大きいサービスエリアに寄るのもわくわくする。サービスエリアで売っている食べ物って、なんであんなにおいしそうに見えるんだろう。たこ焼きを買って食べたら、生地の表面がさくっとしていておいしかった。久し振りに梅ヶ枝餅も食べた。一人で九州国立博物館と太宰府天満宮へ行った時に、梅ヶ枝餅を買い食いしたのがとてもおいしかった思い出がある。いつかはまた一人でどこかへ旅行してみたい。

週間日記(2024/01/29-02/04)

2024/01/29 Mon.

 洗濯やら台所仕事やら片付けやら、ひたすら家事をしていたら2時間くらい経っていた。精神科の薬を増やしてから、なんとなくだけど前よりも日中に動けるようになったような気がする。気のせいかもしれないけど。

2024/01/30 Tue.

 珍しく少し身体を動かしてみようかという気持ちになり、YouTubeの動画を見ながらラジオ体操やエクササイズ、バレエのバーレッスンをやってみた。バレエは子どもの頃に8年くらい習っていたけど、レッスンの内容や雰囲気はあまり覚えていないと思っていた。でも、バーレッスンの動画を見ながら真似をしていると、「肘が下がっている」とか「(手・指先を)遠くに」とか先生に言われていたのをふいに思い出した。バレエをやっていたはずなのに身体はものすごく固いし(バレエ教室でも私より固い人はいなかったと思う)、子どもの頃から現在に至るまでずっと猫背だし、小中高の体育のおかげで身体を動かすこと自体大嫌いになってしまったけど、やっぱりバレエはいいなと思えた。記憶している限り、人生で初めてきれいだと感じたものは、バレエの発表会で見た「くるみ割り人形」のコーヒーの踊りだった。薄紫色のひらひらした衣装をまとって踊る研究科のお姉さん達が本当に美しくて、ウイスキーボンボンの一人として袖にいた幼稚園児の自分は惚れ惚れしていたのを覚えている。レオタードなんてとても着れなくなったから、もうバレエを習いに行くことはないと思うけど、バレエを見て素敵だと感じられる心は持っていたい。

2024/01/31 Wed.

 昨日身体を動かしたせいか、朝から結構な痛さの筋肉痛に見舞われた。日頃の運動不足ぶりが思い知らされる。
 書かなければと思いながらずっと手をつけずにいた書類をやっと書いた。証明写真を撮り、郵便局で審査料を振り込み、何枚かの書類に記入して、一式まとめて発送した。不備がなければ、認定心理士の資格が得られるはず。多分。少なくとも現在の状態の自分が心理職に就けるとはもはや到底思えないから、資格を得たところでどうということもないけど(そもそもこの資格自体就職に結びつくものではない)、せっかく編入した大学を卒業したのだから取れる資格は取っておかなければならない。3年前は、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったのにな。

2024/02/01 Thu.

 歯医者に行った。前回の定期検診で「怪しい」歯があったので、今回レントゲンを撮って見てみた所、とりあえず治療が必要な虫歯はないらしいことが分かった。いつも定期検診に行くと必ずと言って良いほど虫歯が見つかるけど、今日は大丈夫だったので内心驚いた。虫歯が見つかると数回続く羽目になる通院も、前回と今回の2回で済んだ。良かった。
 帰りにスーパーへ寄り、傘と自分用のバレンタインチョコを買った。傘は無色透明のビニール傘になずなの花のイラストがプリントされたもので、チューリップとミモザと迷って、珍しいのでなずなにした。チョコは、アイリッシュコーヒーをイメージしたチョコが入っているモロゾフのものにした。パッケージが夜空のようできれいなのも良い。食べるのが楽しみ。

2024/02/02 Fri.

 録画していたドラマ「作りたい女と食べたい女」を、シーズン1からシーズン2の最新話まで一気に観た。シーズン1は最初に放送された時に全話観ていたけど、あらためて見返してもやっぱり良いドラマだった。安心して楽しめるレズビアンの物語だというのももちろん、化粧っ気がなく、あまりにこにこもしない女性キャラクターがメインキャラとしてドラマにいるというのもまた嬉しい。テレビに映る女性というのは専ら画一化された基準に沿った容姿の人が主で(アナウンサーとか)、そうでない人は「ネタ枠」として笑いやイジリの対象となる場合が多いように感じる。そうしたテレビからの刷り込みのおかげで、「かわいい」「きれい」ともてはやされる容姿でいつもにこにこ愛想よく振る舞う若い女性こそ女性のあるべき姿で、それに当てはまらない女性はその容姿を含めてイジってよいという忌まわしい風潮が助長されてしまっている。だから、愛想だの愛嬌だのがあって華やかな化粧と服で装った華奢な体型の女性「ではない」春日さんが、ネタ枠なんかじゃなくドラマの重要なメインキャラとして活躍していることが本当に嬉しい(春日さんには春日さんのかわいらしさがあり、それは野本さんが一番よく知っていることは置いておいて)。その他にも、生理の事情や男性との賃金格差など、原作にある話題をそのまま扱っているのも安心できる。私と同じ社交不安症のキャラクターが今後出てくるので、この病気についての視聴者からの無理解や偏見に満ちた感想が自分の視界に入ったらどうしよう、ということだけ心配している。

2024/02/03 Sat.

 家事をあれこれ済ませた後、レモンを使ってロールケーキを作った。バターでなくサラダ油を使うスポンジケーキかと思って作り始めたけど、油も使わないビスキュイ生地だった。良い感じにふわふわに焼き上がった。クリームを塗って巻くのが本当に難しくて、ロールケーキらしい渦巻き模様は作れなかったので、またそのうちリベンジしたい。できあがったロールケーキは、すりおろしたレモンの皮を入れたビスキュイとレモン果汁たっぷりのレモンクリームとがよく合って、酸味が効いたとてもさわやかな味でおいしかった。

2024/02/04 Sun.

 両親が地元のアマチュア吹奏楽団の演奏会の本番に行っているので、日曜だけど家には私一人だった。もし私が社交不安障害になっていなかったら、さらに水害でオーボエが泥水に浸かっていなかったら、私も演奏会に参加していたかもしれない。もし楽器が無事で手元にあったとしても、今の自分では人前で楽器を吹く勇気は到底出ない。楽器に触れることすら、過去の嫌なできごとの数々を思い出して苦しいと思う。指揮をする父はとてもかっこいいので見に行きたい気持ちもあったけど、車の運転が怖すぎてできない自分には遠方のホールへ行くのは無理だ。必ずしも親が望むように楽器や音楽を楽しめる人間になる必要はなく、親の期待や理想通りの子になれなくても良いのだと思って自分を納得させたいけど、どうしても罪悪感や自己嫌悪、自責の念などが湧いてしまう。もしも私が社交不安障害じゃなく、過剰な緊張や疲労を伴うことなく「普通に」人と接することができていたら、楽器をやって演奏会のステージに立てて、就労してひとつの仕事をある程度続けることができて、家族以外の他者と親しい関係を築けていたかもしれない。どうしてこうなっちゃったんだろうなあ、と飽きるほど考えたことを蒸し返して考える。
 用事を済ませるために、散歩も兼ねて歩いて出かけた。タイヤに空気を入れるのが面倒くさいので、自転車には随分乗っていない。冬が過ぎ去ったみたいに暖かくて、薄着で平気だった。たんぽぽ、菜の花、水仙、梅、ほとけのざ、なずな、オオイヌノフグリ、タネツケバナなどが咲いていた。からすのえんどうも茂り始めていたけど、花はまだだった。
 夜、スマホを持ち込んで長風呂をした。安達茉莉子さんの連載「むき身クラブへようこそ」を読んで、自分自身と向き合うことで時間をかけて楽になろうとする試みがとてもいいなと思った。私は自分の問題を臨床心理士によるカウンセリングや心理療法なしには解決できそうにないものだと決めてかかっていたので、こうしたやり方は目から鱗だった。私も「むき身」になることを目指してみたい。とはいえ無防備な状態になるのはやっぱり怖いのでその境地への道程ははるか遠く、殻の隙間から外の世界をおっかなびっくり覗いているのが今の自分だけど、「むき身」の状態でただ存在していられたらどんなにいいだろうと強く憧れている。良い臨床心理士の助けなしには自分は楽になれないのだという思い込みが「むき身クラブ」のおかげで剥がれ落ちたように感じたので、最初の一歩らしきものを踏み出せたような気もする。

週間日記(2024/01/22-01/28)

2024/01/22 Mon.

 ちょこちょこと家事をやっつけた。

2024/01/23 Tue.

 朝から雪が降っている。
 オンラインカウンセリングサービスを初めて利用してみた。もちろん、カウンセラーは臨床心理士資格を持っている方を選んだ。相談したい内容としては、「人といると常に気を張ってひどく疲れるため、働いたり、人と親密な関係を築いたりできないことに悩んでいる」「仕事(アルバイト、パート)が長続きしない」といったことを伝えた。初回なので、現状やこれまでの経過についての聞き取りが主だった。自分のことについて口頭で伝えるのはとても難しくて、的外れな回答をしている自分に対して「こんなことを訊かれている訳ではないのに…」と内心で呆れるような気持ちに度々なった。ただでさえ人と話すのは苦手なのに、自分でも原因がよく分かっていないような悩みや困りごとを考え考え喋るのは本当に難しい。でも、久し振りにちゃんとしたカウンセリングを受けられそうで良かった。
 カウンセリングが終わった後に例えを思いついた。人と接する時に、過剰に気を張ったり気を遣ったりして疲れることを、厚着しすぎることに例えられるかもしれない。人に対して気を遣うのは自然なことで、全く気を遣わないということはなかなかない。外で服を着るのと同じで、着ないという選択肢はなく、季節や天気に合わせて適した服を選んで着る。ところが、私の場合はその日の気温や自分の意思に関わらず、服を着るとなると必ずむちゃくちゃな厚着をしてしまうような感じだ。家族以外の人といると、その人がどんな関係性の人であれむちゃくちゃに気を張ってしまい、後からどっと疲れてしまう。服の枚数や厚さで快適さを調節するように、気を許したいと思った相手には少し緊張を緩めたり、肩の力を抜いたりできるようになりたい。
 夕方、晩ごはんの食材を買いにスーパーまで歩いて行った。寒かったけど、雪が舞う中を歩くのは楽しかった。

2024/01/24 Wed.

 朝起きると、うっすら雪が積もっていた。昼には溶けてしまった。
 クリスマスまでに読もうと思っていたのに去年読めていなかった、ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』をやっと読んだ。バレエ作品でよく知るストーリーとはまた違った物語だったけど、おもしろく読んだ。子ども向けの文学作品は読みやすくていい。
 晩ごはんに春巻きを作った。具材を皮に包むまでは良いのに、いざ油で揚げると気泡で皮がぼこぼこしてしまう。味はおいしかった。

2024/01/25 Thu.

 定期検診を受けに、久し振りの歯医者へ行く。目立った虫歯はなかったので、ひとまずほっとした(ただし怪しい歯はあった)。帰りにスーパーで合い挽き肉を買った。
 歯医者から帰ってきて合い挽き肉を冷蔵庫に入れた後、今度は歯医者とは反対方向にあるパン屋へ出かけた。歯医者への往復40分に加えてさらに往復1時間歩いたので、帰る頃には足が疲れに疲れた。でも、お昼時に行ったのもあって、おいしそうなパンを色々買えた。おやつにさくらんぼとクランベリーのデニッシュを食べた。ここのデニッシュは生地の層がきれいで、さくさくしていてとてもおいしい。他のパンは明日の朝ごはんに食べる予定。

2024/01/26 Fri.

 昨夜見た夢に出てきた食べ物がおいしそうだった。紙の容器に入った濃い味つけの焼き飯(売っている人は「韓国風の炒飯」と言っていたけど、現実にそういう料理はあるんだろうか)、丸っこい魚の形をした10円パンのような大きなパン(パンと言われていたけど大判焼きのような生地だった)、注文してから店頭で作ってくれるパイナップルジュースとキウイジュースが屋台で売られていた。それらを買って両手に持って、食べる前に目が覚めてしまった。食べてみたかった…。
 精神科に入院していた時の日記を読み返したら、我ながらやっぱりおもしろかった。個人的なできごとや固有名詞が書いてあるのももちろん、その時その時に考えていた内容もおもしろい。私が今書いている日記は、数年後の自分にとってのエンターテインメントになりうるだろうか。
 晩ごはんに鶏南蛮風つけうどんを作ったら、家族から好評だった。
 夜、シャワーを浴びながらぐだぐだと考えた内容。ここ1,2年くらい、ずっと同じようなことを考えている。「七人のカリスマ」の伊藤ふみやじゃないけど、何が良くて何が悪いのか分からなくなる。自分の中の価値観が揺らぐ。なぜ地元の神社仏閣を訪れるのは良くて、カルト宗教の支所や手かざし道場に行くのは悪いのか?なぜ西洋医学によって病を治すのが良いことで、イベルメクチンで全ての病を癒そうとすることが悪いことなのか?本人の意思次第?病院に行かず松葉茶のみで治癒を試みる人も、本人の意思によるものだから尊重すべきなのか?信仰に背く苦しみを味わいながら輸血を受けて命が助かることと、輸血を拒否して信仰を守り抜けた喜びを味わうも助からないことと、どちらが良いことなのか誰が決められるのか?良いことと悪いことはどうやって決める?科学的であれば必ずしもそれは良いことなのか?科学では埋められない精神的な部分を補うのが宗教や信仰だろうけど、いつ治るのか、本当に治るのかも分からない病などで治療を断念して新興宗教に走ることは悪いことなのか?恐怖心や猜疑心から反ワクチンに走る人を誰が責められる?自分にとっては何が良くて何か悪いのか、自分の中ではある程度線引きをした軸を持っていたいけど、その価値判断が自分にできるのか?自分という人間はそんなに信用できるのか?心理学の教科書では、心理学は科学的な学問として認められるために科学的な在り方だの手法だのを重んじるみたいな内容が書いてあったけど、フロイトの性差別的な精神分析のどこが科学的なのか?エリクソンの発達課題が科学的だとして、その枠に入ることができないマイノリティを傷つけうるのに、科学的なことは総じて良いことなのか?非科学的なことも同じくらい大事だとするなら、身体の不調を医療でなく祈祷で治そうとすることも正しく当然な選択肢のひとつなのか?全てのことを線引きしてここからこっちは良いこと、ここからあっちは悪いこと、といった具合に簡単に分けられないことは分かる。ケースバイケース、世の中はもっと複雑にできている、単純な二元論に陥るのは危うい。でも、せめて自分の中でくらい大まかな基準を持っておきたい。でないと世の中がぐちゃぐちゃに見えて苦しい。同時に、社会で常識とされている考えも疑っていきたい。「だめ?なんで?そうとは限らないんじゃないか」の精神。そういうことをしょっちゅう考えているけど、「七人のカリスマ」の「#90 帰る」にひとつの答えがあるかもしれない。一億円を手にして仲間も助ける。どっちが良い悪いではなく、どっちも。そう考えれば、いつかカリスマブレイクできるかもしれない?

2024/01/27 Sat.

 朝から洗濯やら掃除機がけやら、あれこれ家事をやっているうちに2時間くらい経っていた。少し家の中がすっきりした気がする。庭の鉢植えの水やりもした。
 1時間かそこら、本を読んだ。「毎日30分読書をする」という目標を掲げるとか、本を読んだ時間を10分単位で記録しておくとか、本を今までのように読めなくなってからは読書にかける時間を気にしがちだったけど、時計を見ずに本を開くと意外にすんなり読めた。読書というのは本来時間を忘れてのめり込むことに楽しさがあるのだから、良い読書ができた。

2024/01/28 Sun.

 お昼ごはんに、ホットプレートで関西風お好み焼きを焼いて食べた。家で普段食べるお好み焼きは広島風なので、焼きそばが入っていないお好み焼きなんてと思っていたけど、関西風もこれはこれでふわふわしていておいしい。お餅とチーズとキムチを入れたものもおいしかった。
 『布団の中から蜂起せよ アナーカ・フェミニズムのための断章』を再読し終わった。やっぱりすごく好きな本だと思った。「社会に適応できないのは自分の努力不足によるものなんじゃ」とつい通俗道徳的な考え方に呑まれそうになる時、この本を読むと「それはあなたのせいじゃないよ」と言ってくれるので、とても心強い。何もできていない自分に自己嫌悪を感じる時も、世の中はクソだと思いながら生きていることがすでに抵抗だと教えてくれるから、「じゃあ生き延びてやろうじゃないか」と思わせてくれる。こういう本があるなら、世の中まだまだ捨てたものじゃない。

週間日記(2024/01/15-01/21)

2024/01/15 Mon.

 政治や社会が本当に嫌になって、朝から死にたくなった。自民党、検察、ネトウヨ、原発、万博、伊藤忠、イスラエル、その他諸々、家父長制も資本主義も天皇制もレイシズムも全部嫌だ。書くのがはばかられるような悪口雑言しか出てこない。こんな社会に生きていたら死にたくなるのも仕方がないし、世の中が嫌にならないほうがおかしいような気すらしてくる。それなのに、理由がなんにせよ死にたいと思ってしまうことは病気で、死にたいと思わなくなるように治療を受けないといけないんだろうか。
 障害基礎年金の年金決定通知書が届いた。どうやら年金がもらえるらしい。生きていていいよと行政に言われた気分。
 障害年金が受け取れるとなったらやりたいと思っていたことがあって、臨床心理士の方のオンラインカウンセリングを受けてみたいと考えている。働いたり、働くことを考えたりしなければそれなりに元気ではあるものの、働けないという生活への支障があるというのは治療の対象になるんじゃないだろうか。正直、以前のような治療へのモチベーションは持っていない。どうなれば「治った」状態と言えるのか、そもそも自分の困りごとは治るものなのか、治さないといけないものなのか、昔ならはっきり答えられたことが今となっては全然分からなくなってしまっている。それでも、働いて経済的に親から自立したいという夢は捨てきれないので、藁にもすがる思いでカウンセラーを探している。できれば(というか必須条件かもしれない)、左翼のカウンセラーがいい。男性や若い人はどうしても気後れして話しにくいので、40代以上の女性で、左翼のフェミニストの人がいい。おかしいのは社会のほうなのに、その社会に適応するために個人が努力して変わらないといけないのかという疑問に、すんなり頷かない人を探したい。そんな人がいるんだろうか。

2024/01/16 Tue.

 今日も高島鈴『布団の中から蜂起せよ』の続きを読んだ。社会がめちゃくちゃだから死にたいけど、死んでたまるか、死ぬのは私じゃなくて差別やナショナリズムであるべきだという気持ちになれた。良かった。本が読めたのも嬉しい。
 私が読書を通じて社会への恨みを生きようとする力に変換している間、私の膝ではふくちがぐっすり寝ていた。1時間以上いたかもしれない。とらちも私の傍に来て、しばらくいい子にしていた。怨念にまみれた人間でも好いてくれるらしいので、猫達は本当に優しい。

2024/01/17 Wed.

 玄関先の水仙の花が咲き始めた。近所の梅の木もいつの間にか満開になっていて、春が近付いてくるのが感じられる。
 勢いで、美容室と歯医者の予約の電話をかけることができた。園芸店でバイトをしていた頃は電話嫌いが少し薄れた気がしていたけど、気のせいだったらしい。やっぱり電話はどうも苦手だ。
 昨年庭の畑で収穫した安納芋を2ヶ月寝かせておいたのを、ようやく焼き芋にした。テレビ番組「グレーテルのかまど」のレシピサイトにある通りの調理法で作ったところ、すごくおいしい焼き芋ができた。断面は鮮やかな黄色で、しっかりした甘さと繊維の感じられないねっとりとした食感がとてもおいしい。自分で植えて育てた芋だと思うと、いっそうおいしく感じられる。

2024/01/18 Thu.

 昨日の焼き芋の残りを使って、クレームブリュレを作った。「グレーテルのかまど」のレシピを見て作り、いつか使ってみようと思って買っていた小さい調理用バーナーで表面をカラメリゼした。できあがったものはカラメルをスプーンでばりばりと割るのが楽しく、クレームブリュレがとてもなめらかで濃厚で、とてもおいしかった。こんなおいしいお菓子を、ホームセンターで買ってきた500円程度の芋の苗から作ったと思うと、なんだか自信のようなものが湧いてくる。ものすごくおいしかったので、ゆっくり味わって食べた。倍の分量で作れば良かったとだけ後悔している。

2024/01/19 Fri.

 なんとなくやる気が起きなくて、夕方までだらだら過ごした。普段開けることのない台所の勝手口のドアの窓を開けると、猫達が喜んで庭を眺めていた。自分はすぐ傍の床に座って、外の匂いを嗅いで楽しんでいる猫達を見て過ごした。やらないといけないことややりたいと思っていたことはいくつもあったけど、ほとんど片付かなかった。

2024/01/20 Sat.

 精神科の診察に行く。障害年金が受け取れることになった旨と、臨床心理士によるオンラインカウンセリングを受けてみたいという希望を伝えた(許可が出た)。仕事や人付き合いといったやりたいことを不安に邪魔されているのではないかということで、トリンテリックスという抗うつ薬を初めて処方された。薬を出してもらうのを待っている間に検索してみると、「トリンテリックス 痩せる」と検索されているらしいとあり、本来の効果とは違う変な期待を寄せてしまいそうだった。真偽のほどはまだ分からない。
 夕方、一人で散歩に出かけた。5,000歩ほど歩いたので、久し振りに一日の歩数の合計が10,000歩を超えた。あちこちに梅の花が咲いていたり、ジョウビタキが枝に留まっていたりするのを見かけた。

2024/01/21 Sun.

 出かけた先でコメダ珈琲店に入った。いつか食べてみたいと思っていたみそカツパンを注文して、実物のサイズに改めてびっくりした。九州の人間の舌にも合う甘めの味噌だれがおいしくて(九州の味噌醤油が甘いのではなく、本州の味噌醤油がしょっぱい)、なんとか完食することができたけど、後でそのカロリーを知ってさらにびっくりした。とんでもないものを食べてしまった。おいしかったからいいか。5袋入りのドリップコーヒーをおみやげに買った。手軽でおいしいのでドリップコーヒーはよく飲むけど、もらいもので飲んだコメダ珈琲店のものがすごくおいしかった覚えがある。苦すぎず酸味もなく、なんとなく甘さがあるような感じで飲みやすかった。近くに店舗があったらいいのに…。
 帰り道、車の窓から海が見えた。もの珍しかったので写真を撮った。

週間日記(2024/01/08-01/14)

2024/01/08 Mon.

 昨日買ってきたサトウキビの茎を使って、砂糖を作ってみた。過程としては、皮を剥いて細かく刻み、フードプロセッサーでさらに細かくしたものから搾り取った汁を湯煎して水分を飛ばすというものだけど、これがとても大変で、3時間はかかった。なにしろサトウキビがすさまじく硬く、包丁だけでは切れずに、工具入れからハンマーを持ち出してきたほどだった。悪戦苦闘の末にできあがった4gの砂糖は、和三盆を思わせる優しい甘さの素朴な味だった。おいしいかと問われると、即答はしにくい。
 夜は2時間近く読書して、『意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』を読み終わった。すごくおもしろかった!本を読んでわくわくする経験が久し振りにできて、本当に良かった。

2024/01/09 Tue.

 晩ごはんの材料を買いにスーパーへ行って、食材の他に、値下がりしていたペット用ベッドも買ってきた。冬らしいふかふかした素材なので、猫達も気に入ってくれそうな気がする。さっそく洗濯して干した。
 夜、小さなストレスやイライラが重なって、晩ごはんを作った後は電池切れのように動きたくなくなってしまった。食器を洗ったり、猫のトイレを掃除したり、自分のベッドに入って横になれるまでにやらなければならないことがいくつも立ちはだかっている。なんとか終わらせて、お風呂は入らずに寝た。明日の自分がシーツや布団カバーを洗濯してくれますように。

2024/01/10 Wed.

 昨日できなかったお風呂を済ませて、掃除機をかけたり、シーツ類を洗濯して干したり、その他こまごました家事や片付けをやっつけた。
 祖母のアパートへ遊びに行くと、珍しく海外のチョコがあった。キャンディのような形に包装された丸いチョコで、色々な味がある。祖母は全部同じような味だと言うけど、どんなフレーバーがあるのか気になるので、包装紙に書かれた文字を一通り見てみた。コーヒーだのシリアルだのというのはすぐに分かるけど、「fragola」という見慣れない単語があって少し考えたところ、イチゴの学名「Fragaria」に似ていると気付いた。ピンク色の包み紙を開いて食べてみると、やっぱりいちご味だった。「fragola」はイタリア語でイチゴを意味するらしく、そういえばフランス語の「fraise」にも少し似ている。語学学習は大の苦手だし(勉強自体そもそも好きじゃない)、英語も今や中学生レベルすら怪しいけど、こういう異なる言語で同じものを意味する単語を知ったり、自分の持つ知識から知らない単語の意味を推測したりするのはちょっと楽しい。

2024/01/11 Thu.

 人に渡すバースデーカードを描いた。何を描くか決めて下書きをし、ペンでなぞってスキャンしたものにペイントソフトで色を塗って、合計4時間ほどかかった。上手い絵では決してないし、喜んでもらえるかどうかも分からないけど、描いていて私が楽しかったのでそれで良しとしたい。
 鉢植えの水やりをしに庭へ出ると、いつの間にか蝋梅の花が咲いていた。水仙やチューリップ、うっかり変な時期にまいてしまった花の種も芽が出始めている。
 晩ごはんを作ったら疲れたけど、今日はちゃんとシャワーを済ませて寝た。

2024/01/12 Fri.

 Twitterで見て、すごく欲しいと思っていたぬいぐるみが手に入った!国立科学博物館の特別展「毒展」で販売されているグッズの、ベニテングタケのリアルなぬいぐるみだ。フリマサイトで見つけて、転売とは思われないような価格で売られていたので、大喜びで購入したものが今日届いた。写真で見ていたのよりも、実物のほうがさらにかわいい。ものすごくかわいい。小学3,4年生の頃にきのこの世界にはまって以来一番好きなきのこなので、そのぬいぐるみとなるともう本当にかわいくてたまらない。小学生の自分に見せびらかしてやりたい。ベニテングタケはファンシーな姿かたちがいかにもきのこらしくてかわいいうえ、精神活性物質としてムスカリンやイボテン酸(ムッシモール)を含み、毒があるにも関わらず味はとてもおいしいらしい。ヨーロッパでは幸運のシンボルともされているとか。この魅力的なきのこの実物を、ぜひいつか拝んでみたい。あわよくば、採れたてを裂いて七輪でさっと炙ったものに醤油を垂らして食べてみたい。当面はこのぬいぐるみを愛でておこうと思う。
 1時間ほど読書。松村圭一郎『くらしのアナキズム』を読み始めた。なるほどと思わされたり、そうなのかと驚いたり、とてもおもしろい。
 夜、余っていた小豆を煮てぜんざいを作った。白玉だんごをゆでて一緒に食べた。もちもちでおいしかったけど、ぜんざいにもう少し砂糖を足しても良かったかもしれない。

2024/01/13 Sat.

 自分用に1冊だけ製本した日記が印刷所から届いた。ちゃんと本の形をしていて、とてもテンションが上がる。2cm以上ある背幅が分厚く、こんなにたくさん日記を書いたのかと思うと達成感がある。表紙もきれいに印刷されていて、ラミネート加工なしでもしっかりしている。本文も、書籍用紙とフォント(源暎ちくご明朝)のおかげで文庫本っぽさがあり、なかなか良い。ただ、ページの設定を間違えた箇所が結構あって、おかしな余白になっている部分も多い。自分用なのでまあいいか。今年もたくさん日記を書いて、今度はできれば設定を間違えないように原稿を作れますように。
 それはそれとして、わざわざ製本する日記に書き残すまでもない、けどTwitterに呟くのもな、という内容を吐き出す場所が欲しいので、iPhone用の日記アプリを探してみた。いくつか使ってみて、「引き出し日記」というアプリに落ち着きそうな気がする。本当は紙のノートに書くのが良いんだろうけど、アプリなら他人に見られる心配もないし、場所も取らないし、何より手軽に書けるのがとても良い。
 少し前に5年日記も買ってみたけど、これはもう全然使っていない。5年後の自分が「5年前よりは今の方がましだな」と思って安心できる可能性に賭けて購入したものの、「5年前の方が良かったな」と思ってしまう危険もあると気付き書く気が失せた。何より、机に向かって記入するのが面倒くさい。
 夕方、高島鈴『布団の中から蜂起せよ』を少し読み返した。やっぱりこの本はいいなあ。働いておらず、診断名がついていて「健康」な状態ではなく、異性との結婚も出産・子育てもしていないことに対してなぜか後ろめたさを感じてしまうけど、それは政治や社会からそう思うよう仕向けられているのであって、本当はそんなことで後ろめたさを感じさせる世の中の方が良くないのだと気付くことができる。「生きているだけで良い」という文句は、何の信頼関係もないような赤の他人から言われると虫酸が走るほど腹立たしい気分になるけど(なんで良いか悪いかお前に評価されなきゃいけないの?と思ってしまう)、この本に「マジで死んでほしくないと思っている」と言われると、それはもう本当に心強く感じられる。じゃあ死ぬ訳にはいかないな、この殺意は自分じゃなくあらゆる権力や差別に対して向けなくちゃ、と思える。こんなすごい本があるなら世の中まだまだ捨てたものじゃないし、死ぬにはもったいない。
 夜、籐椅子に座っていたら猫のふくちが膝に乗ってきた。そのまま1時間ほど、私の膝の上で時折寝相を変えながら気持ち良さそうにぐうぐう寝ていた。人間としては身動きが取れないのは困るけど、温かさと適度な重み、ふわふわの手触りを兼ね備えためちゃくちゃかわいい生き物が私の膝の上で安心しきって熟睡しているというのは、とても気分が良い。猫がかわいいということは知っていたつもりだったけど、とらふくと暮らしていると、猫ってこんなにもかわいいんだなと改めて思わされることがしょっちゅうある。

2024/01/14 Sun.

 ミスドに行ける機会があったので、自分用にいくつか買った。オールドファッションのハニーとシナモン、黒糖、ハニーディップ、期間限定のGODIVAコラボのドーナツを買った。冷凍できそうなオールドファッションドーナツは冷凍しておいて、後日食べるつもり。ハニーディップも、キャラメルクリームが乗ったチョコドーナツもどちらもおいしかった。文学部の大学生だった頃は、ヤマザキの4個入りケーキドーナツをよく買って、コーヒーを淹れて朝ごはんに食べていた。天神にクリスピークリームドーナツがあった時は勇気を振り絞って一人で行って、温め直してもらったドーナツを食べてすごくおいしかった記憶がある。九州から撤退してしまったのがとても悲しい。自覚していなかったけど、ドーナツはかなり好きな食べ物のひとつかもしれない。甘いものは大抵好きだけど。
 もはや邪悪なSNSになり果てたTwitterをいつでも見限れるように、Blueskyを使い始めてみた。見たくもない大量の広告が一切なく、頼んでもいないのに見ず知らずの他人のツイートが表示されるタイムラインでもなく、インプレ稼ぎのモラルに欠けたアカウントがいないSNSというのはかなり快適で良い。Twitterには随分思い入れがあるのでなかなか離れがたくはあるけど、あれはもうTwitterではなくXという名前のTwitterのゾンビのようなものなので仕方ない。とは言いつつ、いまだにTwitterに見切りをつけていない辺りが未練がましい。

週間日記(2024/01/01-01/07)

2024/01/01 Mon.

 朝ごはんにおせちとお雑煮を食べる。我が家のお雑煮は味噌を使わないタイプで、にんじん、ごぼう、長もやし、ねぎ、お麩、かしわ(鶏肉)、焼いていない白い丸餅を具材として入れる。
 のんびり食べ終わって、近所に住む祖母も一緒に家族写真を撮った。ふくちゃんは母が抱っこして写ることができたけど、とらちゃんはまだきょうだい達を警戒してなかなか階下に寄り付かないので、写真には写らなかった。代わりに、とらちゃんの写真を証明写真っぽく加工して、印刷した写真の右上に貼り付けた。卒業アルバムなどの集合写真で欠席した人の扱いに見立てている。
 天気も良かったので、午後は家族で散歩した。川面に太陽の光が反射してきらきらしていた。どんぐりを拾って人の服のポケットにこっそり入れる遊びで、ひと盛り上がりした。
 帰宅しておやつを食べた後、今度は皆で人生ゲームをした。すみっコぐらしの人生ゲームなので、独特な指示や場面が多く、大笑いした。その最中にスマホの防災速報が鳴り、テレビでも速報が入り、能登半島地震が起きたことを知った。以来、寝つくまでそわそわ落ち着かなかった。

2024/01/02 Tue.

 おせちの残りは、今日でほとんど食べ終えてしまった。お餅も食べた。
 家族と歩いてスーパーまで行き、今日の晩ごはん用に肉や焼きそば麺を買った。きょうだい達が帰省しているからか、両親が珍しく奮発して、普段なら絶対に手を出さないような値段の牛肉を選んでいた(いつもは一番安いものを買う)。
 きょうだい達と三人で祖母のアパートへ遊びに行く。ものすごい品数の昼ごはんが用意されていて、どれもおいしかった。花札で遊び、トランプで七並べとババ抜き、豚のしっぽもした。お茶を飲んでお喋りして、たくさん笑った。
 夜はホットプレートで焼肉。お腹いっぱい食べた。その後、銀英伝OVAを観ながらお酒とお菓子で団欒。
 家族といると楽しくて、ほとんどずっと笑っているような気がするけど、一人になってTwitterを開くと地震に関するツイートが目に入る。安全な場所で楽しい時間を過ごしていることに罪悪感や申し訳なさを覚える。私が後ろめたさを感じることで被災した人に何かプラスの影響がある訳ではないので、できる範囲で、できることをやろうと自分に言い聞かせている。4年前に水害で被災した時、被災していない地域に足を踏み入れて被災地との落差に愕然としたり、被災していない人から水害の大変さを語られて内心で憤然としたりということがあった。一方で、被災しなかった町を見て土砂のない風景にほっとしたり、Twitterで見る「いつも通り」の楽しいツイートに和んだりした。個人が幸せでいることと、大変な状況にある人達に思いを馳せてその幸せを祈ることとは両立できるはずだと思いたい。

2024/01/03 Wed.

 午前中は家事やら何やらして、のんびり過ごす。昼ごはんに、冷凍のひつまぶしやローストビーフ、サーモンを解凍してそれぞれ好きな具を各自ごはんに乗せて丼にした。私は絶滅危惧種を食べるのはなるべくやめておきたいというささやかなポリシーがあるので、ひつまぶしは選ばなかった。サーモン丼がおいしかった。
 飛行機の事故もあって新幹線の混み具合が想像つかないからと、きょうだい達を途中まで車で送っていくことになった(もちろん運転は私ではない)。久し振りに家族揃ってのドライブだった。きょうだい達を無事に駅まで送り届けた後、座席が広くて寂しかった。元気で楽しくやってくれていると姉は嬉しい。
 帰り道の高速道路で、故障車による渋滞に巻き込まれてしまった。遅々として進まず不安になったものの、高速道路を運転していて車が故障してしまったドライバーの不安や焦りを想像すると、本当に大変だろうなと思う。怪我人がいませんように、その車のドライバーがほっとひと息ついて、温かい飲み物でも飲めていますように。
 帰宅して、北九州市小倉北区の商店街の火事のニュースを見る。小倉駅は大学時代によく利用していたし、件の商店街の近くも訪れたことがあったはずなので、気を揉んでいる。

2024/01/04 Thu.

 きょうだい達が使った布団を片付けたり、家具をいつもの配置に戻したり。楽しい年末年始が終わった感じがする。
 地元の大きい神社まで、散歩だかウォーキングだかをする。6,000歩ほど歩いた。参拝はせずに、今日まで出ているらしい屋台を眺めて帰った。
 ブログに載せている「週間日記」を自分用に一冊だけ製本するための原稿を仕上げて、入稿した。サイズは文庫判(A6)、目次や奥付も含む本文のページ数は392ページになった。本の形になるのがとても楽しみ。

2024/01/05 Fri.

 一人のんびり家で過ごす。家じゅう掃除機をかけたり、結露の溜まる窓をいつもより念入りに拭いたりと家事に勤しんで、家の中が少しすっきりした。
 今年の目標を立ててみた。何も立てないというのも考えてみたけど、「頑張ろうとまた思えるようになる時まで、気力体力を温存しておく」という長いものにした。覚えきれない。とりあえず、頑張れそうにないと思っている時に、無理して頑張ろうとしないということを心掛けておきたいがための目標だ。頑張ってもどうにもならないことはある。「治療、勉強、仕事(就活)を頑張らないといけない」という強迫観念は依然あるけど、頑張らなければと足掻いてきた結果が現在のこの状態なので、潔く投げ出して遊んだり休んだりしてみようと思っている(正確には、遊んだり休んだりすることに罪悪感を感じる必要はないと思えるようになりたい)。その他は、なるべく日記をつけたり、本を読んだり絵を描いたりできたらいい。それから、いくつかの行動を習慣づけようとしてはことごとく失敗して自己嫌悪に陥っているので、「自分を管理しようとしすぎない」というのも目標に掲げてみたい。いっそ管理すること自体を諦めてしまえば、少しは楽になれるかもしれないという期待を込めて。
 去年シュトーレンを作った時にブランデーに漬けていたドライフルーツが残っていたので、使いきりたくてパウンドケーキを焼いた。バニラエッセンスを入れたため、オーブンで焼いていると甘い香りが漂ってきて、食べるのが待ちきれなかった。焼きたてふわふわのシンプルなパウンドケーキにブランデーの風味、レーズンの甘さ、ドライいちじくのぷちぷちした食感が合わさってとてもおいしかった。一晩置くとまたしっとりしておいしいと思うので、明日また食べるのが楽しみ。
 身体が重いので、ジョギングの真似事でもしてみようかと夜に一人で出かけた。ところが、街灯が少ないので懐中電灯を持っていても足元が暗くて危険なうえ、年季の入った運動不足の身には、走るという行為の負荷が凄まじかった。ちょっと走ってすぐ疲れた。半分以上は歩いて家に帰り着いたけど、「健康のための何かをした」というささやかな達成感は得られたので良しとする。

2024/01/06 Sat.

 こたつで2時間近く読書ができた。以前買って積んでいたマイケル・ポーラン著『意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』がとてもおもしろい。大学の文学部時代に、ゼミの先生からこの著者の『欲望の植物誌 人をあやつる4つの植物』を勧めてもらって読んでおもしろかったので、またこの人の本と出会えて嬉しい。パンデミックの話が出てきたので最近の本なのかと奥付を見ると、去年の6月に第1版が刷られていた。本当に最近の本だった。アヘンの章を読み終わった。芥子茶」を作って飲むくだりが、特にわくわくしておもしろかった!
 おやつに、昨日焼いたパウンドケーキを食べた。レンジで軽く温め直すと、ふわっとしてまたおいしかった。
 夜、ホットチョコレートを作って飲んでみたら、あまりにも甘すぎた。結局、コーヒーを少し淹れて飲んだ。
 寝る前に本の続きを読む。1時間ちょっと読んだ。コーヒーを飲みながらカフェインの章を読むのがまた楽しかったけど、章の最後のほうへ進むにつれ、少しその考えを改めたくなった。久し振りに集中して読書を楽しめて、知的好奇心が満たされて嬉しかった。自分がすっかり本を読めなく(読まなく?)なったことに心底失望していたけど、まだ本に夢中になれる自分がいたことが分かって本当にほっとした。

2024/01/07 Sun.

 隣接する県まで両親とドライブに出かけた。道の駅をはしごして、新鮮な野菜を大量に購入した(ほうれん草、白菜、キャベツ、レタス、にんじん、ブロッコリー、菜の花、さつまいも、かぼちゃ、ピーマン、グリーンピース、スナップえんどう、椎茸、なめこ、レモン)。小さな物産館では、1袋100円でサトウキビの茎が売られていた。迷わず買った。サトウキビの茎をかじってみたいという長年の夢があって、それは沖縄に行かないと叶わないかと思っていたけど、なんとはるばる海を渡らなくとも実現することができる!内心で大興奮だった。ふと思いついて、サトウキビから黒糖を作る方法を調べてみた。実際に作ってみたというネットの記事があって、大変な作業ではあるがやってやれないことはないらしい。茎がとにかく硬いので切る過程で手を怪我するかもしれない、包丁が刃こぼれするかもしれない、フードプロセッサーが壊れるかも、そもそもうまくいかないかも…という数々の懸念が顔を覗かせはしたものの、昨日ポーラン氏が法を犯して芥子茶を作ったエピソードを読んだばかりなので、やらない手はない。こちらは芥子茶と違って合法だし(ただし、サトウキビからラム酒を作ると多分違法)。
 お昼はきじ料理を食べた。きじ刺しから豆腐、だご汁、雑炊まで全てがとてもおいしかったけど、突き出しにあったきじ肉の柚子味噌和えが特においしかった。
 帰宅してから、春の七草を庭で探した。正確な春の七草は揃わないので、食べられる野草(毒性のない雑草)をとりあえず摘んでみた。ごぎょう(ハハコグサかチチコグサか分からない)、はこべ、ほとけのざ(コオニタビラコ)、三つ葉、よもぎ、オオバコの6種類が見つかった。そこに、大根とほうれん草を足してお粥を作ったところ、七草粥ならぬ八草粥になってしまった。雑草の葉はごく小さくちぎってほんの少しだけ加え、基本はほうれん草の葉といちょう切りにした大根が具材なので、よもぎ独特の風味などは感じられない。知的好奇心を満たすためなら野草メインのお粥にするかもしれないけど、あくまでおいしさを重視する場合はこうしたほうがずっといい。
 夜中に思いついた、精神活性植物の七草。

 「ケシ、ヒヨス、ダチュラ、ペヨーテ、アヤワスカ、イボガ、マリファナ これぞ七草」