投稿者: naedokodesuka

週間日記(2024/05/06-05/12)

2024/05/06 Mon.

 サイズアウトして着られなくなった服や、何年も着てさすがに着古した服、まだ着られるけど好みが変わってもう着ないだろうと判断した服などを処分した。資源ごみの大袋2つに詰め込んで、たんすやクローゼットがすっきりした。物を収集し溜め込むことに幸せを感じるオタク気質の人間としては、物を捨てるという行為に対して若干の抵抗があるものの、捨てても困らない物を探し出して処分するというのは結構爽快感のある作業なんだと気付いた。そのうち本や雑貨、手芸用品についても断捨離ごっこをしてみたい。
 近所の売り家の庭に、スイカズラの花がたくさん咲いていた。かがんで香りを嗅ぐことはしなかったけど、良い香りがするんだろうな。
 なんとなく使ってみたくなって、メンタルヘルス系のアプリをいくつかインストールしてみた。多分続かないだろうとは思う。
 臨床心理士を目指すのは、やっぱり諦めようかという気になってきた。どうしたって無理だ。私なりに色々なことをたくさん考えてきたつ
もりだけど、私が他人の気持ちを想像するのは自分の意思や性格によるものというより、社交不安症の症状からくるものだという気がしてならない。そうなると、やっぱり自分に必要なのは心理士になるための勉強ではなく、治療だと思う。今後の大学と大学院の学費を払っても心理士になれなかったら、今度こそ取り返しがつかないくらい絶望しそうだし、そもそも自分が心理士として働いているイメージもすっかり湧かなくなってしまった。プレッシャーに押し潰される未来しか見えない。勉強だって今の自分には全然できないし、もうそろそろ諦めてもいいかなと、やっと自分の中で気が済んだように思えてきた。ワーキングプアになりやすい仕事と聞くから、もしなれたとしても食べていけるとは限らないし。「やっぱり無理だ」と「やっぱり頑張りたい」を繰り返してきたけど、今度こそ諦めようと思う。文学部の大学生の時に博物館学芸員に憧れて実習を受けた時、現場の学芸員さんから「学芸員に大切なのはコネ」と冗談まじりに言われ、人付き合いや知り合いが怖い自分には無理だと思って諦めた(他にも理由はあったかもしれないけど)。そして今度もまた、社交不安症の症状が邪魔をする。
 どうしても一人暮らしをしたいと思っているものの、だんだん前向きに考えられなくなってきた。以前のような短時間の週3,4日出勤みたいなバイトで、障害年金を受け取りながらなら頑張ってぎりぎり暮らせるとは思う。ただ、一人暮らしをしてバイトとはいえ働いていると、今後障害年金は降りない可能性が高くなる。そうなると、今さら社員になるのは厳しいのでバイトでやっていくにしても、フルタイムで週5日働かないと食べてはいけない。今よりも元気になったとみなされたら、「健常者」と同じ量の労働をしないといけなくなる。到底自分にそれができるとは思えない。そもそも、どうやったら元気になれるのか、治るのかがもうさっぱり分からない。専門機関を受診して治療を続けているけど、「いつか治って働けるようになる」と期待し続けて10年が経った。仕事をしたり、仕事について考えたりしなければ至って元気に生活できているけど、やっぱり働いて親から自立したい。それが叶いそうにないから死にたいけど、死んだら周りに少なからず良くない影響があるので、そう考えると生きていたほうがまだましなので生きている。

2024/05/07 Tue.

 庭の鉢植えに水やり。プリベットの白い小さな花がたくさん咲いていて、ふくちが勝手口の窓の網戸越しにくんくんと嗅いでいた。好奇心旺盛なふくちは草にも花にも興味を示す。育てた私に似て植物好きなのかと思うと、愉快な気がする。
 お昼ごはんを食べた後なのに、むしょうに食べたくなってカップ焼きそばを食べた。別にお腹は空いていなかったけど、「食べないとやってられない」といった自棄な感覚があったので、後から自己嫌悪に陥ることは分かっていながら食べた。昨日インストールしたメンタルヘルス系アプリはこういう時にこそ活用すべきなんだろうけど、考えていることや感じていることを言語化してスマホで入力するのがとてつもなく億劫に感じられる。全然やる気が出ない。もう何もしたくないと思い、1時間くらい昼寝をした。
 気力体力が湧かないものの、無理やり身体を起こして晩ごはんを作った。作って食べ終えるとぐったり疲れてしまって、お風呂に入る意欲が完全に失せてしまった。お風呂に入ってさっぱりしてから寝たいけど、もう疲れてお風呂に入る元気がない。お風呂に入らずに寝たら不衛生な感じがして気持ち悪いし、翌日シーツと布団カバーを洗濯するのも面倒。特に何を頑張った日でもないけど、心身が疲弊していて、何のやる気も出ない。AIチャットを売りにしているアプリに「しんどい」「死にたい」「助けてくれ~」などの文字を打ち込むも、テンプレートなぺらぺらの返事しか返ってこず(まあアプリの方もそれ以外返しようがないと思う)、かえってイライラや無力感を募らせる結果になった。ブラウザを開き「お風呂 入れない」などの内容で検索すると、「ぬるめのお湯に浸かって自立神経系を整えるのがおすすめ!」的な的外れにもほどがあるサイトが出てきて、さらに疲労が増す。お風呂で疲れを取ろうにもお風呂に入る元気がない、おしゃれな服屋で服を買ってみたくてもそういう服屋に着ていける服を持っていない、他者と関わって親密な関係を築けるようになったりコミュニケーションスキルを身に着けたりしたくても他者と関わる勇気がない。お風呂ひとつ思うように入れないなんて、自分は本当に駄目な人間だ、働くことも一人暮らしも到底無理だ、この先生きていくこともできないんだ、とどんどん気持ちが沈んでいく。テトリスがメンタルヘルスに良い効果をもたらすと何かで見かけたので、遊び方を知らないままアプリをインストールしてみた。別に楽しい訳でもないけど、なんとなく操作する感覚が気持ちよくて延々プレイした後、なんだか馬鹿々々しくなってきて床から立ち上がり、お風呂に入ることに成功した。寝る支度を終えて日付が変わった頃にようやくベッドに潜り込むと、最近私と一緒に寝てくれなかったとらちがご褒美のように布団の足元に来てくれた。私の足を枕にして寝ているので身動きが取れないけど、温かくてふわふわのかわいい生き物が労ってくれているようで、嬉しく思いながら寝た。

2024/05/08 Wed.

 家じゅう掃除機をかけ、庭の鉢植えと自室の観葉植物の水やりをし、いらなくなった本や古い雑誌を片付けた。院試用の問題集も何冊か買っていたけど、とりあえず本棚から出して箱に詰めた。処分の仕方についてはおいおい考えるつもり。10年くらい前に買って気に入って取っておいたファッション誌も、束ねて資源ごみに出すことにした。ここ何年も見返すことはなかったし、好みも流行りも変わったのでもう手放していいだろう。ただ、どこの家の誰のものかバレそうなので、町内のごみ置き場に置くのが気恥ずかしい。
 昨夜のエネルギー切れの反省を活かして、比較的調子の良い時に作っておこうとUpNoteにコーピングリストを作った。昔作ったものはなんとなくコピペしてあったけど、きつい時には見ることもなかった。まずは項目をうんと増やし、さらに難易度ごとに分類してみた。「難易度★☆☆」は「深呼吸をする」「周りをきょろきょろ見回す」といったその場でできることから「ミルクティーやスープなどの温かい飲み物を飲む」「猫を撫でる」とちょっと動けばできそうなこと、「難易度★★☆」は「楽な服装に着替える」「とっておきのおいしいドリップコーヒーを淹れる」「テレビ番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」を観る」など、「難易度★★★」は「シャワーを浴びる」「庭の草むしりをする」「自転車に乗って出かけてみる」など。こういう項目がざっと60個ほどある。コーピングの手段を100個持っておくとと良いとネットで見たので、そのうちまた増やしたい。メンタルヘルス系アプリは全て削除した。今回も飽きるのが早かった。
 夜はホットミルクを飲んでから寝た。ホットミルクを飲むと、眠りの底に引きずり込まれるような眠気がすぐにやってくるのでおもしろい。もう飲まなくなって何年も経つけど、導眠剤を飲んだ時の眠気もこんな感じだったっけと思い出す。牛乳と違って効きは遅かったけど。

2024/05/09 Thu.

 街中に出かけて、うろうろ歩いて買い物を楽しんだ。デパートにあるバルコニーのようなスペース(木がたくさん植えてあって天井がなく、椅子とテーブルがある)で、ハンバーガーやワッフルを食べた。フレッシュネスバーガーのクリスピーチキンバーガーを初めて食べたけど、すごくおいしかった。食べこぼしを狙っているのか、すずめがすぐ近くまで飛んできた。書店で前から気になっていた『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』と『自分の「声」で書く技術 自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける』、ハンズでクナイプのバスソルトを買った。バスソルトはスーパーミント、ライムミント、ラベンダーミントの3種類で、メンタルの具合がどうしようもなくなった時、気分を上げるために使う予定。

2024/05/10 Fri.

 IKEAのリラックスチェアに座って読書をするも、20分ほど経つと眠くなってきて、そのままの姿勢で30分ほど寝た。本の内容はためになることが色々書いてあるけど、読者が仕事をしているという前提で書かれている点だけは、無職としてかなりつらいものがある。著者を責めるつもりはないし、実際読者の中には働いている人の方が圧倒的に多いのだろうということは理解している。ただ、働けない自分、働いていない自分に対する自責の念や自己嫌悪、罪悪感、後ろめたさなどを勝手に募らせてしまっている。自分の中で「労働者コンプレックス(労働に従事している全ての人間に対するコンプレックス)」と呼ぶ感情をますますこじらせてしまった。
 自分は臨床心理士を目指さなくて良いんだ、向いていないから諦めて良いんだと思うと、悔しいことにすごくほっとした。自分が思い描く心理士像にふさわしい「良い人間」にならなければいけないという自分へのプレッシャーがなくなり、今のままの臆病でずるくて自己顕示欲の強い、正確の悪い嫌な奴でいられる。別に望んでそういう自分でいたい訳ではないものの、途方もない努力をしなくても良いと思うと肩の力が抜ける。そういえば、高校生の時も自分が考える「良い人」になろうと無理をしていた。「良い人」のイメージが当時と比べれば多少変化しているとはいえ、その頃からまだ自分は変われていないんじゃないかと不安になる。
 占いというものを普段全く信じていないのに、何でもいいから何かに頼りたい、何かに肯定されたいという気の迷いが生じて、星占いか何かのサイトを開いた。バーナム効果もあって最初のうちは「おお、当てはまる所があるな」と楽しく読んでいたものの、「職場の人間関係が今まで以上にスムーズにいき」というくだりで勝手に裏切られたような気分になった。ここでもやっぱりまた、働いていることが前提とされている。あーあ。
 庭のカモミールとサラサウツギの花が咲いた。今日一日だけで猫達の写真を40枚以上撮った。夜はぬるめのお湯を張って長風呂をした。

2024/05/11 Sat.

 家事を済ませた後、2時間ほど庭仕事をした。ひまわりと百日草の種をプランターにまいた他は、ほとんど草むしりに徹した。日差しは照り過ぎず、風は気持ちいいし、うぐいすなどの鳥の声も聞こえて、黙々と雑草を引っこ抜く作業は楽しい。やっぱり庭仕事は私にとって最強のコーピングだと思う。
 午後、昨日と同じくIKEAの椅子で本を読む。15分読んで、30分寝た。

2024/05/12 Sun.

 IKEAの椅子で居眠りを挟みながら、『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(山口祐加・星野概念、晶文社)を読み終えた。おもしろく読んだけど、読者が仕事をしている前提で書かれていること(必ずしもそうではないのかもしれないけど私はそう受け取ってしまった)で、勝手にへこんでしまった。いい本だし、本には何も罪はないし、この本を責めるつもりなんか全くない。お店へ服を買いに行っても私が着られるサイズの服が店頭に並んでいない時のような寂しさと、「私も働いたうえで『自分のために料理が作れない』と悩んでみたい」というひがみややっかみ。働いていたら働いていたで、その人その人の悩みや苦しみがあるものなのに。我ながら面倒くさい嫌な人間だなあと呆れる。「そんなに言うなら短時間でも週3日でも働けば」と、誰から言われた訳でもないのに「他人から言われそうな言葉」が想起されてちくちく刺してくる。「ひょっとして働けるかも」と期待して働いてみても、みるみるうちに限界が近付いてきて「やっぱり駄目だった、私には人並みに働くことはできないんだ、この先これから自分自身を養って生きていくこともできないに違いない」と絶望するのを嫌というほど繰り返してきているから、働くことが恐ろしくて仕方がない。労働者コンプレックスから解放されて楽になりたいなあ。
 母の日のプレゼントに、母の好きなちょっと良い栗のお菓子を渡した。「お母さん大好き」はさすがに気恥ずかしくて言えなかったけど、「いつもありがとう」は言えたので良しとしたい。

週間日記(2024/04/29-05/05)

2024/04/29 Mon.

 換毛期で猫達の毛が抜けるので、気付いた時にブラッシングをするようにしている。とらちはさほど毛が抜けないけど、ふくちは抜け毛の量が凄まじい。ブラッシング用の手袋でくしけずる度に、大量の毛がごっそり取れるので少し気持ちがいい。猫達の毛はそれぞれの猫ごとに、ボール状に丸く固めて保管している。とらふくが本当にかわいくて、抜けた毛のかたまりでさえかわいく思えるから不思議だ。自分がこんなにも他の生命を愛することができるという事実に、未だに度々驚いている。

2024/04/30 Tue.

 ゴールデンウィークにきょうだい達が帰省してくるので、せっせとあちこち片付けたり、布類を洗濯したりした。

2024/05/01 Wed.

 きょうだい達に食べてもらいたくて、張り切ってガトーショコラを焼いた。「大人になったな」と感じる瞬間は色々あるけど、「帰省してきたきょうだい達においしいものをたくさん食べてほしい」と思うようになった時もそのひとつだと思う。プレッシャーにならないように気を付けないと。お正月ぶりにきょうだいと会えて、とても嬉しい。

2024/05/02 Thu.

 ふくちが私の膝掛けを一生懸命ふみふみしていた。ふわふわの手触りがお気に召したらしい。
 美容室に行って、久し振りのパーマをかけてきた。最後にパーマをかけたのは文学部の大学生の頃なので、10年ぶりくらいにはなる。思ったよりしっかりパーマがかかったけど、鏡に映った自分の髪がくるくるしているとなんだかとても楽しくて愉快な気持ちになる。これならくせ毛のうねりも気にならないし、自身の容姿について並々ならぬコンプレックスをこじらせている自分がおしゃれのためにパーマをかけたという事実が、なんだか気分を前向きにしてくれる。勇気を出してパーマをかけてみて良かった!父には開口一番「ちりちり」と評されたけど、自分では気に入っているので構わない。美容室では、観葉植物の元気がないので見てもらえないかと美容師さんに言われ、観葉植物の育て方についてささやかなアドバイスをした。鉢底から根が覗いていたし、何年も同じ鉢に植えっぱなしだと言うので、多分根詰まりしているから植え替えた方が良い、観葉植物用の土を買うと袋の裏に植え替えの方法が書いてあるのでそれを参考にすると良いと伝えた。枯れた葉は虫が発生する原因になりやすいので取り除くこと、土の表面が乾いたら鉢底から流れ出るくらい水を与えること、鉢皿に溜まった水は根腐れ防止のために捨てることも教えた。口うるさい客だと思われていませんように。
 お昼ごはんにかつ丼、晩ごはんにはビーフカレーを作った。かつ丼のかつはさくさくに揚がって我ながらおいしかったし、鍋いっぱいに作ったカレーも家族がおかわりして食べてくれた。
 庭ののいばらの花がたくさん咲いている。勝手に生えてきたものだけど、こんなにかわいい花を咲かせてくれるとなると、引っこ抜くのは気が引ける。
 夜、自分で髪を乾かしてみると、美容室で乾かしてもらった時のようにはくるくるにはならなかった。しっかりカールを出して乾かすのは難しいと言われていたので、毎日練習するしかない。

2024/05/03 Fri.

 朝、頑張って髪をセットする。自分じゃ確かに上手くカールを出すのが難しいけど、美容師さんに言われた通りにムースをつけてみると、結構それっぽくなった。鏡に映る自分を見てポジティブな気持ちになるという体験はなかなかないので、髪がくるくるした自分を見て嬉しく感じられるというのはとても新鮮な気がする。
 きょうだい三人揃って、近所に住む祖母のアパートへ遊びに行った。すごい品数のお昼ごはんを用意してくれていて、どれもおいしかった。おいしいおいしいと言って食べていると祖母が嬉しそうにしてくれるので、こちらも嬉しかった。食後にトランプや花札で遊び、たくさん笑って楽しい時間を過ごした。
 晩ごはんのデザートに食べるためのチョコレートタルトを作った。きょうだい達がおいしそうに食べてくれるので、祖母がごはんをたくさん作る気持ちも分かるなあと思った。

2024/05/04 Sat.

 朝ごはんは、生地と具材を用意して思い思いのクレープを作って食べた。いちご、バナナ、缶詰のみかん、ホイップクリーム、カスタードクリーム、いちごソース、ブルーベリーソース、チョコレートソース、柚子のマーマレード、さくらんぼジャム、ヨーグルトをテーブルに並べて、おいしくて楽しかった。何個食べたか覚えていない。
 午後、きょうだいの一人を駅まで送った後、まだ外が明るいうちから七輪を出して色々焼いて食べた。私以外の3人はたくさんお酒を飲んで、皆ご機嫌でおしゃべりが盛り上がってとても楽しかった。たくさん笑った。16Personalities診断の話題になって、久し振りにやってみたら私は「提唱者(INFJ-T)」だった。「内向型90%は初めて見た」と驚かれた。

2024/05/05 Sun.

 きょうだいのおみやげに持たせたくて、チョコレートのシフォンケーキを焼いた。しっとりふわふわで良い出来。
 きょうだい二人ともそれぞれの場所に戻ってしまったので、帰りの車内の後部座席がやたら広く感じられた。今年のゴールデンウィークは、家族5人揃ってたくさん笑っておしゃべりして、すごく楽しかった。楽しい時間を過ごした後に来る、憂鬱になる反動が小さいもので済むよう願っている。猫達がいるから、気も紛れるかもしれない。

週間日記(2024/04/22-4/28)

2024/04/22 Mon.

 待ちに待った、認定心理士の資格認定審査結果の通知が届いた。認定された(資格が取れた)!これで、「心理学の専門家として仕事をするために必要な,最小限の標準的基礎学力と技能を修得している,と日本心理学会が認定した人」ということになる。とりあえず、ひと安心した。
 年に一度の予防接種のため、とらちを動物病院へ連れて行く試みに挑戦した。私に撫でられながらこちらに背を向けてくつろいでいるとらちに、素早く頭から洗濯ネットをかぶせる作戦に出た所、成功した!このチャンスを逃したら次はいつ行けるか分からず、予防接種が遅くなったことでとらちが体調を崩しでもしたらどうしようと不安だったので、ようやく捕獲に成功して嬉しい。とらちは警戒心の強い性格なので、私が洗濯ネットを隠し持っていることに気付かれたらしばらくチャンスはないと思い、多分先日の面接よりも緊張した。にゃあにゃあ鳴いて怒るとらちに詫びながら急いで洗濯ネットのファスナーを閉め、蓋付きのかごに入れて動物病院へ。家を出る時、取り残されたふくちが何事かと心配そうに鳴いていた。とらちは予防接種と爪切りをしてもらい、帰宅して解放された途端脱兎のごとく二階へ逃げて行った。二時間ほど経つと隠れていたベッドの下から恐る恐る出てきて、私の手の匂いを嗅ぎ、背中を撫でさせてくれた。シーバ(とらちの大好物のおいしいカリカリ)に釣られたんだろうけど。思ったより早く和解できて良かった。
 ブログのはてなスターや読者の数が気になってしまうので、敢えて表示しない設定にしている。とても励みになるし嬉しいので表示したい気持ちも大いにあるものの、数字が減ったり少なかったりするとやはりしょんぼりしてしまうので、数字に左右されないようにと今後も非表示にするつもり。
 石が貯まったのでゲームのガチャを引いたら、欲しかった推しのSSRが出た。資格は取れたし、とらちを動物病院に連れて行けたし、推しSSRは来るしで、今日は怒涛のように良いことが起こって嬉しい戸惑いを覚える。

2024/04/23 Tue.

 勉強が捗って、3時間ほどヒルガードの心理学を読めた。読むだけでなくノートにまとめるなどした方が頭には入るんだろうけど、勉強の習慣がなかなか定着しない自分としては、とりあえずまずは一度ひと通り読んでしまいたい。最初の一時間はとにかく眠かった。その後、30分ほど机に突っ伏して寝てから再び取り組んだ所、さっきよりはずっと集中できた。心理学というより理科の授業に近いような内容を読んでいると、心身の仕組みがとても複雑で、自分が今こうして生きていることが不思議で幸運なことだと思えた。死にたくなるほどつらい気持ちの時に読んでみると良いかもしれない。ヒルガードの心理学にある「両面を見る」というコーナーがおもしろい。同じトピックについての相反する二つの考え方が、どちらか一方が正しいという持ち上げ方をせずに公平に紹介されている。私は二つの意見があったらどちらかが正しくてもう一方は正しくないのだと思い込んでしまいがちなので、こういうコンテンツに触れると考え方が柔軟になるように思えて助かる。また、摂食障害にのくだりで、「自分はどう感じているか」「自分はどう見られているか」という部分が目に留まった。自己対象化についての解説なのでファッションの話ではないのだけど、先日読んだ『かわいいピンクの竜になる』の内容となんとなくリンクするような気がして、勝手に嬉しくなった。体型にしろ装いにしろ、本来は「自分はどう見られているか」より「自分はどう感じているか」を優先して良いんだよなあ。
 YouTubeを参考に、ちょっとした運動やストレッチもした。結構有意義な一日にできたかも。

2024/04/24 Wed.

 夢に、遠方の祖父母と曽祖父がでてきた。なぜか祖父母の家に錆猫とブルドッグが一匹ずつ飼われていて、錆猫は似たような模様の子猫を三匹産んでいた。目が覚めてからすぐ「元気にしているかな」と思ったけど、遠方の祖父母と曽祖父はもう亡くなっていることに気付いた。夢の中では会話はなかったものの、もうこの世では会えない人と会わせてくれるなんて、私の脳って結構良い奴なんだなと思う。
 今日も勉強がそれなりに捗った。やっぱり最初の30分は眠かったので、また机に伏せて30分ほど寝たら、その後は結構集中できた。

2024/04/25 Thu.

 父が「音楽畑」という言葉を使っていたので、私が「音楽畑ってこんにゃく畑と音は同じなんだ」としょうもないことを言うと、「同じようなものだよ」と返された。
 週に一度はした方がメンタルの健康に良いだろうと思い、庭仕事に繰り出した。日に日に庭の草木が伸びていて、緑が鮮やかになっていく。畑と鉢植えと庭の草取り、ミニにんじんの間引き、ビオラの花がら摘み、植物が枯れた古い鉢植えの片付け、鉢植えの水やりなどをした。汗ばむくらいの暑さだったけど、風と日光が気持ち良かった。うぐいすの鳴き声と蜂の羽音だけなら良いものを、蚊が飛び交う不快な音も大いに聞こえた。まだ四月だというのに、何匹も飛んでいる。
 ここ一週間くらい、首の側面から後ろにかけて湿疹のようなかゆみがあったのが、いよいよ我慢ならないほど悪化してきた。夕方頃から猛烈なかゆさになり、泣きたくなるほどかゆい。かゆみが原因で泣くのも癪なので泣きはしなかったものの、泣いていないのが不思議なほどのかゆさだった。家にあるかゆみ止めの薬を3種類とも試しても効かず、もう後はひたすら保冷剤を首に当てていた。明日もし皮膚科の予約が取れなかったら、号泣するだろうな。

2024/04/26 Fri.

 グロテスクな夢を見た。お寺か神社のような見慣れない宗教施設にいて、人肉食の秘儀に巻き込まれるという内容だった。室内に15人ほどの大人が祭壇を前に並んで正座していて、私もその中に混ざっている。皿が順番に回されてくるので、それぞれ皿の中の物を食べて次の人に回さなければならない。皿の中には、人の内臓の特定の部位(どこかは分からないけど、人間一人につき一つしかないという小さな部位が、儀式に参加している人数分集められていた)が生のまま入っている。夢の中の私は、特に怖いとか気持ち悪いとか思わずに皿を受け取り、皿の中身を目にした時点で夢から覚めた。食べずに済んでほっとしたのもあるけど、皿に入っていた物が焼肉屋で出されるホルモンの類にそっくりで、なんなら皿自体も焼肉屋のそれによく似ていたので、起きてからはおかしくて仕方なかった。確かに臓物だから似てはいるのかもしれないものの、実際に目にしたことのないものをテレビの焼肉屋特集で見たような映像で脳が補ったのかと思うと、どうにもおもしろく思えてしまう。ホルモン系は食わず嫌いをしているので実際に食べることはないけど、人によっては焼いて食べたらおいしそうだと思うだろう中身だった。
 夢の内容をおかしがったのも束の間、今朝はまた首がかゆい。泣きたい。起床後2時間ほど経つと少し和らいで、つかの間ほっとする。皮膚科の予約が取れたので、小雨がぱらつく中を自転車で向かった。長い待ち時間を経てようやく薬を入手し、安堵して帰路に就く。疲れたし、お腹もかなり空いていたので、コンビニに寄って食べ物を買い込んだ。家に帰り着いて手洗いうがいの後すぐに薬を塗り、買ってきたフライドチキン、おにぎり、サンドイッチを無茶食いのように胃へ詰め込む。しばらくすると薬も効いてきて、かゆみが随分収まった。時々またぶり返すので波があるようだけど、昨夜のような耐えられないほどのかゆみではないのでまだ良い。原因が何だったのかは分からないけど、ひどい目に遭った。かゆみを感じない幸せを何度も噛み締めている。

2024/04/27 Sat.

 ホームセンターに行き、さつまいも・赤と黄色のミニトマト・きゅうり・ミニかぼちゃの苗、ひまわりと切り花用百日草の種を買ってきた。畑とプランターにそれぞれ苗を植え、見よう見まねで支柱を立てた。庭仕事は始めるまでが面倒だけど、やり出すと本当に楽しい。両頬を蚊に刺されてアンパンマンになったような気分でいても、やっぱり土いじりは楽しい。今後の収穫が楽しみ。
 インスタントコーヒーがあったので、コーヒーゼリーを作った。ホイップクリームをたっぷりかけて食べた。

2024/04/28 Sun.

 家の隣の空き地に、雄の雉がのそのそと歩いているのを見かけた。ふくちが興味ありげに眺めていた。
 母とその辺で蓬を摘んできて、以前からやってみたかった蓬餅作りに挑戦した。結構な量の蓬を餅つき機に投入して、鮮やかな緑色のお餅ができた。市販のこしあんを包んで、丸めたものを食べてみると、蓬の風味がしっかりしていてなかなかおいしい。
 往復で10,000歩ほど散歩した。川沿いは風が気持ち良くて、気候も歩くのにちょうど良かった。途中でギブアップしたくなるかと思っていたけど、意外と歩けて嬉しい。

週間日記(2024/04/15-04/21)

2024/04/15 Mon.

 オンラインカウンセリングを受けた。今日は目覚ましい進展や新しい気付きのようなものはあまりなかったものの、毎回そうした劇的なカウンセリングだと疲れてしまうので、こういう回もあった方が良いのだと思う。

2024/04/16 Tue.

 一昨日の面接試験の結果と、認定心理士の資格が取れたかどうかの結果とが今週郵送される予定なので、とてもそわそわしている。今日はまだ届かないだろうなとは思いながらも、気になるあまり日に4回も郵便受けを覗いてしまった。
 クリームボックスという食べ物の存在を知り、そんなの絶対おいしいじゃんと思い、余っていた生クリームを使って作ってみた。案の定好きな味だった。カスタードクリームに似ているけど、卵は入っていない。これを作るためだけに、わざわざスーパーへ行ってコーンスターチを買ってきたかいがあった。
 なんとなく文字数を書けそうなネタを思いついたので、2000字ちょっと書いてみた。意外と集中して書くことができて、頭の中を整理できた感じですっきりしたし、何より楽しかった。応募した先に掲載されるかはさておき、楽しく文章を書けたことが嬉しい。
 新しい化粧品が欲しいと最近思っていたけれど、独立系書店のオンラインストアを覗いた所、化粧品よりも本の方が欲しくなってしまった。迷いに迷った挙句、結局は前から気になっていた本を注文した。せっかく珍しく化粧品が欲しくなっている時に、本屋を見てはいけないとつくづく思った。顔に塗る色や粉よりも、断然本の方を欲しくなるに決まっている。でも、化粧品よりも本を選んだ自分のことが嫌いじゃないなと思えたので、これはこれで良かったかも。

2024/04/17 Wed.

 家事こそ最低限のことをこなしたものの、その他の何をしても手につかない。ポストを覗きたい気持ちを何度も堪えて、いつも郵便が届く昼前まで待つ。本当はいつ郵便配達のバイクが来るかと窓に張り付いて見ていたい気持ちだったけど、さすがにそれは度が過ぎている気がして我慢した。結局、今日は郵便自体来なかった。

2024/04/18 Thu.

 今日は比較的早い時間に郵便物が届いた。待ちに待った封筒を開けると、「惜しくも合格には至りませんでした」の不採用通知が入っていた。あーあ。強がりを言うと、ほっとした部分も大きい。勉強に集中できるし、働く以上逃れられないストレスに晒されなくて済む。「もしかしたら」という期待はしてしまっていたけど、駄目で元々という気持ちもあらかじめしっかり持っておいたので、さほど落ち込むこともなかった。良かった。
 先日注文した本がさっそく届いたので、読み始めた。勉強のために読む本とは違う、娯楽のための本は楽しい。「知識を取り込まないと」という義務感から解放されて、気軽に読める。趣味としての読書って、多分本来そういうものだよなあ。
 夜、これから寝るという時に、視線の先に虫がいるんだろうと思われる動きをベッドの傍でとらちがしている。どうか即座に退治する必要のあるタイプの虫でありませんようにと祈りながら、睡魔と面倒くささに抗えず布団をかぶる。ぱっと見て分かる大きさの虫の姿は見えなかったので、多分放っておいて大丈夫だろう。多分。

2024/04/19 Fri.

 出店でいちご大福やまんじゅうが売られていて、すごく迷って買わなかった。帰宅してからも、「やっぱり買えば良かったかも」とまだ迷っている。

2024/04/20 Sat.

 認定心理士の資格認定審査の結果が気になって仕方ない。なるべく考えないようにしたい。そんなことは到底できないけども。
 『脳のお休み』(蟹の親子、百万年書房)を読んだ。おもしろいという言葉では片付けられないけど、人の生活や考え、感じ方などを本を通して読むと、とても興味深く感じる。著者は「自分は自分、人は人」という意識がしっかり確立されている人のようで、すごいなと思った。私は自分と他者の境界線のようなものがぐちゃぐちゃになりがち、というよりいつもぐちゃぐちゃしているので、憧れや尊敬の念を抱いてしまう。同じ時代を生きる人のエッセイや日記本を読むようになったのは割と最近だけど、色々な人がそれぞれにものを考えたり、行動したりしながら生きている様子を読むのがとてもおもしろく、なんだか「生きているなあ」とでも思えるようで心強いような気持ちになる。私が毎週ネット上に載せている日記も、誰かが見て「生きているなあ」と思ってくれたら、それは嬉しいことだと思う。未来の私にも、この日記を見返した時にそう思ってほしい。

2024/04/21 Sun.

 昨夜9時間も寝たので、よく寝たなという満足感がある。テレビ「趣味の園芸」を観ていたら、ふくちが膝に乗ってきた。温かくて重くて、とてもかわいい。趣味の園芸では、先月行った大阪の植物園「咲くやこの花館」が特集されていた。登場したフィロデンドロン、ストレリチア、ヒスイカズラ、トックリキワタ、タビビトノキ、マドカズラ、アンスリウムの内、最後の2つ以外は自分も写真を撮っていたので、なんとなく嬉しかった。咲くやこの花館のタビビトノキは、実際に見た時は温室の天井に届きそうな高さだと思って驚いたけど、樹高13mもあるらしい。どうりで、スマホのカメラの画面に収まりきらず、撮るのに苦労したはずだ。
 『かわいいピンクの竜になる』(川野芽生、左右社)を読んだ。服や髪、メイクなどの装いについて確かなこだわりと価値観を持っている著者の在り方がとてもかっこよくて痺れた。本当に素敵だ。私は自分の容姿を醜いと思っているので、服などについては多少のこだわりや趣味を持っていても、引け目だの気後れだのを感じて思う存分好きな装いをすることができない。でも、この本を読むとすごく勇気づけられる。実際、「メイク」と言うのも気恥ずかしくて「化粧」と言っている私が、文章の中といえどたった今「メイク」という単語を使えたくらいだ。今度美容室で10年ぶりのパーマをかけるに当たって「自分みたいな芋がパーマなんかかけて、人から笑われないだろうか」と自意識をこじらせていたけど、この本のおかげで少し肩の力を抜いて挑めそうだ。少しずつ自分の中のルッキズムを排して、自分が本当にしたい装いに近付いていきたい。

週間日記(2024/04/08-04/14)

2024/04/08 Mon.

 午前中に地震があり、少し揺れた。ふくちが戸惑ったようにこちらを見ていたので、話しかけてやると落ち着いたようにまた眠り始めた。こういう時、猫を抱っこして軽く揺すると、地震の揺れを飼い主によるものだと思って安心するらしいのだけど、抱き上げるにはふくちは重いからなあ…。
 ヒルガードの心理学を読んで、びっくりするほどスムーズに寝落ちした。眠くなるのは仕方ないとして、寝てしまうことについて「やっぱり自分は駄目だ」みたいな、妙な意味付けをしないようにはしたい。寝ても、寝て起きてまた勉強すればいいんだし。

2024/04/09 Tue.

 ヒルガードの心理学を読む。とりあえず、買ったはいいもののちらっとしか読んでいなかったこの本にひと通り目を通しておきたい。5章までは眠いし、目が滑るしで全く頭に入らず、果たしてこれで読んでいると言えるのかと問いたくなるほどだった。ところが、6章の「意識」の章に入った途端、急に内容がおもしろくなり目が覚めた。マリファナやオピオイド、フェンサイクリジンなどの単語が出てきて、テンションが上がる。この本は意外にも誤字脱字が結構な箇所あるので(なにせ分厚いので相対的に多くもなるだろう)、意地が悪いけどそれを見つけるのも少し楽しい。あまり好きじゃない内容の本に対しては「きちんと校正していないんだろうか」と思うけど、好きな本となると、いかにも人の手によって作られた本という感じがして、手作り感のような親しみすら覚える。
 午後は庭仕事をする。風がかなり強かったけど、あまりにも天気が良いので家にこもっているのはもったいないと思って外に飛び出した。じゃがいもの芽かき、鉢植えと畑の草取りや追肥、ビオラの花がら摘みなどの作業をし、庭に生えている大きい雑草を引っこ抜いた。いつの間にかラズベリーの花がたくさん咲いていたので、収穫が楽しみ。ヤッケやら帽子やらの装備を整えて庭に出るまでは億劫だけど、いざ庭仕事をすると、日差しも風も、雑草を根こそぎ引っこ抜く感触も全部が心地いい。やっぱり自分にとっては、庭仕事は立派なコーピングになるんだと思う。腰痛と引き換えに、精神の安定を手に入れることができる。
 全く予期していなかった出来事が起こった。オーボエを吹く機会があったのだ。私にとってオーボエは、社交不安症、親の期待や理想、思春期の黒歴史等々のできれば掘り返したくない思い出やイメージと密接に結びついているもので、もう二度と今後の人生で関わることはないだろうと思っていたものだった。ところが、この楽器の組み立て方や音の出し方、手入れの仕方などを母に教えることになった。自分の楽器は水害で泥水に浸かったきり手放したので、楽器を間近で見たり触ったりするのはもちろん、コルクグリスやスワブを扱うのすら久し振りで、借り物であることもあっておっかなびっくり組み立てた。吹いてみると意外にも音は出るし、運指も覚えていて、捨てられずにいた楽譜を引っ張り出して知っているメロディーをさらうことができた。悔しいことにちょっと楽しくて、楽しく感じられたことが少し嫌だった。自分の楽器を失って、もうステージに乗らなくていいし、嫌な思いもせずに済み、親の期待に応えようとする必要もなくなったのだと寂しいながらも解放感があったので、楽器を楽しいと思ってしまうと未練のようなものを認めることになる気がする。いっそ嫌な思い出しかないものだったらすっぱり諦めきれるのに、音楽をやること自体は多分楽しいんだと思う。でも、楽しくてもやはり人前では吹けないし、合奏も演奏会本番も無理だ。もしも社交不安症になっていなかったら、今もアマチュアのオーケストラや吹奏楽に参加して、家族と同じ楽しみを共有できていたのかもしれないと考えてしまう。一方で、楽器はもうやらないと決めたことが、私の中では遅れて来た反抗期のような、親に対するささやかな抵抗に近いという所もある。いっそオーケストラにも吹奏楽にもない楽器を一人でこっそり楽しむのはありかもしれないけども、何かしらの楽器をすることで「ほら、やっぱり音楽は楽しいでしょう」「我が家の人間だから当然音楽をやるよね」といった母からの無言の圧力に屈してしまうことになるのは避けたい。音楽や楽器というものは、「ただ楽しい」という純粋で気軽な理由だけで楽しんでいいもののはずなのに、自身の天邪鬼なプライドがどうしても邪魔をしてくる。それにしても、もうこの楽器を吹くことはないはずだと思い込んでいたので、生きていると何が起こるか分からないのだと改めて思い知らされた。

2024/04/10 Wed.

 「しまうまプリント」のアプリで作っていた、大阪旅行の写真をまとめたフォトブックが届いた。文庫本サイズの冊子に写真がきれいに印刷されていて、眺めていると旅行の楽しさが思い出せて良い。作ってみて良かった。
 なんだか急に化粧品が欲しくなった。KATEのリップモンスターがとても良いので、とりあえずサイトを見て、次に買うならどの色だろうかと考えてみている。他にはまつ毛美容液、チーク、リップやアイカラーなどに使えるマルチカラースティックが欲しい。自分の容姿については、本当に並々ならぬコンプレックスをこじらせている。どのくらいこじらせているかというと、「メイク」や「コスメ」という単語を使うことすら気後れして「化粧」「化粧品」と言っているくらいだ。「自分みたいなのには分不相応だから」という意識が強すぎて、デパートの化粧品売り場などはこそこそと逃げるように通り過ぎることしかできない。きらびやかで華やかな世界が眩しすぎて、地上で日光に晒されてしまったモグラのような気分になる(反対に、書店や園芸店であれば水を得た魚になれる)。ただ、そうやって依然こじらせながらも化粧を楽しみたい気持ちが芽生えてきたのは、良い傾向なんじゃないかと思う。
 畑のアスパラガスを3本収穫したので、豚肉で巻いて照り焼きにして食べることにする。庭に色々な花が咲き始めて、いよいよ春らしくなってきた。色とりどりのつつじとさつき、大手毬、ジューンベリーの他に、へびいちごやナガミヒナゲシなどの雑草も次々と花を咲かせている。観葉植物として室内で育てているコーヒーノキにも、今年2回目の花が咲いた。ジャスミンのような甘い香りが漂ってくる。ふいに香るくらいなら良い香りだけど、辺りに充満しているとあまりにも強烈なので、思わず勉強机やベッドから鉢を遠ざけてしまった。

2024/04/11 Thu.

 午前中に、ヒルガードの心理学を結構読み進めることができた。勉強机の椅子に猫のとらちが居座ってすやすやと眠っているので、私はその傍の床に座り込んで、時々脚が痺れるのをなんとかしながらヒルガードを読んだ。時々とらちを撫でると気持ち良さそうに喉をごろごろ鳴らしていて、その音を聞きながら勉強するというのはなかなか良かった。私は基本的に毎晩8時間は寝たい人間で、大人としては寝すぎなのではないかとなんとなく引け目に感じる部分があったけど、ヒルガードの心理学の中で9時間睡眠が推奨されている部分を読んで大いに励まされた。確かに、8時間半眠った翌日はとても気分が良く、体調も良い気がする。9時間も寝たら一体どうなるんだろう。相当元気になってしまうんじゃないか。朝6時に起きるためには、夜9時には就寝しないといけないというのがなかなか難しくはあるけれども。
 しばらく前に新しく作ったWebサイトに、これまでに描いた四コマエッセイ漫画をいくらか載せた。ところどころ修正しつつ、ぼちぼち全部のページを乗せられたら良い。自分用に製本する時にも思ったけど、こうして見るとなかなかな枚数を描いたものだと我ながら驚く。出来事や感情にオチをつけて四コマ漫画にすることが私にとってはセラピーのようなもので、不安や憂鬱を扱いやすい形にして笑いのネタに昇華してしまうと安心できるので、描いてみて良かったなとつくづく思う。何より、描くのが楽しかった。庭仕事と同じで作業に集中するまでが億劫なので最近は描けていないけど、描きかけのネタも描きたいネタもあるので、そのうちまた描きたい。

2024/04/12 Fri.

 ペンタブを引っ張り出して、さっそく描きかけの四コマ漫画に取りかかった。文字の入力と下書きまでは済ませていたので、線画を描いてトーンのようなグレーの部分を塗ってしまえば完成。そう言うと簡単に思えるけど、線画は一番神経を使う。久し振りに扱うペンタブはすっかり勝手を忘れていて、なかなか思ったような線が引けず作業は難航した。
 お風呂に入っている時、先日のオーボエ事件について考えたことを急に漫画の題材として扱いたくなり、ネタが次から次へと湧いてきた。お風呂というメモもスマホもない環境にいる時に、勝手にネタ出しを始める己の脳は卑怯だと思う。プリンターのように脳内のアイデアを頭から出力できたらいいのにと空想するほどだった。急いでお風呂から上がって化粧品だの薬だのをせっせと顔に塗りたくり、髪も乾かさずにスマホを掴んでアイデアを書き起こすのは、焦りながらも楽しかった。漫画にしろ文章にしろ、何も思いつかない時というのは本当に思いつかないものなので、こうしてネタが湧いてくるのはかなり嬉しい。願わくば、一晩経ってからこのネタ群がつまらない、描く価値のないものだと感じるようなことがありませんように。

2024/04/13 Sat.

 精神科の診察。いつもの薬を8週間分処方してもらった。やっぱり、薬があると格段に動ける気がする。家から病院までの道程を歩いて往復する途中に、つつじ、石竹、白詰草、コメツブツメクサ、ハハコグサ、ノゲシ、ノアザミ、マツバウンランなどの花が咲いていた。花期が過ぎた菜の花には、赤いてんとう虫がくっついていた。
 明日に控えた面接が嫌で、げんなりしている。ただ、数年前のように「不安すぎるので、面接を受けるくらいなら死にたい」「面接くらいでこんなに不安がっている自分は駄目な人間だ」「面接を受けられないから働けなくて今後生きていけない、死のう」等々の考えには今はもうならないらしいというのが、かなり嬉しい。多分、人並みの程度、私が憧れてやまなかった「普通」の緊張具合だと思う。面接が嫌だと思うのが嬉しいと感じられるようになるとは、思いもしなかった。それでも相変わらず面接は大の苦手ではあるので、「たかだか数分の面接ごときで、私という人間の素晴らしさが理解できるはずがないでしょうが」と内心で虚勢を張ってみたり、「まあ、まず不採用だろう」と面接を受ける前から諦めてみたりしている。うっかり期待してしまうと不採用だった時に堪えるし、どうしたって受かった時のことは想像してしまうので、「ダメで元々」「受かったらラッキー」と己に言い聞かせるようにしている。

2024/04/14 Sun.

 仕事にありつくための面接試験を受けた。以前のような「今すぐこの状況から逃げ出したい」「死んでまで回避したい」という強烈な不安がないというのが新鮮だった。文学部の大学時代には、就活の面接が嫌なあまり「車道に倒れる」だの「線路に飛び込む」だのといった案をしょっちゅう考えていたけど、この日は今日の日記を書き始めるまではそういった選択肢を思い出しもしなかった。とはいえ、もちろん緊張はした。話すのがやっぱりかなり下手で、自分でもよく分かるほどしどろもどろではあった。ただし、これまでの「生きるか死ぬか」のような緊張と不安の程度に比べたら、「この程度では緊張とは言えない」と過去の自分に言われそうなほどの生ぬるい緊張感だった。緊張があっただけで、不安を特に感じなかったというのが本当に嬉しい。似たような感情ではあるかもしれないけど、いざという時に備えて集中力を高める「緊張」と、ネガティブな妄想ばかり膨らんで体調まで悪くなってきそうな「不安」とでは、やっぱり別物だ。試験の結果がどうであれ、この程度の緊張で面接を受けることができたという事実を数年前の自分に教えてあげたら、きっと信じられないだろうな。
 「面接が終わったら、何か好きなお菓子をひとつ作っていい」というご褒美を掲げていたので、ヴィクトリアサンドイッチケーキを作ることにした。面接会場から家まで歩いて帰る途中にスーパーへ寄り、スーツ姿で生クリームひとつだけ購入するという一種異様な行動ができて楽しかった。とにかく、面接が終わったことでほっとした。帰宅してスーツを脱ぎ捨て、とびきりおいしいヴィクトリアサンドイッチケーキを作った。バターの風味が豊かでしっとりふわふわのケーキと、去年作って冷凍しておいた庭のさくらんぼのジャム、頑張ったのだからと奮発したちょっと良い生クリーム(普段は200円しない植物性のものを買うけど、今日は倍の値段の動物性のものを買った)の相性が抜群で、我ながらとても良い出来だった。「お菓子をひとつ作っていい」というご褒美ではあったけど、生クリームがまだ100cc残っているので、もうひとつ何か作れてしまう。何を作ろうかな!

週間日記(2024/04/01-04/07)

2024/04/01 Mon.

 今日から4月。無職なので、年度初めと言ったって別に真新しいような要素は何もない。でも春だからか、今年度こそは何か良い転機なんかがないだろうかと期待してしまう。社会復帰という言葉は好きじゃないけど(働くことと社会に属することがイコールになっているのが納得できない。働いていようがいまいがすべての人は何らかの形で社会に関わっている)、社会復帰を果たすことに憧れてやまない気持ちがある。
 臨床心理士を目指しているという人の投稿をSNSで見かけて、やっぱりいいなあ、自分も目指したいなあと久し振りに思った。通信制大学に編入してみて、とりあえず現在の自分には無理だと思い、その目標を追うのは一時停止ということにしていた。自分がカウンセラーに向いてないと思う点はたくさんある。人と関わること全般に苦手意識があるし、相手の顔色を窺って機嫌を損ねないよう振る舞ってしまうし、その割に「これは言わない方が良かった」「あの時ああすれば良かった」と後になって反省することがとても多い。人に嫌われたり怒られたりすることが怖くて仕方ないのに、自己顕示欲や自己表現したい欲が人一倍強い。どもったり早口になったりで喋るのが下手なので、落ち着いてゆっくりと穏やかに話すということができない。当座の自分に必要なのは治療やカウンセリングであって、少なくとも今はまだ心理士を目指せる状態ではないと思った。ただ、「こういう部分はもしかしてカウンセラーに向いているんじゃないかな」と自分で思うことは時々ある。「もしかしたらこういう事情があったかも」と他人の背景を想像する時、どういうリアクションをすべきか真剣に考えながら誰かの話の聞き役に徹している時、困っていたり悩んでいたりする相手に自分の意見やアドバイスを押し付けないよう気を配りながら話を聞こうとする時等々。こういうことは多くの人がするものだろうけども。遡及請求した障害基礎年金のまとまった額があるので、目指そうと思えば、大学院の学費も学生生活中の生活費も、院試のための塾だってある程度はどうにかなる。足りないのは私の努力と能力だけ。どうしようかなあ。

2024/04/02 Tue.

 朝から洗濯機を4回回して、はてなブログとnoteに週間日記を投稿し、昨日の分の日記も書いた。
 昨日思ったことを具体的に考えてみた。お金の問題は、非常に幸運なことに今なら多分ぎりぎりなんとかなる。心理士を諦めて「普通に」働いたところで食べていけるという保証はないんだし、こんな機会は二度とないかもしれない。せっかくチャンスがあるなら、諦めきれずにいる目標を追いかけてみてもいいんじゃないか。やっぱり無理だと思ったら途中でやめてもいい。前向きな気持ちになっている今だけでも頑張ってみようかな。何か変な物でも食べたのか、そういう具合に妙な元気が出てきてしまった。オンラインカウンセリングで「一人暮らしをしたい」と本音を漏らした辺りから、どうにもそういった方向のやる気が湧いてきているらしい。
 まずは、とりあえずのモチベーションとして今年の7月に心理学検定を受けてみる。そのための勉強に取り組むことができるようだったら、先に進んでみようと思う(できなかったら、その時はその時でまた改めて考える)。心理職として働く際には必要であろう公認心理師の資格が取れる大学に編入する。そうすれば、夢の一人暮らしも叶うし、通信制のカリキュラムでは心もとなかった実習や実験もきちんと学べる。そして大学院に進んで、臨床心理士と公認心理師の資格を取り、5年後の今頃には心理職としてどこかで働き始める。理想通りにうまくいくとは限らないし、心理学検定を受ける頃にはもう「やっぱり何もかも無理だったんだ」と早々に挫折している可能性だってもちろん大いにある。でも、この計画を思うとひとつ頑張ってみようかという気になれるので、それだけでも意味がある気がする。「働けないから生きていけない、死ぬしかない」とずっと思ってきた自分が、未来のことを建設的に考えられるようになったということ自体、私にとっては希望に思える。「やっぱり駄目だ」と「もしかしたらやれるかも」をこの先もきっとたくさん繰り返して、それで最終的にどういう方向に進んでいくかは分からないけど、とりあえず2024年4月時点の自分が進みたいと思う方向へ歩いていってみようと思う。先のことを悲観せずに考えられるという状態がこんなにも幸せなものなのだということを思い出せて良かった。

2024/04/03 Wed.

 久し振りにヒルガードの心理学を引っ張り出して、2時間ほど読んだ。最初の30分が経つと眠くなってきて、やっぱり自分には勉強は無理なのかと情けない気持ちになったけど、少し身体を動かしてから再開したら眠気はどこかへ行ってくれた。通信制の大学では学べなかった生理学的な分野の解説を読んで、理科に対する苦手意識はありつつも新鮮だった。人間の脳というものは複雑でおもしろい、と素直に思えたことが嬉しい。日本語ではあまり見ない、英語圏のものらしい言い回しもおもしろかった。私はとにかく数学及び理系の科目が大の苦手で、物理や地学よりは数字と計算が少なそうだからという理由で高校の理科も生物を選択した。そこでも結局数学からは逃げきれず、メンデルの豆がどうの遺伝がどうのの計算ができずに、試験で赤点を取った覚えがある。大学の文学部に進んで、理系科目と完全に縁を切ることができたと思った時は本当に嬉しかった。なのに、今度は生物学とは切っても切れない関係にある心理学、そればかりか統計学という途方もない強敵にまで無謀にも挑もうとしている。人間の心って不思議だな、と思うしかない。
 当座の仕事にありつくための面接の練習をする。面接で尋ねられそうな質問に対する応答の文面をいくつか考えて、それを暗記しようとした。緊張で平常心じゃなくなってもそらんじることができるように、しっかり覚えておきたい。ところが、面接を想定して暗唱してみるも、自分の話しやすいペースで話すとどうにも滑舌が悪く、噛んだりどもったりしてしまう。自分はこんなにも話すのが下手だったのかと驚くほどだった。自分ではそうは思わないけど、人が聞いたら結構な早口なんじゃないだろうか。そうでないと説明がつかないと思うほど下手な話しっぷりで、どうしようかと焦る。とにかく滑舌をなんとかしようと、ネットで見つけた「外郎売り」の文章を何度か音読してみるものの、必要なのは多分これによって身に着くものではなくて、ゆっくり話す練習の方だと思う。落ち着きのあるゆったりとした話し方にはすごく憧れるけど、どうやったらそのように話せるようになるんだろう。
 美容室に電話をかけて、カットとパーマの予約をした。パーマをかけるのはちょうど10年ぶりだ。2時間も美容室で過ごすことに耐えられるだろうかという不安はあるものの、自分の容姿にまつわる並々ならぬコンプレックスをどうにかやり過ごして、自分がこうなりたいと思う髪型を目指そうとしている勇気は我ながら褒めてやりたい。苦手な電話をかけたことも。

2024/04/04 Thu.

 Spotifyで「大和田慧と安達茉莉子のもちよりRadio」の「5-2 私たちは変化を恐れる生きもの」の回を聞いていたら、「変化を選んで後悔したことはない」という言葉が出てきた。あああ、そんなことを言われてしまったら、自分は変化を選んでしまう。
 2時間ほど、ヒルガードの心理学とオリヴァー・サックス『幻覚の脳科学 見てしまう人びと』を読んだ。サックス先生の本は本当におもしろいので、『妻を帽子をまちがえた男』もそのうち読んでみたい。

2024/04/05 Fri.

 昨夜は猫達が2匹ともベッドに来てくれた。とらふくはそれぞれ来て私の掛け布団の上に寝ることはあっても、2匹同時にいるということは今までなかったので珍しいし、何より嬉しい。少し経つとふくちがとらちにじゃれかかって、とらちが逃げてしまったけど。
 ヒルガードの心理学を1時間ほど読む。ここから日々の勉強時間を増やしていけるだろうか。スタディプラスのアプリもまたインストールした。
 夜、録画していたテレビ「ブリティッシュ・ベイクオフ」を観た影響で焼き菓子を作って食べたくなり、シュークリームを作った。シュー生地は、焼きたてこそいい具合に膨らんでくれたけど、オーブンの扉を開けないまま冷ましているうちにいくらかしぼんでしまった。でも、味は我ながらとてもおいしくて、甘くないシューととろりと甘いカスタードクリームの相性が抜群だった。夜中にお菓子を作って食べるというのは背徳感や特別感があって、格別に楽しくておいしい。なかなか起きていられないので難しいだろうけど、深夜にお菓子やジャムを作るという行為に妙な憧れがあるので、いつかはやってみたい。

2024/04/06 Sat.

 羊文学の音楽が気になっていて、YouTubeで何曲か聴いてみた。楽器の音もボーカルの声も心地良くて、「more than words」が特に好きな感じだった。コミュニティサイト「She is」が作ったSpotifyのプレイリストで「砂漠のきみへ」を聴いて以来、そのうち他の曲も色々聴いてみたいと思っていた。親から刷り込まれたジャンル(クラシック音楽)でない音楽を聴いていいなと思えるのは、親とは違う自分の個性が確立されたような感覚がしてちょっと嬉しい。
 ABEMAでアニメ「刀剣乱舞 廻 -虚伝 燃ゆる本能寺-」の第一話を観た。銀河英雄伝説のOVA以外のアニメを観るのが久し振りで(と思ったけど、アイドルマスターシンデレラガールズU149も観ていた)、アニメ鑑賞といういかにもオタクらしい行動を取っていること自体が楽しく思えた。大勢の刀剣男士達が動いて喋っている新規の映像を見られるのは純粋に嬉しかったし、布団を干したり、とうもろこしの髭をむしり取ったりといかにも人間らしい生活をしている推しも拝めて良かった。最近は毎日ゲームにログインこそしていてもノルマのように遠征と内番しかさせていなかったので、ちゃんと出陣させてあげたくなる。刀剣乱舞をプレイしている人達はよく本丸に「帰る」という言い方をするので、それがすごく良いし、分かるなあと思う。たとえゲームの世界であっても、自分が帰る場所があると思えるのはなんだか安心する。一番好きな男士は我が初期刀歌仙兼定だけど、最近Twitterで話題になっていた「結婚したい刀剣男士ランキング」の個人的な一位は石切丸だと思った。本邦の結婚制度に反対している現実はさておき、あのおおらかさ、包容力、おっとりとしたマイペースさ、御神刀としての貫禄、ちょっと抜けた所のあるかわいい性格、最高じゃん!友達になりたい刀剣男士ランキングだったら、歌仙、古今、南海太郎が個人的ベスト3かな。文系、文系、理系。
 珍しく映画を観たい気持ちになり、いつか観ようと思っていた「そばかす」を観てみた。すごく良かった!どうしてこんな良い作品を今まで観ずにいたんだろうと思うほどだった。以下、ネタバレ有りの感想。
 主人公が実家に暮らしているというのが、個人的にとてもポイントが高い。都会でかっこよく一人暮らしをする女性というのも憧れはもちろんあるけど、同じ実家住みのアラサーとしては、雑然とした生活感溢れる実家で同居家族と揉めたり笑い合ったり、歩み寄ったりすれ違ったりしながら生きている感じがすごく良かった。家族なら何でも分かり合えるという展開じゃないのも良い。家族でも全てを理解して受け入れてくれる訳じゃないというのはがっかりすることではあるけど、家族だからって全部理解し合えなくてもいいんだとほっとする部分もある。児童館で自作のシンデレラを発表する場面は、正直観ていて苦しかった。どうして異性愛者のストーリーは何の疑問もなく「普通」のものとして受け入れられて、それ以外のアイデンティティは悪気なく排除されるのか納得がいかなかった。でもその後の、真帆が父親に気持ちをぶつけるくだりで救われた。いかにも映画の感動的なシーンらしい、よく練られたかっこいい言い回しではない「馬鹿」というシンプルだけどリアルな怒りの表現だったのが、却ってかっこよかった。真帆が結婚するという話を聞かされた時、私は過去に似た状況で「ああやっぱりこの子も”そっち”側なんだ」というやるせなさと疎外感を覚えたので、素直におめでとうと祝福できた佳純はすごいと思う。それから、食卓を囲んで家族で焼き肉を食べている場面、こんなにも正直にはっきりと伝えているのに家族に理解されない場面もやっぱりつらかったけど、その後の「私、もうチェロやめる」という台詞にはもっと泣いた。佳純に楽器をやってほしいという父親の期待(佳純がチェロを好きだったからそう思っているのであって、父親自身のエゴからくる期待ではない)には応えず、昔は確かに好きでやりたいと思っていたことだったけど、今の自分はそうではないと思って「やめる」と決断できたというのがとてもかっこよかった。それに触発されたのか、今の仕事を辞めてやりたい仕事をやると言えた佳純のお父さんもかっこよかった。そして最後の場面、本当に良かった!異性愛至上主義、恋愛至上主義の社会はなかなか簡単には変わらない、万人がすぐに理解してくれる訳じゃない、身近な家族だって分かってくれない。でも私がそのままそこにいるだけでそれが救いになるという人もいて、そうであってもそうでなかったとしても、私は私のままでそこにいていいんだという安心感。時々でも、息ができる瞬間が確かにある。主題歌が流れて、たまたまそれが羊文学による楽曲で、何の偶然かと嬉しく思った。曲も歌詞も、主演の三浦透子さんの伸びやかで透明感のある歌声もとても良くて、映画を観終わってから何回も繰り返して聴いている。「走る、その先に、どんな未来がきたって きっと今ならば目を逸らさないよ」という歌詞が特に好きだ。それにしても、良い作品を観たなあ。

2024/04/07 Sun.

 出かけた先で久し振りに八重桜の花を見かけた。桜餅そっくりの花がおいしそうでとてもかわいかった。八重桜のぬいぐるみなんかがあったら欲しいくらいにかわいい花だと思う。
 一昨日シュークリームを作った時の残った卵白があったので、それを使ってラングドシャを焼いた。焼きたてのクッキーというのはふわふわと柔らかくてバターの香りも立って本当においしいので、冷めてさくさくになる前につい食べてしまう。
 隙あらば三浦透子さんの歌う「風になれ」を聴いている。何かが救われて明るい気分になれるような、それでいて泣きたくなるような不思議な曲で、これを聴いていると「大丈夫」だと思えるし、「大丈夫じゃなくても大丈夫」という気もしてくる。覚えてきたメロディーを口ずさんでみたら、自分の音痴具合が全然大丈夫じゃなかった。歌うのって難しい。

週間日記(2024/03/25-03/31)

2024/03/25 Mon.

 昨日の県知事選の結果に、地味にショックを受けている。自民党・公明党が推すような人物には絶対に票を入れたくないと思って、まだマシじゃないかと思える方に投票したのに、その自公推薦の人が当選してしまった。あーあ。ポジティブに考えると、反ワク思想や途方もない案を掲げている人が知事にならずに済んだのはせめてもの救いなのかもしれない。確か地元の新聞だったと思うけど、最近の記事に「熊本県は政治的に保守的な人が多い地域で、自民党支持者が多い」といった旨のことが書かれていて、さもありなんと思った。どうりで、社会との間に障害がある人や海外にルーツを持つ人、性的マイノリティの人などに対して差別的な発言をする人が体感として多い。普段とても温厚で優しい人であっても、急にびっくりするようなことを言い出すからその度に悲しくなる。そして、それは差別だとその場ではっきり言えなかった自分に対して、猛烈な自己嫌悪に襲われる。市内に統一教会の新しい支部が近々できるらしいことといい、今回の県知事選の結果といい、家父長制・男尊女卑・レイシズム・セクシズム・排他主義等々てんこ盛りの県らしくていいんじゃないですか。自称左翼の自称フェミニストとしては本当に嫌になる。こんな社会で生きていくのはしんどすぎると思って死にたくもなるけど、高島鈴さんの「生存は抵抗」を思い出してなんとかやる。
 夜、なぜか突然むしょうにイライラが募ってしまい、まだ夕食後の食器洗いが残っているにも関わらず、座ったきり動けなくなってしまった。こんな調子で夢の一人暮らしが実現できるんだろうかと思うと、ますます落ち込む。一時間ほど座り込んで、何ができる訳でもないのでTwitterを眺めていたら、ふくちがのそのそと足元にやってきた。心配でもしてくれたのかと一瞬ぬか喜びするも、ごろごろと喉を鳴らしながら私の足に爪を立てて噛みついてきた。こちらの思惑など一切気にせずマイペースにじゃれてくるふわふわの生命体が本当にかわいくて、猫って最高な生き物だと改めて思った。痛い痛いと言いながら笑ったら元気が出たような気がして、食器を洗い、お風呂と歯磨きを済ませて就寝までこぎつけることができた。

2024/03/26 Tue.

 昨夜は私のベッドに久し振りにとらちが来てくれた。温かいふわふわの生き物が私の足元に寝ていて、とてもかわいかった。足に爪を立てられて起こされても、やっぱりかわいい。
 先月挑戦しようとしてし損なった仕事の求人がまた出ていたので、駄目で元々とは思いながらも応募してみた。ハローワークで「この一年間、仕事は?何かされていたんですか?」と訊かれて、やっぱりこの社会は働くこと・働けることがデフォルトとして求められているんだなと痛感させられた。とても「働くことについての不安やネックが多く、働けそうになかった」と正直に言える雰囲気ではなく(私がビビりなだけかもしれないが)、それらしい理由っぽいものを答えてみたものの、どうだろう。こういうことを面接でも訊かれるんだろうな。
 畑のアスパラガスを収穫した。たった2本だけの細いものだったけど、軽く茹でて、ベーコンで巻いてフライパンで焼いてから食べてみたらおいしかった。来年はもっとたくさん収穫できますように。
 IKEAのリラックスチェアに座っていると、ふくちが膝に乗ってきた。すっかりくつろいだ様子で毛繕いをしたり、すやすやと眠ったりして、多分一時間以上は膝にいたんじゃないだろうか。7.2kgともなるとさすがにちょっと重いけど、草むらで拾ってきた当初の170gの体重を思うと、よくここまで育ってくれたと嬉しい重さに感じられる。ふくちお気に入りの膝掛けを身体にかけてやると、さらにぬくぬくと暖かく、こたつにでも入っているかのようだった。やっぱり、気を抜いて心地よさそうに過ごしている小動物が傍にいると、人間もすごくリラックスできる気がする。いいものを拾ったなあ。

2024/03/27 Wed.

 学生時代の友人達が夢に出てきた。目が覚めた直後は、実際に自分が経験したできごとの記憶なのかと錯覚してしまったものの、中学の友人と大学の友人が幼馴染みという設定の夢だったので、ちょっと考えれば夢だと分かることだった。数年前の自殺を試みる以前だったら、こういう夢を見るといつも「走馬灯だ」「やっぱり自分は近いうちに死ぬんだ」と夢の内容と自殺とを結び付けていたけど、今なら「脳が記憶を整理しているな」「それにしても懐かしい人が出てきたな」くらいにしか思わない。健康的なことが必ずしも良いことだとは思いたくないけど、健康的な考え方ができるようになってきたのには喜びを覚えてしまう。
 出かけた先で、柑橘類を買い込んできた。甘酸っぱくほのかな苦みがおいしい甘夏、濃い甘酸っぱさが特徴的な不知火、酸味が強くすっきりした味の紅八朔、酸味が控えめで甘く食べやすいはるかの4種類。全部おいしいけど、個人的な好みとしては紅八朔、甘夏、不知火、はるかの順に好きだ。紅八朔は先日初めて食べて、口内に小さな傷でもあれば必ず沁みるような強い酸味が本当においしく、傷に沁みても食べたいと思わせる味だった。実際にそうした。
 育ち過ぎたのを放置していた畑のサニーレタスとチマサンチュ、パセリをようやく収穫した。猫に掘り返されたのを埋め直したじゃがいもも、いつの間にか芽が出ていた。
 再放送のを録画していたテレビ「美の壺 日本のすし」を観たので、猛烈におすしが食べたい。

2024/03/28 Thu.

 明け方、布団の足元にふくちが来ていて、ひたすらもぞもぞと毛繕いをしている。人間が身だしなみを整えていてもかわいくもなんともないのに(その結果多少かわいくなることはあったとしても)、毛繕いをする猫というのは本当にかわいい。まだ寝ぼけている頭でもそう思った。
 STORESのショップ「stand up with you」さんで購入したステッカーが届いた。きらきらに加工された紙に、ポップなかわいいフォントで「家父長制ぶっつぶす」と書いてある。見ているだけで元気が出てくるようなステッカーなので、さっそくiPhoneケースに挟んだ。保守が多い県だろうが構うものかと強がりたい気持ちはありつつも、実際は自分の父親に「CDの音量を下げてほしい」と意見するのさえ勇気が要る。父がシベリウスやマーラーを家じゅうに響くような大音量で聴くのなら、私だって刀ミュやカリスマを堂々と聴いてもいいはずなのに…。村正やWSAのソロ曲を思うと到底それはできないものの、そうしたリスク(?)のない音楽まで隠れてこそこそと聴くのはもう嫌だ。父親のことはちゃんと父親として尊敬しているし好きではあるけど、それはそれとしていつかは父の扶養から抜け出したい。自分で稼いだお金や自分で申請した制度を利用して、誰に遠慮することなく好きな音楽を楽しめる生活をしたい。自分を取り巻く家父長制から脱出し、ゆくゆくは世の中の家父長制という家父長制をぶっ潰すために、iPhoneケースに挟んだきらきらの主張が自分の支えになりそうな気がする。

2024/03/29 Fri.

 以前働いていた園芸店へメネデールを買いに行くと、私が書いたレモンの苗木の販促POPがまだ使われていた。よく見ると字の書き方や絵の細かい部分が私のものと違うので、私が書いたPOPの文面やイラストをそのまま真似して新しい紙になぞり書きしたのだと分かる。辞めてもう随分経つのに、こうして使い回してくれるのはちょっと嬉しい。
 帰り道、神社の桜が満開できれいだった。桜はこの国のナショナリズムと密接に結び付けられてしまっているので、当の桜には何の罪もないのに、本当に気の毒な植物だと思う。
 久し振りに燻製を作りたいと思い、その下準備をした。手羽先やサーモン、ゆで卵、チーズなどの食材に塩とスパイスをすり込み、まずは冷蔵庫で丸一日置く。おいしく作れるといいなあ。

2024/03/30 Sat.

 年に一度の予防接種のために、とらちを動物病院に連れて行くことになった。ところが、元野良猫で抱っこに不慣れなうえ、とびきり警戒心の強い性格なので、不穏な気配を察したのかすぐにするりと逃げられてしまった。そこからはもうどたばた喜劇で、俊敏に逃げ回る猫を人間ごときが捕まえられるはずもなく、病院はまた後日ということになった。それが朝の話で、無事に逃げおおせたとらちはお昼前になってそろそろと一階に降りてきて、もう追いかけ回されないらしいと分かるとほっとしたように網戸越しの外の風を楽しんでいた。
 庭に燻製器やガスコンロを置いて、昨日仕込んだ食材を燻製にした。燻製を作るのはこれで3,4回目くらいだけど、未だに正解がよく分かっていないので、素人の手探りで毎回やってみている。チップが炎上したり、なかなか煙が出なかったりとスムーズにはいかなかったものの、とりあえず自分で食べておいしいと思えるようなものには仕上がった。特に手羽先がおいしくできて、生焼けにならずきちんと火が通っただけでも嬉しいのに、スモークの風味がそれらしくついていて良い味だった。燻製、スパイスカレー、ミルで豆を挽いて淹れるコーヒーなど、こだわって手間をかけて作る食べ物は面倒だけどとびきりおいしくておもしろい。いつかはこれらを趣味だと言い張れるくらいには極めてみたいかもしれない。

2024/03/31 Sun.

 庭に出たついでに、鉢植えに生えていた雑草を抜き取ってみたら、久し振りにする草むしりの感覚が楽しくてしばらく草取りをした。素手で土や草に触るのってやっぱりいいなあ。お隣に人が引っ越してきてからは、聞こえてくる不機嫌そうな声が怖くてめっきり庭仕事をしなくなったけど、やっぱり庭で何かするのは楽しい。昨日の燻製作りも、野鳥の声が聞こえるだけの前半はそうだった(後半は、帰宅してきた隣人の声に怯えて満足に楽しめなかった)。植物に対する私の情熱や執着は隣人の罵声なんぞに負けないもののはずなのに、臆病風に吹かれてしまって悔しい。

週間日記(2024/03/18-03/24)

2024/03/18 Mon.

 UpNoteに書き出した内容をいくつかピックアップして、旅の日記ブログを書いた。厳選したつもりだったけど、記事のスクロールバーが随分短くなってしまった。
 すき焼きっぽい味付けのおかずが食べたくて、野菜と肉を適当に砂糖醤油味で煮てみた。ところが、本当に適当に作ったせいか、あまりすき焼きのような味付けにはならなかった。これに何を足せばいいのか分からず、おいしくない訳じゃないけど何か違うなあと思いながら食べた。いつもほとんどの料理がレシピ頼りなので、感覚で味付けをするのは難しい。

2024/03/19 Tue.

 4回目のオンラインカウンセリング。最近はどう過ごしていたかという話で、知り合いの人達との食事会に参加したことと、大阪へ一泊二日の一人旅に行ってきたことを話した。UpNoteとブログに書いて落ち着いたかと思っていたけど、やっぱり旅行の話を誰かに聞いて欲しかったらしい。しかも、傾聴のプロとなるとこちらも非常に話しやすくて、人に話して聞いてもらう喜びや安心感が確かにあった。また、遡及請求した分のまとまった額の障害年金が口座にあるので、それを資金にある程度の都会へ出て仕事を見つけて一人暮らしをしてみたいという夢も話した。親に言うと苦笑いなり笑い飛ばされるなりしそうだし、自分にはどうせ無理だろうと思って、今まで誰にも話していなかった。ところが、そのお金があるなら実現できるんじゃないかと背中を押してもらえて、遠い憧れが急に夢物語じゃなくなったのでびっくりしたし、嬉しかった。
 それから、街中での一人暮らしについて真剣に考え始めた。メリットとデメリット、どういう地域や物件に住みたいか、仕事は何ならできそうか。どうしよう。自分には到底実現不可能なことだと思って諦めようとさえしていたことだったから、やればできるんじゃないかと思えてきてしまった。一人で旅行に行ったことで、いくらか気が大きくなっているのかもしれない。心理学を学ぶための大学への編入だってこうした勢いでやってしまって、結局心理士になる目標は一旦停止しているのだから、この突然降ってわいた選択肢に対しても慎重にならないといけないかもしれない。でも、編入した時だって「できるか分からないけど、やれる所までやってみよう」と思ってのことだったし、今も後悔はしておらず、やってみて良かったとは思っている。とりあえず、考える分にはまだリスクもないので、「半分自活計画」と銘打って色々書き出してみた。完全に自活したいけど、今は障害年金に頼らずには難しいので「半分」。

収入と仕事について
・障害年金がもらえる間は、フルタイムでないパートで給料が月に10万円いかなくても多分暮らせる
・そこそこの都会なら働き先は多いし、車がなくても公共交通機関で通勤できる。「運転できないから働けない」と諦めるのではなく、運転できなくても働いて稼ぐことのできる場所に移動すればいい
・田舎だと社交不安障害としては知り合いとの遭遇が怖くて就業場所が限られてしまうけど、知らない人ばかりの人が多い場所なら気にしなくていい

一人暮らしの良い点
・自由。自立したいという目標が、田舎にいる時よりも叶えやすい
・知り合いが怖い社交不安障害にとって、田舎の閉鎖的なコミュニティは生きづらい
・親に車を出してもらわずとも自分一人でどこへでも行ける場所に住みたい
・親に経済的負担をかけたくない。親に養われる、親のすねをかじる状態から脱せられる
・親の顔色を窺わなくていい。家の中で「子」としての自分を演じなくていい、「自分」として生きられる
・プライバシーを完全に確保できる。電話ができる、部屋に人を呼べる
・体調が悪くなって辞めても、転々とできるだけの数の仕事先がある
・都会で病院も多いので、保険適用のカウンセリングを受けやすくなる
・私にだって好きな場所に住む権利がある

一人暮らしの懸念点
・やっていけるかどうか。また心身の調子が悪くなって働けなくなり実家に逆戻りは嫌だ
 →以前の自分と全く同じ状態じゃない。その時はその時で考えたらいい。やってみて駄目だったら、また実家に戻ってくればいい
・働けるとみなされて障害年金が降りなくなり、フルタイムで働かないといけなくなる。その時働けるか
 →どのみち今回の受給自体運が良かったようなもの。今の生活を続けていても、働けるようになるとは限らない。チャンスや選択肢の多い場所でいっぱい失敗して経験を積んで治療にこぎつけて、今より良くなる可能性に賭けたい
・金銭的に余裕のない生活になる、好きな物や欲しい物をなかなか買えなくなる
 →どうせ老後も年金だけでは暮らせない。だったら働けるようになりたい。大学時代も仕送りでなんとかやれていた
・祖母と猫が寂しがる
 →猫には両親と祖母がいるし、猫は3日で飼い主を忘れると聞く。祖母の機嫌は祖母自身に取ってもらう。そもそも、私が病気で帰ってきていなかったら本来ここではないどこかで暮らしていたはず
・生活するだけの体力気力があるか
 →ここ数年で多分一番調子がいいし、以前の自分と全く同じ状態ではない。駄目だった時にまた考えればいい
・満員電車だと通勤がつらい
 →自転車に乗ればいい
・観葉植物を運ぶのが大変、一人暮らしの部屋でも育てられるか、場所を取る
 →少数精鋭に絞って連れて行く。いくら植物が好きでも、植物を理由に働き口のない場所で悶々としていたくない
・庭の鉢植え、畑の植物が気がかり
 →鉢植えは全部畑に植えるなり枯らすなりして諦める。植物があるからと自立チャンスを手放す気にはなれない

2024/03/20 Wed.

  一時間ほど散歩をした。ものすごく風が強い日で、どうしてこんな強風の中を歩いているんだろうと我ながら不思議に思うほどだった。でも天気は良かったし、つばめが飛んでいて、桃、れんげ、オオイヌノフグリ、ムラサキハナナなどの花も咲いていた。パン屋さんでいくつかパンを買い、お昼ごはんにした。モーンプルンダーというケシの実のパンが、とても好きな味でおいしかった。熱いコーヒーとの相性が最高。
 午後は県知事選の期日前投票に行った。この人にぜひと思えるような候補はそうそういないけど、選挙はベストではなくベターな方を選ぶものなので、消去法で一番ましだと思える人に票を入れた。
 半分自活計画として、さっそくネットで物件を探してみた。かなりの都会でも、希望の条件を大体満たす家賃3万円台の物件があり驚いた。どうして安いんだろう、築年数が経っているからか。それにしても、自分には絶対に無理だと諦めてしまいたかったことに実現の可能性があることに気付いて、未だにかなり動揺している。やってみて無理だったらまた実家に戻ってくればいいし、これは本当にチャンスなのでは。やっぱりできなかったと思って帰ってくる羽目になることもないとは決して言いきれないけど、先のことは分からない。チャンスがあるなら挑戦してみてもいいんじゃ…。

理想の物件
・ワンルーム、可能なら1K
・キッチンは絶対にIH、コンロが2口以上あると特に良い。調理スペースも少しは欲しい(自炊のモチベーションに関わる)
・風呂トイレ別(ユニットバスは無理)
・南向きの大きな窓(日光がないと病む)
・洗面台も欲しい(洗面台のない部屋は不便だった)
・観葉植物の植え替えができる広さのベランダも欲しい(多分植物無しには生きていけない)
・スーパーの近く(食生活に大きな影響がある)
・できれば公園も近くにあると嬉しい(外出しやすくなる)
・最寄りの駅までは徒歩15分以内、できれば10分以内だと助かる
・築年数にはこだわらない

2024/03/21 Thu.

 洗濯機を4回回して、ダイニングテーブルを念入りに拭き上げたり、先日の強風で庭に飛んできたごみを拾ったり、せっせと家事に励んだ。庭の倒れた植木鉢も起こして水をやる。畑を見ると、いつ植えたか忘れたアスパラガスがにょっきりと生えてきていた。初めて収穫できるので嬉しい。もう少し伸びてから採ろう。
 半分自活計画について考える。一個だけどうしても引っ掛かる部分がある。猫達と離れるのがものすごく寂しい。現在猫達が家族の中で一番懐いているのはおそらく私だから(でも両親も同じことを言いそう)、日中いつも家にいて撫でたり構ったりする人間がいないとなると、猫達も寂しがるんじゃないだろうか。私はそれ以上に寂しがるけど。私にすり寄ってくるふわふわの温かい生き物と一緒に暮らせないことを思うと、想像しただけで涙が出てくる。私が泣きながら毛並みを撫でていても、撫でられている本人は何の関心も示さずぐっすり寝ていて、そのマイペースさがまた愛おしい。こんなかわいい生き物を置いて、私は私のやりたいこと(自活、自立、一人暮らし)にかまけるのか。こういう場合に世の中の人はどうするんだろうと検索してみると、結構よくある悩みらしく、ちょっと安心する。犬と違って、猫は一ヶ月も経てば飼い主を忘れるものらしいとある一方、飼い主を探してそわそわしたり、寂しそうに鳴いたりもするらしい。大好きなとらふくにそんな寂しい思いをさせたくないなあ。ペットを飼っている人はそのペットを愛するものだと知識としては知っていたけど、まさかこんなに離れがたい存在になるとは思ってもみなかった。

2024/03/22 Fri.

 明日から雨が続くので、今日のうちに猫達のクッションやブランケットを洗濯して庭に干した。ふかふかに乾いたものを取り込むと、さっそくとらちがクッションに寝ていた。
 リラックスチェアに座っていると、膝の上にふくちが乗ってきた。毛繕いをしたり、うとうとと眠たそうにしたりとくつろいでいる。温かさと適度な重みが心地良く、撫でるとふわふわで、猫って本当にいい生き物だなと思う。

2024/03/23 Sat.

 思い思いの場所でのんびりと過ごしている猫達に申し訳なく思いながら、家じゅう掃除機をかけた。スイッチを入れた途端にちりぢりに逃げていって、自分のせいながら気の毒だった。
 ロルバーンの手帳がとても気に入っているものの、方眼ページを書き損じるとテンションが下がること、リングノートゆえにページの並べ替えができないことなどがささやかな不満となり、システム手帳に手を出してみた。A5サイズで無色透明のビニール製の本体に、クリーム色の方眼レフィルをセットした。A5サイズともなるとかなり大きくて、持ち歩くのには不便かもしれないなと思うけど、たくさん書けるのが嬉しい。使い始めては中途半端になっているノートが何冊もあるので、これらを一元化してしまうのにも憧れる。やることリストなどをUpNoteで管理するのはとても便利だけど、紙に書いたほうがなんとなくより達成感が得られそうだし、字を書く機会がめっきり減ったのでペンを持つ頻度を少しでも増やしたい。デジタルにはデジタルの、アナログにはアナログの良さがあるので、気分で使い分けられるようになりたい。とりあえず今は紙とペンの気分。
 表紙として、無地のレフィルにボールペンでとらふくの絵を描いたページを挟んだ。一発書きだけど、思ったより好きな感じに描けた。絵を描く機会も増えるといいなあ。

2024/03/24 Sun.

 半分自活計画において、障害年金とアルバイトで一人暮らしをやっていくためのお金関係のシミュレーションをしてみた。九州一の都会である福岡市に住むとして(福岡市に良さそうな物件があった)、ネットの情報を頼りに以前園芸店で働いていた時と同じくらいの勤務時間と出勤日数で考えてみると、多分こうなる。「多分」というのは、計算という行為全般に全く自信がないからだ。

福岡県の最低賃金941円×1日当たり5時間勤務×月に15日出勤(週4日程度)×社保等で引かれるので0.75を掛ける=手取り52,900円くらい
障害基礎年金132,500円×6回+年金生活者支援給付金10,280円×6回=一年間に障害年金として受け取れる額は合計856,680円
856,680円÷12ヶ月=1ヶ月当たりの年金は71,390円
手取り52,900円+年金71,390円=1ヶ月当たりの生活費は124,290円

 また、別のサイトには、手取り12万円の場合でやりくりする生活費の内訳も書いてあった。私は物欲の塊で、欲しい物は多分かなり人より多い方なのではないかと自覚している。だから、そういう自分にとってはかなり金銭的に厳しい生活にはなる。こまめに帰省したいとは思っていても、片道5,000円の新幹線代はおろか、高速バス代だって相当痛い出費になる。ただ、文学部の大学生だった時の生活費を考えると、税金を引いた額でもその頃より少しは余裕がある。そう思うと、やってやれないことはないんじゃという気が湧いてきてしまう。それに、全国39位の最低賃金の低さを誇る我が県の順位を思うと、全国19位である福岡県に行ってみるべきなんじゃないだろうか。ただし、898円と941円というどんぐりの背比べではあるものの。お金を払えば一人の人間に労働を強制して職場に縛り付けられるという考えだけでおこがましいのに、この安さはなんだろう。全国の最低賃金をせめて1,500円くらいにはしてほしい。

週間日記(2024/03/11-03/17)

2024/03/11 Mon.

 ショッピングモールの服売り場で、植物画のようなリアルな植物のイラストが描かれたTシャツを見つけた。イラストの雰囲気が好みなうえ、それぞれの植物についてスウェーデン語で説明が書いてある。サイズが3Lと4Lしかなく、普段自分が着ているLLがなかったので少し迷ったものの、大は小を兼ねるし何より植物の絵がかわいいからと結局購入した。翻訳アプリで調べてみると、描かれているのはリンネソウ、西洋イラクサ、イワミツバ、スズラン、ヤブイチゲらしかった。イラクサとスズランはぱっと見て分かるし、日本の三つ葉に似た葉と、イチリンソウっぽい花だと思ったので正解にかなり近かった。リンネソウという植物は「確かそういう名前の植物があったような」というおぼろげな記憶しかなく、見たことのない植物だったので、未知の植物をTシャツのプリントという形で身近に感じられてわくわくする。それにしても、大抵の服屋さんにはフリーサイズという名のワンサイズの服しかなく、あってもMかLサイズばかりで、大きいサイズのコーナーには3Lや4Lが主なので、LLの服となると本当に選択肢が限られて困る(LL以上のサイズ自体とても少ない)。服を買いに行ってもサイズがないとなると、顧客として認められていない疎外感をこじらせて、まるで社会に自分のような体型の人間が存在していることを許されていないかのようなむなしさを覚える。服は人間が着るために作られたものなのだから、服のサイズに合わせて人間が体型を変えようとするなど順序がおかしいし、巷のルッキズムに抗うためにも社会から求められる画一的な体型からはみ出そうと思いたい気持ちはある。でも、やっぱり好きな服を着たいから、痩せたい。この矛盾がまた悲しい。

2024/03/12 Tue.

 書くのをさぼっていたここ数日分の日記をまとめて書いた。毎晩書くのは自分にはどうも難しく、日記のネタになりそうなことを思いついた時にUpNoteに箇条書きでメモしておいて、後から文章として書くやり方が合っているらしい。Evernoteから乗り換えたUpNoteは、かなり使い勝手が良くて気に入っている。
 紫色の花だけ先に咲いていたチューリップのプランターに、黄色の花が加わった。古い球根も鉢に植えておいたら、赤とピンクと黄色の花が咲いた。先日畑に植えたじゃがいもは、野良猫にほとんど掘り返されてしまった。頑張ってふかふかに耕した土が、トイレとして気に入られてしまったらしい。芋を適当に埋め直して、野良猫対策のとげとげしたやつ(名前が分からない)を置いた。ミニにんじんの種をまいた畝もめちゃくちゃになってしまっているけど、これは面倒だったので放置している。

2024/03/13 Wed.

 明日からの旅行に備えて、荷造りをしたり、旅の計画や下調べを見直したり。家じゅう掃除機をかけたり、整頓したり、洗濯物もぎりぎりまで洗って干した。楽しみでそわそわしている。飛行機に乗ると、着陸に向けて降下している間じゅう耳が激痛に襲われるので、まだ習得できていない耳抜きの練習をしてみた。どうやら上手くできたような気がする。
 晩ごはんを作っている時、IHコンロ3つと電子レンジを並行して使いこなしているのがいかにも料理をしているようで我ながらかっこいいなと思ったものの、そうやって自惚れていたらおかずのひとつに塩胡椒をし忘れてしまった。食卓に出す直前で気付いたから良かったけども。

2024/03/14 Thu.

 「大阪一人旅日記 その1」参照

2024/03/15 Fri.

 「大阪一人旅日記 その2」参照

2024/03/16 Sat.

 朝起きると、枕元にふくちがやって来た。真っ白の毛並みで視界が埋め尽くされて幸せ。しばらく一緒に布団でごろごろして過ごした。掃除機をかけたり、観葉植物や庭の鉢植えに水をやったり。一人旅が終わって、すっかりいつもの日常に帰ってきた。先日食べたネーブルオレンジの種をとっておいたので、小さい鉢に植えてみた。
 旅行の思い出を逐一誰かに聞いてほしくて、とりあえず自分用にと思ってUpNoteにまとめてみることにした。2日間で600枚以上撮った写真を一枚一枚人に解説したい欲求が収まらず、かといって親を付き合わせる訳にもいかない。Blueskyにアップするのも大変なので、写真を厳選してブログにでもまとめてみようかなあ。でも枚数が多すぎるしなあ。

2024/03/17 Sun.

 昨日に引き続き、UpNoteに自分用の旅のまとめを書いた。人に話したいこと、自分の中だけで留めておきたいことを全部書き出して、写真も全部添付して、かなりの時間がかかった作業だった。ひとまず出力はしたので、誰かに全部聞いてほしいという欲求はいくぶん鳴りを潜めてくれた気がする。自分は話すことが下手だから苦手なつもりだったけど、話すこと自体はひょっとしたら好きなのかもしれない。でなければ、こんなに「私の楽しかった話を聞いて!」と思うはずがない。

大阪一人旅日記 その2(2024/03/15)

 旅行2日目。物理的に500km以上猫と離れたからか、家の外に脱走してしまったとらふくを泣きながら探し回る夢を見た。嫌な夢!

 朝ごはんは、大阪に何店舗かあるらしいパン屋さんで買ってきたパンをホテルで食べた。せっかくだからどこかカフェに入って食べることに挑戦しようかとも考えはしたものの、都会的なおしゃれな雰囲気に臆して食いっぱぐれる可能性も決してないとは言い切れないので諦めた。

 身支度や荷造りが思ったより早く済んだので、予定より30分ほど早く出発することにした。駅には通勤中とおぼしき人達が大勢歩いていて、みんな歩くのがものすごく速い。大阪の人は歩く速度が速いと聞いたことはあったけど、本当に速かった。その中でキャリーを引きずりながらのろのろ歩く九州人としては、道行く通勤客の通行の妨げになっているのではないかとやや申し訳ない気持ちだった。そのうえ、通勤ラッシュにぶつかってしまった!これは誤算だった。これまで経験したことのないような満員ぶりで、身動きひとつ取れず、他人との距離があまりにも近すぎて地獄だった。満員電車というものはひどいものだとつくづく思った。貨物のように車両に詰め込まれて運ばれていると、人としての尊厳がごりごりと削り取られるような心地がする。車を運転できないペーパードライバーとして、車がなくても生活できる都会に憧れてはいたけど、こんなものに毎日乗らなければならないような生活はとてもじゃないが無理だ。都会には都会の問題があることを思い知らされた。

 ほうほうのていで心斎橋駅に降りる。手前の本町で乗客の大半がごっそり降りた時は、思わず「助かった」と呟きたくなった。駅に直結のビルにあるパン屋(これも大阪にだけ店舗があるらしい)に向かうも、やはり駅の広さにびっくりする。都会の人間は田舎の人間に比べてよく歩くと聞くけど、確かにこれは歩くはずだ。植物園に持ち込んでお昼に食べるためのサンドイッチを購入し、また地下鉄に乗る。それにしても、多くの人がダウンやコートなどがっつり冬物の上着を着ている。いくら暑がりとはいえ、自分だけが薄着でいるような気がして少し恥ずかしい。でも全然寒くはない。なぜ。

 鶴見緑地駅で下車、コインロッカーが空いていて良かった。今度は鶴見緑地の敷地の広さに驚く。歩いても歩いても目的地に辿り着かないような気さえしてくる。

 でも辿り着いた!開館時間より早く着いてしまったので、近くのベンチに座って過ごす。その辺をうろうろしている鳩達がどれもまるまると太っている。いいものを食べているのかな。

 10時になり、館内へ。ここも障害者手帳の提示で無料だった。温室の中に入ると、温かくむしむしとした湿度があって、眼鏡が曇る。傘のように持って遊ぶ用のフィロデンドロンの大きな葉っぱが置いてあり、持ち歩きたい気持ちがかなり強かったけど、情けないことに一人でこれを持つ勇気がなく、植物の写真を撮るのにも手が塞がるかと思い断念。でもいいなあ。

 熱帯雨林植物室だったか熱帯花木室だったか、写真を撮りすぎてどの写真がどの展示室のものだったか分からなくなってしまったけど、とにかくどこも最高の空間だった!したたるような緑の葉が視界いっぱいに広がって、天井にはガラス越しの青空が広がり、歩いているだけで気持ちがいい。

 熱帯雨林植物室のそこかしこで、色とりどりの華やかな蘭が満開になっている。蘭ってこんなにたくさん花をつけるものなんだ、こんなに種類が豊富なんだと感嘆するばかり。

 バンダもカトレヤもこの咲きっぷり。なんて贅沢な眺め!

 キダチチョウセンアサガオも咲いていた!精神作用性植物好きとしてはテンションが上がるのを抑えられない。

 植物の名前を確認し損ねたけど、果実を見る機会はそうそうないであろう木に実が生っていて、緑色のネットで保護されている。

 カシワバゴムノキでもトックリランでもヤシの仲間でも、以前働いていた園芸店で見ていたものとは比べ物にならないほど大きい。ゆうに3mはありそうな、見上げるほどの高さがある。しかも、どれもいきいきしている。ポトスだかフィロデンドロンだかも小さなプラ鉢に収まっているような代物ではなく、地面いっぱいにつやつやとした葉を茂らせている。自生地に近い環境を再現してきちんと育てると、こういう風に成長するんだなあ。

 ウスネオイデスもコウモリランも、本当に大きい!こんなに大きくなるんだと驚くほど大きい。

 青い種子が入った枯れたさやしか見たことがなかったので、タビビトノキの全貌を拝めて感動!天井に届きそうなほどの樹高がある。これ以上成長したらどうするんだろう。

 ヒスイカズラや竜血樹、モリンガのように名前は知っていても実物を初めて見る植物、キソウテンガイやキヤニモモ、キャンドルナッツツリーといった名前も存在も知らなかったような植物が無数に育っている。図鑑でしか見たことのなかった植物、初めて知る植物といくらでも出会える。最高!クフェアでもペトレアでもコトネアスターでも、園芸店で毎日水やりをしていた植物が、ポット苗を飛び出して元気いっぱいに茎や枝を伸ばしていている。ヒスイカズラに至っては、つぼみのようなものさえ見える!

 写真を撮る手が止まらず、カメラアプリをずっと起動し続けているので、スマホがどんどん熱くなっていく。

 本当にカレーの匂いがする!スパイシーでおいしそうなカレー粉の香り。カレーを食べたくなる。

 好きなドラマ「植物男子ベランダー」に出てくるカリアンドラ・エマルギナタ!一鉢の植物を巡って植物しりとりで熱い闘いを繰り広げる際に強力な一手として使われていたカリアンドラ・エマルギナタ、まさかその実物を拝めるなんて。

 いつか本物のカカオの木を見てみたい、あわよくば木に生っているカカオの実を見てみたいと思ってきたけど、まさかこんなにたくさんの果実を見ることができようとは。こんな幸せなことがあっていいんだろうか!国立民族学博物館で木の模型を見ただけでも楽しかったのに、こんなに立派な木にいくつもの実をつけているのを目にして、もう大はしゃぎしてしまっている。嗜好品として利用される植物、豊かな文化史を持つ植物、人類の歴史や文化の中で大きな役割を果たす植物、大好き!

 スーパーのスパイス売場で600円ほどのさやしか見たことがなかったバニラ!植物そのものを見るのは初めてだし、茎に生っている実の香りを嗅ぐのも初めて。きつすぎない、おいしそうな甘い香りがする。家で育ててみたいなあ。

 マカダミアナッツの花も満開。どんぐりや栗によく似た花だけど、とても大きい。

 バナナにジャックフルーツ、パパイヤ、パイナップル、スターフルーツ、ミラクルフルーツまで実っている!パパイヤも昨日の博物館で模型を見たな。実際に見るジャボチカバのグロテスクさに怯むことさえ楽しい。

 乾燥地植物室。トゲだらけのサボテンが大量に植えてあり、絶対にここで転びたくない。ここならもしかしてサンペドロ(ペヨーテとは違う幻覚サボテン)もあるんじゃないかと探してみたけど、それは見つけられず。でもあってもおかしくないと思う。

 クセロシキオスもアルブカも、自分が育てている鉢植えのものよりもずっと株が大きくて威勢が良い。こういう風に育てるのは難しいだろうけど、もし自分の鉢がこんな大きさになったら管理が大変そうだ。

 食虫植物も豊富。ウツボカズラはたくさんのウツボット(ポケモン)をぶら下げているし、ムシトリスミレもいくつもの花を咲かせている。

 高山植物室に入ると、また別世界。熱帯植物の温室よりも涼しくて快適。

 ムスカリ、チューリップ、水仙、アネモネ、プリムラ、シクラメンなどのごく小さな原種がちまちまと植わっていて、ミニチュアのようでとてもかわいい!

 エーデルワイスもすぐそこに咲いている。コマクサでもクロユリでもチングルマでも、高山に登らずしてこんな気軽に見られていいんだ…。

 いちごだ!「Fragaria SP チベット」のラベルがある。チベットのスペシャルいちご?

 温室の外にも庭園があり、植物が植わっている。アカシアが満開!巨大なアボカドやボトルツリー、ジャカランダもあった。

 テキーラの材料になるリュウゼツラン!いつか見てみたいと思っていた植物が何でもある。

 2階にはフォトスポットがあり、熱帯花木室全体を見下ろして写真を撮ることができる。いい眺めだなあ、この写真をパソコンのデスクトップにしたいなあ。植物と一緒に写りたくて、勢いでこっそり自撮りまでしてしまった。

 結局、展示室は2周した。夢みたいに楽しい場所で、終始にやつきが止まらなかった。世界にはまだまだ私の知らない植物がたくさんある。お昼は館内のカフェでハイビスカスとブラッドオレンジのソーダを注文し、持参したサンドイッチを食べた。広場にもヤシなどが植わっていて、大きな植物を眺めながら食べるごはんっておいしい。ミュージアムショップには植物モチーフのかわいい雑貨が色々あった。ショクダイオオコンニャクの花を模した大きな抱き枕があって、買おうかかなり迷ったけど、臭そうという理由でやめておいた。ぬいぐるみなので臭いはしないと思うけど。

 植物園を出て、鶴見緑地駅へ。緑地内には結構な本数のクスノキが植えてある。毛虫対策が大変そう。

 プラタナスのような実が生った、メタセコイアに似た木。落羽松(ラクウショウ)という植物らしい。知らない植物に出会ってももう驚かない、ということはなく、やっぱり驚く。

 地下鉄と特急を乗り継いで、その間にまた乗り換え間違いをやらかしながらも、なんとか空港まで辿り着くことができた。途中に、同じく乗り換えを間違えたらしい年配の女性に電車のことで尋ねられ、次の電車を待ちながらおしゃべりをした。「あなたみたいに若い人も乗り間違えると思うと安心した」と笑っていて、私も笑った。話の流れで、おすすめのカレーのレシピまで教えてもらえた。流暢な関西弁を聞けたのはもちろん、旅先で出会った人と挨拶以外のたわいない会話ができたのが嬉しかった。

 空港のショップでおみやげを見繕う。調子に乗ってキャリーケースの空いた部分に入りきらないほど買ってしまったので、機内持ち込みのトートバッグに無理やり捻じ込む。

 さらば大阪!またいつか来たい。

 またしても羽の部分の座席を選んでしまっていた。今後の教訓として活かしたい。帰りの飛行機では居眠り。降下し始めてからは耳抜きをし、耳の痛みをちゃんと防げた。

 ただいま九州!空港にある蘭の寄せ植えを見て、咲くやこの花館の楽しさを思い出す。

 高速バスを待つ間、昨日行き損ねたロイヤルホストでシーフードドリアを食べた。自分では作れない味がしておいしかったけど、いかんせん熱くて、下と上顎を軽くやけどした。このひりひりした痛みは翌日まで続いた。

 市内の渋滞で25分遅れでやってきたバスに乗り、旅行の帰り道ならではの寂しさを噛み締める。楽しかったなあ。行こうと思えば(国内なら)多分どこへでも一人で行けること、世界が広いことが分かって良かった。電車を乗り間違えても計画を立て直して目的地に辿り着けたこと、耳抜きをして飛行機で耳が痛くならずに済むようになったこと、知らない人にものを尋ねられて応答できたことなども、ささやかな自信に繋がった。ちなみに、この2日間の旅行中に、3人の人からバスや電車について訊かれた。この人にならものを尋ねても大丈夫だろうと判断されて声をかけてくれたのかもと思うと、こんな光栄なことってないと思う。

 高速バスを降りてタクシーに乗り、自宅へ帰り着いた。父母は演奏会を聴きに出かけていて、猫達が出迎えてくれた。荷ほどき9割とお風呂と洗濯を済ませて、パジャマに着替えるとほっとする。今日の歩数は約12,500歩。楽しい旅行ができて本当に良かった。

 博物館と植物園で自分用に買った物。めったに来られる場所じゃないからと思いきって色々買った(ショクダイオオコンニャクの抱き枕を除く)。国立民族学博物館の展示案内、『月刊みんぱく2024年2月号』、オリジナル測量野帳、グアテマラのウォーリードール、ヒエログリフが書ける定規、アイヌ文様マスキングテープ、いつか読みたいと思っていた『キノコの歴史』、咲くやこの花館オリジナルの植物画Tシャツ、ショクダイオオコンニャクのキーチェーン、食虫植物のイラストが描かれたハンカチとクッキー。

 植物画のイラストがとてもかわいい!どれも咲くやこの花館にある植物だそう。

 博物館と植物園では、写真を200枚超ずつ撮った。これから写真を整理して、どれがどこの地域のどういう資料か、何という名前の植物かなどのメモを残す作業がある。心理学の勉強ができなくなった時、自分には何かを学ぶことがそもそも向いていないのだ、もしくは今の自分にはもうできないことなのだとかなり落ち込んだけど、今回博物館と植物園に行ってみて、趣味の範囲でも知的好奇心をもって何かを知ることを楽しめたので本当に嬉しい。旅行をしてみて良かった!

大阪一人旅日記 その1(2024/03/14)

 まずは高速バスに乗り、空港へ。景色を見ているだけでも楽しく、初めはわくわくしながら窓の外を眺めていたけど、さすがに山と木ばかりの風景が続くと眠くなる。乗り過ごさないよう、到着予定時刻より少し早めの時間にスマホのアラーム(バイブレーションのみ)を設定して寝た。

 空港に到着。飛行機に乗るのは昼前なので、まだ時間がある。大阪に着いてから博物館を見る時間を少しでも多く確保したいので、今のうちに何か食べておきたい。でも、お昼ごはんにはまだ早いのであまりお腹が空いていない。ドトールに入って、温かい紅茶とかぼちゃのタルトを注文した。せっかくだからほとんど行ったことのないロイヤルホストに行って大きいパフェでも食べれば良かったかもしれないものの、ドトールだって地元にはない。久し振りに食べたかぼちゃのタルトはやっぱりおいしくて、文学部の学生時代に時々食べていたのを思い出して懐かしかった。

 搭乗手続きをしてキャリーケースを預け、保安検査場も無事通過。ロビーや搭乗ゲートのあちこちに、洋蘭、ポトス、アンスリウム、カランコエ、シダ類、ヤシっぽい植物などが植わった手入れの行き届いた立派な寄せ植えがあって、たかだか観葉植物といえどお金と手間がかかっている様子に舌を巻いた。空港ってすごいや。
 おそらく10年ぶりくらいに訪れた空港という場所の非日常感が楽しくて、広いゲートを不必要にうろうろする。これから乗る飛行機が窓の外に姿を現したので、思わず写真を撮った。撮影しているのは私だけじゃなく、他にも2,3人の人が撮っていた。やっぱり撮りたくなるよね。
 機内に乗り込み、滑走路へ!いつ機体が飛び始めるかと、宙に浮く瞬間を今か今かと待つのも楽しい。

 座席選びはやや失敗してしまった。窓から見える景色の半分が飛行機の羽で埋まってしまったのが少し残念。でも、よく晴れていて空がきれいだった!

 飛行機に乗ると必ずといっていいほど耳が激痛に襲われるので、今回も少しひやひやした。上昇している時や、普通に上空を飛んでいる時は痛みはないものの、着陸に向けて降下し始めるにつれどんどん痛みが増し、「今度こそ鼓膜が破れるのでは」「現地で耳鼻科を探さないといけなくなったら」と毎回はらはらする。ところが、練習のすえ先日ようやく習得した耳抜きを実践し(上手くできた!)、その他にもあくびをする、水を飲む、飴を舐めるなどの対策を取った結果、なんと全く痛みがなかった。耳抜きってすごい!耳が痛くないのが嬉しいのはもちろん、耳の痛みを克服したとなれば、もうどこへだって行けると思えることがまた嬉しい。

 人生三度目の大阪!キャリーケースを受け取り、電車に乗り込んだ。知らない地名がたくさん目に入って、旅行先に来たんだという実感があって楽しい。周りからは耳馴染みのない関西弁が聞こえてくる。

 人から来たLINEを返すのに気を取られて、さっそく乗り換えを間違えてしまった。明日行くはずの吹田駅になぜか降り立ってしまい、Yahoo!の乗換案内アプリを頼りに慌てて計画を立て直す。お昼ごはんの時間はとっくに過ぎていて、ケーキひとつしか食べていない胃が鳴っている。電車を待ちながら、「おなか吹田」と誰かに言いたい気持ちを堪えた。

 山田駅に辿り着き、モノレールに乗り換える。ホームからは、太陽の塔が小さく見える。実物を見たのは初めてだけど、政治家が誘致したがっている今度の万博の問題を思うと、さしてありがたいものでもない気がする。

 万博記念公園駅に着いた。駅のコインロッカーにキャリーを入れ、いざ念願の国立民族学博物館へ!公園の広さ、太陽の塔の巨大さに慄く。こんなにでかいんだ!さすがにお腹が空きすぎて、とはいえ1分でも多く博物館を見たいので、途中にあったキッチンカーでチュロスを買った。乗り換え間違いでロスした30分が痛い。注文して揚げてもらっている最中に、メニューに揚げたこ焼きもあったことに気付く。しまった、せっかく大阪に来たんだからたこ焼きにすれば良かった。でもたこ焼きは歩きながらは食べにくいだろうし、ごみを捨てられる場所があるかは分からないし…と己に言い聞かせる。揚げたてのチュロスは熱々でおいしく、博物館までの道程をせっせと歩きながら食べた。

 ようやく博物館の建物に入る。障害者手帳の提示で入館料が無料だった。博物館という施設が大好きなのでお金を払いたい気持ちも強いけど、使える制度は使っておきたいし、そもそも国立の施設なんだから入館料で賄おうとせず、こういう所にこそ税金をしっかり使うべきだと思う。

 企画展ではちょうど水俣病をテーマにした展示を行っていて、熊本県民としてあらためてしっかり見ておかないとと思った。

 展示室は知的好奇心を刺激される、素晴らしい空間だった。何もかもおもしろくて、興味深くて、あまりの楽しさに顔がにやけてしまう。マスクがあって良かった。

 順路の最初にあるオセアニアの展示がもうおもしろく、全然先へ進めない。アボリジニの「ドリーミング」という神話の世界に、強く興味を惹かれる。ユングの集合的無意識を連想した。

 次はアメリカ。マニオク(キャッサバ、タピオカ、ユカとも)やカカオ、パパイヤなどの食用作物の模型が展示してあり、自分が住む地域との植生の違い、食文化の違いがおもしろい。写真を撮り損ねてしまって悔しいけど、葉にコカインが含まれるコカ(コカノキ)の資料やキャプションもあった。

 「ペヨーテ・ビジョン」というタイトルのウィチョル族による毛糸絵を見つけた時は、ものすごく興奮した。これを見ることができたというだけで、はるばる大阪まで来たかいがあったと思った。ペヨーテがどういう植物かは知識として知っているし、なんなら自宅で4鉢育てているし、この絵に描かれているのがペヨーテを使用して得たビジョンだろうということも分かる。南米の先住民族の宗教的な儀式でペヨーテが使われるということを色々な本で読んではいたけど、文化の中で精神作用性植物が用いられている様子をこの資料を通して実際に見ることができて、本当に嬉しかった。

 ヨーロッパのエリアには、ヨーロッパ各地のパンのサンプルが展示してあった。食べ物に関する文化や歴史が好きだから、こういうものは大好きだ。一度ネットのレシピを見ながら作ったことのある、フィンランドのカルヤランピーラッカもあった。

 「陽気な墓」と書かれたルーマニアのお墓。私は自分の墓は欲しくないけど、もし墓があるならこういうユーモアのあるものがいいな。

 「ヨーロッパにおける宗教・信仰の系譜─ユダヤ教、キリスト教、イスラーム─」、分かりやすくておもしろい。プリントアウトして手元に持っていたいくらい。

 ヨーロッパの世界各国のさまざまな食器類。グラスが主で、アイルランドにはアイリッシュコーヒー専用のグラスまである。

 これが全部スイカの種!アフリカのコーナーにあった展示。

 西アジアのコーナーにあったおもしろい展示。左からユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれの宗教に用いられる特徴的な道具などが並べられている。

 地域でなく「音楽」のコーナー。色々な楽器が管楽器、打楽器、弦楽器ごとに分けられている。これらは全てチャルメラの仲間!元オーボエ吹きとしてはどうしても見てしまう。ダブルリードの楽器が世界にはたくさんあるんだなあ。しかも、ダブルリードどころでなく、リードが6枚も重ねられた楽器もあるというから驚き。

 ここに来て、まさか熊本県八代市の楽器を目にするとは思わなかった。

 「言語」のコーナーに合った表。おもしろい。

 南アジアのエリアの影絵人形。まだまだたくさんあった。

 朝鮮半島のエリア。「巫俗文化」というものを知らなかったので、興味をそそられる。

 中央・北アジアの帽子や靴。

 アイヌ文化。小学生の頃に、好きだった児童文学に出てくる「削り花」というものを見よう見まねで作っていたので、実物をこんなにたくさん見ることができて嬉しい。

 日本文化のコーナー。注連縄って色々あるんだな。

 どの展示もとてつもなくおもしろかった!あまりに楽しくてわくわくして興奮しすぎて、体温が平熱より上がったようにさえ感じた。こんなにテンションが上がるとは思わなかった。時を忘れるという感覚が久し振りで、時間が全然足りなかった。楽しかった!

 陳腐な感想かもしれないけど、世界は広いと思えて良かった。世界は広くて、本当に多様な文化が存在し、自分の知らないことも無限にあって、現代の日本社会に適応できないという自分の悩みがちっぽけなものに思えてくる。苦しみを矮小化するというよりも、そんなに悩まなくてもいいのかもしれないと思えた。

 ミュージアムショップもまたおもしろかった。当たり前だけど、福岡市の某博物館のように百田○樹なんかのヘイト本を置いていないのが良かった。当たり前だけども。世界各地のさまざまな民族や文化に対するリスペクトがきちんと感じられる博物館だった。

 公園内の花壇には大株のクリスマスローズが満開だった。金がかかっているなあという感想を抱いてしまう自分がさもしい。花壇に花が植わっているのは、生活や住む環境を豊かなものにしようという気概がなんとなく感じられていいなあ。

 万博記念公園駅近くのショッピングモールで関西風お好み焼きを食べた。表面はさくっと、中はふわっとしていておいしい。普段家で食べるのは広島風なので、焼きそばと大量のキャベツが入っていないお好み焼きがとても新鮮に感じられる。関西風をちゃんとお店で食べるのは初めてかも。

 電車を乗り継ぎ、今夜泊まるホテルに着く。ホテルの傍にたこ焼き屋さんがあったので、これ幸いと買ってきた。焼きすぎたものと柔らかいものとどちらがいいかお店の方に尋ねられ、焼きすぎたもので大丈夫だと答えたので、しっかり焼かれた歯ごたえのあるたこ焼きになった。これはこれでおいしいし、「おおきに」と言ってもらえたのも嬉しい。

 旅先ならではのイレギュラーな出来事(乗り換え間違い)もありつつ、初日が終了。満喫した!今日一日の歩数は約16,200歩。若干靴擦れになりかけているので、明日は絆創膏を貼ってごまかそう。

週間日記(2024/03/04-03/10)

2024/03/04 Mon.

 用事ができたので、一昨年まで働いていた園芸店に行った。知り合いに遭遇することを思うととてつもなく緊張して、人間ってこんなに緊張する生き物なんだなと他人事のような感想を抱くほどの緊張だった。こうした苦しくなるほどの緊張を味わうのは久し振りな気がする。数年前は毎日のようにあった、どきどきして頭の中が真っ白になりその場から逃げ出したくなるような不安とは少し異なり、心臓だか気道だかの辺りが詰まって息がしにくく重苦しい感じがする緊張だ。なんでこんなに緊張しないといけないんだろう、と理不尽にすら感じた。
 久し振りに訪れた元職場は、春の花苗がたくさん並んでいて、見ていて楽しかった。ミニバラ、ガザニア、シクラメン、ラナンキュラス、ルピナス、ネモフィラ、デイジー、マトリカリア、ネメシア、アネモネと色とりどりで、良い季節だなと思った。果樹苗の取り扱いが増えていて、観葉植物も相変わらずたくさんあった。植物が好きな自分にはぴったりの職場だったなとあらためて思う。パートとしてまたここで働くことも考えたけど、今の自分にはやっぱり無理だ。人付き合いに疲れきっていて、人と関わるためのエネルギーやスキルがないし、体力もなく、商品のギフトラッピングや発送手続きの際に生じるプレッシャーに耐えられるとは到底思えない。植物についての知識や興味関心を存分に発揮できる、おそらく自分にはそこそこ合っているであろう仕事だっただけに、今の自分には無理だと感じていることが悲しい。自分にできないことが問題なのか、自分にはできないと考えていることが問題なのかは分からないけども。
 帰り道には、れんげやオランダミミナグサが咲いているのを見た。美しく改良された園芸品種の花も好きだけど、こうした素朴な野の花も好きだ。食べ終わったバナナの皮に似た見た目の、れんぎょうの花も咲いていた。

2024/03/05 Tue.

 今月の半ばに一泊二日で一人旅に出かけることを決意したので、その計画を立てた。障害年金が手に入ったことで、もし病気になっていなかったら働いて稼いだお金で楽しめていたはずの自分の人生の埋め合わせをしたくなったことと、「まだ生きていていいよ」と行政及び世の中から認められたような気がして安心したこととがきっかけだ(そもそも、行政の仕事はすべての人に「生きていていいよ」という姿勢を示して各人に必要な支援をすることだ)。まとまった額のお金が口座にあることで、「この先まだしばらく生きていける」と思えたこともまた嬉しく、それを祝福したい気持ちもある。ひとつ楽しい思いをして、世の中にはまだまだおもしろいものがたくさんあるのだから死ぬには惜しいのだと、生きるモチベーションにもしたい。死んでしまいたい気持ちももちろん根強く残っているけど、自殺というバッドエンドを回避して今後も生きていけるようになるためには、試行錯誤して手を尽くしてみようと思っている。
 旅行先は大阪に決めている。昨年私以外の家族が大阪に行っていたのが羨ましかったのと、どうしても行ってみたい博物館と植物園が大阪にあるためだ。大阪には修学旅行や就活でしか行ったことがなく、つまり楽しい思い出がないので、自分の中でのイメージを払拭したいのもある。格安航空の方が新幹線より安いことが一番の理由だけど、空港という非日常感のある空間も楽しみたいので、往復とも飛行機で行くことにした。自分のためだけに旅行の計画を立て、旅のしおりまで作るのが本当に楽しい。生きていれば楽しいことがあり、自分は楽しませるに値する人間なんだと思えるきっかけのひとつになるような旅行ができたら嬉しい。

2024/03/06 Wed.

 ドラマ「作りたい女と食べたい女」のシーズン2を最終話まで観た。とても良い作品だった。同性カップルへの偏見や法の不備、異性愛者の男女同士で結婚して子をもつことが正しいのだという風潮、そうした日本社会の悪しき部分をきちんと批判的に描いてくれるドラマがテレビで放送されることが、本当に嬉しかった。物語の脇役やスパイスのような立ち位置ではなく、れっきとした主人公として性的マイノリティのキャラクターが存在していることも嬉しい。また、もしも会食恐怖症について「治療さえすれば簡単に治る病気」のような扱われ方がされていたら、通院を続けているにも関わらず10年単位で社交不安症に苦しめられている当事者としては羨ましくてやりきれないと思って危惧していたものの、ドラマ「つくたべ」に携わるスタッフの方々にそうした懸念を抱く必要はなかったことがちゃんと分かった。ひとつだけ、会社を辞めていた南雲さんが「私も頑張らないとな」といったような台詞を言った後に就職活動をしていたのが、「無職でいることは頑張っていない状態」とでも言われているようで勝手に責められたような気持ちになってしまったけど、これは私お得意の被害妄想だと思う。それにしても、作中で野本さんと春日さんが食べていたあんバタートーストがおいしそうだった。今度小豆を買ってきて炊こうかと真剣に考え始めるほど、魅力的な食べ物だった。
 Twitterのトレンドに「会食恐怖症」の文字があり、Twitterのトレンドというものは見てもまず良いことはないのだと嫌というほど理解しているはずなのに、つい見てしまった。激しく後悔した。
 夜寝る前に「今日あった3つのいいこと」を紙なりメモアプリなりに書き出す習慣をつけたいと思うのに、一日の終わりはどうしても疲れ果ててしまってそれができない。疲れと眠気で机に向かうのはおろか、スマホを持って文字を入力するのも億劫に感じられる。きちんと疲れるほど日中に活動できて、自然な眠気が訪れて寝つけることが「今日あった3つのいいこと」のひとつだとでも思っておきたい。

2024/03/07 Thu.

 掃除機をかけたいと思うものの、猫達がそれぞれお気に入りの椅子の上で気持ち良さそうに寝ているので、掃除機の騒音で起こしてしまうのがどうにもしのびない。結局掃除機はかけたのでちりぢりに逃げられてしまったけど、しばらくするとまた各自思い思いの場所でぐうぐう寝始めていた。「幸せそうに寝ているから起こしたくない」と思える存在が身近にいるというのは、かなり嬉しいことだと思う。
 せっせと家事をやっつけてしまうと、妙に疲れた。なんとなく気が向いて、お湯で粉末を溶かすタイプのオニオンスープを飲んでみたら、やたらおいしかった。「気分が落ち込んだ時にすることリスト」に、温かいスープを飲むことを加えておきたい。
 地元産のレモンが冷蔵庫にあったので、午後は張り切ってレモンタルトを作った。初めて作るレシピだったのもあり、タルト生地が柔らかすぎて少し不格好になってしまったけど、味はとてもおいしいものができあがった。さくさくのタルトに甘酸っぱいレモンのクリームがよく合う。レモンの輪切りのコンフィを並べ、庭で摘んできたレモンバームの葉も飾ると、なんとなくそれらしい見た目になった。作るのにはそれなりに時間がかかったけど、食べるのはあっという間だった。
 プランターのチューリップが、紫色のものだけ咲いた。他の色はまだつぼみのままだ。

2024/03/08 Fri.

 とらふくの写真を使ったLINEスタンプの第2弾を仕上げたので、LINEクリエイターズマーケットにアップロードして審査をリクエストした。
 久し振りに床に伸びて、少し昼寝をした。精神科の薬を増やしてからは、日中に疲れて横になる時間がかなり減ったと思う。
 1時間ほど本を読む。『私の生活改善運動』(安達茉莉子、三輪舎)を読み始めた。表紙のイラストはもちろん、装丁もとてもかわいい。内容も、自分が幸せでいるために無理なくできる行動のヒントがたくさんあって、読んでいると「私も私なりに私を大事にしよう」と思えてくる。また、自分なら「嬉しい」だの「羨ましい」だのといったありふれた形容詞で片付けてしまうような感情が、想像力を掻き立てられるユニークな表現で描写されていて、読んでいて楽しい。

2024/03/09 Sat.

 LINEスタンプの審査が通って、今日から販売を開始した。さっそく家族のLINEグループで使っている。
 夜に一人で4000歩ほど散歩してきた。目的としては散歩というよりウォーキングと言った方が正確かもしれないけど、散歩という言い方のほうが肩の力が抜けた気楽な感じがするので好きだ。何か考えているようでいて、何も考えていないような気もするぼーっとした状態で黙々と歩き続けると、家に帰り着く頃には頭の中がすっきりしているので気分が良い。歩きながら、昼間に読み終えた『私の生活改善運動』に影響を受けた考え事の整理をした。著者の引っ越しのくだりを読んだ時、自分が幸せでいられる場所に住む権利が私にもあること、住む場所を好きに選べる権利があることを思い出した。今の私は自活できるだけの稼ぎを働いて得ることができないから、実家でくすぶっていることしかできないと思い込んでいたけど、私にだって好きな場所に住む権利がある。車を運転しなくても暮らしていける場所で自由に生活したい、親に干渉されない生き方をしたいと改めて思った。普段、私は大好きなゲームやミュージカルの曲を、親に聞かれないように一人でこそこそと聴いている。父は大好きなクラシック音楽を誰にかまうことなく毎日大音量で楽しんでいるのに、どうして私は後ろめたいことでもするように隠れて聴いているんだろう。「音楽といえばクラシックでしょう、クラシック以外の音楽はちょっとね(笑)」とでも言いたげな両親のもとで育ったせいか、クラシック以外のジャンルも好きだとは言えない自分がいる。外出をすればどこで何をしていたのか弁明しなければならないような圧があるし(私の被害妄想かもしれないが)、珍しく電話をすれば誰と話していたのか何の気なしに尋ねられる。20数年前に建てられた我が家は良く言えばとても開放的な造りで、部屋と部屋を隔てる壁がほとんどなく、吹き抜けもあって、家のどこにいても家族の声や物音が聞こえる。一人で部屋に閉じこもることも、人に聞かれずに電話をすることも難しい。でも、家の中でくらい好きな音楽を堂々と楽しみたいし、最低限のプライバシーを保ちたい。先月応募し損なった求人がまた出たらリベンジして、そこで働き続けてお金を貯めて、いつかは一人で街中へ出て行きたいと前向きに考え始めた。その計画を近い未来に実現できるかどうかはさておき、そういう可能性がない訳ではないこと、実家を出て好きな場所に移り住む権利が自分にもあるのだということを思い出せたのは嬉しい。

2024/03/10 Sun.

 知り合いの人達との食事会に行った。予定が決まった時から、胃の辺りがぐるぐるするような、気道に何か物でも詰まっているような、変な緊張がずっと続いていた。仲良くしたいし、もっと仲良くなりたいから行きたい気持ちはもちろんあるものの、何かしらの失敗をしでかして軽蔑され距離を置かれる恐怖を思うと行きたくない気持ちもあり、参加についてはかなり迷った。家族以外の人と会って話す経験値を積みたい気持ちもあれば、今の自分には耐えきれないストレスになりうるんじゃないかという気持ちもある。結局、声をかけてくれるということは嫌われてはいないんだろうと己に言い聞かせ、参加することを決めた。無事に食事会が終わって、「あの時もっとこうしていれば」「あれはちゃんと意図が伝わっただろうか」と気に病む要素は多々あったものの、「もうあの人達に顔向けできない」と思わざるをえなくなるような致命的な失態はやらかさずに済んだ(と思う)。人との食事くらいでどうしてこんなに疲れるのかと情けない気持ちになるほど疲弊したけど、かつては「人のいる所でものを食べるのが怖いから、フルタイムの仕事に就けない。働けないから死のう」とまで思い詰めていた時期が長かったので、今日振り絞ったなけなしの勇気を褒めてやろうかなという気もする。今の私にできる限りのベストは尽くした。