投稿者: naedokodesuka

週間日記(2024/06/17-06/23)

2024/06/17 Mon.

 オンラインカウンセリング2回目。マインドフルネスをやるよう熱心に勧められた。暇というか、手持ち無沙汰というか、マインドフルネスって退屈で苦手なんだよなあ…。「働けるようになりたい」という悩みについて、同じ職場で働く人達が「出会ったばかりの他人」の状態の時よりも、「ある程度親しくなってきた顔馴染みの知り合い」の状態になった時の方がしんどくなるので仕事を続けられなくなると話した。だから、これまでやってきた仕事のほとんどは働き始めて3、4ヶ月経つと苦しくなってきて、半年経つ頃には自殺を考えるほど追い詰められてしまう。その場限りの初対面の人に対してももちろん緊張して気を張るけど、これからまだ付き合いが続きそうな人間に対しての気の張りようはその比ではない。「知り合いが怖い」という長年の困りごとに対して、臨床心理士の先生が意外そうな反応をしていたのが新鮮だった。確かに、見ず知らずの他人よりも知り合いの方が圧倒的に苦手だというのは私の中ではすっかり当たり前になっていたけど、よく考えると、多分普通は親しくなってきた人の方が接しやすいんだろうな。そうか…。
 夜、とらふくの絵を描いたら楽しかった。動物の絵は難しくて書くのに苦手意識があったけど、写真を見ながら描くと格段に描きやすくて楽しいことに気付いた。幸い、猫の資料写真なら無限にあるし。

2024/06/18 Tue.

 久し振りに少し漫画を描き進めた。ペンタブはやっぱり扱いが難しい。今は日々のできごとや考えを主に日記の形で出力しているけど、以前は漫画として表現するのに夢中になっていた。漫画には漫画の良さがあるので、こちらもぼちぼち描いていけたらなと思う。
 父方の曽祖父が描いた絵を久し振りに見返したくて、以前写真に収めたデータをUSBの中から探した。膨大な枚数の写真の中から見つけ出した2枚の画像を見て、やっぱり絵が上手いなあと感心した。曽祖父は戦争で亡くなったそうで、もちろん会ったことはないけれど、スケッチブックに鉛筆でちまちまと描かれた小さなイラストの数々を見ていると、なんだか親近感が湧いてくる。私もこういう小さい絵をささっと描くのが好きだから、ひいおじいちゃんとお絵描きしりとりができたら盛り上がるだろうなと勝手に想像してしまう。

2024/06/19 Wed.

 USBに溜め込んだ、2010年代に撮った写真を見返した。今と変わらず、植物とお菓子の写真が多い。子どもの頃に習っていたバレエのレオタード、野山で見つけた見事なテングタケ、大学の講義中に白河夜船で書いたふにゃふにゃの文字、初めての一人暮らしを満喫していたアパートの部屋、いくつも作ったフェルト製のケーキ、お気に入りだった服や雑貨、半年間だけ正社員をやった時の飲み物とミニトマトしか入っていないレオパレスの冷蔵庫など、思い出の写真がたくさん出てきて懐かしかった。人が撮ってくれた自分の写真を見ると、本当にがりがりに痩せていてびっくりした。当時は特に気にしていなかったけど、20kg増えた今の自分から見ると、不健康そうな痩せ方にさえ見える。とはいえ、現在はやや太り気味なので、ちょっと羨ましくもある。
 今日も少し漫画を描き進めた。残るはペン入れがあと2ページ。

2024/06/20 Thu.

 5年前に考えて放置していた漫画のネタを、やっとペン入れして仕上げた。これで今の所、ネームまで考えた分のネタは全て漫画にしたことになる。多分。サイトに載せた分の漫画を数えたら、合計249ページもあって(きりが良いのであと1ページ欲しい)、よく描いたなあと我ながら感心するような、呆れるような。考えや悩みを四コマ漫画にすると、客観視できるというか、自分の中で扱いやすくなるというのか、当時は昇華の方法としてこれ以上のものはなかった。今はもっぱら漫画よりも文章として日記に書き連ねる方法を採っているけど、漫画には漫画の良さがあるので、溜め込んでいるネタをそのうちまた描けたらいいと思っている。私は自分の自己顕示欲を持て余してうんざりすることが生きていて多々あるけど、こうして何かしら自己表現しないと生きていけない人間なのだろうと最近は良い意味で諦めがついてきたような気もする。
 梅雨入りして最初の、スマホの緊急速報が鳴った。大雨による高齢者等避難と避難所開設の通知だったので、まだ慌てなくては良いものの、この音はとにかく心臓に悪い。4年前の水害の前夜もこの音がひっきりなしに鳴っていて、その晩は大して眠りもせずにせっせと飲み水やタオル、雑巾などを二階へ運んだり、トイレの逆流防止の対策をしたりして過ごしていた。あの時のざわざわした気持ちを思い出して、ただでさえ土砂降りの雨が降っていて不安になるのに、この通知音が余計に不安を煽ってくる。危険に対する正常な反応の範疇だとは思うけど、以前飲んでいたような不安を鎮める頓服薬を梅雨の時期だけ処方してもらおうかという考えさえ浮かんだ。
 雨が不安でも生活はしなければならないので、ちゃんと晩ごはんを作る。鶏肉と卵のさっぱり煮が特においしくできた。できたての温かいごはんを食べると、随分ほっとした。

2024/06/21 Fri.

 朝、目が覚めるとぴったり9時だった。10時間半も眠っていたことになる。寝すぎてちょっと頭がぼうっとするけど、心身がしっかり休まったという感じが確かにある。おろそかにしがちだけど、やっぱり睡眠って大事なんだなあと当たり前のことを思う。
 昨日の大雨はどこへやら、今日はよく晴れている。明日以降はまたしばらく雨が続くので、今のうちにと庭仕事に繰り出した。収穫時期の終わったボイセンベリーを剪定し、枝豆やにんじん、大葉、ひまわりの芽を間引きして、枯れ始めたジャーマンカモミールを引っこ抜き、畑の草取りをした。2時間ほど作業をして切り上げると、着ている服が汗でぐっしょりと濡れて重たくなっていた。家に戻ってぬるめのシャワーを浴びると、信じられないほどさっぱりした。毎晩面倒くさがりながら渋々入っているけど、お風呂ってこんなに良いものだったのか。塩分補給に塩昆布を食べると、塩気と旨味が身体中にしみ渡るようでやたらおいしく感じられた。この夏最初のすいかを冷やしておいたので、大きく切り分けてかぶりつくとこれがまたおいしい。すいかのおいしさは、暑さの中でたくさん汗をかいた後にこそ本領を発揮するものだと思う。汗を流してすいかをたらふく食べて、身体中の水分が新しく入れ替わったような心地がする。今、私の血管の中には血液じゃなくてすいかの果汁が流れているんじゃないだろうか。昨日は不安で心身が硬く縮こまっていたような状態だったけど、今日の私は陽の光を浴びて汗を流し、土と植物に触れ、旬の果物を食べ、生命力が充填されて満足してくつろげている。また雨で不安を感じる日々はしばらく続くとしても、明日の自分は今日のような不安を感じず日差しの下で満ち足りているかもしれないという希望や期待は忘れないようにしておきたい。

2024/06/22 Sat.

 なんとなくだけど、昨日からとらちの動作が少しゆっくりな気がする。食欲もあまりないようだし、どことなくしんどそうな表情をしているように見える。私の杞憂であればそれに越したことはないけど、心配。
 先日買った『長い読書』(島田潤一郎、みすず書房)を読む。引き込まれて、ほとんど一気に読み終えた。短いエッセイが多いから、SNSに慣らされきって長文を読む気力体力がすっかりなくなった自分にも読みやすい。やっぱり読書っていいなと思えて、嬉しかった。
 読書を楽しめた喜びに味を占め、寝る前にベッドで太宰治の『晩年』を少し読んだ。久し振りに読み返してもやっぱりおもしろい。

2024/06/23 Sun.

 「雨が続いているから、また家が浸水したらどうしよう」という不安と、元気がなさそうに見えるとらちの体調が心配なのと、もう何千回何万回と考えた「どうして自分は普通のことができないのか」という慣れ親しんだ自己嫌悪とが爆発して、久し振りに死にたさを味わった。久し振りと言っても、普段は蓋をしたり目を逸らしたりしているだけで、ゼロになっていた訳ではない。今こそ「メンタル終わり箱(メンタルが終わった時に温かい飲み物を飲んで持ち直すための、ちょっといいドリップコーヒーや粉末スープを入れた箱)」を開封すべき時だと思ったけど、自室の床に伸びたきり動けないので、ひたすらスマホを眺めるしかなかった。「死にたい」「つらい」「社交不安障害」などのワードをTwitterで検索しては、自称カウンセラーの無責任で自己陶酔的な発言に憤ったり、センシティブ指定無しに投稿された生々しいリストカットの写真にぎょっとしたり、もちろんそうしてタイムラインに張り付いていて気分が晴れるということはけっしてない。自分でも「SNSを見なきゃいいのに」と内心呆れ果てた。
 先日のオンラインカウンセリングでは、私の不安や考えは基本的に取り越し苦労で考えすぎなだけという旨のことを言われた。それで「なんだ、考えなくてもいいことなのか」と安心できたら良かったものの、こちらが真面目に悩んでいる内容を考えるに値しないものだと一蹴されたような被害妄想をこじらせてしまった。これもきっと、考えすぎだと言われるんだろう。ニュートラルな問題解決思考とマインドフルネスによって手放すべき雑念との違いは、考えていて「うっ」となるものだという。「また水害に遭って家が浸水した時に備えて、防災準備をしておこう」という考えは、私にとってはかなり「うっ」となる。せっかく日常の暮らしを取り戻した我が家がまた大量の泥に塗れると思うと絶望したくなるし、万が一被災した時に水や電気が復旧するまで自宅での垂直避難でやり過ごすための備蓄が万全かどうか、考えるだけで途方に暮れる。また、猫があまり食事を摂っていないことで身体が弱ったらいけないからと、食べられそうなものを模索して与えてみたり、ストレスになりそうな要因を除こうとしたり、「もしも何かしらの病気だったら」を想像して今できることをやるのだって、「うっ」となる。もちろん、人並みに働けるようになるために仕事について考えるなど、勘弁してくれと思わず誰かに泣きつきたくなるほど「うっ」となることだ。これらの問題は自分ではあくまで建設的に考えているつもりだけど、第三者から客観的に見ると単なる雑念に過ぎないんだろうか。考える必要のないものだと切り捨てられるよりも、「不安や問題、イレギュラーな事態などに向き合った時に出てくるごく自然な反応」とか、「これまで生きてきた中で身に着けざるをえなかった考え方」だとか、なんでもいいから肯定してほしかったなと勝手なことを考えている。これも雑念。
 政治や社会のことについても、分からないなりに憤ったり、落ち込んだりしている。どうしてイスラエルとそれを支持するアメリカなどによる虐殺を私達は止められないのか、どうしてパレスチナの人々が「ハマスが隠れているかもしれないから」という横暴がすぎる主張で大勢の命や健康、自由、安全、土地、文化、産業といったあらゆるものを奪われなければならないのか、どうして自民党の犯罪者達は逮捕もされずのうのうと政治家面をしていられるのか、どうして改憲などと言って泥棒が泥棒に都合の良い法律を作るのか、どうして今まで都知事をやってきた人が選挙を前に「大改革!」などと宣えるのか、どうして選挙ポスターを貼る場所で特定の国や性別に対する差別を扇動できるのか、もう本当に何もかも心底嫌になる。こういう悲しみや怒りも、「マインドフルネス」によってニュートラルな考えに仕立て上げなきゃいけないんだろうか。去年の今頃の日記を見返すと、そっくり同じようなことを書いていた。そして、「差別に対して怒ったり失望したりするのは当たり前で自然なこと」「差別に遭遇して怒りや悲しみを感じた時にするべきことは、認知行動療法だのマインドフルネスだので私個人の考えや気持ちを整理して鎮めることではなく、存分に怒って差別にNOと言うこと(思うこと)。差別に対して怒ったり悲しんだりできる自分であること」とも書いていて、去年の自分と固く握手したいような気分になった。分かってるじゃん。怒らなきゃならないような暴力や差別が起きていることは悲しむべきことだし、そうしたものはなくしていかなければいけないけど、暴力や差別に対して怒りや悲しみを抱ける人間であること自体はむしろ良いことなのかもしれない。良いも悪いも何も、人として当たり前のことかもしれないけど。
 夜、30分くらいかけて手当たり次第ノートに頭の中のものを書き出したら、脳内がデフラグだかデトックスだかされて少し落ち着いた。来年の自分と握手できるようなものが書けているといい。

週間日記(2024/06/10-06/16)

2024/06/10 Mon.

 相変わらず首と肩が痛い。筋を痛めでもしたかのような、ずきずき、ぴりぴりとした痛みがある。でも、痛み止めを飲まないとやっていられないほどの痛みではなくなった。早く治ってほしいなあ。首から左肩にかけての同じような部分に、この前まではひどくかゆい湿疹ができていたので、もしお祓いとかに行ったら左肩に何かが憑いているなどと言われるんじゃないだろうか。その方面の事情に詳しくないのでよく分からないけど。ノクタスのぬいぐるみでも肩に乗せておこうか。
 YouTubeで動画を流しながら、ひたすらちくちくと刺繍をした。ようやく顔と前髪の刺繍が終わったので、水に溶ける下絵シートを洗い流して、今夜一晩乾かしておく。
 下味をつけた鶏もも肉に衣をつけて揚げ、長ねぎと唐辛子入りのたれをかけたおかずを晩ごはんに作ったら、我ながらおいしかった。衣はざくざくした食感に揚がっているし、お酢の酸味があるピリ辛のたれとよく合って、ごはんが進む味だった。自分でおいしいごはんを作れると、日頃すり減らしている自信がいくらか回復できる気がしてほっとする。それにしても、夏はトマトを切っただけのものをおかずの一つとして出せるから、楽でいいなあ。

2024/06/11 Tue.

 昨夜見た夢の中で、アポロチョコを食べようと紙箱から手のひらに出そうとしたら、なぜか箱から大粒のほたてが出てきた。シュールな内容の夢だったので、起床後は少し愉快な気分でいられた。
 ゴッホの星月夜がプリントされた箱に、ちょっと良いドリップコーヒーやトワイニングのアールグレイティーバッグ、粉末ミルクティー、コンソメスープといった、メンタルの調子が良くない時に飲む物を集めて入れた。まだ飲み物しかないけど、かわいいぬいぐるみや好きな言葉を書いた紙など、気分が上向きそうなものを探してこの箱にしまっておきたい。そうすれば、「もう駄目だ」という時にこの箱を開けさえすれば、その場をやり過ごしやすくなるかもしれない。もっと気の利いた名前をつけたかったけど、ぱっと思いついたのが「メンタル終わり箱」だったので、当面はそう呼ぶことにする。我ながら身も蓋もない名前だ。
 観葉植物にたっぷり水をやって、エアプランツと着生蘭のソーキングをした。私の手入れがずさんすぎるのか、着生蘭は枯れこそしないもののいっこうに成長する気配がない。いつか花を見られたら良いんだけど。
 庭で採れたボイセンベリーを冷凍しておいたので、それをジャムにした。甘酸っぱくて野性的な風味があって、適当に作った割にとてもおいしい。ガラス瓶に詰めたジャムを日に透かすと、真っ赤な色がとてもきれいで、何に添えて食べようかわくわくしてくる。ハード系のパンやプレーンヨーグルトには間違いなく合うし、生姜のきいたルーネベリタルトに乗せるのも手間だけど良いかもしれない。

2024/06/12 Wed.

 フレンチトーストを作って、昨日のボイセンベリージャムを乗せて食べてみたら、すごくおいしかった。自分で育てて収穫したものをおいしく調理して食べることができると、むしょうに嬉しくなる。
 実が生った枝にはもう実は生らないらしいので、収穫の終わったボイセンベリーの枝を剪定した。来年もたくさん採れるといいなあ。水やりをしていたら、イングリッシュミントの鉢にねじ花が3本ほど咲いているのを見つけた。小さな花なので、なかなかピントが合わず写真を撮るのが難しい。幼稚園児の頃、母の迎えを待つ間にこの花を見つけて喜んでいた記憶があるので、もしかすると人生で一番最初に好きになった花かもしれない。当時に比べて好きな植物の種類は各段に増えたけど、もちろんねじ花は今も好きだ。
 近所の空き地にイネ科の柔らかい草の葉が茂っていたので、ひとつかみむしり取って猫達にあげたら、喜んでむしゃむしゃと食べてくれた。猫草は必ずしも与えなくても良いものだとネットで見たことがあるけど、我が家の猫達は猫草が大好物で、しばらく食べさせないと家の外に出たがってそわそわするようになるので、週に一度くらいの頻度であげている。しかも、栽培キットで育てたものよりも、そこら辺に生えていた雑草の方を明らかに好むので、こだわりがあるらしい。夏場は生育が旺盛になるからか葉が硬い草が多いので、今日のような柔らかい葉を引っこ抜いてきて鉢植えにでも植えておこうかなあ。

2024/06/13 Thu.

 冷凍庫にいつ冷凍したか覚えていないレモンが1個あったので、ウィークエンドシトロンを焼いた。皮のすりおろしをたっぷり入れたさわやかな風味の、ふわふわのケーキが焼き上がった。レモンのアイシングもたっぷりかけた。
 道端で良い具合の猫じゃらし(エノコログサ)を見つけたので、摘んで持ち帰って猫達と遊んだ。猫じゃらしを目にした途端に猫達が「遊びたい!」と言わんばかりの期待に満ちたような表情をしていて、とてもかわいかった。穂がちぎれて葉っぱも食べられ、ほぼ茎だけの状態になるまでたくさん遊んだ。半年ほどの野良時代を経験しているからか素早く的確に獲物を仕留めるとらちゃんと、狩りの経験がないのでどたどたとむやみに走ってただ追いかけ回すふくちゃんとで、遊び方にも違いが出る。もちろん、どちらもかわいい。

2024/06/14 Fri.

 あんなに辛かった首と肩の痛みが、随分楽になった。もう普段はほぼ気にならないくらいで、時々ちょっと痛む程度。治るって本当に良い気分だな。風邪や怪我のように、メンタルの病気も「治った!」と明らかに実感できるよう所があれば良いのに。後は良くなるばかりのものと違って、良くなったり悪くなったりを繰り返して、どんな些細なことがきっかけで突然悪化するか分からないし、「こうすれば絶対に治る」という確実な策がある訳でもない。しかも、そのことが「健康な」人や「健常者」にはほとんど理解されていない。私も社交不安症と診断された当初は、治療さえすればちゃんと治るものなんだと思い込んでいたから、まさか10年も長引くとは思ってもみなかった。治ることにこだわり続けることがかえって苦しいのだと分かってはきたけれど、やっぱり治りたいなあ。
 収穫したきゅうりや庭で摘んだ野花を家に持ち込んだら、ふくちゃんが興味津々で近寄ってきて、みゃあみゃあ鳴いて欲しがった。この猫は花でも草でも実でも、大抵の植物には関心があるらしい。植物好きで食い意地が張っている性格は、拾ってきた私に似たんだろうか。
 今日も猫達と猫じゃらしで遊んだ。猫じゃらし(エノコログサ)で遊ぶ猫達は本当に楽しそうだし、かわいいし、絵になる。猫達と私と、どちらの方が夢中になっているか分からないくらい楽しんだ。

2024/06/15 Sat.

 以前少し手を出してアンインストールしていた、Day One Journalをまたインストールしてみた。これまでの年の今頃にどういう日記を書いたか簡単に振り返ることのできる連用日記としての機能が欲しくて、このアプリのOn This Dayという機能が良さそうだと思ったためだ。少し前にNotionで連用日記のようなものを作ってもみたけど、Notionはやっぱり機能が多すぎてどうしても持て余してしまう。ブログの「週間日記」用にパソコンからUpNoteに書き溜めた日記を、スマホでDay One Journalにコピペしたら、良い具合になりそうな気がする。いい加減、どうして自分が日記というものにこんなにこだわるのか不思議に思えてきた。創作のアイデアが思い浮かばなくても、その日にあったことや考えたことを羅列すれば日記として成立するという書き物としてのハードルの低さや、毎日少しずつ書くことで日々の経験や思考が蓄積されていく達成感、無職で家族以外の人との交流がほとんどない自分でも日記を書けば日々が充実しているかのように思えてくる錯覚、そういう魅力に取り憑かれているんだろうか。
 散歩に出かけると、おしろい花が咲いているのを見つけた。良い香りがするはずなのでかがんで嗅ぎたかったけど、人の家の庭に咲いているものなので我慢した。香水や化粧品のような上品な香りを嗅ぐと、夏が来たという感じがする。少し歩いた所には、なぜか歩道にストレリチアの生花が1本落ちていて、どういう経緯があってそうなったのかとても気になった。その近くを雄の雉がのこのこと歩いていて、派手な鳥が2羽いるようでおもしろかった。

2024/06/16 Sun.

 朝起きると、ベッドの傍のペット用ひんやりパッドにとらちが香箱座りをしていた。背中を撫でると、気持ち良さそうにごろんと仰向けに転がって、喉を鳴らしていた。このかわいい生き物が自分に気を許してくれていると思うと、嬉しいし光栄に思う。
 父の日のプレゼントに、父の好きな柑橘系のお菓子を2種類渡した。テーブルに並べてスマホで写真を撮ってくれていたのが嬉しかった。
 街中へ出かける。移動中、ねむの木の花が咲いているのがちらほらと見えた。お昼にフレッシュネスバーガーで、塩レモンチキンバーガーとレモン&クランベリーソーダを注文した。お昼時だったから、レジも厨房もとても忙しそうだった。バイトを始めたてのような不慣れな様子のスタッフさんから「レモンソーダです」と渡されたドリンクは、クランベリーが入っておらず、飲むとレモネードの味がした(レモンソーダという名前のメニューはない)。働き始めてまだ勝手が分からない状態で土日の忙しい時間帯のシフトに入ってしまった時の焦りや不安には身に覚えがありすぎるし、他人のこの程度のミスくらい気にせず受け入れられる人間でいたいし、もちろん私だってミスはよくするし、そもそも注文したものと違うと言う勇気はとてもじゃないがない。レモネードも好きなので、おいしく頂いた。
 花屋さんの店先に吊るされていたエアプランツのウスネオイデスがとてもかっこよくて、買おうか散々迷って我慢した。園芸店で働いていた時に大量のエアプランツのソーキングをしていたので、ウスネオイデスは束ねているワイヤーが緩むとばらばらと葉がほどけて貧相な姿になるというのを知っている。私が育てたら、ばらばらウスネオイデスになってしまうのは間違いない。
 好きな独立系書店で、気になっていた『長い読書』(島田潤一郎、みすず書房)を買った。今日は本を買わずに店内を眺めるだけにしようと思っていたはずなのに。でも満足。

週間日記(2024/06/03-06/09)

2024/06/03 Mon.

 注文していたノクタスぬいぐるみがもう届いた。とてもかわいい!ちょうど良い大きさもふわふわの手触りも、おすわりしたポーズもかわいい。Twitterで「ポケモンfit」と検索すると、皆それぞれお気に入りのポケモンをかわいがっている様子を見られてとても和む。ノクタスには、とりあえず自室の机の隅に座ってもらうことにした。ふわふわのかわいいぬいぐるみが視界に入ると、気分が安らぐ。やっぱりぬいぐるみって良いなあ。
 ふと、スマホゲームの好きなキャラクターのぬいぐるみを作りたいと思い立ち、以前同じキャラクターのぬいぐるみを作った時の残りの布地で作業を始めた。ブログやYouTube、電子書籍を参考に作り方を調べ、今日は首から下のパーツをそれぞれ作って縫い合わせた。顔の刺繍をやりたかったけど、刺繍用の下絵シートがないので作業はそこで中断せざるをえなくなった。黙々と布を切ったり縫ったりする時間はとてつもなく楽しくて、なるほど何かに夢中になるというのは確かにメンタルの健康に良いんだろうなと改めて実感した。こんなに何かに集中するのは久し振りで、とにかく楽しかったし、疲れはしたものの作業後は心なしか気分がすっきりした。夜、刺繍シートや足りない刺繍糸を買いに出かけたけど、刺繍シートは売られていなかった。そうなるとネットで買うしかないので、顔の刺繍にはまだ取り掛かれないけど、手芸用品売り場で色とりどりの刺繍糸の中からこれぞと思う色を選ぶのは楽しかった。久し振りに物作りの楽しさが味わえて、本当に嬉しい。満足のいくものができあがるといいなあ。

2024/06/04 Tue.

 刺繍シートはないけど、刺繍の練習をしておくことにした。アウトラインステッチは慣れると楽しくできるけど、線ではなく面を縫うサテンステッチやロングアンドショートステッチがとにかく難しい。先に練習しておいて良かった…。はぎれに目や口を刺繍してざっくりと頭部を作り、胴体と合わせてみると思ったより頭が大きい。元々こういうデザインなのか、それともどこか作り方を間違えたんだろうか。本番はもっとちゃんと確認しながら作ろう。百均で買ってきたワイヤーで、ぬいぐるみの「骨」になる部分も作った。これを入れることで、手足を自由に動かせたり、座ったポーズを取ったりできる。このぬいぐるみが無事完成すれば、ゲームに出てくるさまざまな衣装も作って着せ替えして遊べる。夢が膨らむ!
 「私は、大多数の人が普通にできる(やっている)ことができない」と落ち込むことがよくある。毎日と言っても多分過言じゃない。その度に、「多くの人ができるという訳じゃないことが私には多少できる」と己に言い聞かせて、焼け石に水程度の効果ではあるけど気分を持ち直そうとする。針と糸を手に楽しい時間を過ごせるというのも、そのひとつに数えられるかもしれない。自己満足のぬいぐるみを作ったってそれを仕事にして食べていけるような技術はないし、「働けるようになるためにもっと努力しろ」「遊んでばかりいる」と「他人に言われそうな言葉」が頭の中でぐるぐる駆け巡る。もし自分が自分一人を養って生きていけるだけの収入を働いて得ていたら、こういう「他人に言われそうな言葉」で自分を抉ることもないのかもしれない。自己嫌悪や自責の念、罪悪感などなしに趣味に没頭できたら、どんなに嬉しくて楽しいだろうな。

2024/06/05 Wed.

 ぬいぐるみの顔の刺繍のデザインを考えた。ちょっとずつ異なる形の目や口のイラストをたくさん描いて、どれが一番かわいくてそのキャラらしさもあるか考えるのは楽しかった。
 散々悩んだ挙句、今まで6回オンラインカウンセリングを受けた臨床心理士の先生とは違う先生のオンラインカウンセリングを予約してみた。同じ悩みを違うカウンセラーに相談しても良いとサイトにはあったので、そうしてみる。自分の現状やこれまでの経過をまた一から話すのは面倒ではあるけど、自分一人では改善できそうにないのだから仕方ない。口頭で筋道立てて分かりやすく話すのはとても苦手なので、少しでも話しやすいよう手元に置くためのメモを作っておくことにした。今悩んでいることと、今後どうなりたいかという理想、何歳の時に何があったかなどを箇条書きで書き出した。少しは上手く話せると良いけど。
 川沿いを散歩したら、土手にかすみ草のような白い花がたくさん咲いていた。かすみ草がこんな所に生えている訳がないと思って近付いて見てみると、夜に向けて花を閉じているハルジオンかヒメジョオン(違いが分からない)だった。庭に生えていたら雑草として引っこ抜いてしまうけど、こうして大量に咲いていると花畑みたいでかなりきれいだ。

2024/06/06 Thu.

 初めて会う臨床心理士の先生にオンラインカウンセリングを受けた。話すのがとても上手くて、説明も理路整然としていて分かりやすい。初回なのでたくさん質問に答えた。その結果、私の社交不安症は、知能の高さと親の育て方から来るものではないかという推測になった。特に知的能力が占める部分が大きいらしい。10年ほど前に社交不安症と診断された時は「病気なら治るんだ!」と前向きに受け入れたし、以来ずっと「社交不安症さえ治せば『普通に』生きられるようになるはず」と信じてきた。割と最近になって「社交不安症はあくまで二次障害のような形で出てきたものであって、生きづらさの根本の原因は別にあるのでは」と考えるようになってきたものの、これについては認めたくなくて目を逸らしていた。けれど、やっぱりそうだったらしい。知能(特に言語理解)が高いと常に色々なことを考えるので不安になりやすいのだそうだ(自分ではそんな自覚は全くないが)。社交不安症になっている自分は本来の自分ではなくて、本当は不安にならずに他者と適切に関わることができる自分がいるはずなのだと思いたかったから、人と関わる際に不安を感じやすいという性質がデフォルトの自分なのだと理解したくない気持ちが強くある。自分の困りごとは一時的なもので、治療することできれいに解決できるものであってほしかった。不治の病を宣告されたような、治らない障害が一生残ると分かったような、そんな気さえする。そうなると、自分が今後快適に生きていくためのツール(より適切なものの考え方やメンタル面のセルフケアの方法など)を探して使いこなせるようになるしかないのだけど、すんなり「そうですね」と呑み込めるものではない。こういうネガティブな考え方も、先生に言われた「考えすぎ」「取り越し苦労」「思い込みがよく働く」の内なんだろうか。
 先日Twitterで「うつ病が治るというのは、金継ぎの器と同じ」という内容のツイートを見かけて、すごくいいなと思った。思わずスクショした。私はうつ病ではないので、社交不安症を含む広い範囲のメンタル系の疾患を適用していいものか分からないけど、病や障害による不可逆の変化を受け入れるためのとても素敵な考え方だと思う。私の器、私という器も社交不安症を発症する形で壊れてしまったけど、漆でくっつけて金粉をまぶして、以前と全く同じではなくてもそれはそれで良い感じの器にできたらいいなあ。

2024/06/07 Fri.

 連日夢中になって手芸をしていて、同じ姿勢が続いたせいか、首をひどく痛めてしまった。スマホ首とかいうやつだろうか。下を向いたり左右に首を回したりするのが、痛くてできない。昨日YouTubeを参考に首や肩のストレッチをしたのに、明らかに悪化している。楽しくて仕方ないので作業を進めたいけど、いかんせん首が痛すぎる。適度な休憩って大事だな…。

2024/06/08 Sat.

 精神科の診察に行く。病院まで歩いて行く途中に、ばらやあじさい、グラジオラス、ギンバイカなどの花を見かけた。9週間分のアリピプラゾールとトリンテリックスを処方される。
 首と肩があまりにも痛いので、整体に行ってみた。どうやら寝違えているらしい。施術自体は気持ち良かったけど、隣に座っている男性に待ち時間の間じゅう話しかけられて、相槌を打つのに疲れた。知らないおじさんの持論と自慢話ほどどうでもいいものはない。挙句、その男性が施術中に整体師の人と特定の国に対する差別的な内容の話をしていて、隣から聞こえてくるそれが嫌で嫌でたまらなかった。そういう話をしないでくれときっぱり言えない自分のことも心底嫌だった。ぐったり疲れて帰宅。

2024/06/09 Sun.

 たっぷり9時間寝て、すっきりした。リベンジ夜ふかしのような感覚でいつもつい睡眠時間を削ってしまいがちだけど、やっぱりこれだけ寝ると心身が回復する気がする。相変わらず首と肩は痛いけど。
 デジタルで書いている日記を去年のように自分用に製本したいので、原稿を作った。ところが、今年は真面目に毎日書いているので、6月分に入った時点で200ページを超えてしまっている。文庫本サイズの本にしたいけど、この調子で書き溜めた一年分を一冊にまとめたら、とんでもない厚さになってしまう。2024年の日記は、半年ずつ分けて上下巻にしてみようかな。
 ぬいぐるみの顔の刺繍に難航している。何が難しいかって、布を刺繍枠にきちんとはめるのが難しい。接着芯を貼った顔用のパイル生地、髪のボア生地、下絵を描いた刺繍シートの3枚をずれたりたるんだりしないように刺繍枠にセットするのが、びっくりするほど難しい。何度もやり直して、いい加減早く刺繍をしたいので適当な所で妥協したけれど、これはどうやるのが正解なんだろう。一方、無心で刺繍をするのはとても楽しい。YouTubeの動画をBGMにちくちく針を刺していると、余計なことを考えなくて済むので気も休まる。先日のオンラインカウンセリングで「考えすぎる」と言われたので、こういう時間を確保するのは多分良いことなんだろうと思う。そう思いたい。

週間日記(2024/05/27-06/02)

2024/05/27 Mon.

 Twitterでポケモンfitというぬいぐるみが流行っているのを見かけて、つい欲しくなり、迷いに迷ってノクタスのを注文した。ポケモンセンターで実際に見て選んで買うという行為に憧れるけど、最寄りのポケモンセンターは200km近く離れているのでさすがに厳しい。Twitterで「ポケモンfit」と検索すると、色んな人がお気に入りのポケモンと楽しそうに生活している様子が見られて、とても楽しい。人目を気にしすぎるので、私は家の敷地の外ではぬい撮りができないけど、色んな場所でぬいと過ごせたら楽しいだろうなあ。

2024/05/28 Tue.

 午前中は警報級の大雨。うんざりしながら梅雨の防災用備蓄の確認をした。これらの準備が活かされる羽目にならないのが何よりだし、苗さんは心配性だからねと親に笑い飛ばされるのは癪だけど、起こらないと思っていても起こるのが自然災害なので仕方ない。今は猫達と暮らしているうえ、指定の避難所も水没のリスクがあるので、いざという時は在宅避難、垂直避難になると思う。電気や水道が止まってもしばらく籠城できるだけの備えをと思うと、どれだけ準備してもし足りないような気がしてくる。とりあえず、これが最低限とネットやSNSで言われている量くらいは揃えておきたいけど、それにしても気が滅入る。
 昼頃に雨が上がって、良い天気になった。田植え前の田んぼの水面が風で波打っていて、湖のようできれいだった。

2024/05/29 Wed.

 防災用品に買い足したい物があったので、自転車で少し遠い大きな百均に行った。行き道に、三尺バーベナの花がたくさん咲いているのを見かけた。缶切りや湯煎調理袋、湯煎でごはんが炊ける袋などを購入して帰宅。
 IKEAのリラックスチェアに座っていたら、久し振りにふくちが膝に乗ってきてくれた。ふわふわで温かくて重くて、とてもかわいい。猫を膝に乗せるとどうしてこんなに癒されるんだろう。小さな生き物が自分の膝の上でくつろぎきっているから、人間の方もつられて安心できるのか。それとも重たい掛け布団で寝る時みたいに、重さで圧迫されるのが良いんだろうか。

2024/05/30 Thu.

 防災備蓄用の食品や医薬品、雑貨を買いにスーパーへ行った。歩いて行ったのにあれこれ買い込んだうえ、2kgの無洗米まで買ってしまったので帰りの荷物が重かった。まだ田植えが始まっていない田んぼの水面に竹林が反射していて、絵みたいだった。用水路に水が流れているのを見ると、なぜかわくわくする。小川のようで水がきれいだし、葉っぱや花を浮かべて遊びたくなる。道端にねこじゃらしが生えていたので、摘んで持ち帰った。この季節の猫草(として食べさせられる草)は硬くて食べにくそうなので、ねこじゃらしの種を鉢にまいて育てておけば、いつでも柔らかい葉を猫達にあげられるんじゃないだろうか。エノコログサが一年草なのか、多年草なのかは分からないけど。
 摘んできたねこじゃらしで、猫達とたくさん遊んだ。羽じゃらしのような市販の猫用おもちゃでも遊んでくれるけど、エノコログサへの食いつきの良さは半端じゃない。人工物と植物の違いなのか、理由は分からないけど、とにかく夢中になって遊んでくれる。種がぱらぱら落ちて後から床を掃除する必要があるけど、こんなに楽しそうに遊んでくれるなら、それくらい何の問題もない。猫達が楽しそうで良かった。
 観葉植物の生育シーズンなのか、自室で育てているコーヒーノキとフィカス・ウンベラータに新芽がどんどん出てくる。明るい黄緑色の柔らかそうな葉が日を追うごとに増えてきて、見ていて楽しい。

2024/05/31 Fri.

 中途半端に進めていた、本やグッズの片付けを終わらせた。もう手放しても良いと思ったものがいくらかあるので、そのうち古本屋などに持っていきたい。以前ハマっていたコンテンツのアクスタやぬいぐるみなどのキャラグッズも、捨てるのは気が引けるのでまんだらけや駿河屋のようなお店に持ち込みたいけど、近くに店舗がない。メルカリに出品するのはメッセージなどのやりとりにとてつもなく気力が要るし、どうしようかなあ。グッズの扱いはこういう時に困るけど、だからといって買わないという選択肢はない。オタクの悲しい性。
 「料理の名前がちょっと…」と食わず嫌いのような感じで食指を動かせずにいた、よだれ鶏という料理を初めて作ってみた。鶏もも肉を玉ねぎと一緒にだし汁で1時間煮込んで、ねぎ・生姜・にんにくなどの薬味がたっぷり入ったたれで食べる。食べてみたら、ものすごくおいしかった。さっぱり食べられるので、これからの暑い時期に良さそうだし、時間こそかかるけど手間はそんなに要らないので、比較的楽に作れる。これは良い料理だ。

2024/06/01 Sat.

 畑と鉢植えの水やりをしていたら、種をまいた覚えのない朝顔の双葉が生えているのを見つけた。朝顔の涼しげな花が庭に咲いていたら季節感があって見た目に良いけど、朝顔には巨大な柔らか多足虫(キャタピーとかビードル的なやつ)が発生するからなあ…。早めに引っこ抜いておいたほうが精神衛生上良いかもしれない。先日種をまいた枝豆やにんじんも順調に発芽している。ひまわりとジニアも本葉が出てきた。ひと雨ごとに植物が生育していて、良い季節だ。
 買い物に行く途中、ばらと百合とあじさいが一箇所に固まって生えている(植えられている?)のを見かけた。どれもまだつぼみだったけど、一斉に咲いたらさぞ華やかだろうな。初夏を代表する花が集まって、なんだかとても豪華に思える。何色の花が咲くのかも気になる。
 IKEAのリラックスチェアに座って本を読んでいたら、ふくちが膝に乗ってきてくれた。適度な重さと温かさが心地良くて、本を読み進めたいのにみるみる眠くなってくる。読んでいたのは『自分の「声」で書く技術 自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける』で、読んでいると「自分も何か文章を書けるんじゃないか」という気がしてくる。本に出てくる「フリーライティング」という手法がおもしろそうで、やってみたい。
 川沿いを散歩したら、夕暮れの空がきれいだった。風も涼しくて、歩くのにちょうど良い気候だった。

2024/06/02 Sun.

 さぼっていた3日分の日記を書いた。日記のネタになりそうなことだけメモしておいて、翌日以降にそれについて書くというやり方が自分には一番合っているように感じる。
 発売された『キメねこの薬図鑑』が届いた。絵が上手い、漫画が上手い、文章も上手い、そして何よりおもしろい。にやにやしながら楽しく読んだ。この本を読むことで、合法の範囲内で薬物に対する知的好奇心を満たせるので非常に助かる。本当に、大麻やサイケデリックスには過剰なほど目くじらを立てるのに、それらよりはるかに毒性も依存性も強いアルコールやタバコには寛容すぎるこの国の社会は何なんだろう。
 プリンケーキというお菓子をずっと食べてみたかったので、作ってみることにした。ケーキ型にカラメルとプリン液、スポンジケーキの生地を順番に流し入れて焼くという作り方で、プリンこそ滅多に作ることはないけれど、レシピを見ても特に難しい点はないように思えた。ところが、カラメルをしっかり固めないままプリン液を注いだことでカラメルとプリン液が混ざってしまい、もうその時点で完璧な仕上がりは望めなくなってしまった。そのうえ、オーブンで焼いても焼いても火が通らない。どうやらプリン自体はなんとか固まってくれたらしいものの、スポンジ部分がいつまでもべちゃっとしている。同じ温度のままさらに焼いたり、温度を上げて焼いてみたり。火さえ通ってくれれば食べられるから、もう美しい見栄えまでは望まないからせめて火は通ってくれ、と祈るような心地だった。ようやく食べられる状態にまで焼き上がったプリンケーキは、すごくおいしかった。ふわふわのスポンジケーキとなめらかなプリンに濃いめのカラメルソースがからんで、できたての熱々というのがまたおいしい。半分ほど食べたので、残りは冷たく冷やしてから食べることにする。

週間日記(2024/05/20-05/26)

2024/05/20 Mon.

 一ヶ月ぶりのオンラインカウンセリング。今回もあまり手応えはなし。「埒が明かない」という感じすらある。現在の困りごとやこれまでの経過を伝えようとするものの、自分の話し方があまりにも下手で、かつて知能検査で出た言語理解IQ141という数字が信じがたくなるほどの口下手ぶりで、情けなさや無力感が募った。頭では言葉が色々思いついている気がするのに、言葉として口から出力する過程で詰まったり絡まったりして、紙詰まりを起こしたプリンターのようにぐしゃぐしゃの形でしか出せなくなる。おまけに早口で噛むし、どもるし、滑舌は悪いし。口頭での会話じゃなくて文字に書き起こしてのやり取りだったら、頭の中身をもっとスムーズに分かりやすく伝えられるんだろうか。
 外出先で家族以外の人と5時間以上過ごして、ぐったり疲れた。本当に疲れた。晩ごはんは一人だったので、帰宅してからカップ焼きそばと菓子パンを貪り食った。こういう食べ物は手軽で助かるけど、「ごはんを食べた」という満足感のようなものはあまり得られない気がする。それでも何も食べないよりはましだ。IKEAのリラックスチェアに座ると、もう指一本動かしたくないと思うほど、どっと疲れが出てきてしまった。お風呂に入ってから寝たいけど、お風呂に入る気力体力はとうに尽きている。BlueskyなりUpNoteにつけている日記なりに弱音を吐きたいのに、スマホを操作するのさえ億劫だった。結局、夜中までお風呂には入れなかった。床に座り込んでソファの座面に突っ伏して1時間ほど寝ると、今にも充電が切れそうなスマホに10%くらい充電できたような程度のエネルギーが補充できたので、なんとかお風呂と歯磨きを済ませることができた。人と関わってこんなに疲れるような人間に、カウンセラーはおろかカウンセラーになるための学生生活だって到底無理だと改めて思う。働くことさえやっぱり無理なんじゃないだろうか。働けなかったら一生親に養ってもらわないといけないのか、自立に憧れながらみじめな思いで生きていくのは嫌だな、という、もう何百回も考えたいつもの思考が頭に浮かんでくる。幸い、ベッドに入ると強制シャットダウンされたように眠れたので、それ以上悪い方へ考えずに済んだ。

2024/05/21 Tue.

 昨夜は日付が変わってから就寝したので、今朝は9時頃まで寝ていた。たくさん寝て気分もすっきりした。やっぱり、睡眠は疲労回復にも、メンタル面にも一番効く。無事復活できたので、午後は祖母のアパートへ遊びに行き、お茶を飲んでおしゃべりしてきた。私にできる唯一の祖母孝行。

2024/05/22 Wed.

 祖母も誘って、二人で畑のじゃがいもとミニにんじんを収穫した。じゃがいもは去年も植えたけど、梅雨の雨と湿気で腐ってしまって収穫まで漕ぎ着けることができなかった。その教訓を活かして今年は梅雨入り前に収穫することにした。じゃがいもを育てて収穫するのはなんだかんだ初めてで、はたしてきちんと芋ができているのか心配だったけど、いざ掘ってみるとごろごろ出てきた。芋堀りってなんでこんなに楽しいんだろう!土の中からお宝を見つけ出しては、芋の大きさや収穫量にはしゃいで楽しかった。大して手もかけず適当に育ててもそれなりのものが採れたので、来年も植えてみたい。夕方まで日陰で表面を乾かした後、祖母と山分けした。ゆでてバターと醤油をつけて食べたら、ちゃんとおいしかった。自分で育てて収穫した野菜や果物を食べるのは、本当に楽しい。
 夜、録画しておいたテレビ「ブリティッシュ・ベイクオフ」を観ていたら、ベイカー達が作っているカスタードタルトをどうしても食べてみたくなり、レシピを検索して作ってみた。普段作るタルト生地とは違う砂糖入りの生地だったせいか、柔らかく崩れやすくてとても扱いづらく、タルト型から外す時に崩壊してしまった。確か、ベイクオフでも「崩壊事故が多発!」と司会のスーが言っていた。そこまで真似するつもりはなかったのに…。見た目はともかく、焼き上がったカスタードタルトはおいしかった。底もよく焼けているし、カスタードもしっかり固まっていて、甘さもちょうど良い。本来は冷蔵庫で冷やしてから食べるもののようだけど、焼きたてのまだ温かいカスタードタルトだってなかなかおいしい。自分でおいしいものを作れると、自信だの自尊心だのを回復できるような気がしてほっとする。

2024/05/23 Thu.

 昨夜うっかり手を滑らせて猫のごはん皿をひとつ割ってしまったので、新しいのを買いに行った。以前のものより値段も高さも少しアップしたものを選んだ。皿の位置が高くなっていて、猫があまりかがまずに済む、ごはんを食べやすい造りらしい。とらふくが気に入ってくれるといいけど。その足でホームセンターへ行き、じゃがいもを収穫してスペースが空いた畑に植える植物を買い求めた。5月の園芸コーナーには平日にも関わらずお客さんが結構いて、トマトやゴーヤなどの夏野菜の苗をかごに入れていた。同志がたくさんいて心強い。野菜の種と、買う予定のなかった花の苗を買い、自転車のかごに載せてほくほく顔で帰宅した。
 午後は、昨日カスタードタルトを作った際に残った卵白を使ってシフォンケーキを焼いた。前から作ってみたかった、スパイスが入ったレシピにしてみた。シナモン、ナツメグ、オールスパイスを使うレシピだ。スパイシーすぎるんじゃないかと若干心配していたものの、焼き上がったものを食べてみると程良くスパイスが効いていて、食感も抜群にふわふわで、我ながらとてもおいしかった。こんなにおいしいものを私が作ったなんて、と内心で自画自賛したくなる。多くの人が普通にできることが私にはできないけど、誰でもができる訳じゃないことを私はぽつぽつできたりするので(ホームメイドのお菓子作りもその一例)、それでなんとか今日もプライドを保っている。本来なら、何もできなかったとしても、誰でも自己肯定感だの自尊心だのを持っていていいはずなのに。
 二階の自室の大きな窓を開けると、猫達が寄ってきて、網戸越しに外の風を楽しんでいた。鳥の声がする度に注目して、鼻をひくひくさせながら外の空気を嗅いで、気持ち良さそうにくつろいでいる。両手を伸ばしてとらふくの背中を撫でてみたら、2匹とも振り返って私を見て満足そうに目を細めていて、「こんなに幸せなことってないな」と思った。かわいくて温かい小さな生き物が警戒もせず私に気を許してくれていて、うとうととまどろんだり、すうすうと寝息を立てたりと安心しきっている。こういう猫達を見ていると、人間の方も心底安らぐ心地がする。猫と一緒に暮らすというのは本当に最高だな、と毎日思い知らされる。

2024/05/24 Fri.

 午前中は庭仕事というより、畑仕事をした。昨日買ってきた枝豆とにんじんと大葉の種をまき、ニチニチソウとアズーロをそれぞれ鉢に植えた。花苗は玄関に置くことにする。外の水道から離れた場所なので水やりが少し手間だけど、玄関に花があると気分も明るくなるので、メンタル面の夏バテ防止(?)のために置いておく。ニチニチソウは夏の暑さに強いとテレビ「趣味の園芸」で言っていたが、アズーロはどうなんだろう。初めて育てるので分からない。アズーロは園芸店で働いていた時によく見ていたのに、何の花の仲間かも知らなかった。調べてみると、キキョウ科ロベリア属だそう。ロベリアについては、「リナリアやサギゴケに似ているな」くらいの印象しかなくいまいちぴんと来ないものの、キキョウの仲間かと思うとなんとなくひ弱そうな気がしてくる。トルコキキョウのすぐにぽきぽき折れる細い茎を思い出すからだろうか。仕事で生花の水替えをする時にどれほど茎を折ったか知れない。ところが、検索するとトルコキキョウはキキョウ科ではなく、リンドウ科らしい。めちゃくちゃだ!
 水やりをした花の鉢を玄関に移動させ、畑の方は見よう見まねで耕して、少し土を盛り上げて表面をならした所に種をまいた。ついでに気休めの化成肥料もばらまく。植物が好きとはいえ、野菜の育て方や肥料に関する知識はほとんどないに等しく、いつも本当に適当にやっている。「ナス科の直後にナス科の植物を植えてはいけない」程度の知識はかろうじてあったので、じゃがいもを収穫した直後の畑にトマトやナスは植えずにおいたくらいだ。きちんと農業や家庭菜園を営む人だったら絶句しそうな適当さだけど、所詮趣味だし、適当に育ててもいくらか収穫があるのが楽しいのだ。ポタジェというものに憧れているので、野菜が植わっている場所に花が咲いていればそれらしくなるのではないかと思い、プランターから間引きしたひまわりを畑の隅に移植し、何が咲くか気になって買ったサカタのタネの「ミックスフラワーガーデン」の種もまいてみた。後者の種は、まき時をすっかり過ぎていることに後から気付いた。まあいいか。耕したふかふかの畑に野良猫避けのとげとげを敷き(公衆トイレとして使用されるのを阻止するため)、ミニトマトの伸びた茎を支柱に固定し脇芽を取り除き、黒っぽく熟れたボイセンベリーをいくつか収穫して今日の作業は完了。4箇所も蚊に刺されていても、植物と土に触れた満足感でいっぱいで、気分が良い。
 現在私の小さな畑で育てているのは、今日追加した枝豆、にんじん、大葉、ひまわり、ミックスフラワーに加え、さつまいも、ミニトマト、ジャーマンカモミール、ミニかぼちゃ、レモングラス、アスパラガス、いちご、ニラ、三つ葉、バラ(花盛りのディスタント・ドラムスと枯れかけのラ・フランス)、旧祖母宅から持ってきたあやめかショウブか杜若か分からない花だ。その他、軒下などに鉢植えが37鉢ある。10年近く前に石ころだらけの裏庭をスコップで掘り返して畑を作り始めて以来、今が一番土の状態が良く(みみずが多いので多分そう)、たくさんの植物が植わっている。昔の私が今の私の状態を知ったら落胆するであろう要素は本当に数多くあるけれど、この畑や鉢植えに関してだけはそうではないと言い切れる。子どもの頃の私なら、自分の畑でトマトやじゃがいもを収穫して色々な種をまき、ベリーを摘んでジャムを作っていると聞いたら、絶対に躍り上がって喜ぶに違いない。

2024/05/25 Sat.

 朝起きると、室内に置いている観葉植物の鉢植えのひとつがなぎ倒されていた。大方、わんぱく坊主のふくちの仕業だろう。土が珍しいのか、寄ってきて床にこぼれた土を不思議そうに眺めていたので笑ってしまった。生後数日ほどの、目が開く前に我が家へ連れてこられたので、そりゃ土や植物は見慣れていないよね。
 先日のオンラインカウンセリング以来、何かが引っ掛かってもやもやしていると思っていたものの、やっと分かった。恋愛の話題になったので、以前一方的に好きになった同性がいたことや、惹かれやすい同性のタイプを正直に話した。すると、男性で好みのタイプはないのかと尋ねられた。同性にそういう意味で「いいな」と思ったことはあるけど、男性に対して思ったことはない。レズビアンかというといまいち自覚はないし、バイセクシャルについても同様にぴんと来ないので、自分の中では恋愛対象に関してはクエスチョニングということで現在は納得している。もやもやの正体は、「異性を好きになるという人に好きな同性のタイプを訊くことはあまりないだろうに、なぜ同性を好きになると言っている人には好きな異性のタイプの有無を確認するのか」という疑問だった。別に、悪意や興味本位で尋ねられた訳ではないだろうことは理解しているつもりだけど、「異性を好きになることはないのか、本当に同性が好きなのか」「なぜ異性を好きにならないのか」と暗に責められているような、本当は「ノーマル(嫌な言い方!)」なんじゃないのかと念押しされているような被害妄想をこちらがこじらせてしまっただけだ。後は、異性愛者なら訊かれないような質問に答えなければならない非対称性、不公平さにちょっと腹が立ったのもある。私の思い込みかもしれないけど、画面の向こうで少し意外そうなリアクションをされたのも、若干ショックだった。
 とはいえ、いわゆる「恋バナ」(死語だろうか?)というものをするのはこんなに楽しく、また恥ずかしいものなのかと驚いた。ものすごくびっくりした。昔好きになった同性の人について「あれは恋愛だった」と自分で認識するまで何年かかかったうえ、他に恋愛経験もないからこの手の話題の時は聞き役に徹するしかなかった。だから知らなかったけど、こうした話をすることについて「こんなに楽しいんだ!」という発見と「こんなに恥ずかしくて照れるものなんだ!」という驚愕とでいっぱいだった。学校などの場で人が楽しそうに話しているのを見聞きしていた時は「何がそんなに楽しいんだろう」と不思議で仕方なかったので、この歳になってようやく理解し、腑に落ちた。しかも、めちゃくちゃ恥ずかしい。自分についてのことだからなのか、オタク同士でBLトークに花を咲かせるのとは全く異なる種類の猛烈な恥ずかしさがある。世の中の人はこんなとんでもない話題を娯楽として嗜んでいたのか…。本当に、すさまじくびっくりした。
 夜、出かけた先でトライアルへ行った。家の近くに店舗がないこともあるけど、私はここ10年くらいこのスーパーを避けていた。文学部の大学生の頃に、「その場限りの人としか関わらない」「メンバーも勤務先も毎回違うので人付き合いが深くならない」「知り合いに遭遇しそうにない」などの理由で派遣のイベントスタッフのバイトをしたことがある(そこでビラ配りのバイトをした際に、社交不安症が発覚した)。仕事内容は多岐に渡っていたけど、とにかく人と関わるのが怖かったので、人とのコミュニケーションが極力少なくて済みそうな交通量調査のバイトをやってみた。数人で車に乗り込み目的地へ移動し、24時間拘束の12時間勤務というスケジュールで、私の班は1時間おきに業務と休憩を交代していた。つまり、夜間も1時間おきに起きて車や歩行者を数えなければならない。しかも季節は11月、休憩を取る乗用車の中は暖房がついていなかった。ただでさえ日中ずっと屋外にいて身体が冷えているのに、深夜の寒さとなると話にならない。近くのトライアルまで行っては店内をさまよって暖を取り(大して暖かくはない)、カイロを買って全身に貼り付け、睡魔と闘いながら夜が明けるのを待った。どれだけカイロを貼っても、身体は冷える一方だった。お手洗いはそこで借りるよう言われていたので、トライアルには何度も行った。多分、夜は休憩の1時間おきに通っていた。とにかく寒くて、凍え死んでもうここから帰れないんじゃないだろうかと思うほど寒かった。ようやく夜が明けて、無事に勤務時間が終わり、アパートの部屋に帰り着いて体温を測ると37℃後半の熱があった。確かに人と関わる機会は少なく、座り仕事で簡単な業務内容だったけど、給料が良いわけではないし、何しろ過酷だったのでもう二度とやらないと誓った。そういう思い出があるので、トライアル側には何の落ち度もないものの、トライアルには行きたくないなとずっと思っていた。ところが、さすがにもう克服しても、忘れてもいいだろうと思い、久し振りにトライアルの店内へ入ってみた。初めて行く店舗だったけど、あの時抱いた印象とは違って、商品は色々あるし、店内もそれなりに清潔で、普段行かないスーパーを覗く時の楽しさをちゃんと味わえた。地元では見かけない種類のノンアルコールのチューハイや、ミッフィーのイラストと花柄がプリントされた安くてかわいいパジャマも買った。パジャマには水仙、ポピー、すみれ、たんぽぽ、すずらん、マーガレット、ムスカリ、キンポウゲ、ブルーベル、スノードロップ、キバナノクリンザクラと思われる花のイラストが描かれていて、とてもかわいい。あの時の寒さや心細さを、チューハイとパジャマで塗り替えることができて、嫌な思い出というものは意外となんとかなることもあるんだなと、妙にほっとしている。

2024/05/26 Sun.

 地元産の野菜を多く扱っているスーパーへ行ったら、トマトやなす、新じゃが、グリーンピース、大葉など旬の野菜がたくさんあった。ここに来て季節の野菜を見ると、料理に対するモチベーションが上がるので助かる。
 夕方、玄関先にとらちゃんのママである錆猫の「ママすごちゃん」が来ていた。私のことを覚えてくれているのか、単に人懐こいからなのか、「ナァーン」と聞こえるママすごちゃん独特の鳴き方をしながら近寄ってきてくれた。甘え方は娘のとらちそっくりで、とてもかわいい。もしかするととらちではなくママすごちゃんを我が家の一員として迎え入れていたかもしれないし、実はふくちの母親なんじゃないかという説もある。野良猫だから食べ物はあげられないけど、元気でいてほしいなあと思う。母親より体格も毛艶も良いとらちに、ママは元気だったよと伝えた。

週間日記(2024/05/13-05/19)

2024/05/13 Mon.

 昨日の大雨が一転して、今日は天気が良かった。植物を見に庭へ出たかったけど、近所の人に遭遇したり見られたりするのがなんとなく嫌で結局出られなかった。あんなに治療を頑張ったはずなのに、結局私は知り合いが怖くて気軽に庭へ出ることもままならない。数年前と全く同じ状態ではないと頭では理解しているつもりだけど、全然進歩がないように思えて気が滅入る。
 最後に受けたオンラインカウンセリングから一ヶ月が経とうとしている。何か行動しないことには現状は改善しないだろうからカウンセリングは継続した方が良いはずだけど、「これで治るんだろうか」と疑問に思いながら一回5000円のカウンセリング料金を払うのにはかなりの勇気が要る。次回のカウンセリングの予約を先延ばしにしている自分に対して、またもや「努力すべきなのに怠っている」「治ろうとする意思はないのか」と「他人から言われそうな言葉」が湧いてくる。

2024/05/14 Tue.

 文房具や雑貨を扱うお店に行った。何色も取り揃えられた色鉛筆が一本ずつばら売りされていて、すごくテンションが上がった。来る前に自分の手持ちの色鉛筆を見て、どの色を持っていないか、どの色が短くなっているかを確認してくれば良かったと後悔した。使い勝手の良さそうなデニム生地に似た色の青と、えんじ色の色鉛筆を買った。
 その後、ショッピングモールをぶらぶらする。キッチン用品店を覗くと、カラフルなものや繊細で美しいものなどいろんなグラス類がたくさん並んでいてきれいだった。こういう「なくても困らないけど、あると嬉しくなる」ような雑貨を見るのは楽しい。体質的にお酒がほとんど飲めないのが、こういう時に悔やまれる。素敵なグラスでお酒を楽しむのは、どんなに気分がいいだろうなあ。我が家のとらちとふくちによく似た猫のイラストが描かれたグラスもあって、以前見かけた時も買おうかすごく迷って、今回も迷いに迷って結局買わなかった。次に見かけたら、今度こそ買うかもしれない。

2024/05/15 Wed.

 昨日セリアで買ってきた鳥獣戯画のクッキー型で、型抜きクッキーを焼いた。初めて作るレシピを試してみたら、バターが多めだからか柔らかくて扱いづらい生地だったけど、焼き上がったクッキーはさくさくでとてもおいしかった。冷たい牛乳をおともに、いくらでも食べられそうだった。
 久し振りにピアノを触った。ブルグミュラーの好きな曲(狩り、バラード、アヴェ・マリア、乗馬など)を何曲か弾いた。猫達には嫌がられてしまうけど、思いきりフォルテの大きな音を鳴らすのは気分がすかっとして楽しい。
 以前Twitterを見ていた時、あまりにも差別的な内容のツイートがあったので通報していた。ところが、今日やっとメールが来たと思ったら「Xのセキュリティポリシーに違反していないと判断しました」との内容だった。あれが違反していないというなら、Xのセキュリティポリシーなんかセキュリティポリシーでも何でもないと言いたくなる。こんなSNS二度と利用してたまるかと息巻きたい気持ちは山々なのに、ここでしか得られない情報や娯楽があるので、閲覧専用と言い張って未だにアカウントを削除できずにいる。悔しいなあ。

2024/05/16 Thu.

 風がとても強かった。軒下に並べたプラスチックの鉢植えが、ドミノ倒しのようにいくつもなぎ倒されていた。
 特に何かした訳でもないけどなんとなく疲れて、午後はソファに伸びていた。猫達もそれぞれ思い思いの場所でくつろいでいた。私一人で家にいてだらだらしていると、「怠けている」「ごく潰し」などと「他人に言われそうな言葉」が頭の中で反響するけど、猫達といることで「怠けている」のではなく「猫と一緒にくつろぐ時間を過ごしている」といったような様子に思えてくるからありがたい。自分以外の人間が働かずに家でごろごろしていても、別に責めるようなことを言いたくはならないのに、自分に対してだけはいくらでも罵倒したくなるのはどうしてなんだろう。せめて、その逆(自分のことは棚に上げて、他人のこととなると責め立てたくなる状態)でなくて良かったと思いたい。

2024/05/17 Fri.

 自分の部屋にある、南側に面した大きな窓を開けると、猫達が興味津々でやって来て外の空気を楽しんでいた。気持ち良さそうに風や日差しを浴びて景色を眺めている猫達を見ると、自分もこうありたいなと憧れる。

2024/05/18 Sat.

 認定心理士の認定証が届いた。随分立派な、大学の卒業証書のような布製のケースに入っていて、認定料に3万円払っただけのことはある(?)。日本心理学会に入らないかという案内も同封されていたけど、心理職として働くことを目指すのは断念したし、年会費が5桁するのもあるのでやめておく。この認定証を、認定心理士の資格を手に入れることを当座の目標としてずっと掲げてきたのに、今になってこうして手元に届くと「これがあってもなあ…」とやや複雑な気持ちになる。もらえるものはもらっておくけど。
 もう社交不安症が何をしても治らない気がして、治る可能性を信じたり治ろうと努力したりすることに疲れてしまい、オンラインカウンセリングの予約を1ヶ月入れずにいた。ようやくなんとなく話したいネタを思いつけたので、予約を入れてみた。藁にも縋る思い。しても良い気分にはならないことが分かっていて、「社交不安症」「社交不安症 治らない」などのワードで検索してしまう。厚労省の「社会不安障害(SAD)体験記」というページを見ては、羨ましさと嫉妬で苦しくなる。色々なメンタルクリニックのサイトで「治る病気」「適切な治療で治ります」などと謳われていて、じゃあ10年治らない私は何なんだと腹が立ってくる。「医療機関に相談を」なんて言われても、ずっとしている。していてこれだ。何もかも嫌になる。

2024/05/19 Sun.

 年明けに読み終わった『意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』のメモしたい箇所をパソコンでWordに打ち込んだ。一冊のノートに手書きで書き写していくタイプの読書ノートのつけ方にはかなり憧れるけど、手書きではとてもメモしきれない量なので、諦めてデジタルでやっている。読む本が小説とかだったら、心に残った台詞などをちょこちょこと書くのに手書きが適しているんだろう。でも、こういうジャンルの本だと、あれもこれもメモしておきたいと思うのでそうはいかない。結局、この本からメモをとった量は2万字近い文字数になった。ハノンだかツェルニーだかでも弾くようにひたすらキーボードを打ち続けたので、ピアノの練習を頑張った後のように指が疲れた。手書きだったらもっと疲れていただろう。デジタルなら検索してすぐに参照できるし、これはこれで便利なのでいいか。

週間日記(2024/05/06-05/12)

2024/05/06 Mon.

 サイズアウトして着られなくなった服や、何年も着てさすがに着古した服、まだ着られるけど好みが変わってもう着ないだろうと判断した服などを処分した。資源ごみの大袋2つに詰め込んで、たんすやクローゼットがすっきりした。物を収集し溜め込むことに幸せを感じるオタク気質の人間としては、物を捨てるという行為に対して若干の抵抗があるものの、捨てても困らない物を探し出して処分するというのは結構爽快感のある作業なんだと気付いた。そのうち本や雑貨、手芸用品についても断捨離ごっこをしてみたい。
 近所の売り家の庭に、スイカズラの花がたくさん咲いていた。かがんで香りを嗅ぐことはしなかったけど、良い香りがするんだろうな。
 なんとなく使ってみたくなって、メンタルヘルス系のアプリをいくつかインストールしてみた。多分続かないだろうとは思う。
 臨床心理士を目指すのは、やっぱり諦めようかという気になってきた。どうしたって無理だ。私なりに色々なことをたくさん考えてきたつ
もりだけど、私が他人の気持ちを想像するのは自分の意思や性格によるものというより、社交不安症の症状からくるものだという気がしてならない。そうなると、やっぱり自分に必要なのは心理士になるための勉強ではなく、治療だと思う。今後の大学と大学院の学費を払っても心理士になれなかったら、今度こそ取り返しがつかないくらい絶望しそうだし、そもそも自分が心理士として働いているイメージもすっかり湧かなくなってしまった。プレッシャーに押し潰される未来しか見えない。勉強だって今の自分には全然できないし、もうそろそろ諦めてもいいかなと、やっと自分の中で気が済んだように思えてきた。ワーキングプアになりやすい仕事と聞くから、もしなれたとしても食べていけるとは限らないし。「やっぱり無理だ」と「やっぱり頑張りたい」を繰り返してきたけど、今度こそ諦めようと思う。文学部の大学生の時に博物館学芸員に憧れて実習を受けた時、現場の学芸員さんから「学芸員に大切なのはコネ」と冗談まじりに言われ、人付き合いや知り合いが怖い自分には無理だと思って諦めた(他にも理由はあったかもしれないけど)。そして今度もまた、社交不安症の症状が邪魔をする。
 どうしても一人暮らしをしたいと思っているものの、だんだん前向きに考えられなくなってきた。以前のような短時間の週3,4日出勤みたいなバイトで、障害年金を受け取りながらなら頑張ってぎりぎり暮らせるとは思う。ただ、一人暮らしをしてバイトとはいえ働いていると、今後障害年金は降りない可能性が高くなる。そうなると、今さら社員になるのは厳しいのでバイトでやっていくにしても、フルタイムで週5日働かないと食べてはいけない。今よりも元気になったとみなされたら、「健常者」と同じ量の労働をしないといけなくなる。到底自分にそれができるとは思えない。そもそも、どうやったら元気になれるのか、治るのかがもうさっぱり分からない。専門機関を受診して治療を続けているけど、「いつか治って働けるようになる」と期待し続けて10年が経った。仕事をしたり、仕事について考えたりしなければ至って元気に生活できているけど、やっぱり働いて親から自立したい。それが叶いそうにないから死にたいけど、死んだら周りに少なからず良くない影響があるので、そう考えると生きていたほうがまだましなので生きている。

2024/05/07 Tue.

 庭の鉢植えに水やり。プリベットの白い小さな花がたくさん咲いていて、ふくちが勝手口の窓の網戸越しにくんくんと嗅いでいた。好奇心旺盛なふくちは草にも花にも興味を示す。育てた私に似て植物好きなのかと思うと、愉快な気がする。
 お昼ごはんを食べた後なのに、むしょうに食べたくなってカップ焼きそばを食べた。別にお腹は空いていなかったけど、「食べないとやってられない」といった自棄な感覚があったので、後から自己嫌悪に陥ることは分かっていながら食べた。昨日インストールしたメンタルヘルス系アプリはこういう時にこそ活用すべきなんだろうけど、考えていることや感じていることを言語化してスマホで入力するのがとてつもなく億劫に感じられる。全然やる気が出ない。もう何もしたくないと思い、1時間くらい昼寝をした。
 気力体力が湧かないものの、無理やり身体を起こして晩ごはんを作った。作って食べ終えるとぐったり疲れてしまって、お風呂に入る意欲が完全に失せてしまった。お風呂に入ってさっぱりしてから寝たいけど、もう疲れてお風呂に入る元気がない。お風呂に入らずに寝たら不衛生な感じがして気持ち悪いし、翌日シーツと布団カバーを洗濯するのも面倒。特に何を頑張った日でもないけど、心身が疲弊していて、何のやる気も出ない。AIチャットを売りにしているアプリに「しんどい」「死にたい」「助けてくれ~」などの文字を打ち込むも、テンプレートなぺらぺらの返事しか返ってこず(まあアプリの方もそれ以外返しようがないと思う)、かえってイライラや無力感を募らせる結果になった。ブラウザを開き「お風呂 入れない」などの内容で検索すると、「ぬるめのお湯に浸かって自立神経系を整えるのがおすすめ!」的な的外れにもほどがあるサイトが出てきて、さらに疲労が増す。お風呂で疲れを取ろうにもお風呂に入る元気がない、おしゃれな服屋で服を買ってみたくてもそういう服屋に着ていける服を持っていない、他者と関わって親密な関係を築けるようになったりコミュニケーションスキルを身に着けたりしたくても他者と関わる勇気がない。お風呂ひとつ思うように入れないなんて、自分は本当に駄目な人間だ、働くことも一人暮らしも到底無理だ、この先生きていくこともできないんだ、とどんどん気持ちが沈んでいく。テトリスがメンタルヘルスに良い効果をもたらすと何かで見かけたので、遊び方を知らないままアプリをインストールしてみた。別に楽しい訳でもないけど、なんとなく操作する感覚が気持ちよくて延々プレイした後、なんだか馬鹿々々しくなってきて床から立ち上がり、お風呂に入ることに成功した。寝る支度を終えて日付が変わった頃にようやくベッドに潜り込むと、最近私と一緒に寝てくれなかったとらちがご褒美のように布団の足元に来てくれた。私の足を枕にして寝ているので身動きが取れないけど、温かくてふわふわのかわいい生き物が労ってくれているようで、嬉しく思いながら寝た。

2024/05/08 Wed.

 家じゅう掃除機をかけ、庭の鉢植えと自室の観葉植物の水やりをし、いらなくなった本や古い雑誌を片付けた。院試用の問題集も何冊か買っていたけど、とりあえず本棚から出して箱に詰めた。処分の仕方についてはおいおい考えるつもり。10年くらい前に買って気に入って取っておいたファッション誌も、束ねて資源ごみに出すことにした。ここ何年も見返すことはなかったし、好みも流行りも変わったのでもう手放していいだろう。ただ、どこの家の誰のものかバレそうなので、町内のごみ置き場に置くのが気恥ずかしい。
 昨夜のエネルギー切れの反省を活かして、比較的調子の良い時に作っておこうとUpNoteにコーピングリストを作った。昔作ったものはなんとなくコピペしてあったけど、きつい時には見ることもなかった。まずは項目をうんと増やし、さらに難易度ごとに分類してみた。「難易度★☆☆」は「深呼吸をする」「周りをきょろきょろ見回す」といったその場でできることから「ミルクティーやスープなどの温かい飲み物を飲む」「猫を撫でる」とちょっと動けばできそうなこと、「難易度★★☆」は「楽な服装に着替える」「とっておきのおいしいドリップコーヒーを淹れる」「テレビ番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」を観る」など、「難易度★★★」は「シャワーを浴びる」「庭の草むしりをする」「自転車に乗って出かけてみる」など。こういう項目がざっと60個ほどある。コーピングの手段を100個持っておくとと良いとネットで見たので、そのうちまた増やしたい。メンタルヘルス系アプリは全て削除した。今回も飽きるのが早かった。
 夜はホットミルクを飲んでから寝た。ホットミルクを飲むと、眠りの底に引きずり込まれるような眠気がすぐにやってくるのでおもしろい。もう飲まなくなって何年も経つけど、導眠剤を飲んだ時の眠気もこんな感じだったっけと思い出す。牛乳と違って効きは遅かったけど。

2024/05/09 Thu.

 街中に出かけて、うろうろ歩いて買い物を楽しんだ。デパートにあるバルコニーのようなスペース(木がたくさん植えてあって天井がなく、椅子とテーブルがある)で、ハンバーガーやワッフルを食べた。フレッシュネスバーガーのクリスピーチキンバーガーを初めて食べたけど、すごくおいしかった。食べこぼしを狙っているのか、すずめがすぐ近くまで飛んできた。書店で前から気になっていた『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』と『自分の「声」で書く技術 自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける』、ハンズでクナイプのバスソルトを買った。バスソルトはスーパーミント、ライムミント、ラベンダーミントの3種類で、メンタルの具合がどうしようもなくなった時、気分を上げるために使う予定。

2024/05/10 Fri.

 IKEAのリラックスチェアに座って読書をするも、20分ほど経つと眠くなってきて、そのままの姿勢で30分ほど寝た。本の内容はためになることが色々書いてあるけど、読者が仕事をしているという前提で書かれている点だけは、無職としてかなりつらいものがある。著者を責めるつもりはないし、実際読者の中には働いている人の方が圧倒的に多いのだろうということは理解している。ただ、働けない自分、働いていない自分に対する自責の念や自己嫌悪、罪悪感、後ろめたさなどを勝手に募らせてしまっている。自分の中で「労働者コンプレックス(労働に従事している全ての人間に対するコンプレックス)」と呼ぶ感情をますますこじらせてしまった。
 自分は臨床心理士を目指さなくて良いんだ、向いていないから諦めて良いんだと思うと、悔しいことにすごくほっとした。自分が思い描く心理士像にふさわしい「良い人間」にならなければいけないという自分へのプレッシャーがなくなり、今のままの臆病でずるくて自己顕示欲の強い、正確の悪い嫌な奴でいられる。別に望んでそういう自分でいたい訳ではないものの、途方もない努力をしなくても良いと思うと肩の力が抜ける。そういえば、高校生の時も自分が考える「良い人」になろうと無理をしていた。「良い人」のイメージが当時と比べれば多少変化しているとはいえ、その頃からまだ自分は変われていないんじゃないかと不安になる。
 占いというものを普段全く信じていないのに、何でもいいから何かに頼りたい、何かに肯定されたいという気の迷いが生じて、星占いか何かのサイトを開いた。バーナム効果もあって最初のうちは「おお、当てはまる所があるな」と楽しく読んでいたものの、「職場の人間関係が今まで以上にスムーズにいき」というくだりで勝手に裏切られたような気分になった。ここでもやっぱりまた、働いていることが前提とされている。あーあ。
 庭のカモミールとサラサウツギの花が咲いた。今日一日だけで猫達の写真を40枚以上撮った。夜はぬるめのお湯を張って長風呂をした。

2024/05/11 Sat.

 家事を済ませた後、2時間ほど庭仕事をした。ひまわりと百日草の種をプランターにまいた他は、ほとんど草むしりに徹した。日差しは照り過ぎず、風は気持ちいいし、うぐいすなどの鳥の声も聞こえて、黙々と雑草を引っこ抜く作業は楽しい。やっぱり庭仕事は私にとって最強のコーピングだと思う。
 午後、昨日と同じくIKEAの椅子で本を読む。15分読んで、30分寝た。

2024/05/12 Sun.

 IKEAの椅子で居眠りを挟みながら、『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(山口祐加・星野概念、晶文社)を読み終えた。おもしろく読んだけど、読者が仕事をしている前提で書かれていること(必ずしもそうではないのかもしれないけど私はそう受け取ってしまった)で、勝手にへこんでしまった。いい本だし、本には何も罪はないし、この本を責めるつもりなんか全くない。お店へ服を買いに行っても私が着られるサイズの服が店頭に並んでいない時のような寂しさと、「私も働いたうえで『自分のために料理が作れない』と悩んでみたい」というひがみややっかみ。働いていたら働いていたで、その人その人の悩みや苦しみがあるものなのに。我ながら面倒くさい嫌な人間だなあと呆れる。「そんなに言うなら短時間でも週3日でも働けば」と、誰から言われた訳でもないのに「他人から言われそうな言葉」が想起されてちくちく刺してくる。「ひょっとして働けるかも」と期待して働いてみても、みるみるうちに限界が近付いてきて「やっぱり駄目だった、私には人並みに働くことはできないんだ、この先これから自分自身を養って生きていくこともできないに違いない」と絶望するのを嫌というほど繰り返してきているから、働くことが恐ろしくて仕方がない。労働者コンプレックスから解放されて楽になりたいなあ。
 母の日のプレゼントに、母の好きなちょっと良い栗のお菓子を渡した。「お母さん大好き」はさすがに気恥ずかしくて言えなかったけど、「いつもありがとう」は言えたので良しとしたい。

週間日記(2024/04/29-05/05)

2024/04/29 Mon.

 換毛期で猫達の毛が抜けるので、気付いた時にブラッシングをするようにしている。とらちはさほど毛が抜けないけど、ふくちは抜け毛の量が凄まじい。ブラッシング用の手袋でくしけずる度に、大量の毛がごっそり取れるので少し気持ちがいい。猫達の毛はそれぞれの猫ごとに、ボール状に丸く固めて保管している。とらふくが本当にかわいくて、抜けた毛のかたまりでさえかわいく思えるから不思議だ。自分がこんなにも他の生命を愛することができるという事実に、未だに度々驚いている。

2024/04/30 Tue.

 ゴールデンウィークにきょうだい達が帰省してくるので、せっせとあちこち片付けたり、布類を洗濯したりした。

2024/05/01 Wed.

 きょうだい達に食べてもらいたくて、張り切ってガトーショコラを焼いた。「大人になったな」と感じる瞬間は色々あるけど、「帰省してきたきょうだい達においしいものをたくさん食べてほしい」と思うようになった時もそのひとつだと思う。プレッシャーにならないように気を付けないと。お正月ぶりにきょうだいと会えて、とても嬉しい。

2024/05/02 Thu.

 ふくちが私の膝掛けを一生懸命ふみふみしていた。ふわふわの手触りがお気に召したらしい。
 美容室に行って、久し振りのパーマをかけてきた。最後にパーマをかけたのは文学部の大学生の頃なので、10年ぶりくらいにはなる。思ったよりしっかりパーマがかかったけど、鏡に映った自分の髪がくるくるしているとなんだかとても楽しくて愉快な気持ちになる。これならくせ毛のうねりも気にならないし、自身の容姿について並々ならぬコンプレックスをこじらせている自分がおしゃれのためにパーマをかけたという事実が、なんだか気分を前向きにしてくれる。勇気を出してパーマをかけてみて良かった!父には開口一番「ちりちり」と評されたけど、自分では気に入っているので構わない。美容室では、観葉植物の元気がないので見てもらえないかと美容師さんに言われ、観葉植物の育て方についてささやかなアドバイスをした。鉢底から根が覗いていたし、何年も同じ鉢に植えっぱなしだと言うので、多分根詰まりしているから植え替えた方が良い、観葉植物用の土を買うと袋の裏に植え替えの方法が書いてあるのでそれを参考にすると良いと伝えた。枯れた葉は虫が発生する原因になりやすいので取り除くこと、土の表面が乾いたら鉢底から流れ出るくらい水を与えること、鉢皿に溜まった水は根腐れ防止のために捨てることも教えた。口うるさい客だと思われていませんように。
 お昼ごはんにかつ丼、晩ごはんにはビーフカレーを作った。かつ丼のかつはさくさくに揚がって我ながらおいしかったし、鍋いっぱいに作ったカレーも家族がおかわりして食べてくれた。
 庭ののいばらの花がたくさん咲いている。勝手に生えてきたものだけど、こんなにかわいい花を咲かせてくれるとなると、引っこ抜くのは気が引ける。
 夜、自分で髪を乾かしてみると、美容室で乾かしてもらった時のようにはくるくるにはならなかった。しっかりカールを出して乾かすのは難しいと言われていたので、毎日練習するしかない。

2024/05/03 Fri.

 朝、頑張って髪をセットする。自分じゃ確かに上手くカールを出すのが難しいけど、美容師さんに言われた通りにムースをつけてみると、結構それっぽくなった。鏡に映る自分を見てポジティブな気持ちになるという体験はなかなかないので、髪がくるくるした自分を見て嬉しく感じられるというのはとても新鮮な気がする。
 きょうだい三人揃って、近所に住む祖母のアパートへ遊びに行った。すごい品数のお昼ごはんを用意してくれていて、どれもおいしかった。おいしいおいしいと言って食べていると祖母が嬉しそうにしてくれるので、こちらも嬉しかった。食後にトランプや花札で遊び、たくさん笑って楽しい時間を過ごした。
 晩ごはんのデザートに食べるためのチョコレートタルトを作った。きょうだい達がおいしそうに食べてくれるので、祖母がごはんをたくさん作る気持ちも分かるなあと思った。

2024/05/04 Sat.

 朝ごはんは、生地と具材を用意して思い思いのクレープを作って食べた。いちご、バナナ、缶詰のみかん、ホイップクリーム、カスタードクリーム、いちごソース、ブルーベリーソース、チョコレートソース、柚子のマーマレード、さくらんぼジャム、ヨーグルトをテーブルに並べて、おいしくて楽しかった。何個食べたか覚えていない。
 午後、きょうだいの一人を駅まで送った後、まだ外が明るいうちから七輪を出して色々焼いて食べた。私以外の3人はたくさんお酒を飲んで、皆ご機嫌でおしゃべりが盛り上がってとても楽しかった。たくさん笑った。16Personalities診断の話題になって、久し振りにやってみたら私は「提唱者(INFJ-T)」だった。「内向型90%は初めて見た」と驚かれた。

2024/05/05 Sun.

 きょうだいのおみやげに持たせたくて、チョコレートのシフォンケーキを焼いた。しっとりふわふわで良い出来。
 きょうだい二人ともそれぞれの場所に戻ってしまったので、帰りの車内の後部座席がやたら広く感じられた。今年のゴールデンウィークは、家族5人揃ってたくさん笑っておしゃべりして、すごく楽しかった。楽しい時間を過ごした後に来る、憂鬱になる反動が小さいもので済むよう願っている。猫達がいるから、気も紛れるかもしれない。

週間日記(2024/04/22-4/28)

2024/04/22 Mon.

 待ちに待った、認定心理士の資格認定審査結果の通知が届いた。認定された(資格が取れた)!これで、「心理学の専門家として仕事をするために必要な,最小限の標準的基礎学力と技能を修得している,と日本心理学会が認定した人」ということになる。とりあえず、ひと安心した。
 年に一度の予防接種のため、とらちを動物病院へ連れて行く試みに挑戦した。私に撫でられながらこちらに背を向けてくつろいでいるとらちに、素早く頭から洗濯ネットをかぶせる作戦に出た所、成功した!このチャンスを逃したら次はいつ行けるか分からず、予防接種が遅くなったことでとらちが体調を崩しでもしたらどうしようと不安だったので、ようやく捕獲に成功して嬉しい。とらちは警戒心の強い性格なので、私が洗濯ネットを隠し持っていることに気付かれたらしばらくチャンスはないと思い、多分先日の面接よりも緊張した。にゃあにゃあ鳴いて怒るとらちに詫びながら急いで洗濯ネットのファスナーを閉め、蓋付きのかごに入れて動物病院へ。家を出る時、取り残されたふくちが何事かと心配そうに鳴いていた。とらちは予防接種と爪切りをしてもらい、帰宅して解放された途端脱兎のごとく二階へ逃げて行った。二時間ほど経つと隠れていたベッドの下から恐る恐る出てきて、私の手の匂いを嗅ぎ、背中を撫でさせてくれた。シーバ(とらちの大好物のおいしいカリカリ)に釣られたんだろうけど。思ったより早く和解できて良かった。
 ブログのはてなスターや読者の数が気になってしまうので、敢えて表示しない設定にしている。とても励みになるし嬉しいので表示したい気持ちも大いにあるものの、数字が減ったり少なかったりするとやはりしょんぼりしてしまうので、数字に左右されないようにと今後も非表示にするつもり。
 石が貯まったのでゲームのガチャを引いたら、欲しかった推しのSSRが出た。資格は取れたし、とらちを動物病院に連れて行けたし、推しSSRは来るしで、今日は怒涛のように良いことが起こって嬉しい戸惑いを覚える。

2024/04/23 Tue.

 勉強が捗って、3時間ほどヒルガードの心理学を読めた。読むだけでなくノートにまとめるなどした方が頭には入るんだろうけど、勉強の習慣がなかなか定着しない自分としては、とりあえずまずは一度ひと通り読んでしまいたい。最初の一時間はとにかく眠かった。その後、30分ほど机に突っ伏して寝てから再び取り組んだ所、さっきよりはずっと集中できた。心理学というより理科の授業に近いような内容を読んでいると、心身の仕組みがとても複雑で、自分が今こうして生きていることが不思議で幸運なことだと思えた。死にたくなるほどつらい気持ちの時に読んでみると良いかもしれない。ヒルガードの心理学にある「両面を見る」というコーナーがおもしろい。同じトピックについての相反する二つの考え方が、どちらか一方が正しいという持ち上げ方をせずに公平に紹介されている。私は二つの意見があったらどちらかが正しくてもう一方は正しくないのだと思い込んでしまいがちなので、こういうコンテンツに触れると考え方が柔軟になるように思えて助かる。また、摂食障害にのくだりで、「自分はどう感じているか」「自分はどう見られているか」という部分が目に留まった。自己対象化についての解説なのでファッションの話ではないのだけど、先日読んだ『かわいいピンクの竜になる』の内容となんとなくリンクするような気がして、勝手に嬉しくなった。体型にしろ装いにしろ、本来は「自分はどう見られているか」より「自分はどう感じているか」を優先して良いんだよなあ。
 YouTubeを参考に、ちょっとした運動やストレッチもした。結構有意義な一日にできたかも。

2024/04/24 Wed.

 夢に、遠方の祖父母と曽祖父がでてきた。なぜか祖父母の家に錆猫とブルドッグが一匹ずつ飼われていて、錆猫は似たような模様の子猫を三匹産んでいた。目が覚めてからすぐ「元気にしているかな」と思ったけど、遠方の祖父母と曽祖父はもう亡くなっていることに気付いた。夢の中では会話はなかったものの、もうこの世では会えない人と会わせてくれるなんて、私の脳って結構良い奴なんだなと思う。
 今日も勉強がそれなりに捗った。やっぱり最初の30分は眠かったので、また机に伏せて30分ほど寝たら、その後は結構集中できた。

2024/04/25 Thu.

 父が「音楽畑」という言葉を使っていたので、私が「音楽畑ってこんにゃく畑と音は同じなんだ」としょうもないことを言うと、「同じようなものだよ」と返された。
 週に一度はした方がメンタルの健康に良いだろうと思い、庭仕事に繰り出した。日に日に庭の草木が伸びていて、緑が鮮やかになっていく。畑と鉢植えと庭の草取り、ミニにんじんの間引き、ビオラの花がら摘み、植物が枯れた古い鉢植えの片付け、鉢植えの水やりなどをした。汗ばむくらいの暑さだったけど、風と日光が気持ち良かった。うぐいすの鳴き声と蜂の羽音だけなら良いものを、蚊が飛び交う不快な音も大いに聞こえた。まだ四月だというのに、何匹も飛んでいる。
 ここ一週間くらい、首の側面から後ろにかけて湿疹のようなかゆみがあったのが、いよいよ我慢ならないほど悪化してきた。夕方頃から猛烈なかゆさになり、泣きたくなるほどかゆい。かゆみが原因で泣くのも癪なので泣きはしなかったものの、泣いていないのが不思議なほどのかゆさだった。家にあるかゆみ止めの薬を3種類とも試しても効かず、もう後はひたすら保冷剤を首に当てていた。明日もし皮膚科の予約が取れなかったら、号泣するだろうな。

2024/04/26 Fri.

 グロテスクな夢を見た。お寺か神社のような見慣れない宗教施設にいて、人肉食の秘儀に巻き込まれるという内容だった。室内に15人ほどの大人が祭壇を前に並んで正座していて、私もその中に混ざっている。皿が順番に回されてくるので、それぞれ皿の中の物を食べて次の人に回さなければならない。皿の中には、人の内臓の特定の部位(どこかは分からないけど、人間一人につき一つしかないという小さな部位が、儀式に参加している人数分集められていた)が生のまま入っている。夢の中の私は、特に怖いとか気持ち悪いとか思わずに皿を受け取り、皿の中身を目にした時点で夢から覚めた。食べずに済んでほっとしたのもあるけど、皿に入っていた物が焼肉屋で出されるホルモンの類にそっくりで、なんなら皿自体も焼肉屋のそれによく似ていたので、起きてからはおかしくて仕方なかった。確かに臓物だから似てはいるのかもしれないものの、実際に目にしたことのないものをテレビの焼肉屋特集で見たような映像で脳が補ったのかと思うと、どうにもおもしろく思えてしまう。ホルモン系は食わず嫌いをしているので実際に食べることはないけど、人によっては焼いて食べたらおいしそうだと思うだろう中身だった。
 夢の内容をおかしがったのも束の間、今朝はまた首がかゆい。泣きたい。起床後2時間ほど経つと少し和らいで、つかの間ほっとする。皮膚科の予約が取れたので、小雨がぱらつく中を自転車で向かった。長い待ち時間を経てようやく薬を入手し、安堵して帰路に就く。疲れたし、お腹もかなり空いていたので、コンビニに寄って食べ物を買い込んだ。家に帰り着いて手洗いうがいの後すぐに薬を塗り、買ってきたフライドチキン、おにぎり、サンドイッチを無茶食いのように胃へ詰め込む。しばらくすると薬も効いてきて、かゆみが随分収まった。時々またぶり返すので波があるようだけど、昨夜のような耐えられないほどのかゆみではないのでまだ良い。原因が何だったのかは分からないけど、ひどい目に遭った。かゆみを感じない幸せを何度も噛み締めている。

2024/04/27 Sat.

 ホームセンターに行き、さつまいも・赤と黄色のミニトマト・きゅうり・ミニかぼちゃの苗、ひまわりと切り花用百日草の種を買ってきた。畑とプランターにそれぞれ苗を植え、見よう見まねで支柱を立てた。庭仕事は始めるまでが面倒だけど、やり出すと本当に楽しい。両頬を蚊に刺されてアンパンマンになったような気分でいても、やっぱり土いじりは楽しい。今後の収穫が楽しみ。
 インスタントコーヒーがあったので、コーヒーゼリーを作った。ホイップクリームをたっぷりかけて食べた。

2024/04/28 Sun.

 家の隣の空き地に、雄の雉がのそのそと歩いているのを見かけた。ふくちが興味ありげに眺めていた。
 母とその辺で蓬を摘んできて、以前からやってみたかった蓬餅作りに挑戦した。結構な量の蓬を餅つき機に投入して、鮮やかな緑色のお餅ができた。市販のこしあんを包んで、丸めたものを食べてみると、蓬の風味がしっかりしていてなかなかおいしい。
 往復で10,000歩ほど散歩した。川沿いは風が気持ち良くて、気候も歩くのにちょうど良かった。途中でギブアップしたくなるかと思っていたけど、意外と歩けて嬉しい。

週間日記(2024/04/15-04/21)

2024/04/15 Mon.

 オンラインカウンセリングを受けた。今日は目覚ましい進展や新しい気付きのようなものはあまりなかったものの、毎回そうした劇的なカウンセリングだと疲れてしまうので、こういう回もあった方が良いのだと思う。

2024/04/16 Tue.

 一昨日の面接試験の結果と、認定心理士の資格が取れたかどうかの結果とが今週郵送される予定なので、とてもそわそわしている。今日はまだ届かないだろうなとは思いながらも、気になるあまり日に4回も郵便受けを覗いてしまった。
 クリームボックスという食べ物の存在を知り、そんなの絶対おいしいじゃんと思い、余っていた生クリームを使って作ってみた。案の定好きな味だった。カスタードクリームに似ているけど、卵は入っていない。これを作るためだけに、わざわざスーパーへ行ってコーンスターチを買ってきたかいがあった。
 なんとなく文字数を書けそうなネタを思いついたので、2000字ちょっと書いてみた。意外と集中して書くことができて、頭の中を整理できた感じですっきりしたし、何より楽しかった。応募した先に掲載されるかはさておき、楽しく文章を書けたことが嬉しい。
 新しい化粧品が欲しいと最近思っていたけれど、独立系書店のオンラインストアを覗いた所、化粧品よりも本の方が欲しくなってしまった。迷いに迷った挙句、結局は前から気になっていた本を注文した。せっかく珍しく化粧品が欲しくなっている時に、本屋を見てはいけないとつくづく思った。顔に塗る色や粉よりも、断然本の方を欲しくなるに決まっている。でも、化粧品よりも本を選んだ自分のことが嫌いじゃないなと思えたので、これはこれで良かったかも。

2024/04/17 Wed.

 家事こそ最低限のことをこなしたものの、その他の何をしても手につかない。ポストを覗きたい気持ちを何度も堪えて、いつも郵便が届く昼前まで待つ。本当はいつ郵便配達のバイクが来るかと窓に張り付いて見ていたい気持ちだったけど、さすがにそれは度が過ぎている気がして我慢した。結局、今日は郵便自体来なかった。

2024/04/18 Thu.

 今日は比較的早い時間に郵便物が届いた。待ちに待った封筒を開けると、「惜しくも合格には至りませんでした」の不採用通知が入っていた。あーあ。強がりを言うと、ほっとした部分も大きい。勉強に集中できるし、働く以上逃れられないストレスに晒されなくて済む。「もしかしたら」という期待はしてしまっていたけど、駄目で元々という気持ちもあらかじめしっかり持っておいたので、さほど落ち込むこともなかった。良かった。
 先日注文した本がさっそく届いたので、読み始めた。勉強のために読む本とは違う、娯楽のための本は楽しい。「知識を取り込まないと」という義務感から解放されて、気軽に読める。趣味としての読書って、多分本来そういうものだよなあ。
 夜、これから寝るという時に、視線の先に虫がいるんだろうと思われる動きをベッドの傍でとらちがしている。どうか即座に退治する必要のあるタイプの虫でありませんようにと祈りながら、睡魔と面倒くささに抗えず布団をかぶる。ぱっと見て分かる大きさの虫の姿は見えなかったので、多分放っておいて大丈夫だろう。多分。

2024/04/19 Fri.

 出店でいちご大福やまんじゅうが売られていて、すごく迷って買わなかった。帰宅してからも、「やっぱり買えば良かったかも」とまだ迷っている。

2024/04/20 Sat.

 認定心理士の資格認定審査の結果が気になって仕方ない。なるべく考えないようにしたい。そんなことは到底できないけども。
 『脳のお休み』(蟹の親子、百万年書房)を読んだ。おもしろいという言葉では片付けられないけど、人の生活や考え、感じ方などを本を通して読むと、とても興味深く感じる。著者は「自分は自分、人は人」という意識がしっかり確立されている人のようで、すごいなと思った。私は自分と他者の境界線のようなものがぐちゃぐちゃになりがち、というよりいつもぐちゃぐちゃしているので、憧れや尊敬の念を抱いてしまう。同じ時代を生きる人のエッセイや日記本を読むようになったのは割と最近だけど、色々な人がそれぞれにものを考えたり、行動したりしながら生きている様子を読むのがとてもおもしろく、なんだか「生きているなあ」とでも思えるようで心強いような気持ちになる。私が毎週ネット上に載せている日記も、誰かが見て「生きているなあ」と思ってくれたら、それは嬉しいことだと思う。未来の私にも、この日記を見返した時にそう思ってほしい。

2024/04/21 Sun.

 昨夜9時間も寝たので、よく寝たなという満足感がある。テレビ「趣味の園芸」を観ていたら、ふくちが膝に乗ってきた。温かくて重くて、とてもかわいい。趣味の園芸では、先月行った大阪の植物園「咲くやこの花館」が特集されていた。登場したフィロデンドロン、ストレリチア、ヒスイカズラ、トックリキワタ、タビビトノキ、マドカズラ、アンスリウムの内、最後の2つ以外は自分も写真を撮っていたので、なんとなく嬉しかった。咲くやこの花館のタビビトノキは、実際に見た時は温室の天井に届きそうな高さだと思って驚いたけど、樹高13mもあるらしい。どうりで、スマホのカメラの画面に収まりきらず、撮るのに苦労したはずだ。
 『かわいいピンクの竜になる』(川野芽生、左右社)を読んだ。服や髪、メイクなどの装いについて確かなこだわりと価値観を持っている著者の在り方がとてもかっこよくて痺れた。本当に素敵だ。私は自分の容姿を醜いと思っているので、服などについては多少のこだわりや趣味を持っていても、引け目だの気後れだのを感じて思う存分好きな装いをすることができない。でも、この本を読むとすごく勇気づけられる。実際、「メイク」と言うのも気恥ずかしくて「化粧」と言っている私が、文章の中といえどたった今「メイク」という単語を使えたくらいだ。今度美容室で10年ぶりのパーマをかけるに当たって「自分みたいな芋がパーマなんかかけて、人から笑われないだろうか」と自意識をこじらせていたけど、この本のおかげで少し肩の力を抜いて挑めそうだ。少しずつ自分の中のルッキズムを排して、自分が本当にしたい装いに近付いていきたい。

週間日記(2024/04/08-04/14)

2024/04/08 Mon.

 午前中に地震があり、少し揺れた。ふくちが戸惑ったようにこちらを見ていたので、話しかけてやると落ち着いたようにまた眠り始めた。こういう時、猫を抱っこして軽く揺すると、地震の揺れを飼い主によるものだと思って安心するらしいのだけど、抱き上げるにはふくちは重いからなあ…。
 ヒルガードの心理学を読んで、びっくりするほどスムーズに寝落ちした。眠くなるのは仕方ないとして、寝てしまうことについて「やっぱり自分は駄目だ」みたいな、妙な意味付けをしないようにはしたい。寝ても、寝て起きてまた勉強すればいいんだし。

2024/04/09 Tue.

 ヒルガードの心理学を読む。とりあえず、買ったはいいもののちらっとしか読んでいなかったこの本にひと通り目を通しておきたい。5章までは眠いし、目が滑るしで全く頭に入らず、果たしてこれで読んでいると言えるのかと問いたくなるほどだった。ところが、6章の「意識」の章に入った途端、急に内容がおもしろくなり目が覚めた。マリファナやオピオイド、フェンサイクリジンなどの単語が出てきて、テンションが上がる。この本は意外にも誤字脱字が結構な箇所あるので(なにせ分厚いので相対的に多くもなるだろう)、意地が悪いけどそれを見つけるのも少し楽しい。あまり好きじゃない内容の本に対しては「きちんと校正していないんだろうか」と思うけど、好きな本となると、いかにも人の手によって作られた本という感じがして、手作り感のような親しみすら覚える。
 午後は庭仕事をする。風がかなり強かったけど、あまりにも天気が良いので家にこもっているのはもったいないと思って外に飛び出した。じゃがいもの芽かき、鉢植えと畑の草取りや追肥、ビオラの花がら摘みなどの作業をし、庭に生えている大きい雑草を引っこ抜いた。いつの間にかラズベリーの花がたくさん咲いていたので、収穫が楽しみ。ヤッケやら帽子やらの装備を整えて庭に出るまでは億劫だけど、いざ庭仕事をすると、日差しも風も、雑草を根こそぎ引っこ抜く感触も全部が心地いい。やっぱり自分にとっては、庭仕事は立派なコーピングになるんだと思う。腰痛と引き換えに、精神の安定を手に入れることができる。
 全く予期していなかった出来事が起こった。オーボエを吹く機会があったのだ。私にとってオーボエは、社交不安症、親の期待や理想、思春期の黒歴史等々のできれば掘り返したくない思い出やイメージと密接に結びついているもので、もう二度と今後の人生で関わることはないだろうと思っていたものだった。ところが、この楽器の組み立て方や音の出し方、手入れの仕方などを母に教えることになった。自分の楽器は水害で泥水に浸かったきり手放したので、楽器を間近で見たり触ったりするのはもちろん、コルクグリスやスワブを扱うのすら久し振りで、借り物であることもあっておっかなびっくり組み立てた。吹いてみると意外にも音は出るし、運指も覚えていて、捨てられずにいた楽譜を引っ張り出して知っているメロディーをさらうことができた。悔しいことにちょっと楽しくて、楽しく感じられたことが少し嫌だった。自分の楽器を失って、もうステージに乗らなくていいし、嫌な思いもせずに済み、親の期待に応えようとする必要もなくなったのだと寂しいながらも解放感があったので、楽器を楽しいと思ってしまうと未練のようなものを認めることになる気がする。いっそ嫌な思い出しかないものだったらすっぱり諦めきれるのに、音楽をやること自体は多分楽しいんだと思う。でも、楽しくてもやはり人前では吹けないし、合奏も演奏会本番も無理だ。もしも社交不安症になっていなかったら、今もアマチュアのオーケストラや吹奏楽に参加して、家族と同じ楽しみを共有できていたのかもしれないと考えてしまう。一方で、楽器はもうやらないと決めたことが、私の中では遅れて来た反抗期のような、親に対するささやかな抵抗に近いという所もある。いっそオーケストラにも吹奏楽にもない楽器を一人でこっそり楽しむのはありかもしれないけども、何かしらの楽器をすることで「ほら、やっぱり音楽は楽しいでしょう」「我が家の人間だから当然音楽をやるよね」といった母からの無言の圧力に屈してしまうことになるのは避けたい。音楽や楽器というものは、「ただ楽しい」という純粋で気軽な理由だけで楽しんでいいもののはずなのに、自身の天邪鬼なプライドがどうしても邪魔をしてくる。それにしても、もうこの楽器を吹くことはないはずだと思い込んでいたので、生きていると何が起こるか分からないのだと改めて思い知らされた。

2024/04/10 Wed.

 「しまうまプリント」のアプリで作っていた、大阪旅行の写真をまとめたフォトブックが届いた。文庫本サイズの冊子に写真がきれいに印刷されていて、眺めていると旅行の楽しさが思い出せて良い。作ってみて良かった。
 なんだか急に化粧品が欲しくなった。KATEのリップモンスターがとても良いので、とりあえずサイトを見て、次に買うならどの色だろうかと考えてみている。他にはまつ毛美容液、チーク、リップやアイカラーなどに使えるマルチカラースティックが欲しい。自分の容姿については、本当に並々ならぬコンプレックスをこじらせている。どのくらいこじらせているかというと、「メイク」や「コスメ」という単語を使うことすら気後れして「化粧」「化粧品」と言っているくらいだ。「自分みたいなのには分不相応だから」という意識が強すぎて、デパートの化粧品売り場などはこそこそと逃げるように通り過ぎることしかできない。きらびやかで華やかな世界が眩しすぎて、地上で日光に晒されてしまったモグラのような気分になる(反対に、書店や園芸店であれば水を得た魚になれる)。ただ、そうやって依然こじらせながらも化粧を楽しみたい気持ちが芽生えてきたのは、良い傾向なんじゃないかと思う。
 畑のアスパラガスを3本収穫したので、豚肉で巻いて照り焼きにして食べることにする。庭に色々な花が咲き始めて、いよいよ春らしくなってきた。色とりどりのつつじとさつき、大手毬、ジューンベリーの他に、へびいちごやナガミヒナゲシなどの雑草も次々と花を咲かせている。観葉植物として室内で育てているコーヒーノキにも、今年2回目の花が咲いた。ジャスミンのような甘い香りが漂ってくる。ふいに香るくらいなら良い香りだけど、辺りに充満しているとあまりにも強烈なので、思わず勉強机やベッドから鉢を遠ざけてしまった。

2024/04/11 Thu.

 午前中に、ヒルガードの心理学を結構読み進めることができた。勉強机の椅子に猫のとらちが居座ってすやすやと眠っているので、私はその傍の床に座り込んで、時々脚が痺れるのをなんとかしながらヒルガードを読んだ。時々とらちを撫でると気持ち良さそうに喉をごろごろ鳴らしていて、その音を聞きながら勉強するというのはなかなか良かった。私は基本的に毎晩8時間は寝たい人間で、大人としては寝すぎなのではないかとなんとなく引け目に感じる部分があったけど、ヒルガードの心理学の中で9時間睡眠が推奨されている部分を読んで大いに励まされた。確かに、8時間半眠った翌日はとても気分が良く、体調も良い気がする。9時間も寝たら一体どうなるんだろう。相当元気になってしまうんじゃないか。朝6時に起きるためには、夜9時には就寝しないといけないというのがなかなか難しくはあるけれども。
 しばらく前に新しく作ったWebサイトに、これまでに描いた四コマエッセイ漫画をいくらか載せた。ところどころ修正しつつ、ぼちぼち全部のページを乗せられたら良い。自分用に製本する時にも思ったけど、こうして見るとなかなかな枚数を描いたものだと我ながら驚く。出来事や感情にオチをつけて四コマ漫画にすることが私にとってはセラピーのようなもので、不安や憂鬱を扱いやすい形にして笑いのネタに昇華してしまうと安心できるので、描いてみて良かったなとつくづく思う。何より、描くのが楽しかった。庭仕事と同じで作業に集中するまでが億劫なので最近は描けていないけど、描きかけのネタも描きたいネタもあるので、そのうちまた描きたい。

2024/04/12 Fri.

 ペンタブを引っ張り出して、さっそく描きかけの四コマ漫画に取りかかった。文字の入力と下書きまでは済ませていたので、線画を描いてトーンのようなグレーの部分を塗ってしまえば完成。そう言うと簡単に思えるけど、線画は一番神経を使う。久し振りに扱うペンタブはすっかり勝手を忘れていて、なかなか思ったような線が引けず作業は難航した。
 お風呂に入っている時、先日のオーボエ事件について考えたことを急に漫画の題材として扱いたくなり、ネタが次から次へと湧いてきた。お風呂というメモもスマホもない環境にいる時に、勝手にネタ出しを始める己の脳は卑怯だと思う。プリンターのように脳内のアイデアを頭から出力できたらいいのにと空想するほどだった。急いでお風呂から上がって化粧品だの薬だのをせっせと顔に塗りたくり、髪も乾かさずにスマホを掴んでアイデアを書き起こすのは、焦りながらも楽しかった。漫画にしろ文章にしろ、何も思いつかない時というのは本当に思いつかないものなので、こうしてネタが湧いてくるのはかなり嬉しい。願わくば、一晩経ってからこのネタ群がつまらない、描く価値のないものだと感じるようなことがありませんように。

2024/04/13 Sat.

 精神科の診察。いつもの薬を8週間分処方してもらった。やっぱり、薬があると格段に動ける気がする。家から病院までの道程を歩いて往復する途中に、つつじ、石竹、白詰草、コメツブツメクサ、ハハコグサ、ノゲシ、ノアザミ、マツバウンランなどの花が咲いていた。花期が過ぎた菜の花には、赤いてんとう虫がくっついていた。
 明日に控えた面接が嫌で、げんなりしている。ただ、数年前のように「不安すぎるので、面接を受けるくらいなら死にたい」「面接くらいでこんなに不安がっている自分は駄目な人間だ」「面接を受けられないから働けなくて今後生きていけない、死のう」等々の考えには今はもうならないらしいというのが、かなり嬉しい。多分、人並みの程度、私が憧れてやまなかった「普通」の緊張具合だと思う。面接が嫌だと思うのが嬉しいと感じられるようになるとは、思いもしなかった。それでも相変わらず面接は大の苦手ではあるので、「たかだか数分の面接ごときで、私という人間の素晴らしさが理解できるはずがないでしょうが」と内心で虚勢を張ってみたり、「まあ、まず不採用だろう」と面接を受ける前から諦めてみたりしている。うっかり期待してしまうと不採用だった時に堪えるし、どうしたって受かった時のことは想像してしまうので、「ダメで元々」「受かったらラッキー」と己に言い聞かせるようにしている。

2024/04/14 Sun.

 仕事にありつくための面接試験を受けた。以前のような「今すぐこの状況から逃げ出したい」「死んでまで回避したい」という強烈な不安がないというのが新鮮だった。文学部の大学時代には、就活の面接が嫌なあまり「車道に倒れる」だの「線路に飛び込む」だのといった案をしょっちゅう考えていたけど、この日は今日の日記を書き始めるまではそういった選択肢を思い出しもしなかった。とはいえ、もちろん緊張はした。話すのがやっぱりかなり下手で、自分でもよく分かるほどしどろもどろではあった。ただし、これまでの「生きるか死ぬか」のような緊張と不安の程度に比べたら、「この程度では緊張とは言えない」と過去の自分に言われそうなほどの生ぬるい緊張感だった。緊張があっただけで、不安を特に感じなかったというのが本当に嬉しい。似たような感情ではあるかもしれないけど、いざという時に備えて集中力を高める「緊張」と、ネガティブな妄想ばかり膨らんで体調まで悪くなってきそうな「不安」とでは、やっぱり別物だ。試験の結果がどうであれ、この程度の緊張で面接を受けることができたという事実を数年前の自分に教えてあげたら、きっと信じられないだろうな。
 「面接が終わったら、何か好きなお菓子をひとつ作っていい」というご褒美を掲げていたので、ヴィクトリアサンドイッチケーキを作ることにした。面接会場から家まで歩いて帰る途中にスーパーへ寄り、スーツ姿で生クリームひとつだけ購入するという一種異様な行動ができて楽しかった。とにかく、面接が終わったことでほっとした。帰宅してスーツを脱ぎ捨て、とびきりおいしいヴィクトリアサンドイッチケーキを作った。バターの風味が豊かでしっとりふわふわのケーキと、去年作って冷凍しておいた庭のさくらんぼのジャム、頑張ったのだからと奮発したちょっと良い生クリーム(普段は200円しない植物性のものを買うけど、今日は倍の値段の動物性のものを買った)の相性が抜群で、我ながらとても良い出来だった。「お菓子をひとつ作っていい」というご褒美ではあったけど、生クリームがまだ100cc残っているので、もうひとつ何か作れてしまう。何を作ろうかな!