投稿者: naedokodesuka

週間日記(2024/03/11-03/17)

2024/03/11 Mon.

 ショッピングモールの服売り場で、植物画のようなリアルな植物のイラストが描かれたTシャツを見つけた。イラストの雰囲気が好みなうえ、それぞれの植物についてスウェーデン語で説明が書いてある。サイズが3Lと4Lしかなく、普段自分が着ているLLがなかったので少し迷ったものの、大は小を兼ねるし何より植物の絵がかわいいからと結局購入した。翻訳アプリで調べてみると、描かれているのはリンネソウ、西洋イラクサ、イワミツバ、スズラン、ヤブイチゲらしかった。イラクサとスズランはぱっと見て分かるし、日本の三つ葉に似た葉と、イチリンソウっぽい花だと思ったので正解にかなり近かった。リンネソウという植物は「確かそういう名前の植物があったような」というおぼろげな記憶しかなく、見たことのない植物だったので、未知の植物をTシャツのプリントという形で身近に感じられてわくわくする。それにしても、大抵の服屋さんにはフリーサイズという名のワンサイズの服しかなく、あってもMかLサイズばかりで、大きいサイズのコーナーには3Lや4Lが主なので、LLの服となると本当に選択肢が限られて困る(LL以上のサイズ自体とても少ない)。服を買いに行ってもサイズがないとなると、顧客として認められていない疎外感をこじらせて、まるで社会に自分のような体型の人間が存在していることを許されていないかのようなむなしさを覚える。服は人間が着るために作られたものなのだから、服のサイズに合わせて人間が体型を変えようとするなど順序がおかしいし、巷のルッキズムに抗うためにも社会から求められる画一的な体型からはみ出そうと思いたい気持ちはある。でも、やっぱり好きな服を着たいから、痩せたい。この矛盾がまた悲しい。

2024/03/12 Tue.

 書くのをさぼっていたここ数日分の日記をまとめて書いた。毎晩書くのは自分にはどうも難しく、日記のネタになりそうなことを思いついた時にUpNoteに箇条書きでメモしておいて、後から文章として書くやり方が合っているらしい。Evernoteから乗り換えたUpNoteは、かなり使い勝手が良くて気に入っている。
 紫色の花だけ先に咲いていたチューリップのプランターに、黄色の花が加わった。古い球根も鉢に植えておいたら、赤とピンクと黄色の花が咲いた。先日畑に植えたじゃがいもは、野良猫にほとんど掘り返されてしまった。頑張ってふかふかに耕した土が、トイレとして気に入られてしまったらしい。芋を適当に埋め直して、野良猫対策のとげとげしたやつ(名前が分からない)を置いた。ミニにんじんの種をまいた畝もめちゃくちゃになってしまっているけど、これは面倒だったので放置している。

2024/03/13 Wed.

 明日からの旅行に備えて、荷造りをしたり、旅の計画や下調べを見直したり。家じゅう掃除機をかけたり、整頓したり、洗濯物もぎりぎりまで洗って干した。楽しみでそわそわしている。飛行機に乗ると、着陸に向けて降下している間じゅう耳が激痛に襲われるので、まだ習得できていない耳抜きの練習をしてみた。どうやら上手くできたような気がする。
 晩ごはんを作っている時、IHコンロ3つと電子レンジを並行して使いこなしているのがいかにも料理をしているようで我ながらかっこいいなと思ったものの、そうやって自惚れていたらおかずのひとつに塩胡椒をし忘れてしまった。食卓に出す直前で気付いたから良かったけども。

2024/03/14 Thu.

 「大阪一人旅日記 その1」参照

2024/03/15 Fri.

 「大阪一人旅日記 その2」参照

2024/03/16 Sat.

 朝起きると、枕元にふくちがやって来た。真っ白の毛並みで視界が埋め尽くされて幸せ。しばらく一緒に布団でごろごろして過ごした。掃除機をかけたり、観葉植物や庭の鉢植えに水をやったり。一人旅が終わって、すっかりいつもの日常に帰ってきた。先日食べたネーブルオレンジの種をとっておいたので、小さい鉢に植えてみた。
 旅行の思い出を逐一誰かに聞いてほしくて、とりあえず自分用にと思ってUpNoteにまとめてみることにした。2日間で600枚以上撮った写真を一枚一枚人に解説したい欲求が収まらず、かといって親を付き合わせる訳にもいかない。Blueskyにアップするのも大変なので、写真を厳選してブログにでもまとめてみようかなあ。でも枚数が多すぎるしなあ。

2024/03/17 Sun.

 昨日に引き続き、UpNoteに自分用の旅のまとめを書いた。人に話したいこと、自分の中だけで留めておきたいことを全部書き出して、写真も全部添付して、かなりの時間がかかった作業だった。ひとまず出力はしたので、誰かに全部聞いてほしいという欲求はいくぶん鳴りを潜めてくれた気がする。自分は話すことが下手だから苦手なつもりだったけど、話すこと自体はひょっとしたら好きなのかもしれない。でなければ、こんなに「私の楽しかった話を聞いて!」と思うはずがない。

大阪一人旅日記 その2(2024/03/15)

 旅行2日目。物理的に500km以上猫と離れたからか、家の外に脱走してしまったとらふくを泣きながら探し回る夢を見た。嫌な夢!

 朝ごはんは、大阪に何店舗かあるらしいパン屋さんで買ってきたパンをホテルで食べた。せっかくだからどこかカフェに入って食べることに挑戦しようかとも考えはしたものの、都会的なおしゃれな雰囲気に臆して食いっぱぐれる可能性も決してないとは言い切れないので諦めた。

 身支度や荷造りが思ったより早く済んだので、予定より30分ほど早く出発することにした。駅には通勤中とおぼしき人達が大勢歩いていて、みんな歩くのがものすごく速い。大阪の人は歩く速度が速いと聞いたことはあったけど、本当に速かった。その中でキャリーを引きずりながらのろのろ歩く九州人としては、道行く通勤客の通行の妨げになっているのではないかとやや申し訳ない気持ちだった。そのうえ、通勤ラッシュにぶつかってしまった!これは誤算だった。これまで経験したことのないような満員ぶりで、身動きひとつ取れず、他人との距離があまりにも近すぎて地獄だった。満員電車というものはひどいものだとつくづく思った。貨物のように車両に詰め込まれて運ばれていると、人としての尊厳がごりごりと削り取られるような心地がする。車を運転できないペーパードライバーとして、車がなくても生活できる都会に憧れてはいたけど、こんなものに毎日乗らなければならないような生活はとてもじゃないが無理だ。都会には都会の問題があることを思い知らされた。

 ほうほうのていで心斎橋駅に降りる。手前の本町で乗客の大半がごっそり降りた時は、思わず「助かった」と呟きたくなった。駅に直結のビルにあるパン屋(これも大阪にだけ店舗があるらしい)に向かうも、やはり駅の広さにびっくりする。都会の人間は田舎の人間に比べてよく歩くと聞くけど、確かにこれは歩くはずだ。植物園に持ち込んでお昼に食べるためのサンドイッチを購入し、また地下鉄に乗る。それにしても、多くの人がダウンやコートなどがっつり冬物の上着を着ている。いくら暑がりとはいえ、自分だけが薄着でいるような気がして少し恥ずかしい。でも全然寒くはない。なぜ。

 鶴見緑地駅で下車、コインロッカーが空いていて良かった。今度は鶴見緑地の敷地の広さに驚く。歩いても歩いても目的地に辿り着かないような気さえしてくる。

 でも辿り着いた!開館時間より早く着いてしまったので、近くのベンチに座って過ごす。その辺をうろうろしている鳩達がどれもまるまると太っている。いいものを食べているのかな。

 10時になり、館内へ。ここも障害者手帳の提示で無料だった。温室の中に入ると、温かくむしむしとした湿度があって、眼鏡が曇る。傘のように持って遊ぶ用のフィロデンドロンの大きな葉っぱが置いてあり、持ち歩きたい気持ちがかなり強かったけど、情けないことに一人でこれを持つ勇気がなく、植物の写真を撮るのにも手が塞がるかと思い断念。でもいいなあ。

 熱帯雨林植物室だったか熱帯花木室だったか、写真を撮りすぎてどの写真がどの展示室のものだったか分からなくなってしまったけど、とにかくどこも最高の空間だった!したたるような緑の葉が視界いっぱいに広がって、天井にはガラス越しの青空が広がり、歩いているだけで気持ちがいい。

 熱帯雨林植物室のそこかしこで、色とりどりの華やかな蘭が満開になっている。蘭ってこんなにたくさん花をつけるものなんだ、こんなに種類が豊富なんだと感嘆するばかり。

 バンダもカトレヤもこの咲きっぷり。なんて贅沢な眺め!

 キダチチョウセンアサガオも咲いていた!精神作用性植物好きとしてはテンションが上がるのを抑えられない。

 植物の名前を確認し損ねたけど、果実を見る機会はそうそうないであろう木に実が生っていて、緑色のネットで保護されている。

 カシワバゴムノキでもトックリランでもヤシの仲間でも、以前働いていた園芸店で見ていたものとは比べ物にならないほど大きい。ゆうに3mはありそうな、見上げるほどの高さがある。しかも、どれもいきいきしている。ポトスだかフィロデンドロンだかも小さなプラ鉢に収まっているような代物ではなく、地面いっぱいにつやつやとした葉を茂らせている。自生地に近い環境を再現してきちんと育てると、こういう風に成長するんだなあ。

 ウスネオイデスもコウモリランも、本当に大きい!こんなに大きくなるんだと驚くほど大きい。

 青い種子が入った枯れたさやしか見たことがなかったので、タビビトノキの全貌を拝めて感動!天井に届きそうなほどの樹高がある。これ以上成長したらどうするんだろう。

 ヒスイカズラや竜血樹、モリンガのように名前は知っていても実物を初めて見る植物、キソウテンガイやキヤニモモ、キャンドルナッツツリーといった名前も存在も知らなかったような植物が無数に育っている。図鑑でしか見たことのなかった植物、初めて知る植物といくらでも出会える。最高!クフェアでもペトレアでもコトネアスターでも、園芸店で毎日水やりをしていた植物が、ポット苗を飛び出して元気いっぱいに茎や枝を伸ばしていている。ヒスイカズラに至っては、つぼみのようなものさえ見える!

 写真を撮る手が止まらず、カメラアプリをずっと起動し続けているので、スマホがどんどん熱くなっていく。

 本当にカレーの匂いがする!スパイシーでおいしそうなカレー粉の香り。カレーを食べたくなる。

 好きなドラマ「植物男子ベランダー」に出てくるカリアンドラ・エマルギナタ!一鉢の植物を巡って植物しりとりで熱い闘いを繰り広げる際に強力な一手として使われていたカリアンドラ・エマルギナタ、まさかその実物を拝めるなんて。

 いつか本物のカカオの木を見てみたい、あわよくば木に生っているカカオの実を見てみたいと思ってきたけど、まさかこんなにたくさんの果実を見ることができようとは。こんな幸せなことがあっていいんだろうか!国立民族学博物館で木の模型を見ただけでも楽しかったのに、こんなに立派な木にいくつもの実をつけているのを目にして、もう大はしゃぎしてしまっている。嗜好品として利用される植物、豊かな文化史を持つ植物、人類の歴史や文化の中で大きな役割を果たす植物、大好き!

 スーパーのスパイス売場で600円ほどのさやしか見たことがなかったバニラ!植物そのものを見るのは初めてだし、茎に生っている実の香りを嗅ぐのも初めて。きつすぎない、おいしそうな甘い香りがする。家で育ててみたいなあ。

 マカダミアナッツの花も満開。どんぐりや栗によく似た花だけど、とても大きい。

 バナナにジャックフルーツ、パパイヤ、パイナップル、スターフルーツ、ミラクルフルーツまで実っている!パパイヤも昨日の博物館で模型を見たな。実際に見るジャボチカバのグロテスクさに怯むことさえ楽しい。

 乾燥地植物室。トゲだらけのサボテンが大量に植えてあり、絶対にここで転びたくない。ここならもしかしてサンペドロ(ペヨーテとは違う幻覚サボテン)もあるんじゃないかと探してみたけど、それは見つけられず。でもあってもおかしくないと思う。

 クセロシキオスもアルブカも、自分が育てている鉢植えのものよりもずっと株が大きくて威勢が良い。こういう風に育てるのは難しいだろうけど、もし自分の鉢がこんな大きさになったら管理が大変そうだ。

 食虫植物も豊富。ウツボカズラはたくさんのウツボット(ポケモン)をぶら下げているし、ムシトリスミレもいくつもの花を咲かせている。

 高山植物室に入ると、また別世界。熱帯植物の温室よりも涼しくて快適。

 ムスカリ、チューリップ、水仙、アネモネ、プリムラ、シクラメンなどのごく小さな原種がちまちまと植わっていて、ミニチュアのようでとてもかわいい!

 エーデルワイスもすぐそこに咲いている。コマクサでもクロユリでもチングルマでも、高山に登らずしてこんな気軽に見られていいんだ…。

 いちごだ!「Fragaria SP チベット」のラベルがある。チベットのスペシャルいちご?

 温室の外にも庭園があり、植物が植わっている。アカシアが満開!巨大なアボカドやボトルツリー、ジャカランダもあった。

 テキーラの材料になるリュウゼツラン!いつか見てみたいと思っていた植物が何でもある。

 2階にはフォトスポットがあり、熱帯花木室全体を見下ろして写真を撮ることができる。いい眺めだなあ、この写真をパソコンのデスクトップにしたいなあ。植物と一緒に写りたくて、勢いでこっそり自撮りまでしてしまった。

 結局、展示室は2周した。夢みたいに楽しい場所で、終始にやつきが止まらなかった。世界にはまだまだ私の知らない植物がたくさんある。お昼は館内のカフェでハイビスカスとブラッドオレンジのソーダを注文し、持参したサンドイッチを食べた。広場にもヤシなどが植わっていて、大きな植物を眺めながら食べるごはんっておいしい。ミュージアムショップには植物モチーフのかわいい雑貨が色々あった。ショクダイオオコンニャクの花を模した大きな抱き枕があって、買おうかかなり迷ったけど、臭そうという理由でやめておいた。ぬいぐるみなので臭いはしないと思うけど。

 植物園を出て、鶴見緑地駅へ。緑地内には結構な本数のクスノキが植えてある。毛虫対策が大変そう。

 プラタナスのような実が生った、メタセコイアに似た木。落羽松(ラクウショウ)という植物らしい。知らない植物に出会ってももう驚かない、ということはなく、やっぱり驚く。

 地下鉄と特急を乗り継いで、その間にまた乗り換え間違いをやらかしながらも、なんとか空港まで辿り着くことができた。途中に、同じく乗り換えを間違えたらしい年配の女性に電車のことで尋ねられ、次の電車を待ちながらおしゃべりをした。「あなたみたいに若い人も乗り間違えると思うと安心した」と笑っていて、私も笑った。話の流れで、おすすめのカレーのレシピまで教えてもらえた。流暢な関西弁を聞けたのはもちろん、旅先で出会った人と挨拶以外のたわいない会話ができたのが嬉しかった。

 空港のショップでおみやげを見繕う。調子に乗ってキャリーケースの空いた部分に入りきらないほど買ってしまったので、機内持ち込みのトートバッグに無理やり捻じ込む。

 さらば大阪!またいつか来たい。

 またしても羽の部分の座席を選んでしまっていた。今後の教訓として活かしたい。帰りの飛行機では居眠り。降下し始めてからは耳抜きをし、耳の痛みをちゃんと防げた。

 ただいま九州!空港にある蘭の寄せ植えを見て、咲くやこの花館の楽しさを思い出す。

 高速バスを待つ間、昨日行き損ねたロイヤルホストでシーフードドリアを食べた。自分では作れない味がしておいしかったけど、いかんせん熱くて、下と上顎を軽くやけどした。このひりひりした痛みは翌日まで続いた。

 市内の渋滞で25分遅れでやってきたバスに乗り、旅行の帰り道ならではの寂しさを噛み締める。楽しかったなあ。行こうと思えば(国内なら)多分どこへでも一人で行けること、世界が広いことが分かって良かった。電車を乗り間違えても計画を立て直して目的地に辿り着けたこと、耳抜きをして飛行機で耳が痛くならずに済むようになったこと、知らない人にものを尋ねられて応答できたことなども、ささやかな自信に繋がった。ちなみに、この2日間の旅行中に、3人の人からバスや電車について訊かれた。この人にならものを尋ねても大丈夫だろうと判断されて声をかけてくれたのかもと思うと、こんな光栄なことってないと思う。

 高速バスを降りてタクシーに乗り、自宅へ帰り着いた。父母は演奏会を聴きに出かけていて、猫達が出迎えてくれた。荷ほどき9割とお風呂と洗濯を済ませて、パジャマに着替えるとほっとする。今日の歩数は約12,500歩。楽しい旅行ができて本当に良かった。

 博物館と植物園で自分用に買った物。めったに来られる場所じゃないからと思いきって色々買った(ショクダイオオコンニャクの抱き枕を除く)。国立民族学博物館の展示案内、『月刊みんぱく2024年2月号』、オリジナル測量野帳、グアテマラのウォーリードール、ヒエログリフが書ける定規、アイヌ文様マスキングテープ、いつか読みたいと思っていた『キノコの歴史』、咲くやこの花館オリジナルの植物画Tシャツ、ショクダイオオコンニャクのキーチェーン、食虫植物のイラストが描かれたハンカチとクッキー。

 植物画のイラストがとてもかわいい!どれも咲くやこの花館にある植物だそう。

 博物館と植物園では、写真を200枚超ずつ撮った。これから写真を整理して、どれがどこの地域のどういう資料か、何という名前の植物かなどのメモを残す作業がある。心理学の勉強ができなくなった時、自分には何かを学ぶことがそもそも向いていないのだ、もしくは今の自分にはもうできないことなのだとかなり落ち込んだけど、今回博物館と植物園に行ってみて、趣味の範囲でも知的好奇心をもって何かを知ることを楽しめたので本当に嬉しい。旅行をしてみて良かった!

大阪一人旅日記 その1(2024/03/14)

 まずは高速バスに乗り、空港へ。景色を見ているだけでも楽しく、初めはわくわくしながら窓の外を眺めていたけど、さすがに山と木ばかりの風景が続くと眠くなる。乗り過ごさないよう、到着予定時刻より少し早めの時間にスマホのアラーム(バイブレーションのみ)を設定して寝た。

 空港に到着。飛行機に乗るのは昼前なので、まだ時間がある。大阪に着いてから博物館を見る時間を少しでも多く確保したいので、今のうちに何か食べておきたい。でも、お昼ごはんにはまだ早いのであまりお腹が空いていない。ドトールに入って、温かい紅茶とかぼちゃのタルトを注文した。せっかくだからほとんど行ったことのないロイヤルホストに行って大きいパフェでも食べれば良かったかもしれないものの、ドトールだって地元にはない。久し振りに食べたかぼちゃのタルトはやっぱりおいしくて、文学部の学生時代に時々食べていたのを思い出して懐かしかった。

 搭乗手続きをしてキャリーケースを預け、保安検査場も無事通過。ロビーや搭乗ゲートのあちこちに、洋蘭、ポトス、アンスリウム、カランコエ、シダ類、ヤシっぽい植物などが植わった手入れの行き届いた立派な寄せ植えがあって、たかだか観葉植物といえどお金と手間がかかっている様子に舌を巻いた。空港ってすごいや。
 おそらく10年ぶりくらいに訪れた空港という場所の非日常感が楽しくて、広いゲートを不必要にうろうろする。これから乗る飛行機が窓の外に姿を現したので、思わず写真を撮った。撮影しているのは私だけじゃなく、他にも2,3人の人が撮っていた。やっぱり撮りたくなるよね。
 機内に乗り込み、滑走路へ!いつ機体が飛び始めるかと、宙に浮く瞬間を今か今かと待つのも楽しい。

 座席選びはやや失敗してしまった。窓から見える景色の半分が飛行機の羽で埋まってしまったのが少し残念。でも、よく晴れていて空がきれいだった!

 飛行機に乗ると必ずといっていいほど耳が激痛に襲われるので、今回も少しひやひやした。上昇している時や、普通に上空を飛んでいる時は痛みはないものの、着陸に向けて降下し始めるにつれどんどん痛みが増し、「今度こそ鼓膜が破れるのでは」「現地で耳鼻科を探さないといけなくなったら」と毎回はらはらする。ところが、練習のすえ先日ようやく習得した耳抜きを実践し(上手くできた!)、その他にもあくびをする、水を飲む、飴を舐めるなどの対策を取った結果、なんと全く痛みがなかった。耳抜きってすごい!耳が痛くないのが嬉しいのはもちろん、耳の痛みを克服したとなれば、もうどこへだって行けると思えることがまた嬉しい。

 人生三度目の大阪!キャリーケースを受け取り、電車に乗り込んだ。知らない地名がたくさん目に入って、旅行先に来たんだという実感があって楽しい。周りからは耳馴染みのない関西弁が聞こえてくる。

 人から来たLINEを返すのに気を取られて、さっそく乗り換えを間違えてしまった。明日行くはずの吹田駅になぜか降り立ってしまい、Yahoo!の乗換案内アプリを頼りに慌てて計画を立て直す。お昼ごはんの時間はとっくに過ぎていて、ケーキひとつしか食べていない胃が鳴っている。電車を待ちながら、「おなか吹田」と誰かに言いたい気持ちを堪えた。

 山田駅に辿り着き、モノレールに乗り換える。ホームからは、太陽の塔が小さく見える。実物を見たのは初めてだけど、政治家が誘致したがっている今度の万博の問題を思うと、さしてありがたいものでもない気がする。

 万博記念公園駅に着いた。駅のコインロッカーにキャリーを入れ、いざ念願の国立民族学博物館へ!公園の広さ、太陽の塔の巨大さに慄く。こんなにでかいんだ!さすがにお腹が空きすぎて、とはいえ1分でも多く博物館を見たいので、途中にあったキッチンカーでチュロスを買った。乗り換え間違いでロスした30分が痛い。注文して揚げてもらっている最中に、メニューに揚げたこ焼きもあったことに気付く。しまった、せっかく大阪に来たんだからたこ焼きにすれば良かった。でもたこ焼きは歩きながらは食べにくいだろうし、ごみを捨てられる場所があるかは分からないし…と己に言い聞かせる。揚げたてのチュロスは熱々でおいしく、博物館までの道程をせっせと歩きながら食べた。

 ようやく博物館の建物に入る。障害者手帳の提示で入館料が無料だった。博物館という施設が大好きなのでお金を払いたい気持ちも強いけど、使える制度は使っておきたいし、そもそも国立の施設なんだから入館料で賄おうとせず、こういう所にこそ税金をしっかり使うべきだと思う。

 企画展ではちょうど水俣病をテーマにした展示を行っていて、熊本県民としてあらためてしっかり見ておかないとと思った。

 展示室は知的好奇心を刺激される、素晴らしい空間だった。何もかもおもしろくて、興味深くて、あまりの楽しさに顔がにやけてしまう。マスクがあって良かった。

 順路の最初にあるオセアニアの展示がもうおもしろく、全然先へ進めない。アボリジニの「ドリーミング」という神話の世界に、強く興味を惹かれる。ユングの集合的無意識を連想した。

 次はアメリカ。マニオク(キャッサバ、タピオカ、ユカとも)やカカオ、パパイヤなどの食用作物の模型が展示してあり、自分が住む地域との植生の違い、食文化の違いがおもしろい。写真を撮り損ねてしまって悔しいけど、葉にコカインが含まれるコカ(コカノキ)の資料やキャプションもあった。

 「ペヨーテ・ビジョン」というタイトルのウィチョル族による毛糸絵を見つけた時は、ものすごく興奮した。これを見ることができたというだけで、はるばる大阪まで来たかいがあったと思った。ペヨーテがどういう植物かは知識として知っているし、なんなら自宅で4鉢育てているし、この絵に描かれているのがペヨーテを使用して得たビジョンだろうということも分かる。南米の先住民族の宗教的な儀式でペヨーテが使われるということを色々な本で読んではいたけど、文化の中で精神作用性植物が用いられている様子をこの資料を通して実際に見ることができて、本当に嬉しかった。

 ヨーロッパのエリアには、ヨーロッパ各地のパンのサンプルが展示してあった。食べ物に関する文化や歴史が好きだから、こういうものは大好きだ。一度ネットのレシピを見ながら作ったことのある、フィンランドのカルヤランピーラッカもあった。

 「陽気な墓」と書かれたルーマニアのお墓。私は自分の墓は欲しくないけど、もし墓があるならこういうユーモアのあるものがいいな。

 「ヨーロッパにおける宗教・信仰の系譜─ユダヤ教、キリスト教、イスラーム─」、分かりやすくておもしろい。プリントアウトして手元に持っていたいくらい。

 ヨーロッパの世界各国のさまざまな食器類。グラスが主で、アイルランドにはアイリッシュコーヒー専用のグラスまである。

 これが全部スイカの種!アフリカのコーナーにあった展示。

 西アジアのコーナーにあったおもしろい展示。左からユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれの宗教に用いられる特徴的な道具などが並べられている。

 地域でなく「音楽」のコーナー。色々な楽器が管楽器、打楽器、弦楽器ごとに分けられている。これらは全てチャルメラの仲間!元オーボエ吹きとしてはどうしても見てしまう。ダブルリードの楽器が世界にはたくさんあるんだなあ。しかも、ダブルリードどころでなく、リードが6枚も重ねられた楽器もあるというから驚き。

 ここに来て、まさか熊本県八代市の楽器を目にするとは思わなかった。

 「言語」のコーナーに合った表。おもしろい。

 南アジアのエリアの影絵人形。まだまだたくさんあった。

 朝鮮半島のエリア。「巫俗文化」というものを知らなかったので、興味をそそられる。

 中央・北アジアの帽子や靴。

 アイヌ文化。小学生の頃に、好きだった児童文学に出てくる「削り花」というものを見よう見まねで作っていたので、実物をこんなにたくさん見ることができて嬉しい。

 日本文化のコーナー。注連縄って色々あるんだな。

 どの展示もとてつもなくおもしろかった!あまりに楽しくてわくわくして興奮しすぎて、体温が平熱より上がったようにさえ感じた。こんなにテンションが上がるとは思わなかった。時を忘れるという感覚が久し振りで、時間が全然足りなかった。楽しかった!

 陳腐な感想かもしれないけど、世界は広いと思えて良かった。世界は広くて、本当に多様な文化が存在し、自分の知らないことも無限にあって、現代の日本社会に適応できないという自分の悩みがちっぽけなものに思えてくる。苦しみを矮小化するというよりも、そんなに悩まなくてもいいのかもしれないと思えた。

 ミュージアムショップもまたおもしろかった。当たり前だけど、福岡市の某博物館のように百田○樹なんかのヘイト本を置いていないのが良かった。当たり前だけども。世界各地のさまざまな民族や文化に対するリスペクトがきちんと感じられる博物館だった。

 公園内の花壇には大株のクリスマスローズが満開だった。金がかかっているなあという感想を抱いてしまう自分がさもしい。花壇に花が植わっているのは、生活や住む環境を豊かなものにしようという気概がなんとなく感じられていいなあ。

 万博記念公園駅近くのショッピングモールで関西風お好み焼きを食べた。表面はさくっと、中はふわっとしていておいしい。普段家で食べるのは広島風なので、焼きそばと大量のキャベツが入っていないお好み焼きがとても新鮮に感じられる。関西風をちゃんとお店で食べるのは初めてかも。

 電車を乗り継ぎ、今夜泊まるホテルに着く。ホテルの傍にたこ焼き屋さんがあったので、これ幸いと買ってきた。焼きすぎたものと柔らかいものとどちらがいいかお店の方に尋ねられ、焼きすぎたもので大丈夫だと答えたので、しっかり焼かれた歯ごたえのあるたこ焼きになった。これはこれでおいしいし、「おおきに」と言ってもらえたのも嬉しい。

 旅先ならではのイレギュラーな出来事(乗り換え間違い)もありつつ、初日が終了。満喫した!今日一日の歩数は約16,200歩。若干靴擦れになりかけているので、明日は絆創膏を貼ってごまかそう。

週間日記(2024/03/04-03/10)

2024/03/04 Mon.

 用事ができたので、一昨年まで働いていた園芸店に行った。知り合いに遭遇することを思うととてつもなく緊張して、人間ってこんなに緊張する生き物なんだなと他人事のような感想を抱くほどの緊張だった。こうした苦しくなるほどの緊張を味わうのは久し振りな気がする。数年前は毎日のようにあった、どきどきして頭の中が真っ白になりその場から逃げ出したくなるような不安とは少し異なり、心臓だか気道だかの辺りが詰まって息がしにくく重苦しい感じがする緊張だ。なんでこんなに緊張しないといけないんだろう、と理不尽にすら感じた。
 久し振りに訪れた元職場は、春の花苗がたくさん並んでいて、見ていて楽しかった。ミニバラ、ガザニア、シクラメン、ラナンキュラス、ルピナス、ネモフィラ、デイジー、マトリカリア、ネメシア、アネモネと色とりどりで、良い季節だなと思った。果樹苗の取り扱いが増えていて、観葉植物も相変わらずたくさんあった。植物が好きな自分にはぴったりの職場だったなとあらためて思う。パートとしてまたここで働くことも考えたけど、今の自分にはやっぱり無理だ。人付き合いに疲れきっていて、人と関わるためのエネルギーやスキルがないし、体力もなく、商品のギフトラッピングや発送手続きの際に生じるプレッシャーに耐えられるとは到底思えない。植物についての知識や興味関心を存分に発揮できる、おそらく自分にはそこそこ合っているであろう仕事だっただけに、今の自分には無理だと感じていることが悲しい。自分にできないことが問題なのか、自分にはできないと考えていることが問題なのかは分からないけども。
 帰り道には、れんげやオランダミミナグサが咲いているのを見た。美しく改良された園芸品種の花も好きだけど、こうした素朴な野の花も好きだ。食べ終わったバナナの皮に似た見た目の、れんぎょうの花も咲いていた。

2024/03/05 Tue.

 今月の半ばに一泊二日で一人旅に出かけることを決意したので、その計画を立てた。障害年金が手に入ったことで、もし病気になっていなかったら働いて稼いだお金で楽しめていたはずの自分の人生の埋め合わせをしたくなったことと、「まだ生きていていいよ」と行政及び世の中から認められたような気がして安心したこととがきっかけだ(そもそも、行政の仕事はすべての人に「生きていていいよ」という姿勢を示して各人に必要な支援をすることだ)。まとまった額のお金が口座にあることで、「この先まだしばらく生きていける」と思えたこともまた嬉しく、それを祝福したい気持ちもある。ひとつ楽しい思いをして、世の中にはまだまだおもしろいものがたくさんあるのだから死ぬには惜しいのだと、生きるモチベーションにもしたい。死んでしまいたい気持ちももちろん根強く残っているけど、自殺というバッドエンドを回避して今後も生きていけるようになるためには、試行錯誤して手を尽くしてみようと思っている。
 旅行先は大阪に決めている。昨年私以外の家族が大阪に行っていたのが羨ましかったのと、どうしても行ってみたい博物館と植物園が大阪にあるためだ。大阪には修学旅行や就活でしか行ったことがなく、つまり楽しい思い出がないので、自分の中でのイメージを払拭したいのもある。格安航空の方が新幹線より安いことが一番の理由だけど、空港という非日常感のある空間も楽しみたいので、往復とも飛行機で行くことにした。自分のためだけに旅行の計画を立て、旅のしおりまで作るのが本当に楽しい。生きていれば楽しいことがあり、自分は楽しませるに値する人間なんだと思えるきっかけのひとつになるような旅行ができたら嬉しい。

2024/03/06 Wed.

 ドラマ「作りたい女と食べたい女」のシーズン2を最終話まで観た。とても良い作品だった。同性カップルへの偏見や法の不備、異性愛者の男女同士で結婚して子をもつことが正しいのだという風潮、そうした日本社会の悪しき部分をきちんと批判的に描いてくれるドラマがテレビで放送されることが、本当に嬉しかった。物語の脇役やスパイスのような立ち位置ではなく、れっきとした主人公として性的マイノリティのキャラクターが存在していることも嬉しい。また、もしも会食恐怖症について「治療さえすれば簡単に治る病気」のような扱われ方がされていたら、通院を続けているにも関わらず10年単位で社交不安症に苦しめられている当事者としては羨ましくてやりきれないと思って危惧していたものの、ドラマ「つくたべ」に携わるスタッフの方々にそうした懸念を抱く必要はなかったことがちゃんと分かった。ひとつだけ、会社を辞めていた南雲さんが「私も頑張らないとな」といったような台詞を言った後に就職活動をしていたのが、「無職でいることは頑張っていない状態」とでも言われているようで勝手に責められたような気持ちになってしまったけど、これは私お得意の被害妄想だと思う。それにしても、作中で野本さんと春日さんが食べていたあんバタートーストがおいしそうだった。今度小豆を買ってきて炊こうかと真剣に考え始めるほど、魅力的な食べ物だった。
 Twitterのトレンドに「会食恐怖症」の文字があり、Twitterのトレンドというものは見てもまず良いことはないのだと嫌というほど理解しているはずなのに、つい見てしまった。激しく後悔した。
 夜寝る前に「今日あった3つのいいこと」を紙なりメモアプリなりに書き出す習慣をつけたいと思うのに、一日の終わりはどうしても疲れ果ててしまってそれができない。疲れと眠気で机に向かうのはおろか、スマホを持って文字を入力するのも億劫に感じられる。きちんと疲れるほど日中に活動できて、自然な眠気が訪れて寝つけることが「今日あった3つのいいこと」のひとつだとでも思っておきたい。

2024/03/07 Thu.

 掃除機をかけたいと思うものの、猫達がそれぞれお気に入りの椅子の上で気持ち良さそうに寝ているので、掃除機の騒音で起こしてしまうのがどうにもしのびない。結局掃除機はかけたのでちりぢりに逃げられてしまったけど、しばらくするとまた各自思い思いの場所でぐうぐう寝始めていた。「幸せそうに寝ているから起こしたくない」と思える存在が身近にいるというのは、かなり嬉しいことだと思う。
 せっせと家事をやっつけてしまうと、妙に疲れた。なんとなく気が向いて、お湯で粉末を溶かすタイプのオニオンスープを飲んでみたら、やたらおいしかった。「気分が落ち込んだ時にすることリスト」に、温かいスープを飲むことを加えておきたい。
 地元産のレモンが冷蔵庫にあったので、午後は張り切ってレモンタルトを作った。初めて作るレシピだったのもあり、タルト生地が柔らかすぎて少し不格好になってしまったけど、味はとてもおいしいものができあがった。さくさくのタルトに甘酸っぱいレモンのクリームがよく合う。レモンの輪切りのコンフィを並べ、庭で摘んできたレモンバームの葉も飾ると、なんとなくそれらしい見た目になった。作るのにはそれなりに時間がかかったけど、食べるのはあっという間だった。
 プランターのチューリップが、紫色のものだけ咲いた。他の色はまだつぼみのままだ。

2024/03/08 Fri.

 とらふくの写真を使ったLINEスタンプの第2弾を仕上げたので、LINEクリエイターズマーケットにアップロードして審査をリクエストした。
 久し振りに床に伸びて、少し昼寝をした。精神科の薬を増やしてからは、日中に疲れて横になる時間がかなり減ったと思う。
 1時間ほど本を読む。『私の生活改善運動』(安達茉莉子、三輪舎)を読み始めた。表紙のイラストはもちろん、装丁もとてもかわいい。内容も、自分が幸せでいるために無理なくできる行動のヒントがたくさんあって、読んでいると「私も私なりに私を大事にしよう」と思えてくる。また、自分なら「嬉しい」だの「羨ましい」だのといったありふれた形容詞で片付けてしまうような感情が、想像力を掻き立てられるユニークな表現で描写されていて、読んでいて楽しい。

2024/03/09 Sat.

 LINEスタンプの審査が通って、今日から販売を開始した。さっそく家族のLINEグループで使っている。
 夜に一人で4000歩ほど散歩してきた。目的としては散歩というよりウォーキングと言った方が正確かもしれないけど、散歩という言い方のほうが肩の力が抜けた気楽な感じがするので好きだ。何か考えているようでいて、何も考えていないような気もするぼーっとした状態で黙々と歩き続けると、家に帰り着く頃には頭の中がすっきりしているので気分が良い。歩きながら、昼間に読み終えた『私の生活改善運動』に影響を受けた考え事の整理をした。著者の引っ越しのくだりを読んだ時、自分が幸せでいられる場所に住む権利が私にもあること、住む場所を好きに選べる権利があることを思い出した。今の私は自活できるだけの稼ぎを働いて得ることができないから、実家でくすぶっていることしかできないと思い込んでいたけど、私にだって好きな場所に住む権利がある。車を運転しなくても暮らしていける場所で自由に生活したい、親に干渉されない生き方をしたいと改めて思った。普段、私は大好きなゲームやミュージカルの曲を、親に聞かれないように一人でこそこそと聴いている。父は大好きなクラシック音楽を誰にかまうことなく毎日大音量で楽しんでいるのに、どうして私は後ろめたいことでもするように隠れて聴いているんだろう。「音楽といえばクラシックでしょう、クラシック以外の音楽はちょっとね(笑)」とでも言いたげな両親のもとで育ったせいか、クラシック以外のジャンルも好きだとは言えない自分がいる。外出をすればどこで何をしていたのか弁明しなければならないような圧があるし(私の被害妄想かもしれないが)、珍しく電話をすれば誰と話していたのか何の気なしに尋ねられる。20数年前に建てられた我が家は良く言えばとても開放的な造りで、部屋と部屋を隔てる壁がほとんどなく、吹き抜けもあって、家のどこにいても家族の声や物音が聞こえる。一人で部屋に閉じこもることも、人に聞かれずに電話をすることも難しい。でも、家の中でくらい好きな音楽を堂々と楽しみたいし、最低限のプライバシーを保ちたい。先月応募し損なった求人がまた出たらリベンジして、そこで働き続けてお金を貯めて、いつかは一人で街中へ出て行きたいと前向きに考え始めた。その計画を近い未来に実現できるかどうかはさておき、そういう可能性がない訳ではないこと、実家を出て好きな場所に移り住む権利が自分にもあるのだということを思い出せたのは嬉しい。

2024/03/10 Sun.

 知り合いの人達との食事会に行った。予定が決まった時から、胃の辺りがぐるぐるするような、気道に何か物でも詰まっているような、変な緊張がずっと続いていた。仲良くしたいし、もっと仲良くなりたいから行きたい気持ちはもちろんあるものの、何かしらの失敗をしでかして軽蔑され距離を置かれる恐怖を思うと行きたくない気持ちもあり、参加についてはかなり迷った。家族以外の人と会って話す経験値を積みたい気持ちもあれば、今の自分には耐えきれないストレスになりうるんじゃないかという気持ちもある。結局、声をかけてくれるということは嫌われてはいないんだろうと己に言い聞かせ、参加することを決めた。無事に食事会が終わって、「あの時もっとこうしていれば」「あれはちゃんと意図が伝わっただろうか」と気に病む要素は多々あったものの、「もうあの人達に顔向けできない」と思わざるをえなくなるような致命的な失態はやらかさずに済んだ(と思う)。人との食事くらいでどうしてこんなに疲れるのかと情けない気持ちになるほど疲弊したけど、かつては「人のいる所でものを食べるのが怖いから、フルタイムの仕事に就けない。働けないから死のう」とまで思い詰めていた時期が長かったので、今日振り絞ったなけなしの勇気を褒めてやろうかなという気もする。今の私にできる限りのベストは尽くした。

週間日記(2024/02/26-03/03)

2024/02/26 Mon.

 録画しておいた先週のドラマ「作りたい女と食べたい女」を観る。第23話で、会食恐怖症の南雲さんが、人とごはんを食べることについて「できないだけで嫌いな訳じゃない」と言っていたのが印象に残った。何かと理由をつけて家族以外の人との食事を断り続けている一人の社交不安症の患者として、確かに私もそうだと思った。過剰な不安や疲労を感じるため、自分は人との食事自体が嫌いなんだとすっかり思い込まされていたけど、人との食事を楽しめるようになったらどんなにいいだろうと本心では憧れていることを忘れていた。他人と食事をするとなると、口に食べ物を運ぶタイミングや会話の中での適切なリアクションが分からなくなったり、自分がマナーの悪い食べ方をしていないか、口の周りを汚していないか不安になったり、ひとつひとつは些細なことが気になって仕方なくなって、帰宅するとぐったり疲れてしまう。食べることそのものは大好きだし、他者との関わりを楽しめるようになりたいとも思っているのに、誰かと一緒にものを食べるとなると、なんとかしてその機会から逃れようとする癖がしみついている。「つくたべ」の野本さんと春日さんは二人で一緒に食事を楽しみ、会話が途切れた静かな状態でも自然な状態、しかも幸せそうな状態で過ごしていて、すごいなと感じる。ドラマの一場面とはいえこういう状況は多分世の中によくあるものだけど、自分にはフィクションのように手の届かないものに思える。「人との食事でしんどい思いをしなくて済む状態になりたい」とばかり考えていて、「人との食事を楽しめるようになりたい」というポジティブな願望がいつの間にか埋もれてしまっていたので、思い出せて良かった。
 Twitterの自分の過去のツイートのアーカイブをダウンロードした後、ツイートを全て削除した。長いこと親しんできたTwitterがない生活など考えられないと思っていたけど、Blueskyを使い始めてみると、多すぎる広告がない、インプレゾンビがいない、スパムアカウントからのフォローもないSNSのあまりの快適さに感動してしまった。Twitterでしか得られない情報は確かにあるのでアカウントの削除までは至らないものの、今後Twitterは閲覧専用にして、発信はBlueskyのほうでしようと思う。在りし日のTwitterは本当に好きだったんだけどなあ。

2024/02/27 Tue.

 珍しく家に人が来るので、家の中をあちこち片付け、掃除機をかけ、玄関を掃き、空気清浄機のスイッチを入れ、猫の爪によってぼろぼろになったソファカバーを来客時用のものに替えた。自分にも家の中をきちんと整える能力があるのだと思うと、日頃すり減っている自尊心が少し蘇る気がする。
 3回目のオンラインカウンセリングを受けた。「働けるようになりたいけど、働ける気がしない」という話から始まり、子どもの頃の様子や両親のことについて色々話した。私がずっと根に持っている、25歳の誕生日で言われた「24歳で死んでたはずなのにね」や「やっぱり毒を飲んだ女は違うね!」という、私の服毒自殺未遂をネタにした母の冗談(冗談として成立していない)のことを流れで話すと、泣くつもりはまったくなかったのに涙がぼろぼろ出た。昔のことだと割り切っていたつもりだったし、「ひどいこと言いますよね、ははは」といったテンションで笑い飛ばそうとしていたので、急に泣き出した自分に我ながら驚いた。まだしっかり傷付いていたんだなあ、としみじみ思った。顔と口調は笑っているのに涙を流して話している私に対して、カウンセラーの先生は笑わず真剣な表情で聴いてくれて、それが後になって振り返るとむしょうに嬉しく感じられた。人から嫌なことを言われても大抵はつい笑って受け流してしまうけど、これは無理に笑おうとしなくていいんだ、ちゃんと悲しんだり怒ったりしていいんだ、とやっと思えた。人と話す時に、自分は気が付くと聞き役に徹してうんうんと相槌を繰り返すだけになってしまいがちだけど、自分の話を親身になって聴いてくれて適切なフォローをくれる傾聴のプロに話す体験が久し振りで、話す側に回るのもいいものだなと思った。オンラインカウンセリングを受けてみて良かったと思えたこともまた嬉しい。

2024/02/28 Wed.

 今年に入って初めてしっかり庭仕事をした。隣の家に人が引っ越してきて以来、庭いじりを楽しむことがめっきり減ってしまった。私に向かって言っている訳ではないと分かってはいても、すこぶる機嫌の悪そうな荒い口調の話し声がしばしば聞こえてくるお隣さんに対してすっかり萎縮し、そうした声が聞こえる度に勝手に怯えきってしまうため、どうしても庭で趣味に興じる気になれなかった。しかし、春の陽気に感化されて、先日ホームセンターで買ったじゃがいもを植える使命を果たすべく、なけなしの勇気を振り絞って庭に出た。その結果、かなり楽しい2時間半を過ごすことができた。暖かな直射日光を浴び、新鮮な外の空気を吸い、トラクターが畑を耕す音をBGMにしてせっせと自分の小さな畑を耕し、草をむしった。とても気持ちが良かった。こんな楽しいことを今までしなかったなんて、と思った。さくらんぼの花がいよいよ咲き始め、チューリップも葉の隙間からつぼみを覗かせている。寒々とした枝だけになっていたばらやラズベリーに緑色の新芽が出ていて、鉢植えにも雑草にも花が咲き、どこもかしこも青々と葉を茂らせていて、庭にいるだけで元気になってくる気がする。雑草を取り除いてさっぱりした畑にじゃがいもを植え、ミニにんじんの種をまき、適当に肥料をばらまいた。鉢植えにも追肥をし、ビオラの花がらを取り除いて、根の出たパイナップルのへたも鉢に植えた。鍬をふるったことによる筋肉痛の気配は感じながらも、達成感や満足感、ほどよい疲労感を得た。私にとっては、庭仕事は間違いなく精神の健康に良い効果をもたらすであろうことを改めて確信した。不機嫌な隣人になぞ臆してたまるか、私の楽しみと心身の健康と畑の収穫をこそ優先すべきだ。これからはこまめに庭で作業しよう。一度怒鳴り声を聞いたら、多分この決心はまた怯むだろうけど。

2024/02/29 Thu.

 注文したデスクが明日届くのに備えて、部屋の片付けに取り掛かった。学習机に積んでいた教科書類や適当な所に置いていた本を全て本棚に並べて、本棚そのものはすっきりと片付いたものの、元々詰め込んでいた文房具や紙小物、ごちゃごちゃした雑貨などが行き場を失い、かえって部屋が散らかる自体になってしまった。部屋のどこにこれだけの量をしまっていたのかと思うほど、大量の物が山と積まれて、時折雪崩を起こしている。とりあえず埃をかぶらないようにしたくても、段ボール箱や収納ボックスの類も空の物が家になく、途方に暮れてしまった。収納スペースがないなら物を減らすしかないのだけど、どれもこれも必要な物に思えてなかなか捨てられない。買い集めた本や趣味のグッズはもちろんのこと、ペン類、色鉛筆、シールやメモ帳、過去の手帳と日記、いくつもあるポーチ、手芸材料、季節の飾り物、大勢のぬいぐるみ達、博物館や美術館のパンフレット、文学部時代に使っていた古いノートパソコンや段ボール箱いっぱいのレジュメ、全部私が好きだったり、思い入れがあったりするものだ。いらなくなった古い書類ぐらいはいくらか資源ごみに出したものの、いかんせん他の物が多すぎて収納しきれない。自分はどちらかといえば整理整頓ができるほうだという自負があったので、「片付けられない」という不測の事態に直面してかなり狼狽した。片付かないというのは、こういう感じなのか…。週末にホームセンターや百均を覗いて何かしらの収納グッズを買うしかない。良いものがありますように。

2024/03/01 Fri.

 新しいデスクとハンガーラックが届いたので、猫達に邪魔をされながら組み立てた。大掛かりな工作のようで楽しかった。2人以上での組み立てを推奨されている家具を1人で組み立てられると、ちょっと嬉しい。ここしばらくずっと暗い焦茶色の木目の家具に憧れていたので、今回思いきって買ってみて良かった。家の中が白木っぽい明るい壁や床なので、暗い色の家具は浮いてしまうかと思っていたけど、意外と馴染んでいる。
 何か収納に役立つ物でもないかと、歩いて百均へ行った。あちこちに春の花が咲いていて、たんぽぽ、オオイヌノフグリ、からすのえんどう、ハナニラ、ドイツすずらんなどを見かけた。樹木に詳しくないので正しい名前が分からなかったけど、寒緋桜だか河津桜だか、濃いピンク色の桜らしき花も咲いていた。
 庭のさくらんぼも満開になったので、写真を何枚か撮ってみたけど、逆光でなかなか上手く撮れなかった。桜は気の毒にもナショナリズムのシンボルとして扱われることが多いので、花を見てきれいだと思ってもあまり好きとは言いたくない植物だと思っている(桜に罪はない)。それよりも、桜に似た花であっても桜よりも花数が少なく、毛虫も発生しにくく、おいしい果実が楽しめる桜桃(さくらんぼ)のほうが私は好きだ。

2024/03/02 Sat.

 精神科の診察。今は大体6週間に一回の頻度で通っている。オンラインカウンセリングはどうだったかとか、日中に自分の時間は何をして過ごしているかとかを訊かれた。薬は前回に引き続き、アリピプラゾールとトリンテリックスを処方してもらった。
 母がホットプレートでどら焼きを作っていて、人にあげる分を確保した残りをもらって食べた。蜂蜜の風味がする焼きたての生地がすごくおいしかった。あんこと生地の間にスライスしたバターを挟んで食べるととんでもないおいしさで、危険なカロリーだと分かってはいてもいくつでも食べたくなる味だった。
 心ゆくまであんバターどら焼きを食べた罪滅ぼしに、少し長めの距離を散歩した。たっぷり歩いたつもりだったけど、歩数は5000歩ほどだった。川沿いはウォーキングや犬の散歩をしている人が多く、往路だけでも5人の人とすれ違って挨拶を交わした。どの人も知り合いではないものの、田舎ゆえに挨拶をする習慣がある。こうして挨拶をするのは今でも緊張するけど、以前はもっと不安で怖かったので、その頃は「先手必勝」「先に挨拶をしたほうが勝ちというゲーム」「やられる前にやれ」と内心で自分に言い聞かせていた。今思うとシュールだけど、当時は必死だったことを思い出す。天気が良く、時々ポケモンGOのアイテムを回収しながらひたすら歩くのは楽しかった。歩きながらの考え事は、周囲に注意が向けられながらになるので、あまり深刻になりすぎなくて良い。木瓜や椿、もくれん、すみれ、芝桜、ムシトリナデシコ、カロライナジャスミンなどの花が咲いていた。

2024/03/03 Sun.

 両親が出かけている間に、せっせと家事を頑張った。洗濯物をたくさん干して、あちこち片付けたり、家じゅう掃除機をかけたりした。先日どうしていいか分からなくなるほど散らかしてしまった自分の部屋も、カラーボックスを追加したことでようやく片付いた。部屋や机の上が散らかっていると落ち着かないので、整理整頓できるとほっとする。新しいデスクもハンガーラックもなかなか使い勝手が良く、デザインも好みで気に入っている。自分が働いて得た給料ではないお金で大きめの家具を買ったことに罪悪感があるけど、年金や生活保護などの制度を利用して暮らす人に慎ましく生活しろというのは働くことができる状態にある人の驕りで、いわゆる生活保護バッシングに繋がる傲慢な考えだ。こういうものには断固抗いたい。「働けるようになったら、何かしらの仕事に就けたら新しい机を買っていいことにしよう」と長いこと考えていたけど、いつになっても働けそうになく、机を買える未来など到底来るとは思えず、働くことも机を買うことも何もかも私には駄目だ、高望みだ、と思っていた。だけど、無理だと思っていたもの(机を買うこと)を正攻法ではないやり方とはいえひとつクリアしてしまうと、なんとなく気分が前向きになる。自分が「こうしなければならない」と思い込んでいる方法でなくても、他に道はいくらでもあるような気がしてくる。親に買い与えられた学習机を手放して、新しい自分の机を手に入れたことも、「親の子ども」としての自分ではなく「私という一人の人間」とでもいった自分にシフトしたような感覚がある。机ひとつでこれだけ気分が楽になるのだから、買ってみて良かった。
 散歩に出かけると、草いちごの花が咲いているのを見つけた。初夏になったら、ここに真っ赤な野いちごの実が生ると思うとわくわくする。子どもの頃から大好きな植物なので、庭に生えていたらどんなに楽しいだろうと思ったこともあるけど、もし植えてしまったが最後、茂りに茂って手に負えなくなるだろう未来は想像にかたくないので我慢しておく。

週間日記(2024/02/19-02/25)

2024/02/19 Mon.

 履歴書とエントリーシートを書かないといけないけど、その先に面接があるという現実に向き合いたくなくて後回しにしている。この仕事に就けたら本当に嬉しいけど、緊張でしどろもどろにならないはずのない面接試験と、空白期間だらけの履歴書をもってして自分が採用されるとは到底思えない。駄目で元々とは言っていても、駄目だったらやっぱり相当落ち込むだろうな。
 『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を読み終えた。男女の恋愛ものという普段読まないタイプの作品かつ馴染みのない価値観や生活にふれて、とても新鮮に感じた。「だれかと話したい気分」というものがあることに驚いたし、作者が次々に色々な他者と出会ったり交流したりしていく様子に舌を巻いた。すごすぎる。また、頻繁に開催されているクリエイターの展示、こじゃれた飲食店の数々、いくつもの充実した書店、自宅以外で映画や音楽を楽しめる場所、そうした都会の文化資本の豊かさをまざまざと突きつけられた。あまりにも生活環境が違う。文化圏が違う。住む世界が違う。もし、私が作者の真似をして昼間の公園で一人ピクニックでもしようものなら、「誰々さんちの娘さんはよか年ばしてまーだ仕事しよらんとね」と同じ町内会のおばさま方に噂話のネタを提供するか、それが小中学校の近くであれば下手をすると通報されてもおかしくない。そうしたコンプレックスをこじらせながらも、日記文学としておもしろく読んだ。また、セクシャルな関係を伴う男女の恋愛というものはこういう感じなのかと、異世界ファンタジーや遠い外国の物語でも読むような心地もした。
 家の近くの空き地でイネ科の雑草の葉をひとつかみむしってきて、猫達に与えた。市販の猫草はあまり食べないので、こうして時々名前も知らない草を食べさせている。私は都会へのコンプレックスや羨望、ひがみなどを常々くすぶらせているけれど、田舎でないと外でこうして草を気軽に摘んでくることはできないだろう。多分。少なくとも、私が田舎に住んでいることは、猫達にとっては良いことなのかもしれないと己を納得させようとしている。
 久し振りにピアノを触った。ブルグミュラーを数曲弾いた後、ハノン、ドビュッシー、テレビ「岩合光昭の世界ネコ歩き」の楽譜を見て少し音を出した。もう楽譜も読めなくなっただろう、指もほとんど動かないだろうと思っていたけど、それなりに読めるし、思ったよりは動く。ブルグミュラーは弾きやすくて、色々な曲があってやっぱり楽しい。丁寧に「アヴェ・マリア」を弾いてみたり、「乗馬」や「狩り」で大きな音を出してみたりして、少し気分がすっきりした。
 夜、またしても本に影響されて、Tinderをインストールしてみた。人と関わることが苦手なので基本的に人付き合いは避けがちだけど、いつかは克服しなければならないんじゃないかと思っている。人と接する経験を積んでみよう、そのために家族以外の人と交流する機会を作ろう、つまり友達作りをしようと思ってのTinderだった。しかし、自分にはやっぱり無理だと思い、アカウントを作る前にアプリを削除し、またアプリを入れ、開く前に削除し、とうとう3度目のインストールをした。こんなに迷っているなら観念してやってみようとアカウントを作成するも、見ず知らずの人に自分から右スワイプなんてとてもできるものではない。ならば自分のことを右スワイプしてくれた人の中から探そうとも思うものの、無課金ユーザーではそうした相手を見ることができない。いっそ課金してみるか?金色の課金マークが表示されるのは嫌だな、一週間で2,500円というのはいくらなんでも高すぎる。その金額で、気になる本を一冊買ったほうがよっぽど良い。そもそも、こうしたマッチングアプリは他者との出会いや交流を楽しめる人のためのツールであって、私のようにコミュニケーション全般に強い苦手意識を持っている人間が手を出すものべきではなかった。田舎で気の合う人間とマッチできるはずもない。あれはある程度の街中に住んでいる人間がやるもので、若者がどんどん出ていく過疎地域で活用できるものではない。いつかここよりはいくらか都市化の進んだ地域で一人暮らしをしてみたいけど、まともに働けないからそれはできない。働けるようになるために必要な人と関わるスキルを身に着けたいけど、その経験を積むために人と交流する機会がない。卵が先か鶏が先か、ぐるぐると輪のように「これができないからあれもできない」が繋がっている。あーあ。

2024/02/20 Tue.

 一体どういう人が自分にライクしてくれたのか知りたくなり、もしかすると話せそうな人がいるかもしれない可能性に賭けて、思いきって(血迷って)Tinder Goldに課金してみた。500ほど来たライクの送り主のプロフィールを一人一人ざっと眺めていって、共通点が何もなくとても話が合いそうにはない人間を片っ端から左にスワイプしていった結果、5人ほどしか残らなかった。マッチする範囲は「みんな」に設定しているのに、男性以外からのライクはほとんどない。趣味が筋トレやドライブ、スポーツ観戦だという男性の多さには驚いた。家族以外の男性と話す機会自体がまずないけど、世の中にはそういう男性が多いんだろうか。そんなはずがあってたまるか。Tinderというアプリには多いんだろう。残ったごく数人のプロフィールにはそうしたマッチョ成分は見当たらず、「人と話すのが苦手だから練習したい」という自分とよく似た動機の人や、趣味の欄に「読書」や「文学」のタグを付けている人がいる。ここからがまた難関で、「もしかしたら話せるかも」「どういう人間なのかちょっと興味があるかも」と思える人であっても、こちらからライクを返すという行為のハードルが高すぎる。マッチングしたところで、見ず知らずの他人とチャットで会話することのストレスを考えると、「無理」以外の感情が湧いてこない。Tinderの住民からすれば、こんな初歩中の初歩の段階で足踏みしている自分はさぞかし愚図に見えるだろう。ライクを返すのは置いておいて、自分の住む場所から10km程度以内にこのアプリを使っている人がいるのかどうか気になって探してみた。意外にも、いる。ところが、慣れない操作を誤って1km先にいるらしい人にうっかりスーパーライクというものをしてしまい、あろうことかマッチングしてしまった。そこからはもう大慌てで、30秒経つか経たないかくらいの間にアカウント削除に至った。とても無駄な時間と、無駄な2,500円を浪費してしまった。勉強代だと思うしかない。かなりの自己嫌悪に苛まれながらも、見ず知らずの人間達のプロフィールを見るのは少しおもしろくて、自分と関わりがないだけで世の中には色々な人がいるんだなという学びにはなった。

2024/02/21 Wed.

 観念して履歴書とエントリーシートを書いた。これ以上は絞り出せないというほど文面を考えて、精いっぱい丁寧に記入した。ハローワークで文章の添削を頼もうかとも思ったけど、去年の今頃もそうした時に「こういう一文を書き足すと良い」と職員からアドバイスされた文章がどうしても言い回しがおかしいように感じられて不服だったので、またそうなるとちょっともやもやするなと思いやめておくことにした。その時はおとなしく従って渋々書き足したけど、頑張って描いた絵に落書きをされたような気分だった。自分から添削を頼んでおきながら不満に思うなんて、こうした傲慢さがいけないんだろうか。父にそのくだりを話すと、「文学部出身なんだからいいんじゃない」「文学士なんだから」となだめてくれた。優しい。

2024/02/22 Thu.

 面接を受けたい職場の紹介状をもらうために、ハローワークへ行く。ところが、募集に対して人が多く集まったので求人が早めに締め切られたとのことだった。1人採用するところに7人の応募があったそうで、「(次からは)早めに応募したほうが良いですよ」と言われた。そういうこともあるのか。そうなんですね、分かりました、ありがとうございましたと言ってハローワークを出た。受かった時の未来をなるべく想像しないように努めていたから今回は泣かずに済んだけど、なかなかショックだった。もし面接試験を受けられていたとしても、それで不採用だったらやっぱり堪えるし、他に7人も応募者がいれば私みたいなのが受かるはずもない。それでも、今度こそと願いながら書いた履歴書とエントリーシート、社会復帰したくてハローワークに出向いた勇気、この仕事なら自分にもできるかもしれないと思った期待、今度こそは働けるかもと思ったり逃げずに面接を受けたりできるようになるまでに取り組んできた何年もの治療、新しく買い直した就活用のシャツやパンプス、そうしたものが全部無駄になった気がした。ひょっとしたら働いて「社会人」になれるかも、働いていない罪悪感から解放されるかも、貯金をしていつかは親から自立できるきっかけが作れるかも、働くことができればこの先も生きていけるから自殺しなくて済むかも、抑えていても膨らんでいたそうした空想が全部遠のいていく。あーあ。
 家に帰ってからやけ食いでもしようと、コンビニで食べ物を買い込んだ。レジを打ってくれた店員さんがにこにこと親しげな笑顔で接客してくれて、妙に救われる心地だった。私は人と接することに過剰な不安や疲労を伴うので人との交流を避けがちだけど(働いていないのもそのひとつ)、人との関わりによって癒されることが自分にもあるのだと新鮮に思えた。帰宅して、こういう食べ方は良くないと分かっていながらもおにぎり2個、クレープ、プリン、チョコドーナツをむしゃむしゃ食べた。食べ終わると案の定ますます自己嫌悪。同じような行動を取る他人に対してはそんなことを微塵も思わないのに、自分に対してだけは「死ねばいいのに」と強く思う。
 今日一日をせめて楽しい気持ちで塗り替えたくて、撮り溜めていたドラマ「作りたい女と食べたい女」のシーズン2を観た。すごく良いドラマだった。恋愛もののドラマというものをまともに観たことがなかったし、なんとなく自分向けのコンテンツではない気がして楽しめるものだとも思っていなかった。しかし、「恋愛ドラマっておもしろいものだったのか」「世の中の人はこういう風に恋愛ものというジャンルを楽しんでいたのか」と思い、恋愛がテーマとなった映像作品の魅力を初めて理解することができた。登場人物達の関係性の変化に一喜一憂したり、感情移入したり、なるほどこれは楽しい。異性愛のものではおそらく自分がこうして楽しめることはないと思うけど、フェミニズムの要素ががっつり盛り込まれた、安心して観ることのできる性的マイノリティの物語だからこそ、初めて恋愛ものの作品を楽しむことができている。また、17話での会食恐怖症の登場人物・南雲さんの「食べないでも大丈夫って言ってもらえるのは、すごく心が楽なんだなって気付けました」という台詞も、社交不安障害に長年悩まされている人間としてとても良いと思った。現実でしばしば言われがちな「いつか食べられるようになるよ」「食べられるようになるといいね」といった、励ましを装って食べられない状態を否定する言葉ではなく、食べられない・食べないことがそのまま受け入れられる安心感が表現されていて良かった。もしかすると南雲さんにとっては「人と食べられる状態」になることが幸せなのかもしれないけど、食べられないままでも南雲さんが幸せでいられたら、それはよく似た悩みを抱えている私のような人間にとっては大きな救いになる。22話にあった佐山さんの「いや〜、それは非常にハピネスですね」という言い回しがユーモラスで好きなので、南雲さんが南雲さんのままで幸せになれたら、それは南雲さんの「人と一緒に食べたい」という願いを一視聴者として否定してしまう残酷な期待ではあるものの、「それは非常にハピネスですね」と思ってしまう。何かと理由をつけて人との食事を断り続けている人間として。

2024/02/23 Fri.

 スーパーへ野菜を買いに行くと、生花コーナーにミモザの花が売られていたので、とびきりふわふわのを1本買った。適当な花瓶がないので焼酎の空き瓶に活けたけど、鮮やかな明るい黄色がいかにも春らしさを感じさせて、楽しい気分にさせてくれる。ふくちゃんが興味津々で花の匂いを嗅いでいた。
 ケーキ屋さんで毎年恒例のいちごケーキのフェアをやっているので、いくつか買って帰った。私はこの時期限定のショートケーキと、アーモンドの風味がする生地を使ったケーキを選んだ。前者はレモンっぽい爽やかな風味のクリームと、シフォンケーキよりもふわふわしたスポンジ生地がとてもおいしくて、後者はカスタードとホイップクリームを合わせたクリームと、アーモンド風味の軽い生地がよく合ってこちらもおいしかった。普段食べる機会のない良いいちごがふんだんに使われていて、いよいよ春が来るのだとわくわくしてくる。どの季節も好きだけど、春の訪れには別格の楽しさがある気がする。
 はてなブログProに登録して、ムームードメインでドメインを購入し、あれこれいじった。独自ドメインの自分のWebサイトを持つことに憧れて挑戦しては断念するのを繰り返していて、またしても懲りずにやってみている。Wordpressは難しすぎて無理だったけど、はてなブログなら、デザインも機能も既に整っている。オンライン上に自分だけの家(Webサイト)があるというのはなんだかむしょうに心強くて、安心感がある。今度こそ住みよい我が家を作って安住したい。

2024/02/24 Sat.

 猫のとらふくのLINEスタンプの第2弾を作る作業。ひたすらペイントソフトと睨み合って、作業は結構進んだ。売り上げ狙いではなく私が使いたいだけのスタンプだけど、これを家族のLINEで使えたら、猫達もトークに参加しているようできっと楽しいと思う。
 小学校入学時に買ってもらった学習机をいまだに使っていて、いい加減手放したい。私にとって子ども用の学習机は、働いて自立できず実家を出ることのできない、いつまでも親の「子ども」でいる自分を強く自覚させてくるものだ。丈夫で便利ではあるけど、これを視界に入れて使い続けることがどうにも苦しい。「仕事に就けたら」「大学院に入れたら」学習机を手放して新しいデスクを買っていいと自分に目標を掲げてきたけど、今の状況ではそれらは到底無理だ。親に養われ親に逆らえない子どもとして私は死ぬまでこの学習机を使い続けるんだ、じゃあみじめで情けないから死のうかな、という具合に考えが飛躍してしまうことも少なくない。それならば、そこにあるだけで苦しく感じるものは手放したほうがいいんじゃないかと考え始めた。ところが、まだ壊れてもおらず使えるものを捨てることについて、親を説得できるか自信がない。ごみ処理場へ粗大ごみを持って行くには親に車を出してもらわないといけないし、車に積むのだって一人ではできない。ごみをひとつ捨てるにも親を頼らなければならない人間なのだと、ますます自己嫌悪を募らせてしまう。やっぱり、なんとかしてこの机は処分しよう。エコの観点には反するけど、自分のメンタル面での安定や安心を優先したいし、自分を優先していいのだと心から思えるようになりたい。

2024/02/25 Sun.

 昨日思い悩んだ学習机のことを親に話すと、すんなり話が通って拍子抜けした。ただし、学習机は処分せず、親のパソコンデスクとして第二の人生を送ることになった。一万円しない価格の組み立て式のシンプルなデスクと、ハンガーラックも10年以上使ってついに先日壊れたので、一緒に新しい物をネットで注文した。
 天気も良かったので、8,000歩ほど散歩した。梅はもう散り、菜の花、なずな、ほとけのざ、オオイヌノフグリ、たんぽぽ、水仙、ムラサキハナナなどの花が咲いていた。途中でホームセンターに寄り、じゃがいもの種芋を買った。去年植えたじゃがいもは地上部が腐って枯れ落ちてしまったので、今年またリベンジしたい。

やらかし漫画 第5話

※自殺未遂の具体的な描写があります。
読んでいて気分が悪くなったり、落ち込んだりした時は、すぐに本を放り出してゆっくり休んでください。
お食事前に読むのもおすすめできません。
また、この漫画の中でやっていることは絶っっっ対に真似しないでください。

続き↓

社交不安障害漫画 第8話 – 苗床

自殺未遂

※注意:自殺未遂の具体的な描写が含まれます

日記
 五月二十二日。午前十一時服毒、一、二時間後激しく戻し始めて気が付けば十四時過ぎ、母に電話して精神科へ。総合病院へ移り処置(採血、心電図、血ガス等)を受ける。服毒後三、四時間経っているので胃洗浄は間に合わない。ひたすら「点滴をじゃかじゃか入れて」輸液で体内を洗い流す。「ニコチンがまずいですね」の一言に震え上がる。夜にやっと吐き気が収まり、手足の痺れは夜明け近くまで取れず。
 五月二十三日。様子見と精神病院のベッドが空いていないのとで一日点滴に繋がれる。朝戻したので点滴で吐き気止めを摂り、昼から普通に食べるようになる。自分が臭くて臭くて苦しい。毛穴からニコチンとカフェインが出ている感じ。夜は完食。手足の痺れようやく取れ、夜は熟睡。枕が固くて首と肩がバキバキに凝る。

 生きているのがあまりにつらくて、大学時代から四年間ほど自殺計画を練りに練っていたのだが、ついに決行した。うつ病ではないが、社交不安障害とそれに伴う抑うつ状態ですっかり思いつめていたのである。遺書を書き、臓器提供欄に○をつけた保険証を机に置き、スマホの中の見られたくないデータやSNSアカウントを削除した。この頃太宰治の『人間失格』や『もの思う葦』、芥川龍之介の『或旧友へ送る手記』や『或阿呆の一生』など鬱々とした文学作品ばかり読み耽っていたが、芥川の『歯車』はすごかった。死にたい気持ちにぴったりしっくり来て、もう私には自殺しかない、自殺をしよう、と後押ししてくれたありがたい本である。本当にすばらしい作品だが、今現在抑うつ気分にある人にはおすすめしない。

 さて自殺当日。家族が全員出かけてから、帰ってきた時には死んでいるつもりである。洗濯や片付け等家事を済ませ、どういう心理だったのか分からないが、なぜかレモンカード(レモン果汁入りのカスタードクリーム)まで作って「二、三日中に食べてね」とメモを添えておいた。時刻は午前十一時。まず、あるだけ(の導眠剤確か十二錠ほど)と吐き気止めを飲む。それから致死量のニコチンとカフェイン錠剤を飲むのだが、これが非常にまずかった。味である。見た目はコーヒーそのもののニコチン水溶液は舌にびりびりとした刺激があって、苦いともなんとも言えないただただまずい味、あきらかにこれは人体に有害だと分かるような味だった。畳を食べたことはないが、畳を食べたらこんな味がするだろうというような、埃っぽい草の香りもあった。とにかくあれは毒だった。ニコチンとカフェイン、二種類の毒にしたのは、一種類では心もとなく確実に死ねるようにと思ったからである。口直しに、好物のブランデーを今まで飲んだことのなかった濃さでひとくちあおって、それから布団に横になった。
 布団といっても、「人は死ぬとあらゆる体液が流れ出る」という予備知識をダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』辺りで読んで学んでいたので、シーツの上には百均で購入した広い防水テーブルクロスを敷いており、体液で布団や床を汚す心配はないようにしてある。せっかくだから毒が効いてくるまでの記録を録っておこう、という魂胆で枕元に用意していたノートに、思いついたことを書いていく。ニコチン溶液はまずかったよとか、私のことは気にせずに家族の皆は幸せになってねとかそういうことを書いた気がする。いくら穀潰しのニートでも、私が死ぬことで家族が幸せになるはずはないのだが、抑うつ状態になるとこの辺りの判断がつかなくなるようだ。計画では、導眠剤が効いてぐっすり眠りに就いた後に毒が回って寝ているうちに死ねる、という予定だった。なぜかこの時、頭の中でマルコム・アーノルド作曲の「パドストウの救命ボート」が流れていた。

 じわじわとニコチンが血中の酸素供給を妨害し始めたのか、手足の先と頭がひんやりと貧血のように痺れていく。このままゆっくり死んでいくのかと思っていたら、服毒してから二時間ほど経って、ものすごい吐き気が襲ってきた。吐いたら死ねない、と思う余裕もないほどの吐き気、吐き気、吐き気、あらかじめ用意していたごみ箱に吐くも、ごみ箱一個じゃ足りないほどに戻した。テーブルクロスの上にもゲロゲロ吐いて、もうこれ以上は出ないだろうと思っても出るわ出るわ、ニコチンとカフェインが溶けたらしい茶色い吐瀉物が驚くほど胃から溢れてくる。溶けきれなかったカフェイン錠剤が直径一ミリほどの小さなピンク色の粒になって出てきた。いったん吐き気が収まった隙に脱いだTシャツで枕元を拭き、ああだいぶ戻したけど今度こそ死ねるかな、と横になるとまた吐き気。ごみ箱は吐瀉物とティッシュで埋まっているがそれでも吐き続ける。とにかく吐き気がすさまじい。吐いて疲れて横になってまた吐いて、横になっても起き上がっても己の吐瀉物の臭いがまた吐き気を催して戻す。戻し続けるうちに段々疲れてきて、頭も冷静になってきた。とにかく臭い、気持ち悪い。吐きながらノートに「これで死ぬなら死ぬけど、死ねなかったらまずシャワー浴びたい」「シャワーか湯灌か浴びさせてくれ」と書き殴りながら吐く。
 吐きに吐くうちに、「たぶんこれは死ねない」とうすうす気付き始めた。そこで二個目のごみ箱が置いてある廊下までふらつく身体で這いずってそれを抱えながら階段を一段一段降り(その最中も戻しながら)、五百ミリリットルペットボトルのお茶を飲み飲みトイレに吐いて、飲んでは吐き、飲んでは吐き、二本目のペットボトルを取りに這い出した辺りでもうふらふらになって床に寝転がってしまった。「自殺未遂は保険が利かないらしい」といういらぬ情報をネットの海で聞きかじっていたので、母の携帯番号に電話する。ごめんお母さん、自殺しようと思って毒を飲んだんだけど死ねそうにない、病院連れてってくれないかな、みたいなことをへろへろになって笑いながら言った気がする。
 すぐに母が職場から帰ってきてくれた。その間に自分は吐きながらもベルトを外して楽にし、力を振り絞って新しいTシャツに着替えていた。さすがに上半身裸で病院へ行きたくないと思うくらいにの理性はあった。ひとりでは立ち上がれないので母の肩を借りて車に乗り、かかりつけの精神科に連れて行かれた。車の揺れはひどく、車の中でも吐き続けた。

 精神科に着いて車椅子に座らされ、起き上がっているのがきついと訴えると処置室の寝台に寝かせてもらえた。日頃からお世話になっている臨床心理士さんが来てくれて、私の手を握って話を聞いてくれた。ごめんなさいもうしません、生きているのがきつかったから死のうと思ったけど死ぬほうがきつかった、凝りました、というようなことを泣き笑い戻しながら訴えた。この時母が始めて鼻をすすったのだが、これはこたえた。
 案内状を書いてもらい、その後すぐに市立の大きな総合病院へ移った。精神科を出る時、ふらふらになりながらも私がへらへら笑っているので、看護師さんには「なんて元気な自殺未遂患者」と言われたらしい。もうこの時には、死にたいという気持ちはなくなっていたようだ。とにかくすっきりしたかった。総合病院のベッドに横になり、飲んだ薬と量を伝えて、採血三本、初めての血ガス等の処置を受ける。その間にも「ごめんなさいもうしません」を言うと、「そうですね、もうしないでください」と苦笑まじりに返された。「胃洗浄は死ぬよりきつい」という情報をネットで仕入れていたのでびくびくしていたが、服毒後三、四時間経過しているので胃洗浄では間に合わないらしい。そのため点滴で輸液をどんどん流し込んで血液を洗い流すことになった。胃洗浄の恐怖が去ってほっとしたが、看護師さん同士の会話に聞こえた「ニコチンがまずいですね」の一言には震え上がった。
 部屋は運よく個室を用意してもらえた。落ち着いてくると、昼間吐瀉物の中でのたうち回ったせいで、自分が臭くて臭くて不快で仕方ない。しかも手足(肘から先と膝から先の辺り)がやたら痺れてもぞもぞ動き続けなければならず、眠ろうにも眠れない。寝たら、寝ている間に手足が麻痺して動かなくなるのでは、という恐怖もあった。しかしあれだけカフェインを摂ったのだから眠れるはずがない。胃が空なのとそもそも刺激物を致死量摂ったせいか、胃も痛い。臭さと痺れと気持ち悪さと痛さにさいなまれながら、付き添って部屋で寝ていてくれる母の寝息を聞いていたが、こんなに長い夜はなかった。やらかしたことがことなので、再度危険な行動に出ないよう家族が付き添っているよう病院に言われたのである。朝になれば回復する気がして、とにかく早く夜が明けてほしかった。午前三時くらいまでは起きていた気がするが、それからやっと寝ついた。

 朝起きると、吐き気も手足の痺れもずいぶん治まっていた。頭の中では、なぜかベートーヴェンの交響曲第六番「田園」の第一楽章冒頭が流れていた。毒を飲む時には「救命ボート」が流れていたが、あれは自殺が未遂に終わり生き延びる伏線だったのだろうか。様子見と精神病院のベッドが空いていないのとで、もう一晩点滴に繋がれていることになった。しかし臭い。臭いので、よろよろ立ち上がって母に頭だけシャンプーで洗ってもらうも、それでも胃液とカフェインとニコチンの臭いが取れない。汗からも毒物が排出されているのか、毛穴という毛穴が臭く、膝を嗅いでも臭かった。起き上がっているとふらつくしTシャツの襟ぐりが臭い、寝ると自分の頭が臭い、どんな姿勢を取っても臭く、これは苦しかった。痛くもかゆくもないはずなのに、ただ臭いというだけのことがこんなにつらいとは知らなかった。まだ水を飲んでも戻すので、運ばれてきた朝食には手をつけなかった。その後吐き気止めを処方してもらい、昼食からなんとか食べられるようになった。もっとも、一日半食事をしなかっただけで顎の筋肉がすっかり退化してしまったように、口も開かない、噛むと疲れる、なかなか食事が進まなかったものの、夜は完食できた。
 死にたかった理由や経緯を両親に洗いざらい話してしまうと、臭いはともかく気分はすっきりした。のたうち回って苦しんで命拾いした今となると、どの理由も何も死ぬようなことではないな、と思えるから不思議である。たぶんこの時には抑うつ状態は治っていて、ただ自分の臭さにいらいらしているだけだったと思う。
 ベッドから動けずできることも気力もないので、ただ親と話したりテレビを観たりしていたが、確かたまたまこの日テレビでハプスブルク帝国の歴史番組をやっていて、神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世の言葉が紹介されていた。

私は生きている しかし いつまで生きるのかを知らぬ
私は死ぬ しかし いつ死ぬのかを知らぬ
私の旅は続く しかし どこへ行くべきかを知らぬ
不思議なことに 私は幸福だ

これを聞いて親とげらげら笑い合えるくらいには、心身ともに回復していた。私は幸福だ!

 一晩ぐっすり眠って翌朝になると、生命力と食欲がみなぎっていた。点滴を外してもらってひとりでシャワーを浴びたが、これがもう幸せでたまらなかった。頭は念入りに二回洗い、毒物を含んだ汗をすっきり洗い流して、そのとてもたまらない快適さを噛み締めた。「臭くない!臭くないってすばらしい!頭も手も臭くない!嬉しい!」とはしゃぐくらいには元気になっていた。臭くない、清潔である、これだけで生きている意味だか意義だか、とにかく人生の幸せはある。食事は朝昼きちんと食べることができた。食べ物がおいしく感じられることの幸せがまたすばらしかった。ふとした拍子に『人間失格』の葉蔵よろしく「ふふふふ」と笑いが出てくる。病院の枕が固く合わなかったため首と肩がバキバキに凝ったが、点滴に繋がれたまま肩をぐるぐる回して、起き上がっていてもめまいがしない喜びを満喫した。とにかく、食べなかったぶん弱った他は、心も身体もぴんぴんしている。
 血液検査の結果もよくなったらしく、午後には精神病院へ転院することになった。私の旅は続く。私は幸福だ!