苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/05/20-05/26)

 

2024/05/20 Mon.

 一ヶ月ぶりのオンラインカウンセリング。今回もあまり手応えはなし。「埒が明かない」という感じすらある。現在の困りごとやこれまでの経過を伝えようとするものの、自分の話し方があまりにも下手で、かつて知能検査で出た言語理解IQ141という数字が信じがたくなるほどの口下手ぶりで、情けなさや無力感が募った。頭では言葉が色々思いついている気がするのに、言葉として口から出力する過程で詰まったり絡まったりして、紙詰まりを起こしたプリンターのようにぐしゃぐしゃの形でしか出せなくなる。おまけに早口で噛むし、どもるし、滑舌は悪いし。口頭での会話じゃなくて文字に書き起こしてのやり取りだったら、頭の中身をもっとスムーズに分かりやすく伝えられるんだろうか。

 外出先で家族以外の人と5時間以上過ごして、ぐったり疲れた。本当に疲れた。晩ごはんは一人だったので、帰宅してからカップ焼きそばと菓子パンを貪り食った。こういう食べ物は手軽で助かるけど、「ごはんを食べた」という満足感のようなものはあまり得られない気がする。それでも何も食べないよりはましだ。IKEAのリラックスチェアに座ると、もう指一本動かしたくないと思うほど、どっと疲れが出てきてしまった。お風呂に入ってから寝たいけど、お風呂に入る気力体力はとうに尽きている。BlueskyなりUpNoteにつけている日記なりに弱音を吐きたいのに、スマホを操作するのさえ億劫だった。結局、夜中までお風呂には入れなかった。床に座り込んでソファの座面に突っ伏して1時間ほど寝ると、今にも充電が切れそうなスマホに10%くらい充電できたような程度のエネルギーが補充できたので、なんとかお風呂と歯磨きを済ませることができた。人と関わってこんなに疲れるような人間に、カウンセラーはおろかカウンセラーになるための学生生活だって到底無理だと改めて思う。働くことさえやっぱり無理なんじゃないだろうか。働けなかったら一生親に養ってもらわないといけないのか、自立に憧れながらみじめな思いで生きていくのは嫌だな、という、もう何百回も考えたいつもの思考が頭に浮かんでくる。幸い、ベッドに入ると強制シャットダウンされたように眠れたので、それ以上悪い方へ考えずに済んだ。

 

2024/05/21 Tue.

 昨夜は日付が変わってから就寝したので、今朝は9時頃まで寝ていた。たくさん寝て気分もすっきりした。やっぱり、睡眠は疲労回復にも、メンタル面にも一番効く。無事復活できたので、午後は祖母のアパートへ遊びに行き、お茶を飲んでおしゃべりしてきた。私にできる唯一の祖母孝行。

 

2024/05/22 Wed.

 祖母も誘って、二人で畑のじゃがいもとミニにんじんを収穫した。じゃがいもは去年も植えたけど、梅雨の雨と湿気で腐ってしまって収穫まで漕ぎ着けることができなかった。その教訓を活かして今年は梅雨入り前に収穫することにした。じゃがいもを育てて収穫するのはなんだかんだ初めてで、はたしてきちんと芋ができているのか心配だったけど、いざ掘ってみるとごろごろ出てきた。芋堀りってなんでこんなに楽しいんだろう!土の中からお宝を見つけ出しては、芋の大きさや収穫量にはしゃいで楽しかった。大して手もかけず適当に育ててもそれなりのものが採れたので、来年も植えてみたい。夕方まで日陰で表面を乾かした後、祖母と山分けした。ゆでてバターと醤油をつけて食べたら、ちゃんとおいしかった。自分で育てて収穫した野菜や果物を食べるのは、本当に楽しい。

 夜、録画しておいたテレビ「ブリティッシュ・ベイクオフ」を観ていたら、ベイカー達が作っているカスタードタルトをどうしても食べてみたくなり、レシピを検索して作ってみた。普段作るタルト生地とは違う砂糖入りの生地だったせいか、柔らかく崩れやすくてとても扱いづらく、タルト型から外す時に崩壊してしまった。確か、ベイクオフでも「崩壊事故が多発!」と司会のスーが言っていた。そこまで真似するつもりはなかったのに…。見た目はともかく、焼き上がったカスタードタルトはおいしかった。底もよく焼けているし、カスタードもしっかり固まっていて、甘さもちょうど良い。本来は冷蔵庫で冷やしてから食べるもののようだけど、焼きたてのまだ温かいカスタードタルトだってなかなかおいしい。自分でおいしいものを作れると、自信だの自尊心だのを回復できるような気がしてほっとする。

 

2024/05/23 Thu.

 昨夜うっかり手を滑らせて猫のごはん皿をひとつ割ってしまったので、新しいのを買いに行った。以前のものより値段も高さも少しアップしたものを選んだ。皿の位置が高くなっていて、猫があまりかがまずに済む、ごはんを食べやすい造りらしい。とらふくが気に入ってくれるといいけど。その足でホームセンターへ行き、じゃがいもを収穫してスペースが空いた畑に植える植物を買い求めた。5月の園芸コーナーには平日にも関わらずお客さんが結構いて、トマトやゴーヤなどの夏野菜の苗をかごに入れていた。同志がたくさんいて心強い。野菜の種と、買う予定のなかった花の苗を買い、自転車のかごに載せてほくほく顔で帰宅した。

 午後は、昨日カスタードタルトを作った際に残った卵白を使ってシフォンケーキを焼いた。前から作ってみたかった、スパイスが入ったレシピにしてみた。シナモン、ナツメグ、オールスパイスを使うレシピだ。スパイシーすぎるんじゃないかと若干心配していたものの、焼き上がったものを食べてみると程良くスパイスが効いていて、食感も抜群にふわふわで、我ながらとてもおいしかった。こんなにおいしいものを私が作ったなんて、と内心で自画自賛したくなる。多くの人が普通にできることが私にはできないけど、誰でもができる訳じゃないことを私はぽつぽつできたりするので(ホームメイドのお菓子作りもその一例)、それでなんとか今日もプライドを保っている。本来なら、何もできなかったとしても、誰でも自己肯定感だの自尊心だのを持っていていいはずなのに。

 二階の自室の大きな窓を開けると、猫達が寄ってきて、網戸越しに外の風を楽しんでいた。鳥の声がする度に注目して、鼻をひくひくさせながら外の空気を嗅いで、気持ち良さそうにくつろいでいる。両手を伸ばしてとらふくの背中を撫でてみたら、2匹とも振り返って私を見て満足そうに目を細めていて、「こんなに幸せなことってないな」と思った。かわいくて温かい小さな生き物が警戒もせず私に気を許してくれていて、うとうととまどろんだり、すうすうと寝息を立てたりと安心しきっている。こういう猫達を見ていると、人間の方も心底安らぐ心地がする。猫と一緒に暮らすというのは本当に最高だな、と毎日思い知らされる。

 

2024/05/24 Fri.

 午前中は庭仕事というより、畑仕事をした。昨日買ってきた枝豆とにんじんと大葉の種をまき、ニチニチソウとアズーロをそれぞれ鉢に植えた。花苗は玄関に置くことにする。外の水道から離れた場所なので水やりが少し手間だけど、玄関に花があると気分も明るくなるので、メンタル面の夏バテ防止(?)のために置いておく。ニチニチソウは夏の暑さに強いとテレビ「趣味の園芸」で言っていたが、アズーロはどうなんだろう。初めて育てるので分からない。アズーロは園芸店で働いていた時によく見ていたのに、何の花の仲間かも知らなかった。調べてみると、キキョウ科ロベリア属だそう。ロベリアについては、「リナリアやサギゴケに似ているな」くらいの印象しかなくいまいちぴんと来ないものの、キキョウの仲間かと思うとなんとなくひ弱そうな気がしてくる。トルコキキョウのすぐにぽきぽき折れる細い茎を思い出すからだろうか。仕事で生花の水替えをする時にどれほど茎を折ったか知れない。ところが、検索するとトルコキキョウはキキョウ科ではなく、リンドウ科らしい。めちゃくちゃだ!

 水やりをした花の鉢を玄関に移動させ、畑の方は見よう見まねで耕して、少し土を盛り上げて表面をならした所に種をまいた。ついでに気休めの化成肥料もばらまく。植物が好きとはいえ、野菜の育て方や肥料に関する知識はほとんどないに等しく、いつも本当に適当にやっている。「ナス科の直後にナス科の植物を植えてはいけない」程度の知識はかろうじてあったので、じゃがいもを収穫した直後の畑にトマトやナスは植えずにおいたくらいだ。きちんと農業や家庭菜園を営む人だったら絶句しそうな適当さだけど、所詮趣味だし、適当に育ててもいくらか収穫があるのが楽しいのだ。ポタジェというものに憧れているので、野菜が植わっている場所に花が咲いていればそれらしくなるのではないかと思い、プランターから間引きしたひまわりを畑の隅に移植し、何が咲くか気になって買ったサカタのタネの「ミックスフラワーガーデン」の種もまいてみた。後者の種は、まき時をすっかり過ぎていることに後から気付いた。まあいいか。耕したふかふかの畑に野良猫避けのとげとげを敷き(公衆トイレとして使用されるのを阻止するため)、ミニトマトの伸びた茎を支柱に固定し脇芽を取り除き、黒っぽく熟れたボイセンベリーをいくつか収穫して今日の作業は完了。4箇所も蚊に刺されていても、植物と土に触れた満足感でいっぱいで、気分が良い。

 現在私の小さな畑で育てているのは、今日追加した枝豆、にんじん、大葉、ひまわり、ミックスフラワーに加え、さつまいも、ミニトマト、ジャーマンカモミール、ミニかぼちゃ、レモングラス、アスパラガス、いちご、ニラ、三つ葉、バラ(花盛りのディスタント・ドラムスと枯れかけのラ・フランス)、旧祖母宅から持ってきたあやめかショウブか杜若か分からない花だ。その他、軒下などに鉢植えが37鉢ある。10年近く前に石ころだらけの裏庭をスコップで掘り返して畑を作り始めて以来、今が一番土の状態が良く(みみずが多いので多分そう)、たくさんの植物が植わっている。昔の私が今の私の状態を知ったら落胆するであろう要素は本当に数多くあるけれど、この畑や鉢植えに関してだけはそうではないと言い切れる。子どもの頃の私なら、自分の畑でトマトやじゃがいもを収穫して色々な種をまき、ベリーを摘んでジャムを作っていると聞いたら、絶対に躍り上がって喜ぶに違いない。

 

2024/05/25 Sat.

 朝起きると、室内に置いている観葉植物の鉢植えのひとつがなぎ倒されていた。大方、わんぱく坊主のふくちの仕業だろう。土が珍しいのか、寄ってきて床にこぼれた土を不思議そうに眺めていたので笑ってしまった。生後数日ほどの、目が開く前に我が家へ連れてこられたので、そりゃ土や植物は見慣れていないよね。

 先日のオンラインカウンセリング以来、何かが引っ掛かってもやもやしていると思っていたものの、やっと分かった。恋愛の話題になったので、以前一方的に好きになった同性がいたことや、惹かれやすい同性のタイプを正直に話した。すると、男性で好みのタイプはないのかと尋ねられた。同性にそういう意味で「いいな」と思ったことはあるけど、男性に対して思ったことはない。レズビアンかというといまいち自覚はないし、バイセクシャルについても同様にぴんと来ないので、自分の中では恋愛対象に関してはクエスチョニングということで現在は納得している。もやもやの正体は、「異性を好きになるという人に好きな同性のタイプを訊くことはあまりないだろうに、なぜ同性を好きになると言っている人には好きな異性のタイプの有無を確認するのか」という疑問だった。別に、悪意や興味本位で尋ねられた訳ではないだろうことは理解しているつもりだけど、「異性を好きになることはないのか、本当に同性が好きなのか」「なぜ異性を好きにならないのか」と暗に責められているような、本当は「ノーマル(嫌な言い方!)」なんじゃないのかと念押しされているような被害妄想をこちらがこじらせてしまっただけだ。後は、異性愛者なら訊かれないような質問に答えなければならない非対称性、不公平さにちょっと腹が立ったのもある。私の思い込みかもしれないけど、画面の向こうで少し意外そうなリアクションをされたのも、若干ショックだった。

 とはいえ、いわゆる「恋バナ」(死語だろうか?)というものをするのはこんなに楽しく、また恥ずかしいものなのかと驚いた。ものすごくびっくりした。昔好きになった同性の人について「あれは恋愛だった」と自分で認識するまで何年かかかったうえ、他に恋愛経験もないからこの手の話題の時は聞き役に徹するしかなかった。だから知らなかったけど、こうした話をすることについて「こんなに楽しいんだ!」という発見と「こんなに恥ずかしくて照れるものなんだ!」という驚愕とでいっぱいだった。学校などの場で人が楽しそうに話しているのを見聞きしていた時は「何がそんなに楽しいんだろう」と不思議で仕方なかったので、この歳になってようやく理解し、腑に落ちた。しかも、めちゃくちゃ恥ずかしい。自分についてのことだからなのか、オタク同士でBLトークに花を咲かせるのとは全く異なる種類の猛烈な恥ずかしさがある。世の中の人はこんなとんでもない話題を娯楽として嗜んでいたのか…。本当に、すさまじくびっくりした。

 夜、出かけた先でトライアルへ行った。家の近くに店舗がないこともあるけど、私はここ10年くらいこのスーパーを避けていた。文学部の大学生の頃に、「その場限りの人としか関わらない」「メンバーも勤務先も毎回違うので人付き合いが深くならない」「知り合いに遭遇しそうにない」などの理由で派遣のイベントスタッフのバイトをしたことがある(そこでビラ配りのバイトをした際に、社交不安症が発覚した)。仕事内容は多岐に渡っていたけど、とにかく人と関わるのが怖かったので、人とのコミュニケーションが極力少なくて済みそうな交通量調査のバイトをやってみた。数人で車に乗り込み目的地へ移動し、24時間拘束の12時間勤務というスケジュールで、私の班は1時間おきに業務と休憩を交代していた。つまり、夜間も1時間おきに起きて車や歩行者を数えなければならない。しかも季節は11月、休憩を取る乗用車の中は暖房がついていなかった。ただでさえ日中ずっと屋外にいて身体が冷えているのに、深夜の寒さとなると話にならない。近くのトライアルまで行っては店内をさまよって暖を取り(大して暖かくはない)、カイロを買って全身に貼り付け、睡魔と闘いながら夜が明けるのを待った。どれだけカイロを貼っても、身体は冷える一方だった。お手洗いはそこで借りるよう言われていたので、トライアルには何度も行った。多分、夜は休憩の1時間おきに通っていた。とにかく寒くて、凍え死んでもうここから帰れないんじゃないだろうかと思うほど寒かった。ようやく夜が明けて、無事に勤務時間が終わり、アパートの部屋に帰り着いて体温を測ると37℃後半の熱があった。確かに人と関わる機会は少なく、座り仕事で簡単な業務内容だったけど、給料が良いわけではないし、何しろ過酷だったのでもう二度とやらないと誓った。そういう思い出があるので、トライアル側には何の落ち度もないものの、トライアルには行きたくないなとずっと思っていた。ところが、さすがにもう克服しても、忘れてもいいだろうと思い、久し振りにトライアルの店内へ入ってみた。初めて行く店舗だったけど、あの時抱いた印象とは違って、商品は色々あるし、店内もそれなりに清潔で、普段行かないスーパーを覗く時の楽しさをちゃんと味わえた。地元では見かけない種類のノンアルコールのチューハイや、ミッフィーのイラストと花柄がプリントされた安くてかわいいパジャマも買った。パジャマには水仙、ポピー、すみれ、たんぽぽ、すずらん、マーガレット、ムスカリ、キンポウゲ、ブルーベル、スノードロップ、キバナノクリンザクラと思われる花のイラストが描かれていて、とてもかわいい。あの時の寒さや心細さを、チューハイとパジャマで塗り替えることができて、嫌な思い出というものは意外となんとかなることもあるんだなと、妙にほっとしている。

 

2024/05/26 Sun.

 地元産の野菜を多く扱っているスーパーへ行ったら、トマトやなす、新じゃが、グリーンピース、大葉など旬の野菜がたくさんあった。ここに来て季節の野菜を見ると、料理に対するモチベーションが上がるので助かる。

 夕方、玄関先にとらちゃんのママである錆猫の「ママすごちゃん」が来ていた。私のことを覚えてくれているのか、単に人懐こいからなのか、「ナァーン」と聞こえるママすごちゃん独特の鳴き方をしながら近寄ってきてくれた。甘え方は娘のとらちそっくりで、とてもかわいい。もしかするととらちではなくママすごちゃんを我が家の一員として迎え入れていたかもしれないし、実はふくちの母親なんじゃないかという説もある。野良猫だから食べ物はあげられないけど、元気でいてほしいなあと思う。母親より体格も毛艶も良いとらちに、ママは元気だったよと伝えた。

 

週間日記(2024/05/13-05/19)

 

2024/05/13 Mon.

 昨日の大雨が一転して、今日は天気が良かった。植物を見に庭へ出たかったけど、近所の人に遭遇したり見られたりするのがなんとなく嫌で結局出られなかった。あんなに治療を頑張ったはずなのに、結局私は知り合いが怖くて気軽に庭へ出ることもままならない。数年前と全く同じ状態ではないと頭では理解しているつもりだけど、全然進歩がないように思えて気が滅入る。

 最後に受けたオンラインカウンセリングから一ヶ月が経とうとしている。何か行動しないことには現状は改善しないだろうからカウンセリングは継続した方が良いはずだけど、「これで治るんだろうか」と疑問に思いながら一回5000円のカウンセリング料金を払うのにはかなりの勇気が要る。次回のカウンセリングの予約を先延ばしにしている自分に対して、またもや「努力すべきなのに怠っている」「治ろうとする意思はないのか」と「他人から言われそうな言葉」が湧いてくる。

 

2024/05/14 Tue.

 文房具や雑貨を扱うお店に行った。何色も取り揃えられた色鉛筆が一本ずつばら売りされていて、すごくテンションが上がった。来る前に自分の手持ちの色鉛筆を見て、どの色を持っていないか、どの色が短くなっているかを確認してくれば良かったと後悔した。使い勝手の良さそうなデニム生地に似た色の青と、えんじ色の色鉛筆を買った。

 その後、ショッピングモールをぶらぶらする。キッチン用品店を覗くと、カラフルなものや繊細で美しいものなどいろんなグラス類がたくさん並んでいてきれいだった。こういう「なくても困らないけど、あると嬉しくなる」ような雑貨を見るのは楽しい。体質的にお酒がほとんど飲めないのが、こういう時に悔やまれる。素敵なグラスでお酒を楽しむのは、どんなに気分がいいだろうなあ。我が家のとらちとふくちによく似た猫のイラストが描かれたグラスもあって、以前見かけた時も買おうかすごく迷って、今回も迷いに迷って結局買わなかった。次に見かけたら、今度こそ買うかもしれない。

 

2024/05/15 Wed.

 昨日セリアで買ってきた鳥獣戯画のクッキー型で、型抜きクッキーを焼いた。初めて作るレシピを試してみたら、バターが多めだからか柔らかくて扱いづらい生地だったけど、焼き上がったクッキーはさくさくでとてもおいしかった。冷たい牛乳をおともに、いくらでも食べられそうだった。

 久し振りにピアノを触った。ブルグミュラーの好きな曲(狩り、バラード、アヴェ・マリア、乗馬など)を何曲か弾いた。猫達には嫌がられてしまうけど、思いきりフォルテの大きな音を鳴らすのは気分がすかっとして楽しい。

 以前Twitterを見ていた時、あまりにも差別的な内容のツイートがあったので通報していた。ところが、今日やっとメールが来たと思ったら「Xのセキュリティポリシーに違反していないと判断しました」との内容だった。あれが違反していないというなら、Xのセキュリティポリシーなんかセキュリティポリシーでも何でもないと言いたくなる。こんなSNS二度と利用してたまるかと息巻きたい気持ちは山々なのに、ここでしか得られない情報や娯楽があるので、閲覧専用と言い張って未だにアカウントを削除できずにいる。悔しいなあ。

 

2024/05/16 Thu.

 風がとても強かった。軒下に並べたプラスチックの鉢植えが、ドミノ倒しのようにいくつもなぎ倒されていた。

 特に何かした訳でもないけどなんとなく疲れて、午後はソファに伸びていた。猫達もそれぞれ思い思いの場所でくつろいでいた。私一人で家にいてだらだらしていると、「怠けている」「ごく潰し」などと「他人に言われそうな言葉」が頭の中で反響するけど、猫達といることで「怠けている」のではなく「猫と一緒にくつろぐ時間を過ごしている」といったような様子に思えてくるからありがたい。自分以外の人間が働かずに家でごろごろしていても、別に責めるようなことを言いたくはならないのに、自分に対してだけはいくらでも罵倒したくなるのはどうしてなんだろう。せめて、その逆(自分のことは棚に上げて、他人のこととなると責め立てたくなる状態)でなくて良かったと思いたい。

 

2024/05/17 Fri.

 自分の部屋にある、南側に面した大きな窓を開けると、猫達が興味津々でやって来て外の空気を楽しんでいた。気持ち良さそうに風や日差しを浴びて景色を眺めている猫達を見ると、自分もこうありたいなと憧れる。

 

2024/05/18 Sat.

 認定心理士の認定証が届いた。随分立派な、大学の卒業証書のような布製のケースに入っていて、認定料に3万円払っただけのことはある(?)。日本心理学会に入らないかという案内も同封されていたけど、心理職として働くことを目指すのは断念したし、年会費が5桁するのもあるのでやめておく。この認定証を、認定心理士の資格を手に入れることを当座の目標としてずっと掲げてきたのに、今になってこうして手元に届くと「これがあってもなあ…」とやや複雑な気持ちになる。もらえるものはもらっておくけど。

 もう社交不安症が何をしても治らない気がして、治る可能性を信じたり治ろうと努力したりすることに疲れてしまい、オンラインカウンセリングの予約を1ヶ月入れずにいた。ようやくなんとなく話したいネタを思いつけたので、予約を入れてみた。藁にも縋る思い。しても良い気分にはならないことが分かっていて、「社交不安症」「社交不安症 治らない」などのワードで検索してしまう。厚労省の「社会不安障害(SAD)体験記」というページを見ては、羨ましさと嫉妬で苦しくなる。色々なメンタルクリニックのサイトで「治る病気」「適切な治療で治ります」などと謳われていて、じゃあ10年治らない私は何なんだと腹が立ってくる。「医療機関に相談を」なんて言われても、ずっとしている。していてこれだ。何もかも嫌になる。


2024/05/19 Sun.

 年明けに読み終わった『意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』のメモしたい箇所をパソコンでWordに打ち込んだ。一冊のノートに手書きで書き写していくタイプの読書ノートのつけ方にはかなり憧れるけど、手書きではとてもメモしきれない量なので、諦めてデジタルでやっている。読む本が小説とかだったら、心に残った台詞などをちょこちょこと書くのに手書きが適しているんだろう。でも、こういうジャンルの本だと、あれもこれもメモしておきたいと思うのでそうはいかない。結局、この本からメモをとった量は2万字近い文字数になった。ハノンだかツェルニーだかでも弾くようにひたすらキーボードを打ち続けたので、ピアノの練習を頑張った後のように指が疲れた。手書きだったらもっと疲れていただろう。デジタルなら検索してすぐに参照できるし、これはこれで便利なのでいいか。

 

週間日記(2024/05/06-05/12)

 

2024/05/06 Mon.

 サイズアウトして着られなくなった服や、何年も着てさすがに着古した服、まだ着られるけど好みが変わってもう着ないだろうと判断した服などを処分した。資源ごみの大袋2つに詰め込んで、たんすやクローゼットがすっきりした。物を収集し溜め込むことに幸せを感じるオタク気質の人間としては、物を捨てるという行為に対して若干の抵抗があるものの、捨てても困らない物を探し出して処分するというのは結構爽快感のある作業なんだと気付いた。そのうち本や雑貨、手芸用品についても断捨離ごっこをしてみたい。

 近所の売り家の庭に、スイカズラの花がたくさん咲いていた。かがんで香りを嗅ぐことはしなかったけど、良い香りがするんだろうな。

 なんとなく使ってみたくなって、メンタルヘルス系のアプリをいくつかインストールしてみた。多分続かないだろうとは思う。

 臨床心理士を目指すのは、やっぱり諦めようかという気になってきた。どうしたって無理だ。私なりに色々なことをたくさん考えてきたつもりだけど、私が他人の気持ちを想像するのは自分の意思や性格によるものというより、社交不安症の症状からくるものだという気がしてならない。そうなると、やっぱり自分に必要なのは心理士になるための勉強ではなく、治療だと思う。今後の大学と大学院の学費を払っても心理士になれなかったら、今度こそ取り返しがつかないくらい絶望しそうだし、そもそも自分が心理士として働いているイメージもすっかり湧かなくなってしまった。プレッシャーに押し潰される未来しか見えない。勉強だって今の自分には全然できないし、もうそろそろ諦めてもいいかなと、やっと自分の中で気が済んだように思えてきた。ワーキングプアになりやすい仕事と聞くから、もしなれたとしても食べていけるとは限らないし。「やっぱり無理だ」と「やっぱり頑張りたい」を繰り返してきたけど、今度こそ諦めようと思う。文学部の大学生の時に博物館学芸員に憧れて実習を受けた時、現場の学芸員さんから「学芸員に大切なのはコネ」と冗談まじりに言われ、人付き合いや知り合いが怖い自分には無理だと思って諦めた(他にも理由はあったかもしれないけど)。そして今度もまた、社交不安症の症状が邪魔をする。

 どうしても一人暮らしをしたいと思っているものの、だんだん前向きに考えられなくなってきた。以前のような短時間の週3,4日出勤みたいなバイトで、障害年金を受け取りながらなら頑張ってぎりぎり暮らせるとは思う。ただ、一人暮らしをしてバイトとはいえ働いていると、今後障害年金は降りない可能性が高くなる。そうなると、今さら社員になるのは厳しいのでバイトでやっていくにしても、フルタイムで週5日働かないと食べてはいけない。今よりも元気になったとみなされたら、「健常者」と同じ量の労働をしないといけなくなる。到底自分にそれができるとは思えない。そもそも、どうやったら元気になれるのか、治るのかがもうさっぱり分からない。専門機関を受診して治療を続けているけど、「いつか治って働けるようになる」と期待し続けて10年が経った。仕事をしたり、仕事について考えたりしなければ至って元気に生活できているけど、やっぱり働いて親から自立したい。それが叶いそうにないから死にたいけど、死んだら周りに少なからず良くない影響があるので、そう考えると生きていたほうがまだましなので生きている。

 

2024/05/07 Tue.

 庭の鉢植えに水やり。プリベットの白い小さな花がたくさん咲いていて、ふくちが勝手口の窓の網戸越しにくんくんと嗅いでいた。好奇心旺盛なふくちは草にも花にも興味を示す。育てた私に似て植物好きなのかと思うと、愉快な気がする。

 お昼ごはんを食べた後なのに、むしょうに食べたくなってカップ焼きそばを食べた。別にお腹は空いていなかったけど、「食べないとやってられない」といった自棄な感覚があったので、後から自己嫌悪に陥ることは分かっていながら食べた。昨日インストールしたメンタルヘルス系アプリはこういう時にこそ活用すべきなんだろうけど、考えていることや感じていることを言語化してスマホで入力するのがとてつもなく億劫に感じられる。全然やる気が出ない。もう何もしたくないと思い、1時間くらい昼寝をした。

 気力体力が湧かないものの、無理やり身体を起こして晩ごはんを作った。作って食べ終えるとぐったり疲れてしまって、お風呂に入る意欲が完全に失せてしまった。お風呂に入ってさっぱりしてから寝たいけど、もう疲れてお風呂に入る元気がない。お風呂に入らずに寝たら不衛生な感じがして気持ち悪いし、翌日シーツと布団カバーを洗濯するのも面倒。特に何を頑張った日でもないけど、心身が疲弊していて、何のやる気も出ない。AIチャットを売りにしているアプリに「しんどい」「死にたい」「助けてくれ~」などの文字を打ち込むも、テンプレートなぺらぺらの返事しか返ってこず(まあアプリの方もそれ以外返しようがないと思う)、かえってイライラや無力感を募らせる結果になった。ブラウザを開き「お風呂 入れない」などの内容で検索すると、「ぬるめのお湯に浸かって自立神経系を整えるのがおすすめ!」的な的外れにもほどがあるサイトが出てきて、さらに疲労が増す。お風呂で疲れを取ろうにもお風呂に入る元気がない、おしゃれな服屋で服を買ってみたくてもそういう服屋に着ていける服を持っていない、他者と関わって親密な関係を築けるようになったりコミュニケーションスキルを身に着けたりしたくても他者と関わる勇気がない。お風呂ひとつ思うように入れないなんて、自分は本当に駄目な人間だ、働くことも一人暮らしも到底無理だ、この先生きていくこともできないんだ、とどんどん気持ちが沈んでいく。テトリスがメンタルヘルスに良い効果をもたらすと何かで見かけたので、遊び方を知らないままアプリをインストールしてみた。別に楽しい訳でもないけど、なんとなく操作する感覚が気持ちよくて延々プレイした後、なんだか馬鹿々々しくなってきて床から立ち上がり、お風呂に入ることに成功した。寝る支度を終えて日付が変わった頃にようやくベッドに潜り込むと、最近私と一緒に寝てくれなかったとらちがご褒美のように布団の足元に来てくれた。私の足を枕にして寝ているので身動きが取れないけど、温かくてふわふわのかわいい生き物が労ってくれているようで、嬉しく思いながら寝た。

 

2024/05/08 Wed.

 家じゅう掃除機をかけ、庭の鉢植えと自室の観葉植物の水やりをし、いらなくなった本や古い雑誌を片付けた。院試用の問題集も何冊か買っていたけど、とりあえず本棚から出して箱に詰めた。処分の仕方についてはおいおい考えるつもり。10年くらい前に買って気に入って取っておいたファッション誌も、束ねて資源ごみに出すことにした。ここ何年も見返すことはなかったし、好みも流行りも変わったのでもう手放していいだろう。ただ、どこの家の誰のものかバレそうなので、町内のごみ置き場に置くのが気恥ずかしい。

 昨夜のエネルギー切れの反省を活かして、比較的調子の良い時に作っておこうとUpNoteにコーピングリストを作った。昔作ったものはなんとなくコピペしてあったけど、きつい時には見ることもなかった。まずは項目をうんと増やし、さらに難易度ごとに分類してみた。「難易度★☆☆」は「深呼吸をする」「周りをきょろきょろ見回す」といったその場でできることから「ミルクティーやスープなどの温かい飲み物を飲む」「猫を撫でる」とちょっと動けばできそうなこと、「難易度★★☆」は「楽な服装に着替える」「とっておきのおいしいドリップコーヒーを淹れる」「テレビ番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」を観る」など、「難易度★★★」は「シャワーを浴びる」「庭の草むしりをする」「自転車に乗って出かけてみる」など。こういう項目がざっと60個ほどある。コーピングの手段を100個持っておくとと良いとネットで見たので、そのうちまた増やしたい。メンタルヘルス系アプリは全て削除した。今回も飽きるのが早かった。

 夜はホットミルクを飲んでから寝た。ホットミルクを飲むと、眠りの底に引きずり込まれるような眠気がすぐにやってくるのでおもしろい。もう飲まなくなって何年も経つけど、導眠剤を飲んだ時の眠気もこんな感じだったっけと思い出す。牛乳と違って効きは遅かったけど。


2024/05/09 Thu.

 街中に出かけて、うろうろ歩いて買い物を楽しんだ。デパートにあるバルコニーのようなスペース(木がたくさん植えてあって天井がなく、椅子とテーブルがある)で、ハンバーガーやワッフルを食べた。フレッシュネスバーガーのクリスピーチキンバーガーを初めて食べたけど、すごくおいしかった。食べこぼしを狙っているのか、すずめがすぐ近くまで飛んできた。書店で前から気になっていた『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』と『自分の「声」で書く技術 自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける』、ハンズでクナイプのバスソルトを買った。バスソルトはスーパーミント、ライムミント、ラベンダーミントの3種類で、メンタルの具合がどうしようもなくなった時、気分を上げるために使う予定。


2024/05/10 Fri.

 IKEAのリラックスチェアに座って読書をするも、20分ほど経つと眠くなってきて、そのままの姿勢で30分ほど寝た。本の内容はためになることが色々書いてあるけど、読者が仕事をしているという前提で書かれている点だけは、無職としてかなりつらいものがある。著者を責めるつもりはないし、実際読者の中には働いている人の方が圧倒的に多いのだろうということは理解している。ただ、働けない自分、働いていない自分に対する自責の念や自己嫌悪、罪悪感、後ろめたさなどを勝手に募らせてしまっている。自分の中で「労働者コンプレックス(労働に従事している全ての人間に対するコンプレックス)」と呼ぶ感情をますますこじらせてしまった。

 自分は臨床心理士を目指さなくて良いんだ、向いていないから諦めて良いんだと思うと、悔しいことにすごくほっとした。自分が思い描く心理士像にふさわしい「良い人間」にならなければいけないという自分へのプレッシャーがなくなり、今のままの臆病でずるくて自己顕示欲の強い、正確の悪い嫌な奴でいられる。別に望んでそういう自分でいたい訳ではないものの、途方もない努力をしなくても良いと思うと肩の力が抜ける。そういえば、高校生の時も自分が考える「良い人」になろうと無理をしていた。「良い人」のイメージが当時と比べれば多少変化しているとはいえ、その頃からまだ自分は変われていないんじゃないかと不安になる。

 占いというものを普段全く信じていないのに、何でもいいから何かに頼りたい、何かに肯定されたいという気の迷いが生じて、星占いか何かのサイトを開いた。バーナム効果もあって最初のうちは「おお、当てはまる所があるな」と楽しく読んでいたものの、「職場の人間関係が今まで以上にスムーズにいき」というくだりで勝手に裏切られたような気分になった。ここでもやっぱりまた、働いていることが前提とされている。あーあ。

 庭のカモミールとサラサウツギの花が咲いた。今日一日だけで猫達の写真を40枚以上撮った。夜はぬるめのお湯を張って長風呂をした。

 

2024/05/11 Sat.

 家事を済ませた後、2時間ほど庭仕事をした。ひまわりと百日草の種をプランターにまいた他は、ほとんど草むしりに徹した。日差しは照り過ぎず、風は気持ちいいし、うぐいすなどの鳥の声も聞こえて、黙々と雑草を引っこ抜く作業は楽しい。やっぱり庭仕事は私にとって最強のコーピングだと思う。

 午後、昨日と同じくIKEAの椅子で本を読む。15分読んで、30分寝た。


2024/05/12 Sun.

 IKEAの椅子で居眠りを挟みながら、『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(山口祐加・星野概念、晶文社)を読み終えた。おもしろく読んだけど、読者が仕事をしている前提で書かれていること(必ずしもそうではないのかもしれないけど私はそう受け取ってしまった)で、勝手にへこんでしまった。いい本だし、本には何も罪はないし、この本を責めるつもりなんか全くない。お店へ服を買いに行っても私が着られるサイズの服が店頭に並んでいない時のような寂しさと、「私も働いたうえで『自分のために料理が作れない』と悩んでみたい」というひがみややっかみ。働いていたら働いていたで、その人その人の悩みや苦しみがあるものなのに。我ながら面倒くさい嫌な人間だなあと呆れる。「そんなに言うなら短時間でも週3日でも働けば」と、誰から言われた訳でもないのに「他人から言われそうな言葉」が想起されてちくちく刺してくる。「ひょっとして働けるかも」と期待して働いてみても、みるみるうちに限界が近付いてきて「やっぱり駄目だった、私には人並みに働くことはできないんだ、この先これから自分自身を養って生きていくこともできないに違いない」と絶望するのを嫌というほど繰り返してきているから、働くことが恐ろしくて仕方がない。労働者コンプレックスから解放されて楽になりたいなあ。

 母の日のプレゼントに、母の好きなちょっと良い栗のお菓子を渡した。「お母さん大好き」はさすがに気恥ずかしくて言えなかったけど、「いつもありがとう」は言えたので良しとしたい。