苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/04/15-04/21)

 

2024/04/15 Mon.

 オンラインカウンセリングを受けた。今日は目覚ましい進展や新しい気付きのようなものはあまりなかったものの、毎回そうした劇的なカウンセリングだと疲れてしまうので、こういう回もあった方が良いのだと思う。

 

2024/04/16 Tue.

 一昨日の面接試験の結果と、認定心理士の資格が取れたかどうかの結果とが今週郵送される予定なので、とてもそわそわしている。今日はまだ届かないだろうなとは思いながらも、気になるあまり日に4回も郵便受けを覗いてしまった。

 クリームボックスという食べ物の存在を知り、そんなの絶対おいしいじゃんと思い、余っていた生クリームを使って作ってみた。案の定好きな味だった。カスタードクリームに似ているけど、卵は入っていない。これを作るためだけに、わざわざスーパーへ行ってコーンスターチを買ってきたかいがあった。

 なんとなく文字数を書けそうなネタを思いついたので、2000字ちょっと書いてみた。意外と集中して書くことができて、頭の中を整理できた感じですっきりしたし、何より楽しかった。応募した先に掲載されるかはさておき、楽しく文章を書けたことが嬉しい。

 新しい化粧品が欲しいと最近思っていたけれど、独立系書店のオンラインストアを覗いた所、化粧品よりも本の方が欲しくなってしまった。迷いに迷った挙句、結局は前から気になっていた本を注文した。せっかく珍しく化粧品が欲しくなっている時に、本屋を見てはいけないとつくづく思った。顔に塗る色や粉よりも、断然本の方を欲しくなるに決まっている。でも、化粧品よりも本を選んだ自分のことが嫌いじゃないなと思えたので、これはこれで良かったかも。

 

2024/04/17 Wed.

 家事こそ最低限のことをこなしたものの、その他の何をしても手につかない。ポストを覗きたい気持ちを何度も堪えて、いつも郵便が届く昼前まで待つ。本当はいつ郵便配達のバイクが来るかと窓に張り付いて見ていたい気持ちだったけど、さすがにそれは度が過ぎている気がして我慢した。結局、今日は郵便自体来なかった。

 

2024/04/18 Thu.

 今日は比較的早い時間に郵便物が届いた。待ちに待った封筒を開けると、「惜しくも合格には至りませんでした」の不採用通知が入っていた。あーあ。強がりを言うと、ほっとした部分も大きい。勉強に集中できるし、働く以上逃れられないストレスに晒されなくて済む。「もしかしたら」という期待はしてしまっていたけど、駄目で元々という気持ちもあらかじめしっかり持っておいたので、さほど落ち込むこともなかった。良かった。

 先日注文した本がさっそく届いたので、読み始めた。勉強のために読む本とは違う、娯楽のための本は楽しい。「知識を取り込まないと」という義務感から解放されて、気軽に読める。趣味としての読書って、多分本来そういうものだよなあ。

 夜、これから寝るという時に、視線の先に虫がいるんだろうと思われる動きをベッドの傍でとらちがしている。どうか即座に退治する必要のあるタイプの虫でありませんようにと祈りながら、睡魔と面倒くささに抗えず布団をかぶる。ぱっと見て分かる大きさの虫の姿は見えなかったので、多分放っておいて大丈夫だろう。多分。

 

2024/04/19 Fri.

 出店でいちご大福やまんじゅうが売られていて、すごく迷って買わなかった。帰宅してからも、「やっぱり買えば良かったかも」とまだ迷っている。

 

2024/04/20 Sat.

 認定心理士の資格認定審査の結果が気になって仕方ない。なるべく考えないようにしたい。そんなことは到底できないけども。

 『脳のお休み』(蟹の親子、百万年書房)を読んだ。おもしろいという言葉では片付けられないけど、人の生活や考え、感じ方などを本を通して読むと、とても興味深く感じる。著者は「自分は自分、人は人」という意識がしっかり確立されている人のようで、すごいなと思った。私は自分と他者の境界線のようなものがぐちゃぐちゃになりがち、というよりいつもぐちゃぐちゃしているので、憧れや尊敬の念を抱いてしまう。同じ時代を生きる人のエッセイや日記本を読むようになったのは割と最近だけど、色々な人がそれぞれにものを考えたり、行動したりしながら生きている様子を読むのがとてもおもしろく、なんだか「生きているなあ」とでも思えるようで心強いような気持ちになる。私が毎週ネット上に載せている日記も、誰かが見て「生きているなあ」と思ってくれたら、それは嬉しいことだと思う。未来の私にも、この日記を見返した時にそう思ってほしい。

 

2024/04/21 Sun.

 昨夜9時間も寝たので、よく寝たなという満足感がある。テレビ「趣味の園芸」を観ていたら、ふくちが膝に乗ってきた。温かくて重くて、とてもかわいい。趣味の園芸では、先月行った大阪の植物園「咲くやこの花館」が特集されていた。登場したフィロデンドロン、ストレリチア、ヒスイカズラ、トックリキワタ、タビビトノキ、マドカズラ、アンスリウムの内、最後の2つ以外は自分も写真を撮っていたので、なんとなく嬉しかった。咲くやこの花館のタビビトノキは、実際に見た時は温室の天井に届きそうな高さだと思って驚いたけど、樹高13mもあるらしい。どうりで、スマホのカメラの画面に収まりきらず、撮るのに苦労したはずだ。

 『かわいいピンクの竜になる』(川野芽生、左右社)を読んだ。服や髪、メイクなどの装いについて確かなこだわりと価値観を持っている著者の在り方がとてもかっこよくて痺れた。本当に素敵だ。私は自分の容姿を醜いと思っているので、服などについては多少のこだわりや趣味を持っていても、引け目だの気後れだのを感じて思う存分好きな装いをすることができない。でも、この本を読むとすごく勇気づけられる。実際、「メイク」と言うのも気恥ずかしくて「化粧」と言っている私が、文章の中といえどたった今「メイク」という単語を使えたくらいだ。今度美容室で10年ぶりのパーマをかけるに当たって「自分みたいな芋がパーマなんかかけて、人から笑われないだろうか」と自意識をこじらせていたけど、この本のおかげで少し肩の力を抜いて挑めそうだ。少しずつ自分の中のルッキズムを排して、自分が本当にしたい装いに近付いていきたい。

 

週間日記(2024/04/08-04/14)

 

2024/04/08 Mon.

 午前中に地震があり、少し揺れた。ふくちが戸惑ったようにこちらを見ていたので、話しかけてやると落ち着いたようにまた眠り始めた。こういう時、猫を抱っこして軽く揺すると、地震の揺れを飼い主によるものだと思って安心するらしいのだけど、抱き上げるにはふくちは重いからなあ…。

 ヒルガードの心理学を読んで、びっくりするほどスムーズに寝落ちした。眠くなるのは仕方ないとして、寝てしまうことについて「やっぱり自分は駄目だ」みたいな、妙な意味付けをしないようにはしたい。寝ても、寝て起きてまた勉強すればいいんだし。

 

2024/04/09 Tue.

 ヒルガードの心理学を読む。とりあえず、買ったはいいもののちらっとしか読んでいなかったこの本にひと通り目を通しておきたい。5章までは眠いし、目が滑るしで全く頭に入らず、果たしてこれで読んでいると言えるのかと問いたくなるほどだった。ところが、6章の「意識」の章に入った途端、急に内容がおもしろくなり目が覚めた。マリファナやオピオイド、フェンサイクリジンなどの単語が出てきて、テンションが上がる。この本は意外にも誤字脱字が結構な箇所あるので(なにせ分厚いので相対的に多くもなるだろう)、意地が悪いけどそれを見つけるのも少し楽しい。あまり好きじゃない内容の本に対しては「きちんと校正していないんだろうか」と思うけど、好きな本となると、いかにも人の手によって作られた本という感じがして、手作り感のような親しみすら覚える。

 午後は庭仕事をする。風がかなり強かったけど、あまりにも天気が良いので家にこもっているのはもったいないと思って外に飛び出した。じゃがいもの芽かき、鉢植えと畑の草取りや追肥、ビオラの花がら摘みなどの作業をし、庭に生えている大きい雑草を引っこ抜いた。いつの間にかラズベリーの花がたくさん咲いていたので、収穫が楽しみ。ヤッケやら帽子やらの装備を整えて庭に出るまでは億劫だけど、いざ庭仕事をすると、日差しも風も、雑草を根こそぎ引っこ抜く感触も全部が心地いい。やっぱり自分にとっては、庭仕事は立派なコーピングになるんだと思う。腰痛と引き換えに、精神の安定を手に入れることができる。

 全く予期していなかった出来事が起こった。オーボエを吹く機会があったのだ。私にとってオーボエは、社交不安症、親の期待や理想、思春期の黒歴史等々のできれば掘り返したくない思い出やイメージと密接に結びついているもので、もう二度と今後の人生で関わることはないだろうと思っていたものだった。ところが、この楽器の組み立て方や音の出し方、手入れの仕方などを母に教えることになった。自分の楽器は水害で泥水に浸かったきり手放したので、楽器を間近で見たり触ったりするのはもちろん、コルクグリスやスワブを扱うのすら久し振りで、借り物であることもあっておっかなびっくり組み立てた。吹いてみると意外にも音は出るし、運指も覚えていて、捨てられずにいた楽譜を引っ張り出して知っているメロディーをさらうことができた。悔しいことにちょっと楽しくて、楽しく感じられたことが少し嫌だった。自分の楽器を失って、もうステージに乗らなくていいし、嫌な思いもせずに済み、親の期待に応えようとする必要もなくなったのだと寂しいながらも解放感があったので、楽器を楽しいと思ってしまうと未練のようなものを認めることになる気がする。いっそ嫌な思い出しかないものだったらすっぱり諦めきれるのに、音楽をやること自体は多分楽しいんだと思う。でも、楽しくてもやはり人前では吹けないし、合奏も演奏会本番も無理だ。もしも社交不安症になっていなかったら、今もアマチュアのオーケストラや吹奏楽に参加して、家族と同じ楽しみを共有できていたのかもしれないと考えてしまう。一方で、楽器はもうやらないと決めたことが、私の中では遅れて来た反抗期のような、親に対するささやかな抵抗に近いという所もある。いっそオーケストラにも吹奏楽にもない楽器を一人でこっそり楽しむのはありかもしれないけども、何かしらの楽器をすることで「ほら、やっぱり音楽は楽しいでしょう」「我が家の人間だから当然音楽をやるよね」といった母からの無言の圧力に屈してしまうことになるのは避けたい。音楽や楽器というものは、「ただ楽しい」という純粋で気軽な理由だけで楽しんでいいもののはずなのに、自身の天邪鬼なプライドがどうしても邪魔をしてくる。それにしても、もうこの楽器を吹くことはないはずだと思い込んでいたので、生きていると何が起こるか分からないのだと改めて思い知らされた。

 

2024/04/10 Wed.

 「しまうまプリント」のアプリで作っていた、大阪旅行の写真をまとめたフォトブックが届いた。文庫本サイズの冊子に写真がきれいに印刷されていて、眺めていると旅行の楽しさが思い出せて良い。作ってみて良かった。

 なんだか急に化粧品が欲しくなった。KATEのリップモンスターがとても良いので、とりあえずサイトを見て、次に買うならどの色だろうかと考えてみている。他にはまつ毛美容液、チーク、リップやアイカラーなどに使えるマルチカラースティックが欲しい。自分の容姿については、本当に並々ならぬコンプレックスをこじらせている。どのくらいこじらせているかというと、「メイク」や「コスメ」という単語を使うことすら気後れして「化粧」「化粧品」と言っているくらいだ。「自分みたいなのには分不相応だから」という意識が強すぎて、デパートの化粧品売り場などはこそこそと逃げるように通り過ぎることしかできない。きらびやかで華やかな世界が眩しすぎて、地上で日光に晒されてしまったモグラのような気分になる(反対に、書店や園芸店であれば水を得た魚になれる)。ただ、そうやって依然こじらせながらも化粧を楽しみたい気持ちが芽生えてきたのは、良い傾向なんじゃないかと思う。

 畑のアスパラガスを3本収穫したので、豚肉で巻いて照り焼きにして食べることにする。庭に色々な花が咲き始めて、いよいよ春らしくなってきた。色とりどりのつつじとさつき、大手毬、ジューンベリーの他に、へびいちごやナガミヒナゲシなどの雑草も次々と花を咲かせている。観葉植物として室内で育てているコーヒーノキにも、今年2回目の花が咲いた。ジャスミンのような甘い香りが漂ってくる。ふいに香るくらいなら良い香りだけど、辺りに充満しているとあまりにも強烈なので、思わず勉強机やベッドから鉢を遠ざけてしまった。

 

2024/04/11 Thu.

 午前中に、ヒルガードの心理学を結構読み進めることができた。勉強机の椅子に猫のとらちが居座ってすやすやと眠っているので、私はその傍の床に座り込んで、時々脚が痺れるのをなんとかしながらヒルガードを読んだ。時々とらちを撫でると気持ち良さそうに喉をごろごろ鳴らしていて、その音を聞きながら勉強するというのはなかなか良かった。私は基本的に毎晩8時間は寝たい人間で、大人としては寝すぎなのではないかとなんとなく引け目に感じる部分があったけど、ヒルガードの心理学の中で9時間睡眠が推奨されている部分を読んで大いに励まされた。確かに、8時間半眠った翌日はとても気分が良く、体調も良い気がする。9時間も寝たら一体どうなるんだろう。相当元気になってしまうんじゃないか。朝6時に起きるためには、夜9時には就寝しないといけないというのがなかなか難しくはあるけれども。

 しばらく前に新しく作ったWebサイトに、これまでに描いた四コマエッセイ漫画をいくらか載せた。ところどころ修正しつつ、ぼちぼち全部のページを乗せられたら良い。自分用に製本する時にも思ったけど、こうして見るとなかなかな枚数を描いたものだと我ながら驚く。出来事や感情にオチをつけて四コマ漫画にすることが私にとってはセラピーのようなもので、不安や憂鬱を扱いやすい形にして笑いのネタに昇華してしまうと安心できるので、描いてみて良かったなとつくづく思う。何より、描くのが楽しかった。庭仕事と同じで作業に集中するまでが億劫なので最近は描けていないけど、描きかけのネタも描きたいネタもあるので、そのうちまた描きたい。

 

2024/04/12 Fri.

 ペンタブを引っ張り出して、さっそく描きかけの四コマ漫画に取りかかった。文字の入力と下書きまでは済ませていたので、線画を描いてトーンのようなグレーの部分を塗ってしまえば完成。そう言うと簡単に思えるけど、線画は一番神経を使う。久し振りに扱うペンタブはすっかり勝手を忘れていて、なかなか思ったような線が引けず作業は難航した。

 お風呂に入っている時、先日のオーボエ事件について考えたことを急に漫画の題材として扱いたくなり、ネタが次から次へと湧いてきた。お風呂というメモもスマホもない環境にいる時に、勝手にネタ出しを始める己の脳は卑怯だと思う。プリンターのように脳内のアイデアを頭から出力できたらいいのにと空想するほどだった。急いでお風呂から上がって化粧品だの薬だのをせっせと顔に塗りたくり、髪も乾かさずにスマホを掴んでアイデアを書き起こすのは、焦りながらも楽しかった。漫画にしろ文章にしろ、何も思いつかない時というのは本当に思いつかないものなので、こうしてネタが湧いてくるのはかなり嬉しい。願わくば、一晩経ってからこのネタ群がつまらない、描く価値のないものだと感じるようなことがありませんように。

 

2024/04/13 Sat.

 精神科の診察。いつもの薬を8週間分処方してもらった。やっぱり、薬があると格段に動ける気がする。家から病院までの道程を歩いて往復する途中に、つつじ、石竹、白詰草、コメツブツメクサ、ハハコグサ、ノゲシ、ノアザミ、マツバウンランなどの花が咲いていた。花期が過ぎた菜の花には、赤いてんとう虫がくっついていた。

 明日に控えた面接が嫌で、げんなりしている。ただ、数年前のように「不安すぎるので、面接を受けるくらいなら死にたい」「面接くらいでこんなに不安がっている自分は駄目な人間だ」「面接を受けられないから働けなくて今後生きていけない、死のう」等々の考えには今はもうならないらしいというのが、かなり嬉しい。多分、人並みの程度、私が憧れてやまなかった「普通」の緊張具合だと思う。面接が嫌だと思うのが嬉しいと感じられるようになるとは、思いもしなかった。それでも相変わらず面接は大の苦手ではあるので、「たかだか数分の面接ごときで、私という人間の素晴らしさが理解できるはずがないでしょうが」と内心で虚勢を張ってみたり、「まあ、まず不採用だろう」と面接を受ける前から諦めてみたりしている。うっかり期待してしまうと不採用だった時に堪えるし、どうしたって受かった時のことは想像してしまうので、「ダメで元々」「受かったらラッキー」と己に言い聞かせるようにしている。

 

2024/04/14 Sun.

 仕事にありつくための面接試験を受けた。以前のような「今すぐこの状況から逃げ出したい」「死んでまで回避したい」という強烈な不安がないというのが新鮮だった。文学部の大学時代には、就活の面接が嫌なあまり「車道に倒れる」だの「線路に飛び込む」だのといった案をしょっちゅう考えていたけど、この日は今日の日記を書き始めるまではそういった選択肢を思い出しもしなかった。とはいえ、もちろん緊張はした。話すのがやっぱりかなり下手で、自分でもよく分かるほどしどろもどろではあった。ただし、これまでの「生きるか死ぬか」のような緊張と不安の程度に比べたら、「この程度では緊張とは言えない」と過去の自分に言われそうなほどの生ぬるい緊張感だった。緊張があっただけで、不安を特に感じなかったというのが本当に嬉しい。似たような感情ではあるかもしれないけど、いざという時に備えて集中力を高める「緊張」と、ネガティブな妄想ばかり膨らんで体調まで悪くなってきそうな「不安」とでは、やっぱり別物だ。試験の結果がどうであれ、この程度の緊張で面接を受けることができたという事実を数年前の自分に教えてあげたら、きっと信じられないだろうな。

 「面接が終わったら、何か好きなお菓子をひとつ作っていい」というご褒美を掲げていたので、ヴィクトリアサンドイッチケーキを作ることにした。面接会場から家まで歩いて帰る途中にスーパーへ寄り、スーツ姿で生クリームひとつだけ購入するという一種異様な行動ができて楽しかった。とにかく、面接が終わったことでほっとした。帰宅してスーツを脱ぎ捨て、とびきりおいしいヴィクトリアサンドイッチケーキを作った。バターの風味が豊かでしっとりふわふわのケーキと、去年作って冷凍しておいた庭のさくらんぼのジャム、頑張ったのだからと奮発したちょっと良い生クリーム(普段は200円しない植物性のものを買うけど、今日は倍の値段の動物性のものを買った)の相性が抜群で、我ながらとても良い出来だった。「お菓子をひとつ作っていい」というご褒美ではあったけど、生クリームがまだ100cc残っているので、もうひとつ何か作れてしまう。何を作ろうかな!

 

週間日記(2024/04/01-04/07)

 

2024/04/01 Mon.

 今日から4月。無職なので、年度初めと言ったって別に真新しいような要素は何もない。でも春だからか、今年度こそは何か良い転機なんかがないだろうかと期待してしまう。社会復帰という言葉は好きじゃないけど(働くことと社会に属することがイコールになっているのが納得できない。働いていようがいまいがすべての人は何らかの形で社会に関わっている)、社会復帰を果たすことに憧れてやまない気持ちがある。

 臨床心理士を目指しているという人の投稿をSNSで見かけて、やっぱりいいなあ、自分も目指したいなあと久し振りに思った。通信制大学に編入してみて、とりあえず現在の自分には無理だと思い、その目標を追うのは一時停止ということにしていた。自分がカウンセラーに向いてないと思う点はたくさんある。人と関わること全般に苦手意識があるし、相手の顔色を窺って機嫌を損ねないよう振る舞ってしまうし、その割に「これは言わない方が良かった」「あの時ああすれば良かった」と後になって反省することがとても多い。人に嫌われたり怒られたりすることが怖くて仕方ないのに、自己顕示欲や自己表現したい欲が人一倍強い。どもったり早口になったりで喋るのが下手なので、落ち着いてゆっくりと穏やかに話すということができない。当座の自分に必要なのは治療やカウンセリングであって、少なくとも今はまだ心理士を目指せる状態ではないと思った。ただ、「こういう部分はもしかしてカウンセラーに向いているんじゃないかな」と自分で思うことは時々ある。「もしかしたらこういう事情があったかも」と他人の背景を想像する時、どういうリアクションをすべきか真剣に考えながら誰かの話の聞き役に徹している時、困っていたり悩んでいたりする相手に自分の意見やアドバイスを押し付けないよう気を配りながら話を聞こうとする時等々。こういうことは多くの人がするものだろうけども。遡及請求した障害基礎年金のまとまった額があるので、目指そうと思えば、大学院の学費も学生生活中の生活費も、院試のための塾だってある程度はどうにかなる。足りないのは私の努力と能力だけ。どうしようかなあ。

 

2024/04/02 Tue.

 朝から洗濯機を4回回して、はてなブログとnoteに週間日記を投稿し、昨日の分の日記も書いた。

 昨日思ったことを具体的に考えてみた。お金の問題は、非常に幸運なことに今なら多分ぎりぎりなんとかなる。心理士を諦めて「普通に」働いたところで食べていけるという保証はないんだし、こんな機会は二度とないかもしれない。せっかくチャンスがあるなら、諦めきれずにいる目標を追いかけてみてもいいんじゃないか。やっぱり無理だと思ったら途中でやめてもいい。前向きな気持ちになっている今だけでも頑張ってみようかな。何か変な物でも食べたのか、そういう具合に妙な元気が出てきてしまった。オンラインカウンセリングで「一人暮らしをしたい」と本音を漏らした辺りから、どうにもそういった方向のやる気が湧いてきているらしい。

 まずは、とりあえずのモチベーションとして今年の7月に心理学検定を受けてみる。そのための勉強に取り組むことができるようだったら、先に進んでみようと思う(できなかったら、その時はその時でまた改めて考える)。心理職として働く際には必要であろう公認心理師の資格が取れる大学に編入する。そうすれば、夢の一人暮らしも叶うし、通信制のカリキュラムでは心もとなかった実習や実験もきちんと学べる。そして大学院に進んで、臨床心理士と公認心理師の資格を取り、5年後の今頃には心理職としてどこかで働き始める。理想通りにうまくいくとは限らないし、心理学検定を受ける頃にはもう「やっぱり何もかも無理だったんだ」と早々に挫折している可能性だってもちろん大いにある。でも、この計画を思うとひとつ頑張ってみようかという気になれるので、それだけでも意味がある気がする。「働けないから生きていけない、死ぬしかない」とずっと思ってきた自分が、未来のことを建設的に考えられるようになったということ自体、私にとっては希望に思える。「やっぱり駄目だ」と「もしかしたらやれるかも」をこの先もきっとたくさん繰り返して、それで最終的にどういう方向に進んでいくかは分からないけど、とりあえず2024年4月時点の自分が進みたいと思う方向へ歩いていってみようと思う。先のことを悲観せずに考えられるという状態がこんなにも幸せなものなのだということを思い出せて良かった。

 

2024/04/03 Wed.

 久し振りにヒルガードの心理学を引っ張り出して、2時間ほど読んだ。最初の30分が経つと眠くなってきて、やっぱり自分には勉強は無理なのかと情けない気持ちになったけど、少し身体を動かしてから再開したら眠気はどこかへ行ってくれた。通信制の大学では学べなかった生理学的な分野の解説を読んで、理科に対する苦手意識はありつつも新鮮だった。人間の脳というものは複雑でおもしろい、と素直に思えたことが嬉しい。日本語ではあまり見ない、英語圏のものらしい言い回しもおもしろかった。私はとにかく数学及び理系の科目が大の苦手で、物理や地学よりは数字と計算が少なそうだからという理由で高校の理科も生物を選択した。そこでも結局数学からは逃げきれず、メンデルの豆がどうの遺伝がどうのの計算ができずに、試験で赤点を取った覚えがある。大学の文学部に進んで、理系科目と完全に縁を切ることができたと思った時は本当に嬉しかった。なのに、今度は生物学とは切っても切れない関係にある心理学、そればかりか統計学という途方もない強敵にまで無謀にも挑もうとしている。人間の心って不思議だな、と思うしかない。

 当座の仕事にありつくための面接の練習をする。面接で尋ねられそうな質問に対する応答の文面をいくつか考えて、それを暗記しようとした。緊張で平常心じゃなくなってもそらんじることができるように、しっかり覚えておきたい。ところが、面接を想定して暗唱してみるも、自分の話しやすいペースで話すとどうにも滑舌が悪く、噛んだりどもったりしてしまう。自分はこんなにも話すのが下手だったのかと驚くほどだった。自分ではそうは思わないけど、人が聞いたら結構な早口なんじゃないだろうか。そうでないと説明がつかないと思うほど下手な話しっぷりで、どうしようかと焦る。とにかく滑舌をなんとかしようと、ネットで見つけた「外郎売り」の文章を何度か音読してみるものの、必要なのは多分これによって身に着くものではなくて、ゆっくり話す練習の方だと思う。落ち着きのあるゆったりとした話し方にはすごく憧れるけど、どうやったらそのように話せるようになるんだろう。

 美容室に電話をかけて、カットとパーマの予約をした。パーマをかけるのはちょうど10年ぶりだ。2時間も美容室で過ごすことに耐えられるだろうかという不安はあるものの、自分の容姿にまつわる並々ならぬコンプレックスをどうにかやり過ごして、自分がこうなりたいと思う髪型を目指そうとしている勇気は我ながら褒めてやりたい。苦手な電話をかけたことも。

 

2024/04/04 Thu.

 Spotifyで「大和田慧と安達茉莉子のもちよりRadio」の「5-2 私たちは変化を恐れる生きもの」の回を聞いていたら、「変化を選んで後悔したことはない」という言葉が出てきた。あああ、そんなことを言われてしまったら、自分は変化を選んでしまう。

 2時間ほど、ヒルガードの心理学とオリヴァー・サックス『幻覚の脳科学 見てしまう人びと』を読んだ。サックス先生の本は本当におもしろいので、『妻を帽子をまちがえた男』もそのうち読んでみたい。

 

2024/04/05 Fri.

 昨夜は猫達が2匹ともベッドに来てくれた。とらふくはそれぞれ来て私の掛け布団の上に寝ることはあっても、2匹同時にいるということは今までなかったので珍しいし、何より嬉しい。少し経つとふくちがとらちにじゃれかかって、とらちが逃げてしまったけど。

 ヒルガードの心理学を1時間ほど読む。ここから日々の勉強時間を増やしていけるだろうか。スタディプラスのアプリもまたインストールした。

 夜、録画していたテレビ「ブリティッシュ・ベイクオフ」を観た影響で焼き菓子を作って食べたくなり、シュークリームを作った。シュー生地は、焼きたてこそいい具合に膨らんでくれたけど、オーブンの扉を開けないまま冷ましているうちにいくらかしぼんでしまった。でも、味は我ながらとてもおいしくて、甘くないシューととろりと甘いカスタードクリームの相性が抜群だった。夜中にお菓子を作って食べるというのは背徳感や特別感があって、格別に楽しくておいしい。なかなか起きていられないので難しいだろうけど、深夜にお菓子やジャムを作るという行為に妙な憧れがあるので、いつかはやってみたい。

 

2024/04/06 Sat.

 羊文学の音楽が気になっていて、YouTubeで何曲か聴いてみた。楽器の音もボーカルの声も心地良くて、「more than words」が特に好きな感じだった。コミュニティサイト「She is」が作ったSpotifyのプレイリストで「砂漠のきみへ」を聴いて以来、そのうち他の曲も色々聴いてみたいと思っていた。親から刷り込まれたジャンル(クラシック音楽)でない音楽を聴いていいなと思えるのは、親とは違う自分の個性が確立されたような感覚がしてちょっと嬉しい。

 ABEMAでアニメ「刀剣乱舞 廻 -虚伝 燃ゆる本能寺-」の第一話を観た。銀河英雄伝説のOVA以外のアニメを観るのが久し振りで(と思ったけど、アイドルマスターシンデレラガールズU149も観ていた)、アニメ鑑賞といういかにもオタクらしい行動を取っていること自体が楽しく思えた。大勢の刀剣男士達が動いて喋っている新規の映像を見られるのは純粋に嬉しかったし、布団を干したり、とうもろこしの髭をむしり取ったりといかにも人間らしい生活をしている推しも拝めて良かった。最近は毎日ゲームにログインこそしていてもノルマのように遠征と内番しかさせていなかったので、ちゃんと出陣させてあげたくなる。刀剣乱舞をプレイしている人達はよく本丸に「帰る」という言い方をするので、それがすごく良いし、分かるなあと思う。たとえゲームの世界であっても、自分が帰る場所があると思えるのはなんだか安心する。一番好きな男士は我が初期刀歌仙兼定だけど、最近Twitterで話題になっていた「結婚したい刀剣男士ランキング」の個人的な一位は石切丸だと思った。本邦の結婚制度に反対している現実はさておき、あのおおらかさ、包容力、おっとりとしたマイペースさ、御神刀としての貫禄、ちょっと抜けた所のあるかわいい性格、最高じゃん!友達になりたい刀剣男士ランキングだったら、歌仙、古今、南海太郎が個人的ベスト3かな。文系、文系、理系。

 珍しく映画を観たい気持ちになり、いつか観ようと思っていた「そばかす」を観てみた。すごく良かった!どうしてこんな良い作品を今まで観ずにいたんだろうと思うほどだった。以下、ネタバレ有りの感想。

 主人公が実家に暮らしているというのが、個人的にとてもポイントが高い。都会でかっこよく一人暮らしをする女性というのも憧れはもちろんあるけど、同じ実家住みのアラサーとしては、雑然とした生活感溢れる実家で同居家族と揉めたり笑い合ったり、歩み寄ったりすれ違ったりしながら生きている感じがすごく良かった。家族なら何でも分かり合えるという展開じゃないのも良い。家族でも全てを理解して受け入れてくれる訳じゃないというのはがっかりすることではあるけど、家族だからって全部理解し合えなくてもいいんだとほっとする部分もある。児童館で自作のシンデレラを発表する場面は、正直観ていて苦しかった。どうして異性愛者のストーリーは何の疑問もなく「普通」のものとして受け入れられて、それ以外のアイデンティティは悪気なく排除されるのか納得がいかなかった。でもその後の、真帆が父親に気持ちをぶつけるくだりで救われた。いかにも映画の感動的なシーンらしい、よく練られたかっこいい言い回しではない「馬鹿」というシンプルだけどリアルな怒りの表現だったのが、却ってかっこよかった。真帆が結婚するという話を聞かされた時、私は過去に似た状況で「ああやっぱりこの子も”そっち”側なんだ」というやるせなさと疎外感を覚えたので、素直におめでとうと祝福できた佳純はすごいと思う。それから、食卓を囲んで家族で焼き肉を食べている場面、こんなにも正直にはっきりと伝えているのに家族に理解されない場面もやっぱりつらかったけど、その後の「私、もうチェロやめる」という台詞にはもっと泣いた。佳純に楽器をやってほしいという父親の期待(佳純がチェロを好きだったからそう思っているのであって、父親自身のエゴからくる期待ではない)には応えず、昔は確かに好きでやりたいと思っていたことだったけど、今の自分はそうではないと思って「やめる」と決断できたというのがとてもかっこよかった。それに触発されたのか、今の仕事を辞めてやりたい仕事をやると言えた佳純のお父さんもかっこよかった。そして最後の場面、本当に良かった!異性愛至上主義、恋愛至上主義の社会はなかなか簡単には変わらない、万人がすぐに理解してくれる訳じゃない、身近な家族だって分かってくれない。でも私がそのままそこにいるだけでそれが救いになるという人もいて、そうであってもそうでなかったとしても、私は私のままでそこにいていいんだという安心感。時々でも、息ができる瞬間が確かにある。主題歌が流れて、たまたまそれが羊文学による楽曲で、何の偶然かと嬉しく思った。曲も歌詞も、主演の三浦透子さんの伸びやかで透明感のある歌声もとても良くて、映画を観終わってから何回も繰り返して聴いている。「走る、その先に、どんな未来がきたって きっと今ならば目を逸らさないよ」という歌詞が特に好きだ。それにしても、良い作品を観たなあ。

 

2024/04/07 Sun.

 出かけた先で久し振りに八重桜の花を見かけた。桜餅そっくりの花がおいしそうでとてもかわいかった。八重桜のぬいぐるみなんかがあったら欲しいくらいにかわいい花だと思う。

 一昨日シュークリームを作った時の残った卵白があったので、それを使ってラングドシャを焼いた。焼きたてのクッキーというのはふわふわと柔らかくてバターの香りも立って本当においしいので、冷めてさくさくになる前につい食べてしまう。

 隙あらば三浦透子さんの歌う「風になれ」を聴いている。何かが救われて明るい気分になれるような、それでいて泣きたくなるような不思議な曲で、これを聴いていると「大丈夫」だと思えるし、「大丈夫じゃなくても大丈夫」という気もしてくる。覚えてきたメロディーを口ずさんでみたら、自分の音痴具合が全然大丈夫じゃなかった。歌うのって難しい。