苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/02/26-03/03)

 

2024/02/26 Mon.

 録画しておいた先週のドラマ「作りたい女と食べたい女」を観る。第23話で、会食恐怖症の南雲さんが、人とごはんを食べることについて「できないだけで嫌いな訳じゃない」と言っていたのが印象に残った。何かと理由をつけて家族以外の人との食事を断り続けている一人の社交不安症の患者として、確かに私もそうだと思った。過剰な不安や疲労を感じるため、自分は人との食事自体が嫌いなんだとすっかり思い込まされていたけど、人との食事を楽しめるようになったらどんなにいいだろうと本心では憧れていることを忘れていた。他人と食事をするとなると、口に食べ物を運ぶタイミングや会話の中での適切なリアクションが分からなくなったり、自分がマナーの悪い食べ方をしていないか、口の周りを汚していないか不安になったり、ひとつひとつは些細なことが気になって仕方なくなって、帰宅するとぐったり疲れてしまう。食べることそのものは大好きだし、他者との関わりを楽しめるようになりたいとも思っているのに、誰かと一緒にものを食べるとなると、なんとかしてその機会から逃れようとする癖がしみついている。「つくたべ」の野本さんと春日さんは二人で一緒に食事を楽しみ、会話が途切れた静かな状態でも自然な状態、しかも幸せそうな状態で過ごしていて、すごいなと感じる。ドラマの一場面とはいえこういう状況は多分世の中によくあるものだけど、自分にはフィクションのように手の届かないものに思える。「人との食事でしんどい思いをしなくて済む状態になりたい」とばかり考えていて、「人との食事を楽しめるようになりたい」というポジティブな願望がいつの間にか埋もれてしまっていたので、思い出せて良かった。

 Twitterの自分の過去のツイートのアーカイブをダウンロードした後、ツイートを全て削除した。長いこと親しんできたTwitterがない生活など考えられないと思っていたけど、Blueskyを使い始めてみると、多すぎる広告がない、インプレゾンビがいない、スパムアカウントからのフォローもないSNSのあまりの快適さに感動してしまった。Twitterでしか得られない情報は確かにあるのでアカウントの削除までは至らないものの、今後Twitterは閲覧専用にして、発信はBlueskyのほうでしようと思う。在りし日のTwitterは本当に好きだったんだけどなあ。

 

2024/02/27 Tue.

 珍しく家に人が来るので、家の中をあちこち片付け、掃除機をかけ、玄関を掃き、空気清浄機のスイッチを入れ、猫の爪によってぼろぼろになったソファカバーを来客時用のものに替えた。自分にも家の中をきちんと整える能力があるのだと思うと、日頃すり減っている自尊心が少し蘇る気がする。

 3回目のオンラインカウンセリングを受けた。「働けるようになりたいけど、働ける気がしない」という話から始まり、子どもの頃の様子や両親のことについて色々話した。私がずっと根に持っている、25歳の誕生日で言われた「24歳で死んでたはずなのにね」や「やっぱり毒を飲んだ女は違うね!」という、私の服毒自殺未遂をネタにした母の冗談(冗談として成立していない)のことを流れで話すと、泣くつもりはまったくなかったのに涙がぼろぼろ出た。昔のことだと割り切っていたつもりだったし、「ひどいこと言いますよね、ははは」といったテンションで笑い飛ばそうとしていたので、急に泣き出した自分に我ながら驚いた。まだしっかり傷付いていたんだなあ、としみじみ思った。顔と口調は笑っているのに涙を流して話している私に対して、カウンセラーの先生は笑わず真剣な表情で聴いてくれて、それが後になって振り返るとむしょうに嬉しく感じられた。人から嫌なことを言われても大抵はつい笑って受け流してしまうけど、これは無理に笑おうとしなくていいんだ、ちゃんと悲しんだり怒ったりしていいんだ、とやっと思えた。人と話す時に、自分は気が付くと聞き役に徹してうんうんと相槌を繰り返すだけになってしまいがちだけど、自分の話を親身になって聴いてくれて適切なフォローをくれる傾聴のプロに話す体験が久し振りで、話す側に回るのもいいものだなと思った。オンラインカウンセリングを受けてみて良かったと思えたこともまた嬉しい。

 

2024/02/28 Wed.

 今年に入って初めてしっかり庭仕事をした。隣の家に人が引っ越してきて以来、庭いじりを楽しむことがめっきり減ってしまった。私に向かって言っている訳ではないと分かってはいても、すこぶる機嫌の悪そうな荒い口調の話し声がしばしば聞こえてくるお隣さんに対してすっかり萎縮し、そうした声が聞こえる度に勝手に怯えきってしまうため、どうしても庭で趣味に興じる気になれなかった。しかし、春の陽気に感化されて、先日ホームセンターで買ったじゃがいもを植える使命を果たすべく、なけなしの勇気を振り絞って庭に出た。その結果、かなり楽しい2時間半を過ごすことができた。暖かな直射日光を浴び、新鮮な外の空気を吸い、トラクターが畑を耕す音をBGMにしてせっせと自分の小さな畑を耕し、草をむしった。とても気持ちが良かった。こんな楽しいことを今までしなかったなんて、と思った。さくらんぼの花がいよいよ咲き始め、チューリップも葉の隙間からつぼみを覗かせている。寒々とした枝だけになっていたばらやラズベリーに緑色の新芽が出ていて、鉢植えにも雑草にも花が咲き、どこもかしこも青々と葉を茂らせていて、庭にいるだけで元気になってくる気がする。雑草を取り除いてさっぱりした畑にじゃがいもを植え、ミニにんじんの種をまき、適当に肥料をばらまいた。鉢植えにも追肥をし、ビオラの花がらを取り除いて、根の出たパイナップルのへたも鉢に植えた。鍬をふるったことによる筋肉痛の気配は感じながらも、達成感や満足感、ほどよい疲労感を得た。私にとっては、庭仕事は間違いなく精神の健康に良い効果をもたらすであろうことを改めて確信した。不機嫌な隣人になぞ臆してたまるか、私の楽しみと心身の健康と畑の収穫をこそ優先すべきだ。これからはこまめに庭で作業しよう。一度怒鳴り声を聞いたら、多分この決心はまた怯むだろうけど。

 

2024/02/29 Thu.

 注文したデスクが明日届くのに備えて、部屋の片付けに取り掛かった。学習机に積んでいた教科書類や適当な所に置いていた本を全て本棚に並べて、本棚そのものはすっきりと片付いたものの、元々詰め込んでいた文房具や紙小物、ごちゃごちゃした雑貨などが行き場を失い、かえって部屋が散らかる自体になってしまった。部屋のどこにこれだけの量をしまっていたのかと思うほど、大量の物が山と積まれて、時折雪崩を起こしている。とりあえず埃をかぶらないようにしたくても、段ボール箱や収納ボックスの類も空の物が家になく、途方に暮れてしまった。収納スペースがないなら物を減らすしかないのだけど、どれもこれも必要な物に思えてなかなか捨てられない。買い集めた本や趣味のグッズはもちろんのこと、ペン類、色鉛筆、シールやメモ帳、過去の手帳と日記、いくつもあるポーチ、手芸材料、季節の飾り物、大勢のぬいぐるみ達、博物館や美術館のパンフレット、文学部時代に使っていた古いノートパソコンや段ボール箱いっぱいのレジュメ、全部私が好きだったり、思い入れがあったりするものだ。いらなくなった古い書類ぐらいはいくらか資源ごみに出したものの、いかんせん他の物が多すぎて収納しきれない。自分はどちらかといえば整理整頓ができるほうだという自負があったので、「片付けられない」という不測の事態に直面してかなり狼狽した。片付かないというのは、こういう感じなのか…。週末にホームセンターや百均を覗いて何かしらの収納グッズを買うしかない。良いものがありますように。

 

2024/03/01 Fri.

 新しいデスクとハンガーラックが届いたので、猫達に邪魔をされながら組み立てた。大掛かりな工作のようで楽しかった。2人以上での組み立てを推奨されている家具を1人で組み立てられると、ちょっと嬉しい。ここしばらくずっと暗い焦茶色の木目の家具に憧れていたので、今回思いきって買ってみて良かった。家の中が白木っぽい明るい壁や床なので、暗い色の家具は浮いてしまうかと思っていたけど、意外と馴染んでいる。

 何か収納に役立つ物でもないかと、歩いて百均へ行った。あちこちに春の花が咲いていて、たんぽぽ、オオイヌノフグリ、からすのえんどう、ハナニラ、ドイツすずらんなどを見かけた。樹木に詳しくないので正しい名前が分からなかったけど、寒緋桜だか河津桜だか、濃いピンク色の桜らしき花も咲いていた。

 庭のさくらんぼも満開になったので、写真を何枚か撮ってみたけど、逆光でなかなか上手く撮れなかった。桜は気の毒にもナショナリズムのシンボルとして扱われることが多いので、花を見てきれいだと思ってもあまり好きとは言いたくない植物だと思っている(桜に罪はない)。それよりも、桜に似た花であっても桜よりも花数が少なく、毛虫も発生しにくく、おいしい果実が楽しめる桜桃(さくらんぼ)のほうが私は好きだ。

 

2024/03/02 Sat.

 精神科の診察。今は大体6週間に一回の頻度で通っている。オンラインカウンセリングはどうだったかとか、日中に自分の時間は何をして過ごしているかとかを訊かれた。薬は前回に引き続き、アリピプラゾールとトリンテリックスを処方してもらった。

 母がホットプレートでどら焼きを作っていて、人にあげる分を確保した残りをもらって食べた。蜂蜜の風味がする焼きたての生地がすごくおいしかった。あんこと生地の間にスライスしたバターを挟んで食べるととんでもないおいしさで、危険なカロリーだと分かってはいてもいくつでも食べたくなる味だった。

 心ゆくまであんバターどら焼きを食べた罪滅ぼしに、少し長めの距離を散歩した。たっぷり歩いたつもりだったけど、歩数は5000歩ほどだった。川沿いはウォーキングや犬の散歩をしている人が多く、往路だけでも5人の人とすれ違って挨拶を交わした。どの人も知り合いではないものの、田舎ゆえに挨拶をする習慣がある。こうして挨拶をするのは今でも緊張するけど、以前はもっと不安で怖かったので、その頃は「先手必勝」「先に挨拶をしたほうが勝ちというゲーム」「やられる前にやれ」と内心で自分に言い聞かせていた。今思うとシュールだけど、当時は必死だったことを思い出す。天気が良く、時々ポケモンGOのアイテムを回収しながらひたすら歩くのは楽しかった。歩きながらの考え事は、周囲に注意が向けられながらになるので、あまり深刻になりすぎなくて良い。木瓜や椿、もくれん、すみれ、芝桜、ムシトリナデシコ、カロライナジャスミンなどの花が咲いていた。

 

2024/03/03 Sun.

 両親が出かけている間に、せっせと家事を頑張った。洗濯物をたくさん干して、あちこち片付けたり、家じゅう掃除機をかけたりした。先日どうしていいか分からなくなるほど散らかしてしまった自分の部屋も、カラーボックスを追加したことでようやく片付いた。部屋や机の上が散らかっていると落ち着かないので、整理整頓できるとほっとする。新しいデスクもハンガーラックもなかなか使い勝手が良く、デザインも好みで気に入っている。自分が働いて得た給料ではないお金で大きめの家具を買ったことに罪悪感があるけど、年金や生活保護などの制度を利用して暮らす人に慎ましく生活しろというのは働くことができる状態にある人の驕りで、いわゆる生活保護バッシングに繋がる傲慢な考えだ。こういうものには断固抗いたい。「働けるようになったら、何かしらの仕事に就けたら新しい机を買っていいことにしよう」と長いこと考えていたけど、いつになっても働けそうになく、机を買える未来など到底来るとは思えず、働くことも机を買うことも何もかも私には駄目だ、高望みだ、と思っていた。だけど、無理だと思っていたもの(机を買うこと)を正攻法ではないやり方とはいえひとつクリアしてしまうと、なんとなく気分が前向きになる。自分が「こうしなければならない」と思い込んでいる方法でなくても、他に道はいくらでもあるような気がしてくる。親に買い与えられた学習机を手放して、新しい自分の机を手に入れたことも、「親の子ども」としての自分ではなく「私という一人の人間」とでもいった自分にシフトしたような感覚がある。机ひとつでこれだけ気分が楽になるのだから、買ってみて良かった。

 散歩に出かけると、草いちごの花が咲いているのを見つけた。初夏になったら、ここに真っ赤な野いちごの実が生ると思うとわくわくする。子どもの頃から大好きな植物なので、庭に生えていたらどんなに楽しいだろうと思ったこともあるけど、もし植えてしまったが最後、茂りに茂って手に負えなくなるだろう未来は想像にかたくないので我慢しておく。

週間日記(2024/02/19-02/25)

 

2024/02/19 Mon.

 履歴書とエントリーシートを書かないといけないけど、その先に面接があるという現実に向き合いたくなくて後回しにしている。この仕事に就けたら本当に嬉しいけど、緊張でしどろもどろにならないはずのない面接試験と、空白期間だらけの履歴書をもってして自分が採用されるとは到底思えない。駄目で元々とは言っていても、駄目だったらやっぱり相当落ち込むだろうな。

 『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を読み終えた。男女の恋愛ものという普段読まないタイプの作品かつ馴染みのない価値観や生活にふれて、とても新鮮に感じた。「だれかと話したい気分」というものがあることに驚いたし、作者が次々に色々な他者と出会ったり交流したりしていく様子に舌を巻いた。すごすぎる。また、頻繁に開催されているクリエイターの展示、こじゃれた飲食店の数々、いくつもの充実した書店、自宅以外で映画や音楽を楽しめる場所、そうした都会の文化資本の豊かさをまざまざと突きつけられた。あまりにも生活環境が違う。文化圏が違う。住む世界が違う。もし、私が作者の真似をして昼間の公園で一人ピクニックでもしようものなら、「誰々さんちの娘さんはよか年ばしてまーだ仕事しよらんとね」と同じ町内会のおばさま方に噂話のネタを提供するか、それが小中学校の近くであれば下手をすると通報されてもおかしくない。そうしたコンプレックスをこじらせながらも、日記文学としておもしろく読んだ。また、セクシャルな関係を伴う男女の恋愛というものはこういう感じなのかと、異世界ファンタジーや遠い外国の物語でも読むような心地もした。

 家の近くの空き地でイネ科の雑草の葉をひとつかみむしってきて、猫達に与えた。市販の猫草はあまり食べないので、こうして時々名前も知らない草を食べさせている。私は都会へのコンプレックスや羨望、ひがみなどを常々くすぶらせているけれど、田舎でないと外でこうして草を気軽に摘んでくることはできないだろう。多分。少なくとも、私が田舎に住んでいることは、猫達にとっては良いことなのかもしれないと己を納得させようとしている。

 久し振りにピアノを触った。ブルグミュラーを数曲弾いた後、ハノン、ドビュッシー、テレビ「岩合光昭の世界ネコ歩き」の楽譜を見て少し音を出した。もう楽譜も読めなくなっただろう、指もほとんど動かないだろうと思っていたけど、それなりに読めるし、思ったよりは動く。ブルグミュラーは弾きやすくて、色々な曲があってやっぱり楽しい。丁寧に「アヴェ・マリア」を弾いてみたり、「乗馬」や「狩り」で大きな音を出してみたりして、少し気分がすっきりした。

 夜、またしても本に影響されて、Tinderをインストールしてみた。人と関わることが苦手なので基本的に人付き合いは避けがちだけど、いつかは克服しなければならないんじゃないかと思っている。人と接する経験を積んでみよう、そのために家族以外の人と交流する機会を作ろう、つまり友達作りをしようと思ってのTinderだった。しかし、自分にはやっぱり無理だと思い、アカウントを作る前にアプリを削除し、またアプリを入れ、開く前に削除し、とうとう3度目のインストールをした。こんなに迷っているなら観念してやってみようとアカウントを作成するも、見ず知らずの人に自分から右スワイプなんてとてもできるものではない。ならば自分のことを右スワイプしてくれた人の中から探そうとも思うものの、無課金ユーザーではそうした相手を見ることができない。いっそ課金してみるか?金色の課金マークが表示されるのは嫌だな、一週間で2,500円というのはいくらなんでも高すぎる。その金額で、気になる本を一冊買ったほうがよっぽど良い。そもそも、こうしたマッチングアプリは他者との出会いや交流を楽しめる人のためのツールであって、私のようにコミュニケーション全般に強い苦手意識を持っている人間が手を出すものべきではなかった。田舎で気の合う人間とマッチできるはずもない。あれはある程度の街中に住んでいる人間がやるもので、若者がどんどん出ていく過疎地域で活用できるものではない。いつかここよりはいくらか都市化の進んだ地域で一人暮らしをしてみたいけど、まともに働けないからそれはできない。働けるようになるために必要な人と関わるスキルを身に着けたいけど、その経験を積むために人と交流する機会がない。卵が先か鶏が先か、ぐるぐると輪のように「これができないからあれもできない」が繋がっている。あーあ。

 

2024/02/20 Tue.

 一体どういう人が自分にライクしてくれたのか知りたくなり、もしかすると話せそうな人がいるかもしれない可能性に賭けて、思いきって(血迷って)Tinder Goldに課金してみた。500ほど来たライクの送り主のプロフィールを一人一人ざっと眺めていって、共通点が何もなくとても話が合いそうにはない人間を片っ端から左にスワイプしていった結果、5人ほどしか残らなかった。マッチする範囲は「みんな」に設定しているのに、男性以外からのライクはほとんどない。趣味が筋トレやドライブ、スポーツ観戦だという男性の多さには驚いた。家族以外の男性と話す機会自体がまずないけど、世の中にはそういう男性が多いんだろうか。そんなはずがあってたまるか。Tinderというアプリには多いんだろう。残ったごく数人のプロフィールにはそうしたマッチョ成分は見当たらず、「人と話すのが苦手だから練習したい」という自分とよく似た動機の人や、趣味の欄に「読書」や「文学」のタグを付けている人がいる。ここからがまた難関で、「もしかしたら話せるかも」「どういう人間なのかちょっと興味があるかも」と思える人であっても、こちらからライクを返すという行為のハードルが高すぎる。マッチングしたところで、見ず知らずの他人とチャットで会話することのストレスを考えると、「無理」以外の感情が湧いてこない。Tinderの住民からすれば、こんな初歩中の初歩の段階で足踏みしている自分はさぞかし愚図に見えるだろう。ライクを返すのは置いておいて、自分の住む場所から10km程度以内にこのアプリを使っている人がいるのかどうか気になって探してみた。意外にも、いる。ところが、慣れない操作を誤って1km先にいるらしい人にうっかりスーパーライクというものをしてしまい、あろうことかマッチングしてしまった。そこからはもう大慌てで、30秒経つか経たないかくらいの間にアカウント削除に至った。とても無駄な時間と、無駄な2,500円を浪費してしまった。勉強代だと思うしかない。かなりの自己嫌悪に苛まれながらも、見ず知らずの人間達のプロフィールを見るのは少しおもしろくて、自分と関わりがないだけで世の中には色々な人がいるんだなという学びにはなった。

 

2024/02/21 Wed.

 観念して履歴書とエントリーシートを書いた。これ以上は絞り出せないというほど文面を考えて、精いっぱい丁寧に記入した。ハローワークで文章の添削を頼もうかとも思ったけど、去年の今頃もそうした時に「こういう一文を書き足すと良い」と職員からアドバイスされた文章がどうしても言い回しがおかしいように感じられて不服だったので、またそうなるとちょっともやもやするなと思いやめておくことにした。その時はおとなしく従って渋々書き足したけど、頑張って描いた絵に落書きをされたような気分だった。自分から添削を頼んでおきながら不満に思うなんて、こうした傲慢さがいけないんだろうか。父にそのくだりを話すと、「文学部出身なんだからいいんじゃない」「文学士なんだから」となだめてくれた。優しい。

 

2024/02/22 Thu.

 面接を受けたい職場の紹介状をもらうために、ハローワークへ行く。ところが、募集に対して人が多く集まったので求人が早めに締め切られたとのことだった。1人採用するところに7人の応募があったそうで、「(次からは)早めに応募したほうが良いですよ」と言われた。そういうこともあるのか。そうなんですね、分かりました、ありがとうございましたと言ってハローワークを出た。受かった時の未来をなるべく想像しないように努めていたから今回は泣かずに済んだけど、なかなかショックだった。もし面接試験を受けられていたとしても、それで不採用だったらやっぱり堪えるし、他に7人も応募者がいれば私みたいなのが受かるはずもない。それでも、今度こそと願いながら書いた履歴書とエントリーシート、社会復帰したくてハローワークに出向いた勇気、この仕事なら自分にもできるかもしれないと思った期待、今度こそは働けるかもと思ったり逃げずに面接を受けたりできるようになるまでに取り組んできた何年もの治療、新しく買い直した就活用のシャツやパンプス、そうしたものが全部無駄になった気がした。ひょっとしたら働いて「社会人」になれるかも、働いていない罪悪感から解放されるかも、貯金をしていつかは親から自立できるきっかけが作れるかも、働くことができればこの先も生きていけるから自殺しなくて済むかも、抑えていても膨らんでいたそうした空想が全部遠のいていく。あーあ。

 家に帰ってからやけ食いでもしようと、コンビニで食べ物を買い込んだ。レジを打ってくれた店員さんがにこにこと親しげな笑顔で接客してくれて、妙に救われる心地だった。私は人と接することに過剰な不安や疲労を伴うので人との交流を避けがちだけど(働いていないのもそのひとつ)、人との関わりによって癒されることが自分にもあるのだと新鮮に思えた。帰宅して、こういう食べ方は良くないと分かっていながらもおにぎり2個、クレープ、プリン、チョコドーナツをむしゃむしゃ食べた。食べ終わると案の定ますます自己嫌悪。同じような行動を取る他人に対してはそんなことを微塵も思わないのに、自分に対してだけは「死ねばいいのに」と強く思う。

 今日一日をせめて楽しい気持ちで塗り替えたくて、撮り溜めていたドラマ「作りたい女と食べたい女」のシーズン2を観た。すごく良いドラマだった。恋愛もののドラマというものをまともに観たことがなかったし、なんとなく自分向けのコンテンツではない気がして楽しめるものだとも思っていなかった。しかし、「恋愛ドラマっておもしろいものだったのか」「世の中の人はこういう風に恋愛ものというジャンルを楽しんでいたのか」と思い、恋愛がテーマとなった映像作品の魅力を初めて理解することができた。登場人物達の関係性の変化に一喜一憂したり、感情移入したり、なるほどこれは楽しい。異性愛のものではおそらく自分がこうして楽しめることはないと思うけど、フェミニズムの要素ががっつり盛り込まれた、安心して観ることのできる性的マイノリティの物語だからこそ、初めて恋愛ものの作品を楽しむことができている。また、17話での会食恐怖症の登場人物・南雲さんの「食べないでも大丈夫って言ってもらえるのは、すごく心が楽なんだなって気付けました」という台詞も、社交不安障害に長年悩まされている人間としてとても良いと思った。現実でしばしば言われがちな「いつか食べられるようになるよ」「食べられるようになるといいね」といった、励ましを装って食べられない状態を否定する言葉ではなく、食べられない・食べないことがそのまま受け入れられる安心感が表現されていて良かった。もしかすると南雲さんにとっては「人と食べられる状態」になることが幸せなのかもしれないけど、食べられないままでも南雲さんが幸せでいられたら、それはよく似た悩みを抱えている私のような人間にとっては大きな救いになる。22話にあった佐山さんの「いや〜、それは非常にハピネスですね」という言い回しがユーモラスで好きなので、南雲さんが南雲さんのままで幸せになれたら、それは南雲さんの「人と一緒に食べたい」という願いを一視聴者として否定してしまう残酷な期待ではあるものの、「それは非常にハピネスですね」と思ってしまう。何かと理由をつけて人との食事を断り続けている人間として。

 

2024/02/23 Fri.

 スーパーへ野菜を買いに行くと、生花コーナーにミモザの花が売られていたので、とびきりふわふわのを1本買った。適当な花瓶がないので焼酎の空き瓶に活けたけど、鮮やかな明るい黄色がいかにも春らしさを感じさせて、楽しい気分にさせてくれる。ふくちゃんが興味津々で花の匂いを嗅いでいた。

 ケーキ屋さんで毎年恒例のいちごケーキのフェアをやっているので、いくつか買って帰った。私はこの時期限定のショートケーキと、アーモンドの風味がする生地を使ったケーキを選んだ。前者はレモンっぽい爽やかな風味のクリームと、シフォンケーキよりもふわふわしたスポンジ生地がとてもおいしくて、後者はカスタードとホイップクリームを合わせたクリームと、アーモンド風味の軽い生地がよく合ってこちらもおいしかった。普段食べる機会のない良いいちごがふんだんに使われていて、いよいよ春が来るのだとわくわくしてくる。どの季節も好きだけど、春の訪れには別格の楽しさがある気がする。

 はてなブログProに登録して、ムームードメインでドメインを購入し、あれこれいじった。独自ドメインの自分のWebサイトを持つことに憧れて挑戦しては断念するのを繰り返していて、またしても懲りずにやってみている。Wordpressは難しすぎて無理だったけど、はてなブログなら、デザインも機能も既に整っている。オンライン上に自分だけの家(Webサイト)があるというのはなんだかむしょうに心強くて、安心感がある。今度こそ住みよい我が家を作って安住したい。

 

2024/02/24 Sat.

 猫のとらふくのLINEスタンプの第2弾を作る作業。ひたすらペイントソフトと睨み合って、作業は結構進んだ。売り上げ狙いではなく私が使いたいだけのスタンプだけど、これを家族のLINEで使えたら、猫達もトークに参加しているようできっと楽しいと思う。

 小学校入学時に買ってもらった学習机をいまだに使っていて、いい加減手放したい。私にとって子ども用の学習机は、働いて自立できず実家を出ることのできない、いつまでも親の「子ども」でいる自分を強く自覚させてくるものだ。丈夫で便利ではあるけど、これを視界に入れて使い続けることがどうにも苦しい。「仕事に就けたら」「大学院に入れたら」学習机を手放して新しいデスクを買っていいと自分に目標を掲げてきたけど、今の状況ではそれらは到底無理だ。親に養われ親に逆らえない子どもとして私は死ぬまでこの学習机を使い続けるんだ、じゃあみじめで情けないから死のうかな、という具合に考えが飛躍してしまうことも少なくない。それならば、そこにあるだけで苦しく感じるものは手放したほうがいいんじゃないかと考え始めた。ところが、まだ壊れてもおらず使えるものを捨てることについて、親を説得できるか自信がない。ごみ処理場へ粗大ごみを持って行くには親に車を出してもらわないといけないし、車に積むのだって一人ではできない。ごみをひとつ捨てるにも親を頼らなければならない人間なのだと、ますます自己嫌悪を募らせてしまう。やっぱり、なんとかしてこの机は処分しよう。エコの観点には反するけど、自分のメンタル面での安定や安心を優先したいし、自分を優先していいのだと心から思えるようになりたい。

 

2024/02/25 Sun.

 昨日思い悩んだ学習机のことを親に話すと、すんなり話が通って拍子抜けした。ただし、学習机は処分せず、親のパソコンデスクとして第二の人生を送ることになった。一万円しない価格の組み立て式のシンプルなデスクと、ハンガーラックも10年以上使ってついに先日壊れたので、一緒に新しい物をネットで注文した。

 天気も良かったので、8,000歩ほど散歩した。梅はもう散り、菜の花、なずな、ほとけのざ、オオイヌノフグリ、たんぽぽ、水仙、ムラサキハナナなどの花が咲いていた。途中でホームセンターに寄り、じゃがいもの種芋を買った。去年植えたじゃがいもは地上部が腐って枯れ落ちてしまったので、今年またリベンジしたい。

週間日記(2024/02/12-02/18)

 

2024/02/12 Mon.

 『くらしのアナキズム』(松村圭一郎、ミシマ社)を読み終わった。すごくおもしろい本だった。去年は本がめっきり読めなくなってしまって、月に一冊も読まない時があり、本好きというアイデンティティをなくしてしまったかとすごく焦ったし落ち込んだ(読書は冊数を稼げばいいというものではないけども)。ところが、今年に入ってから4冊も本を読み終えることができた。小難しい専門書ではなく、なるべく読みやすそうな本を選んでいるというのもあるけど、また活字を読んで楽しめるようになったことが本当に嬉しい。

 

2024/02/13 Tue.

 zoomで2回目のオンラインカウンセリングを受けた。まだあまりこれといって手応えがないけど、まずい感じはしないので続けてみたい。カウンセリングの最中にメモを取っていいものか訊き損ねていて、いつもカウンセリングが終わってから内容を思い出して書き起こしている。精神科で臨床心理士の先生にカウンセリングを受けていた時もそうしていたけど、その頃よりもメモの量が格段に少ない気がして、自分の記憶力が衰えているんじゃないかと不安になる。まあ、記憶力が上がってはいないだろうな。

 明日のバレンタインにかこつけて、チョコレートのシフォンケーキを作った。しっとりふわふわの焼き上がりで満足。

 

2024/02/14 Wed.

 日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル)の演奏会を聴きに行った。曲目は、モーツァルト作曲の歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、ベルリオーズの幻想交響曲だった。1曲めのモーツァルトと、ヴァイオリンソロのアンコールは知らない曲だった(ファジル・サイ作曲「クレオパトラ」という曲らしい)。メンデルスゾーンは、聴いてみるとすごく聞き覚えのある曲だった。幻想交響曲は大好きな曲なので、これを聴きたくて今日の演奏会に来たようなもので、生のオーケストラで聴くと一層おもしろかった。普段聴くCDでは分からない、「このパートはこういうことをやっていたのか」と分かる感覚もおもしろく、4楽章の後半と5楽章の最後でパーカッションが大暴れしている辺りは特に楽しかった。この曲についてベルリオーズ自身が書いた説明がパンフレットに紹介されていた。

 病的な感受性と激しい想像力をもった若い芸術家が、恋の悩みに絶望してアヘン自殺を図る。しかし服用量が少なくて死に至らず、奇怪な一連の夢を見る。恋する女性は1つのメロディーとなって何度も彼の前に現れるが、ついに彼は夢の中で彼女を殺し、悪魔の饗宴に身を置く。

 個人的に「神経質で内向的でプライドの高いインテリ青年が夢破れ恋に破れ悩み苦しみ憂鬱、苦悩、煩悶、葛藤など鬱屈とした感情をこじらせた挙句精神に異常を来たしやがてゆっくり破滅に向かっていくような文学作品」がとても好きなので、曲を聴いたのはもちろんのこと、作曲家による説明書きを知ることでますますこの曲が好きになった。アンコールも同じくベルリオーズ作曲の「ラコッツィ行進曲」で、曲名は知らなかったけど、曲自体は聞いたことのあるものだった。オーケストラを見たり、オーボエの音色を聞いたりするとやっぱりまだそわそわ、ざわざわするものがあるけど、それでも演奏会を楽しめたのは良かった。

 

2024/02/15 Thu.

 ゆうちょ銀行のアプリを起動すると、障害基礎年金の遡及請求した分(5年分)と、今月と来月の分を合わせた金額が振り込まれていた。自分の口座にこれだけの額があるのは久し振り、ともすると初めてかもしれない。これでオンラインカウンセリングを続けられるし、皮膚科にも行ける。医療ってお金がかかるな。穀潰しの自分が生きていくのにお金が発生することに申し訳なさを覚える。そう思わせてくる社会への憎しみで、なんとか生き延びてやりたい。「生きるのにはお金が要るけど、生きているとお金が入ってくることもある」と母がいつか言ってくれたのを思い出した。本当に、生きているとお金が入ってくることもあるなあ。

 歩いてスーパーまで買い物に行く。菜の花が満開だった。

 『死ぬまで生きる日記』(土門蘭、生きのびるブックス)を読み終えた。ずっと気になっていた本だけど、カウンセリングを受けて良い方へ変化していく人に嫉妬しそうで読めずにいて、最近自分もオンラインカウンセリングを始めたので気持ちに少し余裕が生まれてようやく読むことができた。すごくいい本だった。自分がカウンセリングを受けた時のことは四コマ漫画に描いていたけど、人のカウンセリングの様子を知るのもまた新鮮でおもしろい。なるほどと頷く箇所があったり、共感して涙が出るくだりがあったり、深い内容なのにすっと読める作品でとても良かった。人それぞれとはいえ、自分はこれからこういう充実したカウンセリングを受けられるんだろうか。著者のように変化できるだろうか。度々出てくる「宿題」をぜひ参考にしてみたい。

 

2024/02/16 Fri.

 昨日読んだ本に影響されて、「今日あった3つのいいこと」を書こうと思っていたのに、夕べは睡魔に負けて寝てしまった。夜になると眠くなって自然に寝つけることの喜びやありがたさはつい忘れがちだけど、「自分は自力で眠ることもできなくなってしまったんだろうか」と不安になりながら導眠剤を飲んでいた頃の自分からすれば、どんなに羨ましいことだろう。

 朝から洗濯機を3回回して、その間に家じゅう掃除機をかけ、猫の皿を洗ったりトイレの砂を替えたり、観葉植物と庭の鉢植えの水やりもして、せっせと動き回ることができた。働いていないことに罪悪感があるので、こうして家のことをちゃんとできる日は少し安心する。

 読んだ本のメモや引用を、パソコンで入力した。丁寧なアナログの読書ノートをつけることに強い憧れはあるものの、書き写したい内容が多すぎて手書きだとかなりの手間になるので、結局Wordのファイルにがたがたと打ち込むのが一番合っている気がする。

 残っていた生クリームを使って、チョコレートサラミを作った。くるみとマシュマロを入れて、見た目はともかく味はおいしくできた。

 

2024/02/17 Sat.

 午前中はせっせと家事をする。

 一昨日読んだ本に影響されて、なんとなく食指が動かなかった認知行動療法を見る目が変わったので、アプリを入れて取り組んでみようと思った。ところが、「認知行動療法」と検索して出てくる有名どころのアプリ2つはどちらもAIとのチャット相談を売りのひとつにしているらしく、AIごときに訳知り顔で意見されたくないなと反発心がもたげてしまう。しかも、片方のアプリには「公認心理士」という誤字があり、これがまた癪に障る。一応インストールしてちょこちょこ操作してはみたものの、なかなかお高い課金プランでないと大した機能は使えず、すぐにアンインストールした。

 『暮らしの図鑑 フィンランド時間』(吉田 Öberg みのり、⁠⁠翔泳社)を読み終えた。載っている写真がどれも美しくて、見ていて楽しかった。

 

2024/02/18 Sun.

 熊本市内へ遊びに行く。熊本駅前から通町筋まで市電に乗ろうと思ったら、熊本城マラソンの影響により今日だけ16時まで運休だった。そんな。代わりのバスは出ているらしいけど、バスって乗り場がややこしくて苦手だし、バス乗り場には大勢の人が次の便を待っている。これに自分がすんなり乗れる訳がない。Google Mapを見ると、絶対に行きたい上通の長崎書店までは徒歩40分とあった。昼過ぎまでアミュプラザだけで時間を潰すのはもったいないと思い、意を決して歩くことにする。市電の線路に沿って歩いていると、向かいから来た人に「熊本駅はこっちの方向で合ってますか」と訊かれた。合ってますよ、市電の線路に沿って行くと着きますよと精いっぱいにこやかに答える。基本的に人と話すことには苦手意識があるので、スムーズに回答できたかは怪しい。さらに少し歩くと、また別の人から同じ質問をされた。さっきと同じ内容を返して、今度は別れ際に「お気を付けて」と付け加えた。よく知らない土地で道が分からない時にどれだけ困ることか、その苦しさはそれなりに知っているつもりなので、どちらの人も無事に辿り着けているといいなと思う。「優しそう」だか「道を教えてくれそう」だか、「この人なら大丈夫だろう」と見做されて見ず知らずの人から道を訊かれるのは、結構嬉しいかもしれない。私は地図を読むのが苦手だし、口頭で説明するのも下手だけど、なんだかいいことをしたような気分になれてこちらのほうこそお礼を言いたくなる。それにしても、都会の花壇は花が丁寧に植えてあっていいな。色とりどりのビオラ、ムスカリ、ヒヤシンス、水仙、雪柳の花が咲いていた。私が住む田舎でよく見る、伸び放題のツツジの隙間からイネ科の雑草が生い茂っているような草むらとはあまりにも違いすぎる。

 無事に私も目的地の長崎書店に辿り着く。本棚のあちこちにおもしろそうな本が並んでいるうえ、私の大好きな『庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭』や『意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』などの本もあって、センスがいいなあと思う。こんな本屋さんが地元にあったらどんなにいいだろうと思う。散財が止まらなくなるのでそれはそれで困るけども。気になっていた『差別はたいてい悪意のない人がする』(キム・ジヘ、大月書店)と『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』(葉山莉子、タバブックス)、我が家の猫達に似た猫が描かれたポストカード2枚を買い、ほくほくしながら店を出る。

 早めにお昼ごはんを食べようと思い、近くのドトールに入る。カフェや飲食店の中でも、ドトールは良い意味で敷居が低くて助かる。大学時代に就活の合間によく食べていた、ツナチェダーチーズのホットサンドを注文。本当はコーヒーが飲みたかったけど、出先でお腹を壊すとまずいので飲み物はアイスティーにした。コーヒー、大好きなのになあ。腸だけがカフェインを受け付けてくれない。店内の隅っこにある奥まった席を見つけて、とてもありがたく思いながら座る。社交不安障害の症状は昔と比べて随分ましにはなったけど、やっぱり人目につかないほうが格段に落ち着く。

 Newsの3COINS+、HAB@のスタンダードプロダクツを覗いて、猫用のトンネルを探した。見つからなかった。家にある物はふくちゃんが遊び倒してぼろぼろになっているので、いい加減買い替えてやりたい。

 COCOSAでやっていた「スイーツと珈琲とうつわ」で、バーチ・ディ・ダーマらしきチョコクッキーと、狼のイラストがパッケージにプリントされたドリップコーヒーを買った。ゲーム「魔法使いの約束」が大好きなオーエン推しの人間としては、これは買わずにはいられなかった。化粧品のお店の傍を通り過ぎて、そろそろ詰め替え用を買わないといけないフェイスパウダーを買おうか迷って買わなかった。容姿に並々ならぬコンプレックスを抱いているので、きらきら眩しい街中の化粧品売り場に足を踏み入れるのが難しすぎる。

 カリーノ下通の蔦屋書店を物色する。欲しい本を店内の検索機器で探そうと思ったら、機械は撤去されており、TSUTAYAのアプリに置き換わったとの貼り紙がしてあった。滅多に来ない店舗のためにわざわざアプリをその場でインストールするのが面倒くさすぎる。何でもデジタル化すればいいってもんじゃないんだぞ、デジタル大臣にもそれ言ってやりたいな。内心腐りながらアプリを入れて、検索する。欲しい本の在庫はなかった。KALDIを眺め、@cosmeストアに行くも、またしても化粧品を買い渋り退散。1,000円代の本はお手頃価格だと感じるのに、顔にはたく粉に1,000円も2,000円も出すのがためらわれる。お金をかければ劇的に改善されるような面じゃないし、本は読んで楽しめるけど、フェイスパウダーは別に楽しくもなんともない。私は外見よりも中身に出資するのだと哀れにも強がってみている。本屋さんに入ると水を得た魚になれるのに、きらびやかなデパコスのフロアやレディース服売り場を通るとなると、地上に出てきてしまったモグラの気分になる。

 そろそろ熊本駅に向けて歩き始めないとな、でもさすがに足が疲れたな…と思っていた所、並んで停められたシェアサイクルサービスの真っ赤な自転車が目に留まった。検索してみると、熊本駅前にもポートがある。自転車は多分乗れる。歩くのはもう疲れた。思いきってこの自転車を利用してみた。慣れない電動アシスト自転車は重くて漕ぎにくかったけど、なんとか駅前まで辿り着いた。90円の利用料金と引き換えに、時間と体力を節約できた。こういうものがあるから、やっぱり都会っていいなあ。

 電車に乗るまでまだ時間があるので、ステラおばさんのクッキーでクッキーを10枚、キタノエースでミルクジャムを買った。座って休憩したくなり、シアトルズベストコーヒーでレモンのイタリアンソーダを飲んだ。疲れた時の炭酸っておいしい。

 帰りの電車に乗り込み、運良く席に座れたと思ったらたちまち満員になった。他人との距離が近くて、人間が密集している光景に息が詰まりそうになる。前言撤回、都会なんか羨ましくない。こんなものに毎日乗っていたら心が荒んでしまう。薄くて持ち歩きやすいからと選んで持ってきたオルダス・ハクスリーの『知覚の扉』を読み始めると、隣に座っている人も何かの本を取り出して読み出した。見ず知らずの他人と並んで読書をしているのがなんだかユーモラスというのか、おかしく思えておもしろかった。何の本を読んでいるのかとても気になったけど、もちろん尋ねる勇気などないので、大人しくハクスリーの述べるカーネーションや服の皺についての評を目で追った。

 夜、さっそく『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を読む。本の帯にある「恋をした」という文字を店頭で見落としていて、しまった、男女の恋愛ものは苦手なんだよな、ととっさに思う。それでも、この本は読みやすくておもしろい。男女の恋愛ものが苦手な理由について、今の日本社会がシスヘテロ同士の恋愛こそ至上のものだとみなしていて、そうでないマイノリティの恋愛あるいは恋愛をしないあり方を尊重できていないことが、私のこの苦手意識の由来する所だと思う。シスヘテロの男女は結婚できるし、婚姻制度を利用できない/しない人々が晒される差別や偏見を向けられることもない。特権階級への個人的なやっかみと言えばそれまでだけど、もっときちんと考えて言語化したら、自分でも納得のいく理由を形作ることができるような気がする。

 本を半分近く読んで、今日の日記を書く。さっそく影響されて、こういう長い日記になった。