苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/04/01-04/07)

 

2024/04/01 Mon.

 今日から4月。無職なので、年度初めと言ったって別に真新しいような要素は何もない。でも春だからか、今年度こそは何か良い転機なんかがないだろうかと期待してしまう。社会復帰という言葉は好きじゃないけど(働くことと社会に属することがイコールになっているのが納得できない。働いていようがいまいがすべての人は何らかの形で社会に関わっている)、社会復帰を果たすことに憧れてやまない気持ちがある。

 臨床心理士を目指しているという人の投稿をSNSで見かけて、やっぱりいいなあ、自分も目指したいなあと久し振りに思った。通信制大学に編入してみて、とりあえず現在の自分には無理だと思い、その目標を追うのは一時停止ということにしていた。自分がカウンセラーに向いてないと思う点はたくさんある。人と関わること全般に苦手意識があるし、相手の顔色を窺って機嫌を損ねないよう振る舞ってしまうし、その割に「これは言わない方が良かった」「あの時ああすれば良かった」と後になって反省することがとても多い。人に嫌われたり怒られたりすることが怖くて仕方ないのに、自己顕示欲や自己表現したい欲が人一倍強い。どもったり早口になったりで喋るのが下手なので、落ち着いてゆっくりと穏やかに話すということができない。当座の自分に必要なのは治療やカウンセリングであって、少なくとも今はまだ心理士を目指せる状態ではないと思った。ただ、「こういう部分はもしかしてカウンセラーに向いているんじゃないかな」と自分で思うことは時々ある。「もしかしたらこういう事情があったかも」と他人の背景を想像する時、どういうリアクションをすべきか真剣に考えながら誰かの話の聞き役に徹している時、困っていたり悩んでいたりする相手に自分の意見やアドバイスを押し付けないよう気を配りながら話を聞こうとする時等々。こういうことは多くの人がするものだろうけども。遡及請求した障害基礎年金のまとまった額があるので、目指そうと思えば、大学院の学費も学生生活中の生活費も、院試のための塾だってある程度はどうにかなる。足りないのは私の努力と能力だけ。どうしようかなあ。

 

2024/04/02 Tue.

 朝から洗濯機を4回回して、はてなブログとnoteに週間日記を投稿し、昨日の分の日記も書いた。

 昨日思ったことを具体的に考えてみた。お金の問題は、非常に幸運なことに今なら多分ぎりぎりなんとかなる。心理士を諦めて「普通に」働いたところで食べていけるという保証はないんだし、こんな機会は二度とないかもしれない。せっかくチャンスがあるなら、諦めきれずにいる目標を追いかけてみてもいいんじゃないか。やっぱり無理だと思ったら途中でやめてもいい。前向きな気持ちになっている今だけでも頑張ってみようかな。何か変な物でも食べたのか、そういう具合に妙な元気が出てきてしまった。オンラインカウンセリングで「一人暮らしをしたい」と本音を漏らした辺りから、どうにもそういった方向のやる気が湧いてきているらしい。

 まずは、とりあえずのモチベーションとして今年の7月に心理学検定を受けてみる。そのための勉強に取り組むことができるようだったら、先に進んでみようと思う(できなかったら、その時はその時でまた改めて考える)。心理職として働く際には必要であろう公認心理師の資格が取れる大学に編入する。そうすれば、夢の一人暮らしも叶うし、通信制のカリキュラムでは心もとなかった実習や実験もきちんと学べる。そして大学院に進んで、臨床心理士と公認心理師の資格を取り、5年後の今頃には心理職としてどこかで働き始める。理想通りにうまくいくとは限らないし、心理学検定を受ける頃にはもう「やっぱり何もかも無理だったんだ」と早々に挫折している可能性だってもちろん大いにある。でも、この計画を思うとひとつ頑張ってみようかという気になれるので、それだけでも意味がある気がする。「働けないから生きていけない、死ぬしかない」とずっと思ってきた自分が、未来のことを建設的に考えられるようになったということ自体、私にとっては希望に思える。「やっぱり駄目だ」と「もしかしたらやれるかも」をこの先もきっとたくさん繰り返して、それで最終的にどういう方向に進んでいくかは分からないけど、とりあえず2024年4月時点の自分が進みたいと思う方向へ歩いていってみようと思う。先のことを悲観せずに考えられるという状態がこんなにも幸せなものなのだということを思い出せて良かった。

 

2024/04/03 Wed.

 久し振りにヒルガードの心理学を引っ張り出して、2時間ほど読んだ。最初の30分が経つと眠くなってきて、やっぱり自分には勉強は無理なのかと情けない気持ちになったけど、少し身体を動かしてから再開したら眠気はどこかへ行ってくれた。通信制の大学では学べなかった生理学的な分野の解説を読んで、理科に対する苦手意識はありつつも新鮮だった。人間の脳というものは複雑でおもしろい、と素直に思えたことが嬉しい。日本語ではあまり見ない、英語圏のものらしい言い回しもおもしろかった。私はとにかく数学及び理系の科目が大の苦手で、物理や地学よりは数字と計算が少なそうだからという理由で高校の理科も生物を選択した。そこでも結局数学からは逃げきれず、メンデルの豆がどうの遺伝がどうのの計算ができずに、試験で赤点を取った覚えがある。大学の文学部に進んで、理系科目と完全に縁を切ることができたと思った時は本当に嬉しかった。なのに、今度は生物学とは切っても切れない関係にある心理学、そればかりか統計学という途方もない強敵にまで無謀にも挑もうとしている。人間の心って不思議だな、と思うしかない。

 当座の仕事にありつくための面接の練習をする。面接で尋ねられそうな質問に対する応答の文面をいくつか考えて、それを暗記しようとした。緊張で平常心じゃなくなってもそらんじることができるように、しっかり覚えておきたい。ところが、面接を想定して暗唱してみるも、自分の話しやすいペースで話すとどうにも滑舌が悪く、噛んだりどもったりしてしまう。自分はこんなにも話すのが下手だったのかと驚くほどだった。自分ではそうは思わないけど、人が聞いたら結構な早口なんじゃないだろうか。そうでないと説明がつかないと思うほど下手な話しっぷりで、どうしようかと焦る。とにかく滑舌をなんとかしようと、ネットで見つけた「外郎売り」の文章を何度か音読してみるものの、必要なのは多分これによって身に着くものではなくて、ゆっくり話す練習の方だと思う。落ち着きのあるゆったりとした話し方にはすごく憧れるけど、どうやったらそのように話せるようになるんだろう。

 美容室に電話をかけて、カットとパーマの予約をした。パーマをかけるのはちょうど10年ぶりだ。2時間も美容室で過ごすことに耐えられるだろうかという不安はあるものの、自分の容姿にまつわる並々ならぬコンプレックスをどうにかやり過ごして、自分がこうなりたいと思う髪型を目指そうとしている勇気は我ながら褒めてやりたい。苦手な電話をかけたことも。

 

2024/04/04 Thu.

 Spotifyで「大和田慧と安達茉莉子のもちよりRadio」の「5-2 私たちは変化を恐れる生きもの」の回を聞いていたら、「変化を選んで後悔したことはない」という言葉が出てきた。あああ、そんなことを言われてしまったら、自分は変化を選んでしまう。

 2時間ほど、ヒルガードの心理学とオリヴァー・サックス『幻覚の脳科学 見てしまう人びと』を読んだ。サックス先生の本は本当におもしろいので、『妻を帽子をまちがえた男』もそのうち読んでみたい。

 

2024/04/05 Fri.

 昨夜は猫達が2匹ともベッドに来てくれた。とらふくはそれぞれ来て私の掛け布団の上に寝ることはあっても、2匹同時にいるということは今までなかったので珍しいし、何より嬉しい。少し経つとふくちがとらちにじゃれかかって、とらちが逃げてしまったけど。

 ヒルガードの心理学を1時間ほど読む。ここから日々の勉強時間を増やしていけるだろうか。スタディプラスのアプリもまたインストールした。

 夜、録画していたテレビ「ブリティッシュ・ベイクオフ」を観た影響で焼き菓子を作って食べたくなり、シュークリームを作った。シュー生地は、焼きたてこそいい具合に膨らんでくれたけど、オーブンの扉を開けないまま冷ましているうちにいくらかしぼんでしまった。でも、味は我ながらとてもおいしくて、甘くないシューととろりと甘いカスタードクリームの相性が抜群だった。夜中にお菓子を作って食べるというのは背徳感や特別感があって、格別に楽しくておいしい。なかなか起きていられないので難しいだろうけど、深夜にお菓子やジャムを作るという行為に妙な憧れがあるので、いつかはやってみたい。

 

2024/04/06 Sat.

 羊文学の音楽が気になっていて、YouTubeで何曲か聴いてみた。楽器の音もボーカルの声も心地良くて、「more than words」が特に好きな感じだった。コミュニティサイト「She is」が作ったSpotifyのプレイリストで「砂漠のきみへ」を聴いて以来、そのうち他の曲も色々聴いてみたいと思っていた。親から刷り込まれたジャンル(クラシック音楽)でない音楽を聴いていいなと思えるのは、親とは違う自分の個性が確立されたような感覚がしてちょっと嬉しい。

 ABEMAでアニメ「刀剣乱舞 廻 -虚伝 燃ゆる本能寺-」の第一話を観た。銀河英雄伝説のOVA以外のアニメを観るのが久し振りで(と思ったけど、アイドルマスターシンデレラガールズU149も観ていた)、アニメ鑑賞といういかにもオタクらしい行動を取っていること自体が楽しく思えた。大勢の刀剣男士達が動いて喋っている新規の映像を見られるのは純粋に嬉しかったし、布団を干したり、とうもろこしの髭をむしり取ったりといかにも人間らしい生活をしている推しも拝めて良かった。最近は毎日ゲームにログインこそしていてもノルマのように遠征と内番しかさせていなかったので、ちゃんと出陣させてあげたくなる。刀剣乱舞をプレイしている人達はよく本丸に「帰る」という言い方をするので、それがすごく良いし、分かるなあと思う。たとえゲームの世界であっても、自分が帰る場所があると思えるのはなんだか安心する。一番好きな男士は我が初期刀歌仙兼定だけど、最近Twitterで話題になっていた「結婚したい刀剣男士ランキング」の個人的な一位は石切丸だと思った。本邦の結婚制度に反対している現実はさておき、あのおおらかさ、包容力、おっとりとしたマイペースさ、御神刀としての貫禄、ちょっと抜けた所のあるかわいい性格、最高じゃん!友達になりたい刀剣男士ランキングだったら、歌仙、古今、南海太郎が個人的ベスト3かな。文系、文系、理系。

 珍しく映画を観たい気持ちになり、いつか観ようと思っていた「そばかす」を観てみた。すごく良かった!どうしてこんな良い作品を今まで観ずにいたんだろうと思うほどだった。以下、ネタバレ有りの感想。

 主人公が実家に暮らしているというのが、個人的にとてもポイントが高い。都会でかっこよく一人暮らしをする女性というのも憧れはもちろんあるけど、同じ実家住みのアラサーとしては、雑然とした生活感溢れる実家で同居家族と揉めたり笑い合ったり、歩み寄ったりすれ違ったりしながら生きている感じがすごく良かった。家族なら何でも分かり合えるという展開じゃないのも良い。家族でも全てを理解して受け入れてくれる訳じゃないというのはがっかりすることではあるけど、家族だからって全部理解し合えなくてもいいんだとほっとする部分もある。児童館で自作のシンデレラを発表する場面は、正直観ていて苦しかった。どうして異性愛者のストーリーは何の疑問もなく「普通」のものとして受け入れられて、それ以外のアイデンティティは悪気なく排除されるのか納得がいかなかった。でもその後の、真帆が父親に気持ちをぶつけるくだりで救われた。いかにも映画の感動的なシーンらしい、よく練られたかっこいい言い回しではない「馬鹿」というシンプルだけどリアルな怒りの表現だったのが、却ってかっこよかった。真帆が結婚するという話を聞かされた時、私は過去に似た状況で「ああやっぱりこの子も”そっち”側なんだ」というやるせなさと疎外感を覚えたので、素直におめでとうと祝福できた佳純はすごいと思う。それから、食卓を囲んで家族で焼き肉を食べている場面、こんなにも正直にはっきりと伝えているのに家族に理解されない場面もやっぱりつらかったけど、その後の「私、もうチェロやめる」という台詞にはもっと泣いた。佳純に楽器をやってほしいという父親の期待(佳純がチェロを好きだったからそう思っているのであって、父親自身のエゴからくる期待ではない)には応えず、昔は確かに好きでやりたいと思っていたことだったけど、今の自分はそうではないと思って「やめる」と決断できたというのがとてもかっこよかった。それに触発されたのか、今の仕事を辞めてやりたい仕事をやると言えた佳純のお父さんもかっこよかった。そして最後の場面、本当に良かった!異性愛至上主義、恋愛至上主義の社会はなかなか簡単には変わらない、万人がすぐに理解してくれる訳じゃない、身近な家族だって分かってくれない。でも私がそのままそこにいるだけでそれが救いになるという人もいて、そうであってもそうでなかったとしても、私は私のままでそこにいていいんだという安心感。時々でも、息ができる瞬間が確かにある。主題歌が流れて、たまたまそれが羊文学による楽曲で、何の偶然かと嬉しく思った。曲も歌詞も、主演の三浦透子さんの伸びやかで透明感のある歌声もとても良くて、映画を観終わってから何回も繰り返して聴いている。「走る、その先に、どんな未来がきたって きっと今ならば目を逸らさないよ」という歌詞が特に好きだ。それにしても、良い作品を観たなあ。

 

2024/04/07 Sun.

 出かけた先で久し振りに八重桜の花を見かけた。桜餅そっくりの花がおいしそうでとてもかわいかった。八重桜のぬいぐるみなんかがあったら欲しいくらいにかわいい花だと思う。

 一昨日シュークリームを作った時の残った卵白があったので、それを使ってラングドシャを焼いた。焼きたてのクッキーというのはふわふわと柔らかくてバターの香りも立って本当においしいので、冷めてさくさくになる前につい食べてしまう。

 隙あらば三浦透子さんの歌う「風になれ」を聴いている。何かが救われて明るい気分になれるような、それでいて泣きたくなるような不思議な曲で、これを聴いていると「大丈夫」だと思えるし、「大丈夫じゃなくても大丈夫」という気もしてくる。覚えてきたメロディーを口ずさんでみたら、自分の音痴具合が全然大丈夫じゃなかった。歌うのって難しい。