苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/04/08-04/14)

 

2024/04/08 Mon.

 午前中に地震があり、少し揺れた。ふくちが戸惑ったようにこちらを見ていたので、話しかけてやると落ち着いたようにまた眠り始めた。こういう時、猫を抱っこして軽く揺すると、地震の揺れを飼い主によるものだと思って安心するらしいのだけど、抱き上げるにはふくちは重いからなあ…。

 ヒルガードの心理学を読んで、びっくりするほどスムーズに寝落ちした。眠くなるのは仕方ないとして、寝てしまうことについて「やっぱり自分は駄目だ」みたいな、妙な意味付けをしないようにはしたい。寝ても、寝て起きてまた勉強すればいいんだし。

 

2024/04/09 Tue.

 ヒルガードの心理学を読む。とりあえず、買ったはいいもののちらっとしか読んでいなかったこの本にひと通り目を通しておきたい。5章までは眠いし、目が滑るしで全く頭に入らず、果たしてこれで読んでいると言えるのかと問いたくなるほどだった。ところが、6章の「意識」の章に入った途端、急に内容がおもしろくなり目が覚めた。マリファナやオピオイド、フェンサイクリジンなどの単語が出てきて、テンションが上がる。この本は意外にも誤字脱字が結構な箇所あるので(なにせ分厚いので相対的に多くもなるだろう)、意地が悪いけどそれを見つけるのも少し楽しい。あまり好きじゃない内容の本に対しては「きちんと校正していないんだろうか」と思うけど、好きな本となると、いかにも人の手によって作られた本という感じがして、手作り感のような親しみすら覚える。

 午後は庭仕事をする。風がかなり強かったけど、あまりにも天気が良いので家にこもっているのはもったいないと思って外に飛び出した。じゃがいもの芽かき、鉢植えと畑の草取りや追肥、ビオラの花がら摘みなどの作業をし、庭に生えている大きい雑草を引っこ抜いた。いつの間にかラズベリーの花がたくさん咲いていたので、収穫が楽しみ。ヤッケやら帽子やらの装備を整えて庭に出るまでは億劫だけど、いざ庭仕事をすると、日差しも風も、雑草を根こそぎ引っこ抜く感触も全部が心地いい。やっぱり自分にとっては、庭仕事は立派なコーピングになるんだと思う。腰痛と引き換えに、精神の安定を手に入れることができる。

 全く予期していなかった出来事が起こった。オーボエを吹く機会があったのだ。私にとってオーボエは、社交不安症、親の期待や理想、思春期の黒歴史等々のできれば掘り返したくない思い出やイメージと密接に結びついているもので、もう二度と今後の人生で関わることはないだろうと思っていたものだった。ところが、この楽器の組み立て方や音の出し方、手入れの仕方などを母に教えることになった。自分の楽器は水害で泥水に浸かったきり手放したので、楽器を間近で見たり触ったりするのはもちろん、コルクグリスやスワブを扱うのすら久し振りで、借り物であることもあっておっかなびっくり組み立てた。吹いてみると意外にも音は出るし、運指も覚えていて、捨てられずにいた楽譜を引っ張り出して知っているメロディーをさらうことができた。悔しいことにちょっと楽しくて、楽しく感じられたことが少し嫌だった。自分の楽器を失って、もうステージに乗らなくていいし、嫌な思いもせずに済み、親の期待に応えようとする必要もなくなったのだと寂しいながらも解放感があったので、楽器を楽しいと思ってしまうと未練のようなものを認めることになる気がする。いっそ嫌な思い出しかないものだったらすっぱり諦めきれるのに、音楽をやること自体は多分楽しいんだと思う。でも、楽しくてもやはり人前では吹けないし、合奏も演奏会本番も無理だ。もしも社交不安症になっていなかったら、今もアマチュアのオーケストラや吹奏楽に参加して、家族と同じ楽しみを共有できていたのかもしれないと考えてしまう。一方で、楽器はもうやらないと決めたことが、私の中では遅れて来た反抗期のような、親に対するささやかな抵抗に近いという所もある。いっそオーケストラにも吹奏楽にもない楽器を一人でこっそり楽しむのはありかもしれないけども、何かしらの楽器をすることで「ほら、やっぱり音楽は楽しいでしょう」「我が家の人間だから当然音楽をやるよね」といった母からの無言の圧力に屈してしまうことになるのは避けたい。音楽や楽器というものは、「ただ楽しい」という純粋で気軽な理由だけで楽しんでいいもののはずなのに、自身の天邪鬼なプライドがどうしても邪魔をしてくる。それにしても、もうこの楽器を吹くことはないはずだと思い込んでいたので、生きていると何が起こるか分からないのだと改めて思い知らされた。

 

2024/04/10 Wed.

 「しまうまプリント」のアプリで作っていた、大阪旅行の写真をまとめたフォトブックが届いた。文庫本サイズの冊子に写真がきれいに印刷されていて、眺めていると旅行の楽しさが思い出せて良い。作ってみて良かった。

 なんだか急に化粧品が欲しくなった。KATEのリップモンスターがとても良いので、とりあえずサイトを見て、次に買うならどの色だろうかと考えてみている。他にはまつ毛美容液、チーク、リップやアイカラーなどに使えるマルチカラースティックが欲しい。自分の容姿については、本当に並々ならぬコンプレックスをこじらせている。どのくらいこじらせているかというと、「メイク」や「コスメ」という単語を使うことすら気後れして「化粧」「化粧品」と言っているくらいだ。「自分みたいなのには分不相応だから」という意識が強すぎて、デパートの化粧品売り場などはこそこそと逃げるように通り過ぎることしかできない。きらびやかで華やかな世界が眩しすぎて、地上で日光に晒されてしまったモグラのような気分になる(反対に、書店や園芸店であれば水を得た魚になれる)。ただ、そうやって依然こじらせながらも化粧を楽しみたい気持ちが芽生えてきたのは、良い傾向なんじゃないかと思う。

 畑のアスパラガスを3本収穫したので、豚肉で巻いて照り焼きにして食べることにする。庭に色々な花が咲き始めて、いよいよ春らしくなってきた。色とりどりのつつじとさつき、大手毬、ジューンベリーの他に、へびいちごやナガミヒナゲシなどの雑草も次々と花を咲かせている。観葉植物として室内で育てているコーヒーノキにも、今年2回目の花が咲いた。ジャスミンのような甘い香りが漂ってくる。ふいに香るくらいなら良い香りだけど、辺りに充満しているとあまりにも強烈なので、思わず勉強机やベッドから鉢を遠ざけてしまった。

 

2024/04/11 Thu.

 午前中に、ヒルガードの心理学を結構読み進めることができた。勉強机の椅子に猫のとらちが居座ってすやすやと眠っているので、私はその傍の床に座り込んで、時々脚が痺れるのをなんとかしながらヒルガードを読んだ。時々とらちを撫でると気持ち良さそうに喉をごろごろ鳴らしていて、その音を聞きながら勉強するというのはなかなか良かった。私は基本的に毎晩8時間は寝たい人間で、大人としては寝すぎなのではないかとなんとなく引け目に感じる部分があったけど、ヒルガードの心理学の中で9時間睡眠が推奨されている部分を読んで大いに励まされた。確かに、8時間半眠った翌日はとても気分が良く、体調も良い気がする。9時間も寝たら一体どうなるんだろう。相当元気になってしまうんじゃないか。朝6時に起きるためには、夜9時には就寝しないといけないというのがなかなか難しくはあるけれども。

 しばらく前に新しく作ったWebサイトに、これまでに描いた四コマエッセイ漫画をいくらか載せた。ところどころ修正しつつ、ぼちぼち全部のページを乗せられたら良い。自分用に製本する時にも思ったけど、こうして見るとなかなかな枚数を描いたものだと我ながら驚く。出来事や感情にオチをつけて四コマ漫画にすることが私にとってはセラピーのようなもので、不安や憂鬱を扱いやすい形にして笑いのネタに昇華してしまうと安心できるので、描いてみて良かったなとつくづく思う。何より、描くのが楽しかった。庭仕事と同じで作業に集中するまでが億劫なので最近は描けていないけど、描きかけのネタも描きたいネタもあるので、そのうちまた描きたい。

 

2024/04/12 Fri.

 ペンタブを引っ張り出して、さっそく描きかけの四コマ漫画に取りかかった。文字の入力と下書きまでは済ませていたので、線画を描いてトーンのようなグレーの部分を塗ってしまえば完成。そう言うと簡単に思えるけど、線画は一番神経を使う。久し振りに扱うペンタブはすっかり勝手を忘れていて、なかなか思ったような線が引けず作業は難航した。

 お風呂に入っている時、先日のオーボエ事件について考えたことを急に漫画の題材として扱いたくなり、ネタが次から次へと湧いてきた。お風呂というメモもスマホもない環境にいる時に、勝手にネタ出しを始める己の脳は卑怯だと思う。プリンターのように脳内のアイデアを頭から出力できたらいいのにと空想するほどだった。急いでお風呂から上がって化粧品だの薬だのをせっせと顔に塗りたくり、髪も乾かさずにスマホを掴んでアイデアを書き起こすのは、焦りながらも楽しかった。漫画にしろ文章にしろ、何も思いつかない時というのは本当に思いつかないものなので、こうしてネタが湧いてくるのはかなり嬉しい。願わくば、一晩経ってからこのネタ群がつまらない、描く価値のないものだと感じるようなことがありませんように。

 

2024/04/13 Sat.

 精神科の診察。いつもの薬を8週間分処方してもらった。やっぱり、薬があると格段に動ける気がする。家から病院までの道程を歩いて往復する途中に、つつじ、石竹、白詰草、コメツブツメクサ、ハハコグサ、ノゲシ、ノアザミ、マツバウンランなどの花が咲いていた。花期が過ぎた菜の花には、赤いてんとう虫がくっついていた。

 明日に控えた面接が嫌で、げんなりしている。ただ、数年前のように「不安すぎるので、面接を受けるくらいなら死にたい」「面接くらいでこんなに不安がっている自分は駄目な人間だ」「面接を受けられないから働けなくて今後生きていけない、死のう」等々の考えには今はもうならないらしいというのが、かなり嬉しい。多分、人並みの程度、私が憧れてやまなかった「普通」の緊張具合だと思う。面接が嫌だと思うのが嬉しいと感じられるようになるとは、思いもしなかった。それでも相変わらず面接は大の苦手ではあるので、「たかだか数分の面接ごときで、私という人間の素晴らしさが理解できるはずがないでしょうが」と内心で虚勢を張ってみたり、「まあ、まず不採用だろう」と面接を受ける前から諦めてみたりしている。うっかり期待してしまうと不採用だった時に堪えるし、どうしたって受かった時のことは想像してしまうので、「ダメで元々」「受かったらラッキー」と己に言い聞かせるようにしている。

 

2024/04/14 Sun.

 仕事にありつくための面接試験を受けた。以前のような「今すぐこの状況から逃げ出したい」「死んでまで回避したい」という強烈な不安がないというのが新鮮だった。文学部の大学時代には、就活の面接が嫌なあまり「車道に倒れる」だの「線路に飛び込む」だのといった案をしょっちゅう考えていたけど、この日は今日の日記を書き始めるまではそういった選択肢を思い出しもしなかった。とはいえ、もちろん緊張はした。話すのがやっぱりかなり下手で、自分でもよく分かるほどしどろもどろではあった。ただし、これまでの「生きるか死ぬか」のような緊張と不安の程度に比べたら、「この程度では緊張とは言えない」と過去の自分に言われそうなほどの生ぬるい緊張感だった。緊張があっただけで、不安を特に感じなかったというのが本当に嬉しい。似たような感情ではあるかもしれないけど、いざという時に備えて集中力を高める「緊張」と、ネガティブな妄想ばかり膨らんで体調まで悪くなってきそうな「不安」とでは、やっぱり別物だ。試験の結果がどうであれ、この程度の緊張で面接を受けることができたという事実を数年前の自分に教えてあげたら、きっと信じられないだろうな。

 「面接が終わったら、何か好きなお菓子をひとつ作っていい」というご褒美を掲げていたので、ヴィクトリアサンドイッチケーキを作ることにした。面接会場から家まで歩いて帰る途中にスーパーへ寄り、スーツ姿で生クリームひとつだけ購入するという一種異様な行動ができて楽しかった。とにかく、面接が終わったことでほっとした。帰宅してスーツを脱ぎ捨て、とびきりおいしいヴィクトリアサンドイッチケーキを作った。バターの風味が豊かでしっとりふわふわのケーキと、去年作って冷凍しておいた庭のさくらんぼのジャム、頑張ったのだからと奮発したちょっと良い生クリーム(普段は200円しない植物性のものを買うけど、今日は倍の値段の動物性のものを買った)の相性が抜群で、我ながらとても良い出来だった。「お菓子をひとつ作っていい」というご褒美ではあったけど、生クリームがまだ100cc残っているので、もうひとつ何か作れてしまう。何を作ろうかな!