苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/01/22-01/28)

 

2024/01/22 Mon.

 ちょこちょこと家事をやっつけた。

 

2024/01/23 Tue.

 朝から雪が降っている。

 オンラインカウンセリングサービスを初めて利用してみた。もちろん、カウンセラーは臨床心理士資格を持っている方を選んだ。相談したい内容としては、「人といると常に気を張ってひどく疲れるため、働いたり、人と親密な関係を築いたりできないことに悩んでいる」「仕事(アルバイト、パート)が長続きしない」といったことを伝えた。初回なので、現状やこれまでの経過についての聞き取りが主だった。自分のことについて口頭で伝えるのはとても難しくて、的外れな回答をしている自分に対して「こんなことを訊かれている訳ではないのに…」と内心で呆れるような気持ちに度々なった。ただでさえ人と話すのは苦手なのに、自分でも原因がよく分かっていないような悩みや困りごとを考え考え喋るのは本当に難しい。でも、久し振りにちゃんとしたカウンセリングを受けられそうで良かった。

 カウンセリングが終わった後に例えを思いついた。人と接する時に、過剰に気を張ったり気を遣ったりして疲れることを、厚着しすぎることに例えられるかもしれない。人に対して気を遣うのは自然なことで、全く気を遣わないということはなかなかない。外で服を着るのと同じで、着ないという選択肢はなく、季節や天気に合わせて適した服を選んで着る。ところが、私の場合はその日の気温や自分の意思に関わらず、服を着るとなると必ずむちゃくちゃな厚着をしてしまうような感じだ。家族以外の人といると、その人がどんな関係性の人であれむちゃくちゃに気を張ってしまい、後からどっと疲れてしまう。服の枚数や厚さで快適さを調節するように、気を許したいと思った相手には少し緊張を緩めたり、肩の力を抜いたりできるようになりたい。

 夕方、晩ごはんの食材を買いにスーパーまで歩いて行った。寒かったけど、雪が舞う中を歩くのは楽しかった。

 

2024/01/24 Wed.

 朝起きると、うっすら雪が積もっていた。昼には溶けてしまった。

 クリスマスまでに読もうと思っていたのに去年読めていなかった、ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』をやっと読んだ。バレエ作品でよく知るストーリーとはまた違った物語だったけど、おもしろく読んだ。子ども向けの文学作品は読みやすくていい。

 晩ごはんに春巻きを作った。具材を皮に包むまでは良いのに、いざ油で揚げると気泡で皮がぼこぼこしてしまう。味はおいしかった。

 

2024/01/25 Thu.

 定期検診を受けに、久し振りの歯医者へ行く。目立った虫歯はなかったので、ひとまずほっとした(ただし怪しい歯はあった)。帰りにスーパーで合い挽き肉を買った。

 歯医者から帰ってきて合い挽き肉を冷蔵庫に入れた後、今度は歯医者とは反対方向にあるパン屋へ出かけた。歯医者への往復40分に加えてさらに往復1時間歩いたので、帰る頃には足が疲れに疲れた。でも、お昼時に行ったのもあって、おいしそうなパンを色々買えた。おやつにさくらんぼとクランベリーのデニッシュを食べた。ここのデニッシュは生地の層がきれいで、さくさくしていてとてもおいしい。他のパンは明日の朝ごはんに食べる予定。

 

2024/01/26 Fri.

 昨夜見た夢に出てきた食べ物がおいしそうだった。紙の容器に入った濃い味つけの焼き飯(売っている人は「韓国風の炒飯」と言っていたけど、現実にそういう料理はあるんだろうか)、丸っこい魚の形をした10円パンのような大きなパン(パンと言われていたけど大判焼きのような生地だった)、注文してから店頭で作ってくれるパイナップルジュースとキウイジュースが屋台で売られていた。それらを買って両手に持って、食べる前に目が覚めてしまった。食べてみたかった…。

 精神科に入院していた時の日記を読み返したら、我ながらやっぱりおもしろかった。個人的なできごとや固有名詞が書いてあるのももちろん、その時その時に考えていた内容もおもしろい。私が今書いている日記は、数年後の自分にとってのエンターテインメントになりうるだろうか。

 晩ごはんに鶏南蛮風つけうどんを作ったら、家族から好評だった。

 夜、シャワーを浴びながらぐだぐだと考えた内容。ここ1,2年くらい、ずっと同じようなことを考えている。「七人のカリスマ」の伊藤ふみやじゃないけど、何が良くて何が悪いのか分からなくなる。自分の中の価値観が揺らぐ。なぜ地元の神社仏閣を訪れるのは良くて、カルト宗教の支所や手かざし道場に行くのは悪いのか?なぜ西洋医学によって病を治すのが良いことで、イベルメクチンで全ての病を癒そうとすることが悪いことなのか?本人の意思次第?病院に行かず松葉茶のみで治癒を試みる人も、本人の意思によるものだから尊重すべきなのか?信仰に背く苦しみを味わいながら輸血を受けて命が助かることと、輸血を拒否して信仰を守り抜けた喜びを味わうも助からないことと、どちらが良いことなのか誰が決められるのか?良いことと悪いことはどうやって決める?科学的であれば必ずしもそれは良いことなのか?科学では埋められない精神的な部分を補うのが宗教や信仰だろうけど、いつ治るのか、本当に治るのかも分からない病などで治療を断念して新興宗教に走ることは悪いことなのか?恐怖心や猜疑心から反ワクチンに走る人を誰が責められる?自分にとっては何が良くて何か悪いのか、自分の中ではある程度線引きをした軸を持っていたいけど、その価値判断が自分にできるのか?自分という人間はそんなに信用できるのか?心理学の教科書では、心理学は科学的な学問として認められるために科学的な在り方だの手法だのを重んじるみたいな内容が書いてあったけど、フロイトの性差別的な精神分析のどこが科学的なのか?エリクソンの発達課題が科学的だとして、その枠に入ることができないマイノリティを傷つけうるのに、科学的なことは総じて良いことなのか?非科学的なことも同じくらい大事だとするなら、身体の不調を医療でなく祈祷で治そうとすることも正しく当然な選択肢のひとつなのか?全てのことを線引きしてここからこっちは良いこと、ここからあっちは悪いこと、といった具合に簡単に分けられないことは分かる。ケースバイケース、世の中はもっと複雑にできている、単純な二元論に陥るのは危うい。でも、せめて自分の中でくらい大まかな基準を持っておきたい。でないと世の中がぐちゃぐちゃに見えて苦しい。同時に、社会で常識とされている考えも疑っていきたい。「だめ?なんで?そうとは限らないんじゃないか」の精神。そういうことをしょっちゅう考えているけど、「七人のカリスマ」の「#90 帰る」にひとつの答えがあるかもしれない。一億円を手にして仲間も助ける。どっちが良い悪いではなく、どっちも。そう考えれば、いつかカリスマブレイクできるかもしれない?

 

2024/01/27 Sat.

 朝から洗濯やら掃除機がけやら、あれこれ家事をやっているうちに2時間くらい経っていた。少し家の中がすっきりした気がする。庭の鉢植えの水やりもした。

 1時間かそこら、本を読んだ。「毎日30分読書をする」という目標を掲げるとか、本を読んだ時間を10分単位で記録しておくとか、本を今までのように読めなくなってからは読書にかける時間を気にしがちだったけど、時計を見ずに本を開くと意外にすんなり読めた。読書というのは本来時間を忘れてのめり込むことに楽しさがあるのだから、良い読書ができた。

 

2024/01/28 Sun.

 お昼ごはんに、ホットプレートで関西風お好み焼きを焼いて食べた。家で普段食べるお好み焼きは広島風なので、焼きそばが入っていないお好み焼きなんてと思っていたけど、関西風もこれはこれでふわふわしていておいしい。お餅とチーズとキムチを入れたものもおいしかった。

 『布団の中から蜂起せよ アナーカ・フェミニズムのための断章』を再読し終わった。やっぱりすごく好きな本だと思った。「社会に適応できないのは自分の努力不足によるものなんじゃ」とつい通俗道徳的な考え方に呑まれそうになる時、この本を読むと「それはあなたのせいじゃないよ」と言ってくれるので、とても心強い。何もできていない自分に自己嫌悪を感じる時も、世の中はクソだと思いながら生きていることがすでに抵抗だと教えてくれるから、「じゃあ生き延びてやろうじゃないか」と思わせてくれる。こういう本があるなら、世の中まだまだ捨てたものじゃない。