苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/02/26-03/03)

 

2024/02/26 Mon.

 録画しておいた先週のドラマ「作りたい女と食べたい女」を観る。第23話で、会食恐怖症の南雲さんが、人とごはんを食べることについて「できないだけで嫌いな訳じゃない」と言っていたのが印象に残った。何かと理由をつけて家族以外の人との食事を断り続けている一人の社交不安症の患者として、確かに私もそうだと思った。過剰な不安や疲労を感じるため、自分は人との食事自体が嫌いなんだとすっかり思い込まされていたけど、人との食事を楽しめるようになったらどんなにいいだろうと本心では憧れていることを忘れていた。他人と食事をするとなると、口に食べ物を運ぶタイミングや会話の中での適切なリアクションが分からなくなったり、自分がマナーの悪い食べ方をしていないか、口の周りを汚していないか不安になったり、ひとつひとつは些細なことが気になって仕方なくなって、帰宅するとぐったり疲れてしまう。食べることそのものは大好きだし、他者との関わりを楽しめるようになりたいとも思っているのに、誰かと一緒にものを食べるとなると、なんとかしてその機会から逃れようとする癖がしみついている。「つくたべ」の野本さんと春日さんは二人で一緒に食事を楽しみ、会話が途切れた静かな状態でも自然な状態、しかも幸せそうな状態で過ごしていて、すごいなと感じる。ドラマの一場面とはいえこういう状況は多分世の中によくあるものだけど、自分にはフィクションのように手の届かないものに思える。「人との食事でしんどい思いをしなくて済む状態になりたい」とばかり考えていて、「人との食事を楽しめるようになりたい」というポジティブな願望がいつの間にか埋もれてしまっていたので、思い出せて良かった。

 Twitterの自分の過去のツイートのアーカイブをダウンロードした後、ツイートを全て削除した。長いこと親しんできたTwitterがない生活など考えられないと思っていたけど、Blueskyを使い始めてみると、多すぎる広告がない、インプレゾンビがいない、スパムアカウントからのフォローもないSNSのあまりの快適さに感動してしまった。Twitterでしか得られない情報は確かにあるのでアカウントの削除までは至らないものの、今後Twitterは閲覧専用にして、発信はBlueskyのほうでしようと思う。在りし日のTwitterは本当に好きだったんだけどなあ。

 

2024/02/27 Tue.

 珍しく家に人が来るので、家の中をあちこち片付け、掃除機をかけ、玄関を掃き、空気清浄機のスイッチを入れ、猫の爪によってぼろぼろになったソファカバーを来客時用のものに替えた。自分にも家の中をきちんと整える能力があるのだと思うと、日頃すり減っている自尊心が少し蘇る気がする。

 3回目のオンラインカウンセリングを受けた。「働けるようになりたいけど、働ける気がしない」という話から始まり、子どもの頃の様子や両親のことについて色々話した。私がずっと根に持っている、25歳の誕生日で言われた「24歳で死んでたはずなのにね」や「やっぱり毒を飲んだ女は違うね!」という、私の服毒自殺未遂をネタにした母の冗談(冗談として成立していない)のことを流れで話すと、泣くつもりはまったくなかったのに涙がぼろぼろ出た。昔のことだと割り切っていたつもりだったし、「ひどいこと言いますよね、ははは」といったテンションで笑い飛ばそうとしていたので、急に泣き出した自分に我ながら驚いた。まだしっかり傷付いていたんだなあ、としみじみ思った。顔と口調は笑っているのに涙を流して話している私に対して、カウンセラーの先生は笑わず真剣な表情で聴いてくれて、それが後になって振り返るとむしょうに嬉しく感じられた。人から嫌なことを言われても大抵はつい笑って受け流してしまうけど、これは無理に笑おうとしなくていいんだ、ちゃんと悲しんだり怒ったりしていいんだ、とやっと思えた。人と話す時に、自分は気が付くと聞き役に徹してうんうんと相槌を繰り返すだけになってしまいがちだけど、自分の話を親身になって聴いてくれて適切なフォローをくれる傾聴のプロに話す体験が久し振りで、話す側に回るのもいいものだなと思った。オンラインカウンセリングを受けてみて良かったと思えたこともまた嬉しい。

 

2024/02/28 Wed.

 今年に入って初めてしっかり庭仕事をした。隣の家に人が引っ越してきて以来、庭いじりを楽しむことがめっきり減ってしまった。私に向かって言っている訳ではないと分かってはいても、すこぶる機嫌の悪そうな荒い口調の話し声がしばしば聞こえてくるお隣さんに対してすっかり萎縮し、そうした声が聞こえる度に勝手に怯えきってしまうため、どうしても庭で趣味に興じる気になれなかった。しかし、春の陽気に感化されて、先日ホームセンターで買ったじゃがいもを植える使命を果たすべく、なけなしの勇気を振り絞って庭に出た。その結果、かなり楽しい2時間半を過ごすことができた。暖かな直射日光を浴び、新鮮な外の空気を吸い、トラクターが畑を耕す音をBGMにしてせっせと自分の小さな畑を耕し、草をむしった。とても気持ちが良かった。こんな楽しいことを今までしなかったなんて、と思った。さくらんぼの花がいよいよ咲き始め、チューリップも葉の隙間からつぼみを覗かせている。寒々とした枝だけになっていたばらやラズベリーに緑色の新芽が出ていて、鉢植えにも雑草にも花が咲き、どこもかしこも青々と葉を茂らせていて、庭にいるだけで元気になってくる気がする。雑草を取り除いてさっぱりした畑にじゃがいもを植え、ミニにんじんの種をまき、適当に肥料をばらまいた。鉢植えにも追肥をし、ビオラの花がらを取り除いて、根の出たパイナップルのへたも鉢に植えた。鍬をふるったことによる筋肉痛の気配は感じながらも、達成感や満足感、ほどよい疲労感を得た。私にとっては、庭仕事は間違いなく精神の健康に良い効果をもたらすであろうことを改めて確信した。不機嫌な隣人になぞ臆してたまるか、私の楽しみと心身の健康と畑の収穫をこそ優先すべきだ。これからはこまめに庭で作業しよう。一度怒鳴り声を聞いたら、多分この決心はまた怯むだろうけど。

 

2024/02/29 Thu.

 注文したデスクが明日届くのに備えて、部屋の片付けに取り掛かった。学習机に積んでいた教科書類や適当な所に置いていた本を全て本棚に並べて、本棚そのものはすっきりと片付いたものの、元々詰め込んでいた文房具や紙小物、ごちゃごちゃした雑貨などが行き場を失い、かえって部屋が散らかる自体になってしまった。部屋のどこにこれだけの量をしまっていたのかと思うほど、大量の物が山と積まれて、時折雪崩を起こしている。とりあえず埃をかぶらないようにしたくても、段ボール箱や収納ボックスの類も空の物が家になく、途方に暮れてしまった。収納スペースがないなら物を減らすしかないのだけど、どれもこれも必要な物に思えてなかなか捨てられない。買い集めた本や趣味のグッズはもちろんのこと、ペン類、色鉛筆、シールやメモ帳、過去の手帳と日記、いくつもあるポーチ、手芸材料、季節の飾り物、大勢のぬいぐるみ達、博物館や美術館のパンフレット、文学部時代に使っていた古いノートパソコンや段ボール箱いっぱいのレジュメ、全部私が好きだったり、思い入れがあったりするものだ。いらなくなった古い書類ぐらいはいくらか資源ごみに出したものの、いかんせん他の物が多すぎて収納しきれない。自分はどちらかといえば整理整頓ができるほうだという自負があったので、「片付けられない」という不測の事態に直面してかなり狼狽した。片付かないというのは、こういう感じなのか…。週末にホームセンターや百均を覗いて何かしらの収納グッズを買うしかない。良いものがありますように。

 

2024/03/01 Fri.

 新しいデスクとハンガーラックが届いたので、猫達に邪魔をされながら組み立てた。大掛かりな工作のようで楽しかった。2人以上での組み立てを推奨されている家具を1人で組み立てられると、ちょっと嬉しい。ここしばらくずっと暗い焦茶色の木目の家具に憧れていたので、今回思いきって買ってみて良かった。家の中が白木っぽい明るい壁や床なので、暗い色の家具は浮いてしまうかと思っていたけど、意外と馴染んでいる。

 何か収納に役立つ物でもないかと、歩いて百均へ行った。あちこちに春の花が咲いていて、たんぽぽ、オオイヌノフグリ、からすのえんどう、ハナニラ、ドイツすずらんなどを見かけた。樹木に詳しくないので正しい名前が分からなかったけど、寒緋桜だか河津桜だか、濃いピンク色の桜らしき花も咲いていた。

 庭のさくらんぼも満開になったので、写真を何枚か撮ってみたけど、逆光でなかなか上手く撮れなかった。桜は気の毒にもナショナリズムのシンボルとして扱われることが多いので、花を見てきれいだと思ってもあまり好きとは言いたくない植物だと思っている(桜に罪はない)。それよりも、桜に似た花であっても桜よりも花数が少なく、毛虫も発生しにくく、おいしい果実が楽しめる桜桃(さくらんぼ)のほうが私は好きだ。

 

2024/03/02 Sat.

 精神科の診察。今は大体6週間に一回の頻度で通っている。オンラインカウンセリングはどうだったかとか、日中に自分の時間は何をして過ごしているかとかを訊かれた。薬は前回に引き続き、アリピプラゾールとトリンテリックスを処方してもらった。

 母がホットプレートでどら焼きを作っていて、人にあげる分を確保した残りをもらって食べた。蜂蜜の風味がする焼きたての生地がすごくおいしかった。あんこと生地の間にスライスしたバターを挟んで食べるととんでもないおいしさで、危険なカロリーだと分かってはいてもいくつでも食べたくなる味だった。

 心ゆくまであんバターどら焼きを食べた罪滅ぼしに、少し長めの距離を散歩した。たっぷり歩いたつもりだったけど、歩数は5000歩ほどだった。川沿いはウォーキングや犬の散歩をしている人が多く、往路だけでも5人の人とすれ違って挨拶を交わした。どの人も知り合いではないものの、田舎ゆえに挨拶をする習慣がある。こうして挨拶をするのは今でも緊張するけど、以前はもっと不安で怖かったので、その頃は「先手必勝」「先に挨拶をしたほうが勝ちというゲーム」「やられる前にやれ」と内心で自分に言い聞かせていた。今思うとシュールだけど、当時は必死だったことを思い出す。天気が良く、時々ポケモンGOのアイテムを回収しながらひたすら歩くのは楽しかった。歩きながらの考え事は、周囲に注意が向けられながらになるので、あまり深刻になりすぎなくて良い。木瓜や椿、もくれん、すみれ、芝桜、ムシトリナデシコ、カロライナジャスミンなどの花が咲いていた。

 

2024/03/03 Sun.

 両親が出かけている間に、せっせと家事を頑張った。洗濯物をたくさん干して、あちこち片付けたり、家じゅう掃除機をかけたりした。先日どうしていいか分からなくなるほど散らかしてしまった自分の部屋も、カラーボックスを追加したことでようやく片付いた。部屋や机の上が散らかっていると落ち着かないので、整理整頓できるとほっとする。新しいデスクもハンガーラックもなかなか使い勝手が良く、デザインも好みで気に入っている。自分が働いて得た給料ではないお金で大きめの家具を買ったことに罪悪感があるけど、年金や生活保護などの制度を利用して暮らす人に慎ましく生活しろというのは働くことができる状態にある人の驕りで、いわゆる生活保護バッシングに繋がる傲慢な考えだ。こういうものには断固抗いたい。「働けるようになったら、何かしらの仕事に就けたら新しい机を買っていいことにしよう」と長いこと考えていたけど、いつになっても働けそうになく、机を買える未来など到底来るとは思えず、働くことも机を買うことも何もかも私には駄目だ、高望みだ、と思っていた。だけど、無理だと思っていたもの(机を買うこと)を正攻法ではないやり方とはいえひとつクリアしてしまうと、なんとなく気分が前向きになる。自分が「こうしなければならない」と思い込んでいる方法でなくても、他に道はいくらでもあるような気がしてくる。親に買い与えられた学習机を手放して、新しい自分の机を手に入れたことも、「親の子ども」としての自分ではなく「私という一人の人間」とでもいった自分にシフトしたような感覚がある。机ひとつでこれだけ気分が楽になるのだから、買ってみて良かった。

 散歩に出かけると、草いちごの花が咲いているのを見つけた。初夏になったら、ここに真っ赤な野いちごの実が生ると思うとわくわくする。子どもの頃から大好きな植物なので、庭に生えていたらどんなに楽しいだろうと思ったこともあるけど、もし植えてしまったが最後、茂りに茂って手に負えなくなるだろう未来は想像にかたくないので我慢しておく。