苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/02/19-02/25)

 

2024/02/19 Mon.

 履歴書とエントリーシートを書かないといけないけど、その先に面接があるという現実に向き合いたくなくて後回しにしている。この仕事に就けたら本当に嬉しいけど、緊張でしどろもどろにならないはずのない面接試験と、空白期間だらけの履歴書をもってして自分が採用されるとは到底思えない。駄目で元々とは言っていても、駄目だったらやっぱり相当落ち込むだろうな。

 『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を読み終えた。男女の恋愛ものという普段読まないタイプの作品かつ馴染みのない価値観や生活にふれて、とても新鮮に感じた。「だれかと話したい気分」というものがあることに驚いたし、作者が次々に色々な他者と出会ったり交流したりしていく様子に舌を巻いた。すごすぎる。また、頻繁に開催されているクリエイターの展示、こじゃれた飲食店の数々、いくつもの充実した書店、自宅以外で映画や音楽を楽しめる場所、そうした都会の文化資本の豊かさをまざまざと突きつけられた。あまりにも生活環境が違う。文化圏が違う。住む世界が違う。もし、私が作者の真似をして昼間の公園で一人ピクニックでもしようものなら、「誰々さんちの娘さんはよか年ばしてまーだ仕事しよらんとね」と同じ町内会のおばさま方に噂話のネタを提供するか、それが小中学校の近くであれば下手をすると通報されてもおかしくない。そうしたコンプレックスをこじらせながらも、日記文学としておもしろく読んだ。また、セクシャルな関係を伴う男女の恋愛というものはこういう感じなのかと、異世界ファンタジーや遠い外国の物語でも読むような心地もした。

 家の近くの空き地でイネ科の雑草の葉をひとつかみむしってきて、猫達に与えた。市販の猫草はあまり食べないので、こうして時々名前も知らない草を食べさせている。私は都会へのコンプレックスや羨望、ひがみなどを常々くすぶらせているけれど、田舎でないと外でこうして草を気軽に摘んでくることはできないだろう。多分。少なくとも、私が田舎に住んでいることは、猫達にとっては良いことなのかもしれないと己を納得させようとしている。

 久し振りにピアノを触った。ブルグミュラーを数曲弾いた後、ハノン、ドビュッシー、テレビ「岩合光昭の世界ネコ歩き」の楽譜を見て少し音を出した。もう楽譜も読めなくなっただろう、指もほとんど動かないだろうと思っていたけど、それなりに読めるし、思ったよりは動く。ブルグミュラーは弾きやすくて、色々な曲があってやっぱり楽しい。丁寧に「アヴェ・マリア」を弾いてみたり、「乗馬」や「狩り」で大きな音を出してみたりして、少し気分がすっきりした。

 夜、またしても本に影響されて、Tinderをインストールしてみた。人と関わることが苦手なので基本的に人付き合いは避けがちだけど、いつかは克服しなければならないんじゃないかと思っている。人と接する経験を積んでみよう、そのために家族以外の人と交流する機会を作ろう、つまり友達作りをしようと思ってのTinderだった。しかし、自分にはやっぱり無理だと思い、アカウントを作る前にアプリを削除し、またアプリを入れ、開く前に削除し、とうとう3度目のインストールをした。こんなに迷っているなら観念してやってみようとアカウントを作成するも、見ず知らずの人に自分から右スワイプなんてとてもできるものではない。ならば自分のことを右スワイプしてくれた人の中から探そうとも思うものの、無課金ユーザーではそうした相手を見ることができない。いっそ課金してみるか?金色の課金マークが表示されるのは嫌だな、一週間で2,500円というのはいくらなんでも高すぎる。その金額で、気になる本を一冊買ったほうがよっぽど良い。そもそも、こうしたマッチングアプリは他者との出会いや交流を楽しめる人のためのツールであって、私のようにコミュニケーション全般に強い苦手意識を持っている人間が手を出すものべきではなかった。田舎で気の合う人間とマッチできるはずもない。あれはある程度の街中に住んでいる人間がやるもので、若者がどんどん出ていく過疎地域で活用できるものではない。いつかここよりはいくらか都市化の進んだ地域で一人暮らしをしてみたいけど、まともに働けないからそれはできない。働けるようになるために必要な人と関わるスキルを身に着けたいけど、その経験を積むために人と交流する機会がない。卵が先か鶏が先か、ぐるぐると輪のように「これができないからあれもできない」が繋がっている。あーあ。

 

2024/02/20 Tue.

 一体どういう人が自分にライクしてくれたのか知りたくなり、もしかすると話せそうな人がいるかもしれない可能性に賭けて、思いきって(血迷って)Tinder Goldに課金してみた。500ほど来たライクの送り主のプロフィールを一人一人ざっと眺めていって、共通点が何もなくとても話が合いそうにはない人間を片っ端から左にスワイプしていった結果、5人ほどしか残らなかった。マッチする範囲は「みんな」に設定しているのに、男性以外からのライクはほとんどない。趣味が筋トレやドライブ、スポーツ観戦だという男性の多さには驚いた。家族以外の男性と話す機会自体がまずないけど、世の中にはそういう男性が多いんだろうか。そんなはずがあってたまるか。Tinderというアプリには多いんだろう。残ったごく数人のプロフィールにはそうしたマッチョ成分は見当たらず、「人と話すのが苦手だから練習したい」という自分とよく似た動機の人や、趣味の欄に「読書」や「文学」のタグを付けている人がいる。ここからがまた難関で、「もしかしたら話せるかも」「どういう人間なのかちょっと興味があるかも」と思える人であっても、こちらからライクを返すという行為のハードルが高すぎる。マッチングしたところで、見ず知らずの他人とチャットで会話することのストレスを考えると、「無理」以外の感情が湧いてこない。Tinderの住民からすれば、こんな初歩中の初歩の段階で足踏みしている自分はさぞかし愚図に見えるだろう。ライクを返すのは置いておいて、自分の住む場所から10km程度以内にこのアプリを使っている人がいるのかどうか気になって探してみた。意外にも、いる。ところが、慣れない操作を誤って1km先にいるらしい人にうっかりスーパーライクというものをしてしまい、あろうことかマッチングしてしまった。そこからはもう大慌てで、30秒経つか経たないかくらいの間にアカウント削除に至った。とても無駄な時間と、無駄な2,500円を浪費してしまった。勉強代だと思うしかない。かなりの自己嫌悪に苛まれながらも、見ず知らずの人間達のプロフィールを見るのは少しおもしろくて、自分と関わりがないだけで世の中には色々な人がいるんだなという学びにはなった。

 

2024/02/21 Wed.

 観念して履歴書とエントリーシートを書いた。これ以上は絞り出せないというほど文面を考えて、精いっぱい丁寧に記入した。ハローワークで文章の添削を頼もうかとも思ったけど、去年の今頃もそうした時に「こういう一文を書き足すと良い」と職員からアドバイスされた文章がどうしても言い回しがおかしいように感じられて不服だったので、またそうなるとちょっともやもやするなと思いやめておくことにした。その時はおとなしく従って渋々書き足したけど、頑張って描いた絵に落書きをされたような気分だった。自分から添削を頼んでおきながら不満に思うなんて、こうした傲慢さがいけないんだろうか。父にそのくだりを話すと、「文学部出身なんだからいいんじゃない」「文学士なんだから」となだめてくれた。優しい。

 

2024/02/22 Thu.

 面接を受けたい職場の紹介状をもらうために、ハローワークへ行く。ところが、募集に対して人が多く集まったので求人が早めに締め切られたとのことだった。1人採用するところに7人の応募があったそうで、「(次からは)早めに応募したほうが良いですよ」と言われた。そういうこともあるのか。そうなんですね、分かりました、ありがとうございましたと言ってハローワークを出た。受かった時の未来をなるべく想像しないように努めていたから今回は泣かずに済んだけど、なかなかショックだった。もし面接試験を受けられていたとしても、それで不採用だったらやっぱり堪えるし、他に7人も応募者がいれば私みたいなのが受かるはずもない。それでも、今度こそと願いながら書いた履歴書とエントリーシート、社会復帰したくてハローワークに出向いた勇気、この仕事なら自分にもできるかもしれないと思った期待、今度こそは働けるかもと思ったり逃げずに面接を受けたりできるようになるまでに取り組んできた何年もの治療、新しく買い直した就活用のシャツやパンプス、そうしたものが全部無駄になった気がした。ひょっとしたら働いて「社会人」になれるかも、働いていない罪悪感から解放されるかも、貯金をしていつかは親から自立できるきっかけが作れるかも、働くことができればこの先も生きていけるから自殺しなくて済むかも、抑えていても膨らんでいたそうした空想が全部遠のいていく。あーあ。

 家に帰ってからやけ食いでもしようと、コンビニで食べ物を買い込んだ。レジを打ってくれた店員さんがにこにこと親しげな笑顔で接客してくれて、妙に救われる心地だった。私は人と接することに過剰な不安や疲労を伴うので人との交流を避けがちだけど(働いていないのもそのひとつ)、人との関わりによって癒されることが自分にもあるのだと新鮮に思えた。帰宅して、こういう食べ方は良くないと分かっていながらもおにぎり2個、クレープ、プリン、チョコドーナツをむしゃむしゃ食べた。食べ終わると案の定ますます自己嫌悪。同じような行動を取る他人に対してはそんなことを微塵も思わないのに、自分に対してだけは「死ねばいいのに」と強く思う。

 今日一日をせめて楽しい気持ちで塗り替えたくて、撮り溜めていたドラマ「作りたい女と食べたい女」のシーズン2を観た。すごく良いドラマだった。恋愛もののドラマというものをまともに観たことがなかったし、なんとなく自分向けのコンテンツではない気がして楽しめるものだとも思っていなかった。しかし、「恋愛ドラマっておもしろいものだったのか」「世の中の人はこういう風に恋愛ものというジャンルを楽しんでいたのか」と思い、恋愛がテーマとなった映像作品の魅力を初めて理解することができた。登場人物達の関係性の変化に一喜一憂したり、感情移入したり、なるほどこれは楽しい。異性愛のものではおそらく自分がこうして楽しめることはないと思うけど、フェミニズムの要素ががっつり盛り込まれた、安心して観ることのできる性的マイノリティの物語だからこそ、初めて恋愛ものの作品を楽しむことができている。また、17話での会食恐怖症の登場人物・南雲さんの「食べないでも大丈夫って言ってもらえるのは、すごく心が楽なんだなって気付けました」という台詞も、社交不安障害に長年悩まされている人間としてとても良いと思った。現実でしばしば言われがちな「いつか食べられるようになるよ」「食べられるようになるといいね」といった、励ましを装って食べられない状態を否定する言葉ではなく、食べられない・食べないことがそのまま受け入れられる安心感が表現されていて良かった。もしかすると南雲さんにとっては「人と食べられる状態」になることが幸せなのかもしれないけど、食べられないままでも南雲さんが幸せでいられたら、それはよく似た悩みを抱えている私のような人間にとっては大きな救いになる。22話にあった佐山さんの「いや〜、それは非常にハピネスですね」という言い回しがユーモラスで好きなので、南雲さんが南雲さんのままで幸せになれたら、それは南雲さんの「人と一緒に食べたい」という願いを一視聴者として否定してしまう残酷な期待ではあるものの、「それは非常にハピネスですね」と思ってしまう。何かと理由をつけて人との食事を断り続けている人間として。

 

2024/02/23 Fri.

 スーパーへ野菜を買いに行くと、生花コーナーにミモザの花が売られていたので、とびきりふわふわのを1本買った。適当な花瓶がないので焼酎の空き瓶に活けたけど、鮮やかな明るい黄色がいかにも春らしさを感じさせて、楽しい気分にさせてくれる。ふくちゃんが興味津々で花の匂いを嗅いでいた。

 ケーキ屋さんで毎年恒例のいちごケーキのフェアをやっているので、いくつか買って帰った。私はこの時期限定のショートケーキと、アーモンドの風味がする生地を使ったケーキを選んだ。前者はレモンっぽい爽やかな風味のクリームと、シフォンケーキよりもふわふわしたスポンジ生地がとてもおいしくて、後者はカスタードとホイップクリームを合わせたクリームと、アーモンド風味の軽い生地がよく合ってこちらもおいしかった。普段食べる機会のない良いいちごがふんだんに使われていて、いよいよ春が来るのだとわくわくしてくる。どの季節も好きだけど、春の訪れには別格の楽しさがある気がする。

 はてなブログProに登録して、ムームードメインでドメインを購入し、あれこれいじった。独自ドメインの自分のWebサイトを持つことに憧れて挑戦しては断念するのを繰り返していて、またしても懲りずにやってみている。Wordpressは難しすぎて無理だったけど、はてなブログなら、デザインも機能も既に整っている。オンライン上に自分だけの家(Webサイト)があるというのはなんだかむしょうに心強くて、安心感がある。今度こそ住みよい我が家を作って安住したい。

 

2024/02/24 Sat.

 猫のとらふくのLINEスタンプの第2弾を作る作業。ひたすらペイントソフトと睨み合って、作業は結構進んだ。売り上げ狙いではなく私が使いたいだけのスタンプだけど、これを家族のLINEで使えたら、猫達もトークに参加しているようできっと楽しいと思う。

 小学校入学時に買ってもらった学習机をいまだに使っていて、いい加減手放したい。私にとって子ども用の学習机は、働いて自立できず実家を出ることのできない、いつまでも親の「子ども」でいる自分を強く自覚させてくるものだ。丈夫で便利ではあるけど、これを視界に入れて使い続けることがどうにも苦しい。「仕事に就けたら」「大学院に入れたら」学習机を手放して新しいデスクを買っていいと自分に目標を掲げてきたけど、今の状況ではそれらは到底無理だ。親に養われ親に逆らえない子どもとして私は死ぬまでこの学習机を使い続けるんだ、じゃあみじめで情けないから死のうかな、という具合に考えが飛躍してしまうことも少なくない。それならば、そこにあるだけで苦しく感じるものは手放したほうがいいんじゃないかと考え始めた。ところが、まだ壊れてもおらず使えるものを捨てることについて、親を説得できるか自信がない。ごみ処理場へ粗大ごみを持って行くには親に車を出してもらわないといけないし、車に積むのだって一人ではできない。ごみをひとつ捨てるにも親を頼らなければならない人間なのだと、ますます自己嫌悪を募らせてしまう。やっぱり、なんとかしてこの机は処分しよう。エコの観点には反するけど、自分のメンタル面での安定や安心を優先したいし、自分を優先していいのだと心から思えるようになりたい。

 

2024/02/25 Sun.

 昨日思い悩んだ学習机のことを親に話すと、すんなり話が通って拍子抜けした。ただし、学習机は処分せず、親のパソコンデスクとして第二の人生を送ることになった。一万円しない価格の組み立て式のシンプルなデスクと、ハンガーラックも10年以上使ってついに先日壊れたので、一緒に新しい物をネットで注文した。

 天気も良かったので、8,000歩ほど散歩した。梅はもう散り、菜の花、なずな、ほとけのざ、オオイヌノフグリ、たんぽぽ、水仙、ムラサキハナナなどの花が咲いていた。途中でホームセンターに寄り、じゃがいもの種芋を買った。去年植えたじゃがいもは地上部が腐って枯れ落ちてしまったので、今年またリベンジしたい。