苗床

菌床じゃないよ

週間日記(2024/03/04-03/10)

 

2024/03/04 Mon.

 用事ができたので、一昨年まで働いていた園芸店に行った。知り合いに遭遇することを思うととてつもなく緊張して、人間ってこんなに緊張する生き物なんだなと他人事のような感想を抱くほどの緊張だった。こうした苦しくなるほどの緊張を味わうのは久し振りな気がする。数年前は毎日のようにあった、どきどきして頭の中が真っ白になりその場から逃げ出したくなるような不安とは少し異なり、心臓だか気道だかの辺りが詰まって息がしにくく重苦しい感じがする緊張だ。なんでこんなに緊張しないといけないんだろう、と理不尽にすら感じた。

 久し振りに訪れた元職場は、春の花苗がたくさん並んでいて、見ていて楽しかった。ミニバラ、ガザニア、シクラメン、ラナンキュラス、ルピナス、ネモフィラ、デイジー、マトリカリア、ネメシア、アネモネと色とりどりで、良い季節だなと思った。果樹苗の取り扱いが増えていて、観葉植物も相変わらずたくさんあった。植物が好きな自分にはぴったりの職場だったなとあらためて思う。パートとしてまたここで働くことも考えたけど、今の自分にはやっぱり無理だ。人付き合いに疲れきっていて、人と関わるためのエネルギーやスキルがないし、体力もなく、商品のギフトラッピングや発送手続きの際に生じるプレッシャーに耐えられるとは到底思えない。植物についての知識や興味関心を存分に発揮できる、おそらく自分にはそこそこ合っているであろう仕事だっただけに、今の自分には無理だと感じていることが悲しい。自分にできないことが問題なのか、自分にはできないと考えていることが問題なのかは分からないけども。

 帰り道には、れんげやオランダミミナグサが咲いているのを見た。美しく改良された園芸品種の花も好きだけど、こうした素朴な野の花も好きだ。食べ終わったバナナの皮に似た見た目の、れんぎょうの花も咲いていた。

 

2024/03/05 Tue.

 今月の半ばに一泊二日で一人旅に出かけることを決意したので、その計画を立てた。障害年金が手に入ったことで、もし病気になっていなかったら働いて稼いだお金で楽しめていたはずの自分の人生の埋め合わせをしたくなったことと、「まだ生きていていいよ」と行政及び世の中から認められたような気がして安心したこととがきっかけだ(そもそも、行政の仕事はすべての人に「生きていていいよ」という姿勢を示して各人に必要な支援をすることだ)。まとまった額のお金が口座にあることで、「この先まだしばらく生きていける」と思えたこともまた嬉しく、それを祝福したい気持ちもある。ひとつ楽しい思いをして、世の中にはまだまだおもしろいものがたくさんあるのだから死ぬには惜しいのだと、生きるモチベーションにもしたい。死んでしまいたい気持ちももちろん根強く残っているけど、自殺というバッドエンドを回避して今後も生きていけるようになるためには、試行錯誤して手を尽くしてみようと思っている。

 旅行先は大阪に決めている。昨年私以外の家族が大阪に行っていたのが羨ましかったのと、どうしても行ってみたい博物館と植物園が大阪にあるためだ。大阪には修学旅行や就活でしか行ったことがなく、つまり楽しい思い出がないので、自分の中でのイメージを払拭したいのもある。格安航空の方が新幹線より安いことが一番の理由だけど、空港という非日常感のある空間も楽しみたいので、往復とも飛行機で行くことにした。自分のためだけに旅行の計画を立て、旅のしおりまで作るのが本当に楽しい。生きていれば楽しいことがあり、自分は楽しませるに値する人間なんだと思えるきっかけのひとつになるような旅行ができたら嬉しい。

 

2024/03/06 Wed.

 ドラマ「作りたい女と食べたい女」のシーズン2を最終話まで観た。とても良い作品だった。同性カップルへの偏見や法の不備、異性愛者の男女同士で結婚して子をもつことが正しいのだという風潮、そうした日本社会の悪しき部分をきちんと批判的に描いてくれるドラマがテレビで放送されることが、本当に嬉しかった。物語の脇役やスパイスのような立ち位置ではなく、れっきとした主人公として性的マイノリティのキャラクターが存在していることも嬉しい。また、もしも会食恐怖症について「治療さえすれば簡単に治る病気」のような扱われ方がされていたら、通院を続けているにも関わらず10年単位で社交不安症に苦しめられている当事者としては羨ましくてやりきれないと思って危惧していたものの、ドラマ「つくたべ」に携わるスタッフの方々にそうした懸念を抱く必要はなかったことがちゃんと分かった。ひとつだけ、会社を辞めていた南雲さんが「私も頑張らないとな」といったような台詞を言った後に就職活動をしていたのが、「無職でいることは頑張っていない状態」とでも言われているようで勝手に責められたような気持ちになってしまったけど、これは私お得意の被害妄想だと思う。それにしても、作中で野本さんと春日さんが食べていたあんバタートーストがおいしそうだった。今度小豆を買ってきて炊こうかと真剣に考え始めるほど、魅力的な食べ物だった。

 Twitterのトレンドに「会食恐怖症」の文字があり、Twitterのトレンドというものは見てもまず良いことはないのだと嫌というほど理解しているはずなのに、つい見てしまった。激しく後悔した。

 夜寝る前に「今日あった3つのいいこと」を紙なりメモアプリなりに書き出す習慣をつけたいと思うのに、一日の終わりはどうしても疲れ果ててしまってそれができない。疲れと眠気で机に向かうのはおろか、スマホを持って文字を入力するのも億劫に感じられる。きちんと疲れるほど日中に活動できて、自然な眠気が訪れて寝つけることが「今日あった3つのいいこと」のひとつだとでも思っておきたい。

 

2024/03/07 Thu.

 掃除機をかけたいと思うものの、猫達がそれぞれお気に入りの椅子の上で気持ち良さそうに寝ているので、掃除機の騒音で起こしてしまうのがどうにもしのびない。結局掃除機はかけたのでちりぢりに逃げられてしまったけど、しばらくするとまた各自思い思いの場所でぐうぐう寝始めていた。「幸せそうに寝ているから起こしたくない」と思える存在が身近にいるというのは、かなり嬉しいことだと思う。

 せっせと家事をやっつけてしまうと、妙に疲れた。なんとなく気が向いて、お湯で粉末を溶かすタイプのオニオンスープを飲んでみたら、やたらおいしかった。「気分が落ち込んだ時にすることリスト」に、温かいスープを飲むことを加えておきたい。

 地元産のレモンが冷蔵庫にあったので、午後は張り切ってレモンタルトを作った。初めて作るレシピだったのもあり、タルト生地が柔らかすぎて少し不格好になってしまったけど、味はとてもおいしいものができあがった。さくさくのタルトに甘酸っぱいレモンのクリームがよく合う。レモンの輪切りのコンフィを並べ、庭で摘んできたレモンバームの葉も飾ると、なんとなくそれらしい見た目になった。作るのにはそれなりに時間がかかったけど、食べるのはあっという間だった。

 プランターのチューリップが、紫色のものだけ咲いた。他の色はまだつぼみのままだ。

 

2024/03/08 Fri.

 とらふくの写真を使ったLINEスタンプの第2弾を仕上げたので、LINEクリエイターズマーケットにアップロードして審査をリクエストした。

 久し振りに床に伸びて、少し昼寝をした。精神科の薬を増やしてからは、日中に疲れて横になる時間がかなり減ったと思う。

 1時間ほど本を読む。『私の生活改善運動』(安達茉莉子、三輪舎)を読み始めた。表紙のイラストはもちろん、装丁もとてもかわいい。内容も、自分が幸せでいるために無理なくできる行動のヒントがたくさんあって、読んでいると「私も私なりに私を大事にしよう」と思えてくる。また、自分なら「嬉しい」だの「羨ましい」だのといったありふれた形容詞で片付けてしまうような感情が、想像力を掻き立てられるユニークな表現で描写されていて、読んでいて楽しい。

 

2024/03/09 Sat.

 LINEスタンプの審査が通って、今日から販売を開始した。さっそく家族のLINEグループで使っている。

 夜に一人で4000歩ほど散歩してきた。目的としては散歩というよりウォーキングと言った方が正確かもしれないけど、散歩という言い方のほうが肩の力が抜けた気楽な感じがするので好きだ。何か考えているようでいて、何も考えていないような気もするぼーっとした状態で黙々と歩き続けると、家に帰り着く頃には頭の中がすっきりしているので気分が良い。歩きながら、昼間に読み終えた『私の生活改善運動』に影響を受けた考え事の整理をした。著者の引っ越しのくだりを読んだ時、自分が幸せでいられる場所に住む権利が私にもあること、住む場所を好きに選べる権利があることを思い出した。今の私は自活できるだけの稼ぎを働いて得ることができないから、実家でくすぶっていることしかできないと思い込んでいたけど、私にだって好きな場所に住む権利がある。車を運転しなくても暮らしていける場所で自由に生活したい、親に干渉されない生き方をしたいと改めて思った。普段、私は大好きなゲームやミュージカルの曲を、親に聞かれないように一人でこそこそと聴いている。父は大好きなクラシック音楽を誰にかまうことなく毎日大音量で楽しんでいるのに、どうして私は後ろめたいことでもするように隠れて聴いているんだろう。「音楽といえばクラシックでしょう、クラシック以外の音楽はちょっとね(笑)」とでも言いたげな両親のもとで育ったせいか、クラシック以外のジャンルも好きだとは言えない自分がいる。外出をすればどこで何をしていたのか弁明しなければならないような圧があるし(私の被害妄想かもしれないが)、珍しく電話をすれば誰と話していたのか何の気なしに尋ねられる。20数年前に建てられた我が家は良く言えばとても開放的な造りで、部屋と部屋を隔てる壁がほとんどなく、吹き抜けもあって、家のどこにいても家族の声や物音が聞こえる。一人で部屋に閉じこもることも、人に聞かれずに電話をすることも難しい。でも、家の中でくらい好きな音楽を堂々と楽しみたいし、最低限のプライバシーを保ちたい。先月応募し損なった求人がまた出たらリベンジして、そこで働き続けてお金を貯めて、いつかは一人で街中へ出て行きたいと前向きに考え始めた。その計画を近い未来に実現できるかどうかはさておき、そういう可能性がない訳ではないこと、実家を出て好きな場所に移り住む権利が自分にもあるのだということを思い出せたのは嬉しい。

 

2024/03/10 Sun.

 知り合いの人達との食事会に行った。予定が決まった時から、胃の辺りがぐるぐるするような、気道に何か物でも詰まっているような、変な緊張がずっと続いていた。仲良くしたいし、もっと仲良くなりたいから行きたい気持ちはもちろんあるものの、何かしらの失敗をしでかして軽蔑され距離を置かれる恐怖を思うと行きたくない気持ちもあり、参加についてはかなり迷った。家族以外の人と会って話す経験値を積みたい気持ちもあれば、今の自分には耐えきれないストレスになりうるんじゃないかという気持ちもある。結局、声をかけてくれるということは嫌われてはいないんだろうと己に言い聞かせ、参加することを決めた。無事に食事会が終わって、「あの時もっとこうしていれば」「あれはちゃんと意図が伝わっただろうか」と気に病む要素は多々あったものの、「もうあの人達に顔向けできない」と思わざるをえなくなるような致命的な失態はやらかさずに済んだ(と思う)。人との食事くらいでどうしてこんなに疲れるのかと情けない気持ちになるほど疲弊したけど、かつては「人のいる所でものを食べるのが怖いから、フルタイムの仕事に就けない。働けないから死のう」とまで思い詰めていた時期が長かったので、今日振り絞ったなけなしの勇気を褒めてやろうかなという気もする。今の私にできる限りのベストは尽くした。